表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/22

1.鶏ガラ醤油ラーメン

 

  

 「豚骨、味噌、塩…うはー、迷う。どれにしよっかなぁ」


 新宿にできたラーメンストリート。

その案内板の前で、私はひとり小さく唸った。会社の忘年会帰り。酔いで火照った体に夜風が気持ちいい。

「太るぞ」と囁いてくる理性を全力でスルーし、やってきたのは正解だった。

8軒並ぶ店は全国の有名ラーメン屋ばかり。しかも3ヶ月ごとに入れ替わるらしい。

 なにそれ、最高。

 家の最寄りのラーメン屋が潰れて以来、ラーメン難民だった私の救世主かもしれない。


「やっぱ締めはラーメンだよねぇ」


 ついさっき、焼き鳥屋で串を何本も食べたはずなのに、メニュー写真を見てると不思議とお腹が空いてくる。

 さて、どの店にしようかと一歩踏み出した瞬間——


 ピラッ

 目の前に、チラシが差し出された。


 《Club GOURMET》期間限定!初回1,000円!20:00〜22:00にご来店のお客様には、神凪シェフ監修の鶏ガラ醤油ラーメンをプレゼント!!


「……クラブ、グルメ?」

「そう!おねーさん、ラーメン食べたいならうちおいでよ!」


 どこから湧いて出たのか、バニラの甘い香りを振りまきながら男が立っていた。

 明るい金髪。ジャラジャラと鎖をぶら下げたパンク系ファッション。無駄に胸元を開けたシャツ。そして、どこかのブランドのクラッチバッグ。

 いかにも「ホストしてます!」な男が、満面の笑みでチラシを突きつけてくる。


「ね、ラーメン好きなんでしょ? じゃあ、うちじゃない?」

「……いやいやいや、私お金ないから!」


 腕を組まれそうになって、慌てて振り払う。

 こわっ! 最近の若者こわっっ!!私より明らかに年下のホストからは無邪気さと野心がうざったいくらいに溢れてる。アラサーOLには眩しいキラキラと輝くホストの目は、獲物を見つけた肉食獣の目だ。


「どの店入るつもりだったの?」

「水無月、だけど」

「水無月ってことは味噌ラーメン狙い? 頼むのはベーシックに本丸、でしょ? そしたらコーンとバター増量にしたくなるだろうし、あそこは基本チャーシュー1枚しか乗ってこないから追加するでしょ。あと、ひとくち餃子も有名だから3個250円を頼むとして……計1800円。税込だと1980円。でも、お金ないんだよね?」


 ホストがニッコニコしながら、ガン詰めしてくる。

 こいつ、数字の暴力で攻めてきやがる!!


「ほら、うちなら1000円!」


 チラシをバンバン指差しながら、ホストが畳みかける。


「しかも! 中華の殿堂のあの、神凪シェフのここでしか食べれないスペシャルラーメン!!」

「神凪シェフの?」

「ほんとほんと! 1000円で飲み代もラーメンも全部込み! なんでもしてあげるよ!」

「……なんでも?」


 その言葉に、ピクリと反応する。


「うん、なんでも!」

「……じゃあ、ちょっとだけ行こうかな」


 美味しい締めのラーメンが、安く食べられるなら、それはちょっといいかもなぁ。なんて、その時の私は甘く考えていた。


 ◆◆◆


「はい!はい!はい!はい!」


 店に入った瞬間、怒号のようなコール が響き渡る。

 見ると、ホストたちがふわふわのスカートを履いた女の子を囲み、グラスを掲げて絶叫 している。


「せーのっ!いっき!いっき!ボナペティ~~!」「ゆな姫、マジで最高ー!」


 少年のような細身のホストから、「え、若作りキツくね?」って感じの中年ホストまで、一様に目をカッピラいて一気飲みしている。

どっからどうみても急性アルコール中毒まっしぐらだ。


「……帰ろうかな」

「いやいや、まだラーメン食べてないでしょ!ね??大丈夫、もっと地味な席にするから!」


 ちょっ、地味な席ってなんだ。あん?

 いやいや、そんなことはどうでもいい。とにかく私は神凪シェフ監修のラーメン を食べに来ただけだ。それさえ達成できれば、このカオスな空間とは無関係でいられる。

 私は今見た非日常の光景を振り払うように頭を振った。


「ラーメンだけ食べたら帰るからね!」


 私の宣言にホストはにっこり笑って私を奥の席へと誘った。着席した瞬間、テーブルにおしぼり・ドリンクメニュー・謎のシャンパンボトル が置かれた。


 …シャンパン? え、ラーメンのお供にシャンパンって概念ある!?


「それじゃ、おねーさん、お酒何にする?」

「水」

「えっ」

「だって、ラーメンに合うのは水でしょ」

「いや、そこは…せめてハイボールとか…」

「だって締めだもん。締めのラーメンにハイボール組み合わせるとか、聞いたことある?」

「……ない」


 ホストが少し悲しそうな顔をするが、知らん。私は締めのラーメンを求めているだけなのだ。


 店に来る途中、ホストの身の上話も聞いたから、売り上げが欲しいのだろうと言うことは分かる。田舎から上京して1ヶ月、憧れのホストになったものの指名が取れず苦戦しているらしい。


 …まあ、理由はなんとなく分かるけどね。

 チャラそうな口調、平成感のあるファッション、バニラの香りをプンプン漂わせた攻めの香水。残念だけれども「ホスト=チャラ男」って時代はもう終わってるのだ。


「……」

 ちらっと彼の顔を盗み見る。綺麗な肌は柔らかそうで顔立ちも悪くない。だが、取り繕ったような妙に必死な感じが残念だ。


 (もう少し落ち着いた感じの方が人気出るような気がするんだよなぁ)



 そんなことを思っていたら、ぱちっと目が合ってしまった。


 ……しまった!!


 慌てて目を逸らす私を見て、彼は何を勘違いしたのか「よっしゃ!!」と言わんばかりに目を輝かせた。


「あれ、おねーさん、どうしたの?まさか俺の魅力に気づいちゃった!?ねえねえ!」

「なわけないでしょ!ほら、ラーメンは!?」


 下から上目遣いを覗き込んでくるホストを一蹴して私は彼の手から期間限定のラーメンメニュー を奪い取った。


「いっ…」


 ホストが小さく声を上げた。

 彼の指を見ると、小さな赤い血の玉がぷっくりと浮かんでいる。


 どくん。


「あー……もー。おねーさん、そんなにラーメン食べたかったわけ?血出ちゃったじゃん!」


 ほら!とホストが血の玉が乗った指先を私の目の前に差し出した。私は思わず凝視する。


「……」

「ほらほら、なに?啜りたい?だったらラーメンの方が…」

「うん、啜る」

「えっ?」


 差し出された指を、私はそっと掴む。


「え、いやいや、冗談だって!?」


 ホストが慌てておしぼりに手を伸ばそうとするが、もう遅い。


「さっき、何でもするって言ったよね?」

「いやいやいや、うちそういうサービスやってない店だから!!」


 じりじりと後ずさるホスト。私はずいっと前のめりになった。

 鼻をくすぐる、豊かな香り。


 (ああ、なんだろう、これ)


 すごく良い匂い。

 例えるなら、そう、鶏がらスープだ。

 香ばしい香りに誘われて、私は本能のままそっと唇を寄せた。




 ―――やっちゃった。



 数分後。

 目の前には、ぐったりとソファに沈むホストがいた。

 がばっと開いた胸元、首筋には赤い二つの痕。

 ……これはどう見ても事件。しかも、私が犯人の事件。



「うわぁぁぁ、違う違う違う!」


 私は頭を抱えた。



 ーー私、伊東美咲は生まれながらの吸血鬼だった。といっても、いわゆる「血を飲まないと死ぬ!」みたいなファンタジー吸血鬼ではなく、血は嗜好品。おやつ感覚で楽しむ程度の新時代の吸血鬼である。

 でも今日は、お酒も入ってたし、久しぶりの吸血だったからつい調子に乗っちゃって――

 吸いすぎた。

 いや、でもさ!? 仕方なくない!?だってこのホストの血、鶏ガラ醤油ラーメンの味だったんだよ!?

 スープまで飲み干したくなるレベルでうまかった。もう最高の締め。いやー、酔いも覚めたわー。

 ……まあ、目の前の状況も込みで現実に戻ったんですけどね。

 ホストはソファにもたれかかり、どこか恍惚とした表情。吸血鬼の魅了(チャーム)の力が効いてるのか、めちゃくちゃうっとりしてる。


 いや、ほんと、どうしようねこれ。



 ◆◆◆



 つんつん。

 ん?

 なにかが、俺をつついている。ぼやっとした視界の中、目の前には――さっきのOL。


「おーい、大丈夫? なんかフラフラしてるし、私帰るね。1000円、ここ置いとくから」

「え、あれ、俺……?」

「うんうん、いいのいいの。ちょっと休んでなよ。じゃ、今日はありがとう。ごちそうさま!」


 ぺこっと頭を下げ、OLはくるりと踵を返す。

 ……え? 何が起こった?

 俺、なんかした? なんかされた?

 よく分からんが、なんかめっちゃスッキリしてる。いやこれ、なんだこの感覚……


「……賢者モード?」


 自分で言った言葉にハッとして、俺は慌ててトイレに向かった。

 トイレ前にはナンバー入りのホストのエース嬢たちがたむろしていたが、そんなもの気にしてられない。漏らしてたら終わりだ。軽く会釈をしてささっとトイレに駆け込む。


「……いや、漏れてないな?」

 恐る恐る確認するが、いつもの俺だった。よかった。

 ふぅ、と胸を撫でおろしながら手を洗い、ふと鏡を見る。


 ――は? なんだこれ。

 きっちり締まった襟元。外されたシルバーアクセ。しかも、髪型までなんか落ち着いてる。

 誰だよ、この令和のモテ男。

 しかも――


「……なんか甘酸っぱい?」


 自分からふわっと漂う、蜂蜜レモンティーのような香り。さっきまでバニラ系の香水つけてたはずなのに、完全に上書きされてる。

 あのOLがやったんだ。

 いや、あいつホストを自分好みに改造する系の姫だったの!?

 ラーメンに釣られたちょろい客かと思ってたら、結局釣られたのは俺の方ってことかよ!


 思わずため息をつくが、そこまで腹は立たない。むしろ、この妙なスッキリ感のせいか、なんならもうこのまま接客してもいい気分だ。


 トイレを出ると、オーナーの拓実さんに声をかけられた。


「ショウ、8番卓についてくれ」

「え、でも8番って……混さんの姫の席じゃ」


 この店のナンバー3の混さんの姫は超気分屋で、ヘルプに厳しいことで有名だ。


「混と喧嘩したらしい。で、さっきトイレ前でお前見て、指名したいってよ。」

「……は?」


 チラリと奥の席を見ると、確かにさっき見たエース嬢がいる。黒髪ストレートのロングヘアで、如何にもわがままお嬢様って感じの子だ。

 いやいや、俺、チャラチャラガツガツ系のホストなんだけど? 混さんともタイプ違うし、どう考えても好みじゃないでしょ?


「まあ、()()()お前なら大丈夫だろ。」


 オーナーが俺を上から下まで舐めまわすように見た。

 ナンバーの姫なんてトラブルの匂いがする卓につきたくはないが、オーナーのいうことなら仕方がない。

 オーナーの意味深な言葉に、なんとなく胸騒ぎを覚えながらも俺はしぶしぶ卓についた。



 結果、この日、俺は一番の売り上げを叩き出し、ラスソンを歌うことになった。




 ◆◆◆



「あれ、帰らないのー?」

「ちょっと締めが欲しいなぁ〜って。どう?行く??」

「来月結婚式なの知ってるでしょ。これ以上太れないんだからぁ。気をつけてね」

「はいはーい、また来週ねー」


 先週の課での忘年会に引き続き、今日は同期での忘年会。

 いやー12月ってホントに忙しいね。

 もつ鍋とハイボールをぐいーっとやったあと、やっぱりラーメンが食べたくなった私は駅に向かう同期と反対方向をめざした。


 歓楽街と一本道をずらしたそこは、ラーメンストリート。今日こそは麺屋水無月の味噌ラーメン本丸を食べるんだ!!


 こないだは大変だったからなぁ。

 鶏ガラ醤油味のホストの首筋の血をアルコールウェットティッシュでゴシゴシ拭き取って、赤くなったから保湿ってことで私のハンドクリームを塗りたくって、吸血跡が見えないように襟元まできっちり閉めて。

 髪の毛だってボサボサになっちゃったから整えてあげたし、なんかそこまでしたらいい感じにしてあげようって気持ちが出てきちゃって、シルバーアクセも外しちゃったんだよね。平成ホスト路線よりもあっちの方が、からきっと売れると思うし。


 まあ、もう2度と会うこともないから、どうだっていいんだけど。でも、頑張ってたし売れてくれたらいいよね。


 なーんて、考えていたらあっという間にラーメンストリートの案内表示版前に到着。


 ぐぬぬ…。

 味噌ラーメンを食べるつもりだったけど、こうやって写真見てると他のも食べたくなっちゃうんだよねー。あー、悩む。有名店なだけあってどこも1500円は超えてくる価格帯だから、よーく吟味して決めなきゃ。忘年会シーズンでお金が飛んでくしね。って、うわ、なにこれ美味しそう。背脂たっぷり豚骨ラーメンとかもアリじゃない?


 じゅるり、とよだれとともにお財布事情を勘案していると、側からほんのり甘い香りがしてきた。


「お姉さん、初回千円!ホストクラブとかどう?」


 童顔にちょっとだらけた体つき。

 顔には濃いメイクをしているが、青髭がチラチラ見えてて正直似合ってない。そして、なにより甘いバニラの香りーー。


「行く!!」

「そっかあ。じゃあまた今度ーー…ん、え、来るの?」

「行くよー!お兄さんすごく良さそうだから、初回だけど、お兄さんとお話しする時間長めに取ってくれたら嬉しい」

「え、まじ!?うわ、全然!!何時間でもいて!うわぁ、まじか。ラーメンに真剣だったからダメ元だったんだけど。まじかぁ」


 思いがけない反応だったのだろう。驚くホストの腕を私は逃がさないようにがっしりと掴む。


「うんうん。やっぱり豚骨ラーメンは背脂たっぷりじゃないとねー!」

「うん?そうだね?」


 よく分からないままに頷くホストに、私は人より尖った歯を見せてにっこりと笑った。


ショウくんとの再会は第二話で

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ