第7話 儀式
少々遅れて、少々長くなりました
額で結んだ汗が頬を伝った。髪の毛の内側がかすかに湿り、濡れ羽色に煌めいた。鼻で呼吸すると、空気は暖かくかすかに乾いているのがわかる。服の中は密に熱れ、襟元から漏れる熱気がおとがいを包んだ。しかし眼鏡の奥の瞳はしな垂れた睫毛に守られ、光を宿さず涼しく憂鬱だった。
今日は今月中最高気温を叩き出した。それまで寒気すら感じていた春の冷気は桜とともに散り、蝉の音が聞こえてきそうな初夏が訪れた。
待ち合わせの14時。藤城は坂の上にあるバス停の日陰で、干からびたミミズを靴の底ですり潰していた。日傘を差したマダムが彼を訝しげに見ながら通り過ぎる。すぐ後ろは生い茂る木々の間に点々と一軒家が見下ろされ、また拓いた空間には遊具があり、それが公園だとわかる。空は晴れ、バス停と藤城の背後には油絵のような青が広がっている。
・・・藤城は、昨夜見たギャルゲーのことを思い出していた。自身を取り巻く環境や心情の変化によって、夢や目標を持つことができなくなった儚き少女の話。それでも夢を貫くか。それとも諦めるか。自分に彼女の行く先を問われていた。そして選んだ、夢を貫くと。自分と一緒に夢を追いかけて生きていこうと。もう一度立ち上がって、今度こそ夢を叶えようと。。。
しかし物語は意外にあっけなく終わった。少女はアイドルになるという夢を叶えた。そして、夢を叶えたことで広がった世界で、彼女は別の男を選んだ。主人公は彼女にとって自分が必要な存在ではないと感じ、そっと身を引く。その後時が経ち、SNSでアイドルになった少女が有名芸能人と不倫関係にあるとして取り沙汰されているというトレンドを、主人公は新しく親しい関係となった女性と一緒にスマホで見る、というところで物語は幕を閉じる。
このルートは言わば、少女の全てを貶めたストーリーと言える。それまで積み上げてきた過去の少女との記憶、他ルートの少女の生き様、ユーザーが少女とともに歩んだ道のりの全てを汚した。なぜなら、こんなものを見せられては、これまでの主人公に対する少女のどんな好意的な仕草も、結局世界が広がればこの女は別の男になびくんだろうな、とユーザーに思わせてしまうからだ。これまでの全ての少女の好意の意味は、主人公とたまたま同じ地域に生まれ、たまたま同じ学校の同じクラスにいたから、成り行きで恋人になったに集約される。つまり、運命の出会いを真っ向から否定するようなルートだったのだ。そんな目に合った主人公は最後にこう締めくくった。
「現実はこんなものだ。でもこんな現実も悪くはない」
・・・冗談じゃない。僕はそんなくだらない大人の子供騙しを見るためにこのゲームを買ったわけじゃない。経験者の未経験者に対する自己陶酔を、大人が子供に諭すような自惚れた達観や諦観を見るためにわざわざ8971円(税込)払ったわけじゃない。金返せ金。こんなカスみたいなストーリー見るために10時間も費やした高校3年生の気持ちも考えろ。全く、、、夢もまともに見れないのか。あーあクソゲーだった。そうだ、あとで評価に悪口書いとこ。
そうこうしているとバスが来て、待ち人が降りてきた。
会場は、住宅街の方を林の立ち並ぶ道へ進むと、その最中にある。藤城はこの暑い中歩きたくなかったが、林の影のおかげで比較的涼しく目的地まで歩くことができた。落ち葉は湿った土の上を重なり、その上を麗らかな木漏れ日が風の吹くままにくすぐった。しかし、この辺りは坂が多かった。下ると林や家々が影になり、上がるとまた日の目を浴びた。二人は垂れ下がった枝葉と蚊柱を避けながら、影に隠れた泥の乾き切らない路傍を選んで歩いた。会場に近づくと、見上げるように巨構な高架が林や住宅街を抜ける龍のように現れた。
「着いたよ」
高架沿いに林に囲まれた道中、右手に会場は現れた。
広い円形の駐車場の奥に、クリーム色の大きい建物がそこには構えていた。最初に目に付く最も高く聳える中央塔は、澄みやかな青空へどこか奇しく突出し、そこを軸に左右対称に翼棟が典雅に広がっている。出入り口は柱廊になっていて、クリーム色の魁偉な柱の整列が正面を端正でクラシックに構築している。それは、こんな人通りの少ない小道の途中で現れると少々驚かされるような、まるでここだけ異空間にあるような建物だった。
藤城は、自分自身マジックショーを観覧したことがないため、どのような建物で行われるのかよく知らなかったが、なんとなく不思議な建物だと思った。こういう建物では行われないと思っていたわけではないが、このような建物がマジックショーの、エンターテイメントショーの会場だと想像していたかと言えばそうではなかった。何がとは言えないのだが、どこか既視的で少し不安を覚えるような感覚があり、それがあまりにも浮薄で何の記憶とも結びつかないため、恐怖にもならないままほのかに神秘的で不思議な気持ちに落ち着く。どこか、どこかで見たことあるような雰囲気の建物。。。
「藤城。何してるの?早く行こうぜ」
「・・・お前、来たこととかあるの?」
「いや。ないよ」
「・・・変な建物だな」
車はまばらに停まっている。建物の窓は閉て切られ、ほこりを想起させるような厚ぼったげなミントグリーンのカーテンがしっかりと閉めてある。
駐車場を過ぎると、どこか鼻につくようなポルチコに迎えられた。言わば列柱に屋根を乗せたポーチのような小粋な空間に入ると、ようやく日差しを免れ、身を影に入れた。階段を登る。入場口は自動ドアだった。いよいよ中へと入る。
――自動ドアが開くと、冷房の冷気とともに赤い絨毯が引かれた玄関が広がった。服の中で汗が蒸発するのがわかる。
「Miss.Mrsの見えざる手受付」と書かれたシートを貼った壁の前に長机と椅子が置いてあり、そこに人が座っている。立ち上がると、白いワンピースを着た受付のお姉さんがこちらに一礼する。ちょっとおっぱいが見えた。
「こんにちはあ。こちらミス・ミセスの見えざる手受付になります」
「二人で。安くなるんですよね?」
連れが受付でやることを率先してくれるらしい。ありがたいありがたい。
「はい、左様でございます。お二人様でいらっしゃるので割引価格となります。お二人で7500円となります」
お互いに3750円ずつ出す。
「はいありがとうございます。それではお荷物やお持ちの電子機器はこちらのロッカーにお預け下さい」
え?チケットと交換するんじゃないんだ。じゃあどこ座ればいいんだ。それに一旦外出たい時とかどうするんだ。いやそれもそうだけど、
「電子機器って、スマホをこの中に預けるんですか?」
「そうですね。。。項目の撮影・盗聴防止のためご協力頂いております。誠に恐れ入ります」
項目?ショーの演目のことか。。。
「ま、ちょっとの間だよ。それに鍵は自分で持ってるんだから盗難の心配もないし」
連れはこんなこと当たり前だという風に慣れた手つきでロッカーに荷物を入れる。
藤城は渋々荷物とスマホをロッカーの中に入れた。挿してある鍵を捻り、ロッカーが閉まっているかガタガタ確認すると、鍵を抜いて繋がれたリストコイルを手首に付ける。
「ご協力ありがとうございます。それでは左の道をそのままお進み下さい」
玄関の先には左右に廊下が別れていた。なるほど、左から入って、帰る時に右から出てきてまたここにたどり着くというわけか。
「こんにちはあ。こちらミス・ミセスの公演受付です」
「二人なんですけど、割引になりますかね」
「はいお二人様でいらっしゃいましたら、お二人で7500円となります」
藤城達の後ろで新たに客が来たようだった。二人組の女性だ。
「あれ?チケットとかと交換しないんですか?」
「はい。こちらチケットなどの証券は取り扱っておりません。ご迷惑をお掛けします」
「まあ。最近石油の高騰で紙も高いからねえ。こういうところも全然あるわよ」
「そ、そうなの、、、かな?でもどこに座ればいいですかね?それに一旦外出たらどうしたらいいですかね。外から戻ってまた入場する時」
「はい、お席はお客様の任意となっております。会場をご退出の際は恐れ入りますが、退出時に受付にお申し付け下さい」
それするんだったらチケット発行しろや。それに石油の高騰って、紙製品扱う企業ならまだしも、お前らが使うのたかがチケットの発行だろ。おい!あとブス女ども、でもなあもう一個それ以上に驚愕の事実がお前らを待ち受けてるぞ。せいぜい驚け。なんとな、、、スマホを
「おい。藤城行こうぜ」
廊下に出ると、空気が変わった。一気に暗くなったのだ。天井からは暖色の照明が、黒や濃藍色を基調とした床や壁、天井をシックに照らしている。言うなれば映画館内のような感じだ。
藤城は一瞬、マジックショー初体験と館内のこの薄暗い雰囲気で多少の緊張を感じたものの、これから行われるショーの雰囲気作りだと思えばなんとはなしに気分が高揚してきた。逆にマジックショーの舞台までの廊下が、巷のホームセンターのように照明の光が満ち溢れる風通しのいい雰囲気だったら、少々ミステリアスに欠ける。こんな一見怪しげで薄暗い雰囲気こそが、マジックショーの内容とマッチして、きっとゴージャスや奥ゆかしい幽遠さと結びつくのかもしれない。
壁に貼ってある案内に従って廊下を歩いていく。廊下は突き当りで右に折れ、また右に折れた。すると、とある部屋の前で案内役と思われる女性と、「ミス・ミセスの見えざる手・入口→」と書かれたプラカードが立ててある。
「ようこそ、ミス・ミセスの見えざる手へ。会場はこちらになります」
案内役の女は白いワイシャツにロングスカートを着ている。入場口の受付もそうだが、案外カジュアルな服装だと感じられる。藤城たちは案内に従い、開かれた扉の中へ入った。
・・・会場の様子を見て藤城が最初に抱いた感想は、「こんなもんか」だった。思ったより小さい…。会場というと藤城は、舞台と客席が段差によって隔てられたホールのようなものを想像していた。しかしいざ来てみれば、30畳程度の一部屋に、仮設されたような舞台とその前にパイプ椅子が並べてある、言ってしまえば簡易的な会場だった。あたりを見回すと、周囲を黒いカーテンで閉ざし、角や舞台のそばに火のついていない蝋燭が立ててある。そのため室内は暗く、照明は廊下同様淡い暖色の光で、シックで温かみのある雰囲気づくりの役割を担っていた。雰囲気はミステリアスで今にもマジック始まりますよ感満載なのだが、規模で言えば、図書館で行われる子ども向けのイベント、もしくはそれより少し大きいくらいだった。
「あそこに座ろうぜ」
連れは臆せず意の座席へ赴く。
扉から舞台正面にかけて赤い絨毯が引かれ、ここを軸に左右にパイプ椅子が並べられている。
二人はパイプ椅子に腰を下ろした。・・・。しかしすることもない。イベント開演前のこの今にも始まりそうな期待の高揚と、それでいながら少々退屈と感じるくらいには長いビミョーな時間。ーースマホ。イベントが始まる前の暇な時間に、スマホがあることがどれだけ尊いことか思い知らされる。まさにスマホはこの時のために生まれたのではないかと思えるほど、この時間との相性がいい。藤城は、受付でのスマホを預けなければならないと知った時の苛立ちが甦ってきた。
舞台の上にはまだ誰もいない。マジックに使う道具らしき物も見えない。客席は半分ほどが既に埋まっている。どちらかと言えば女性が多い。それも高齢者。各々が控えめに雑談に花を咲かせ、ひそひそと館内はひしめいている。時間を置いて、廊下から声が聞こえたと思うと、扉からまたぞろ新たな観客が入ってきた。観客は2人組が多く見られ、このイベントに赴いたのも藤城たちと同じく割引キャンペーンが理由だと思われた。そんな光景がしばらく続いた。
「おい藤城。始まるぞ」
藤城は徒然なるままに受付のお姉さんのおっぱいを頭の中でリフレインしていたが、連れの呼びかけに気づくとともに、突如周りで拍手喝采が起こった。暖色の照明は消え、蠟燭の灯が点いた。直後、檀上が突然と照明に照らされ、舞台は暗闇の中から浮かび上がった。その舞台の上に一人の人間が立っていた。
「皆様、今日はお暑い中お越し頂き誠にありがとうございます。いつもお越し頂いている皆様、わたくしもまた皆様とお会いできるのを心待ちにしておりました。そして初めてお越しになった方々、このミス・ミセスが皆様のお心を震わせるような奇跡をご覧に入れます。どうぞ、、、最後までお付き合い下さい」
再度拍手が起こる。
女。年は40~50代に見える。茶髪のショートに線の細い顔立ち。服装は巫女服。潔白かつ指で掴めば豊かな厚みを返してきそうな白衣を、赤い鼻緒の草履を履いた白足袋のつま先までその紅を明晰に伸ばす赤袴が胸の下で粛々と引き締められ、その上から煤色の鶴の意匠を凝らした千早を羽織っている。千早は羽を押し広げる鶴の色を引き立たせるように、肌理細かく光沢に濡れる乳白色が雅だった。その生地が折れ皺が寄ると、そこは光が清冽に滑る盛り上がりと水のように涼しい影をたたえるへこみの、洋々たるうねりがたゆとうた。彼女がミス・ミセス、、、なぜ巫女服なのか。
ミス・ミセスは挨拶もほどほどに、袴の紅い裾をひらめかせながらマジックの準備にそそくさと取り掛かる。羽然と袖を振ると、白衣の袖からトランプの束を取り出した。
「皆様、こちらにトランプが御座います。今からこのトランプを使って皆様にちょっとした奇跡をご体験頂こうと思います。そこのお姉さん、少しお手伝いして頂きたいのでよろしければ壇上へ」
え。当てられんのこれ。こっち来んなよ…
藤城はちょっぴり緊張すると同時に、自分に今尿意があることに気づいた。
ミス・ミセスは暗闇から照明の差す壇上に上がった客を恭しく迎えた。彼女はトランプを客に手渡し、仕掛けがないか確認するよう言った。客が確認を終え、トランプを受け取る。デッキを扇に広げ、トランプの表が彼女自身からは見えないように、客に好きなトランプを一枚選ぶよう言う。客がトランプを選ぶと、観客一同にそのトランプを見せる。選んだ一枚をデッキに入れ、デッキを客にシャッフルさせる。
「さあ皆様、わたくしからはこの方の選んだトランプのナンバーとマークはわかりません。それは皆様もお席からご覧頂いた通りです。ですがわたくしなんの意味もなくトランプを用意し、人にそれを選んでもらう趣味は御座いません。今からこの方の選んだトランプのナンバーとマークを当てさせて頂きます」
ミス・ミセスは、客から受け取ったデッキにゆっくり手をかざしながら、指を細やかにウェーブさせる。暗闇の中一途に照明の光を浴びるまばゆい舞台の上で、巫女服を着飾った中年女性がトランプを捌く姿はなんとも奇怪で珍妙な様子だった。千早の袖を羽然とひねると、手に持っていたデッキを扇に広げた。
「あなたが選んだカードは、、、ハートの6ですね」
壇上に上がって隣でミス・ミセスのマジックを見ていた客は、手で口元を抑えると、ゆっくり頷いた。少し間を開けて観客からパラパラと拍手が起こった。
「さて次はこのコインを使って」
え。トランプマジック終わったの。
「この手の中にコインを入れて握ります。よーく見ていて下さい。このようにして波動を送ると、、、はい消えました」
消えたって...。お前。
「何も入っていない箱に布を被せると、、、はい、鳩が出てきました」
鳩...いやまあ、なんというか。
「この方をカーテンで隠します。そうして波動を送ると、、、はい、なんとこの短時間で全く違う服装に」
そうだな、つまり。
「手の中から、、、水が出てきました!」
――つまり、僕はこのレベルのマジックに3750円払ったのか、、、と藤城は思った。
全て、漏!れ!な!く!見たことがあるマジック。テレビやらネットやらで、必ず!と言っていいほど見たことがある、知らない者はいないような手品。小中のガキに訊いても大半が見たことがあると答えるような内容。
なるほど、まさに図書館の子供向けイベントレベルなのは、設営規模だけではなかった。赤ん坊から小学校低学年あたりのガキを客層に月1でやるようなエンタメを、、、17年(18の年)生きて、それなりに知識も得て、人間関係の酸いも甘いも経験して、エンタメの種々も電子媒体で見てきた、乳児期を超え幼児期を越え少年期を超え、肉体的にも精神的にも一定の成熟を迎えたいわゆる青年期にあたる、この僕という人間に見せたのか。
隣の連れを見る。朗々とした驚きの表情をたたえながら、嬉々としてと拍手していた。こいつは救えない。縁を切ることも視野。このレベルのエンタメで満足できる感性なのだとすれば、仮にこの先こいつと一緒に遊ぶことがあっても僕が楽しめる保証はないだろう。利用価値との対価から考えてもそこまで固執すべき人間じゃないはずだ。特段人脈があるわけでもないと思われる。従ってスクールカーストの権威者の可能性も薄い。面白くもなければ権威もない人間と関わるのは、この世で義務ニーの次に無駄な時間。
よし。テキトーに付き合い悪くしとこ。もし再度誘ってきても、コイツよりもカーストの高いやつから誘われてることを口実にすればいい。アンパンマンの映画とか誘われても嫌だしな。
藤城は自分たち以外の観客を見回した。
・・・ここにいるコイツらもまあ呆然自失だろうな。友達にマジック見に行かない?って言われて、え?マジックなんか見たことないよおって返したら、じゃあ一回行ってみようよ!って勧められて、でも値段とか高いんじゃないの?って問い返したら、今2人組なら割引キャンペーンやってるからって言われて、じゃあ試しに行ってみるかってなって、外出たらめちゃくちゃ暑くて、帰りたいって思いながら友達と待ち合わせて、建物に入って、暗い廊下歩いて、暗い会場で待って、出てきたと思ったら中年BBAが巫女服着ていて、それでようやくマジックをしたと思ったら、
「あなたが選んだトランプを当てます」
「手の中のコインが消えます」
「何も入っていない箱から鳩が出てきます」
「カーテンを外すと一瞬にして着替えています」
「手の中から水が出ます」
・・・これ誘った側も演目が終わって明転した時、友達の顔見れないだろ。一杯奢るから許してとでも言えばいいのか。
・・・。
クーリングオフってできんのかな。※できません
「さあ、次は今までの奇跡を凌駕する世にも奇妙で、不思議な奇跡をご覧に入れます」
まだやってたのかよこのお遊戯会。暗くて客の顔はわからないが、さぞ「•_•」って顔をしていることだろうな。
公演時間は1時間。あと残り時間が20分もない(まだ40分しか経ってないのかよ)ところを見ると、演目はこれを入れてあと2つ3つくらいだろう。耐えるか。あースマホスマホスマホ。スマホ!
「人によっては、少々怖いと感じられる方もいらっしゃるやも。ですがご心配には及びません。それも須臾の間。時を経て、いつのまにかわたくしの起こす奇跡に魅了されてしまいますでしょう」
ミス・ミセスは舞台の真ん中に位置を取った。暗闇に浮かぶ舟のような舞台に、彼女は直立した。
・・・次もどうせ文化祭レベルの代物を見ることになるんだろう。・・・じゃあ文化祭で見ればいいじゃん…
照明の光線を受けた前髪は髪筋に沿って、光るファイバーのようにきらめいた。ゆっくり目を閉じるとともに、諸手を左右に挙げる。そのまま身じろぎしない。髪の毛先、腕から下がる千早の袖、赤袴の裾、白足袋のつま先、自身を取り巻く存在の際の際まで時が止まったように静止しているにもかかわらず、彼女の呼吸だけが聞こえてくるようだった。客席には神妙な緊張感と闇が張り詰める。
・・・そっか。文化祭なら1000円もしないか、なんなら無料なのか。僕の3750円は一体なんのために生まれてきたのだろう。
ゆっくり、ゆっくりと時間が流れる。きっと時間は、この室内に入った瞬間息を呑むように重鈍な闇に圧縮され、それから光の降り注ぐ舞台へ恭しく捧げられる。ミス・ミセスはその緩慢な時間の中で、ゆっくりと照明の差す光源へと意識を昇らせる。
・・・文化祭。。。レベル。。。
顔の表に光が満ち満ちる。鼻先に、頬に、唇に、頤に、光の反映が揺らぐ。わずかに熱を帯びる。前髪を透かした光が額に陰影を描く。睫毛に光が絡まり、玉のように微動する。さらに熱を帯びる。光と熱は顔の表面を焼くように降り注ぐ。・・・極限に達する。やがて時間が止まった。空気は熱く、鼻腔を抜ける熱は乾いている。左右に伸ばした諸手を秒針のような速さで下ろす。ゆっくりと目を開ける。
「あ」
誰が出した声かはわからない。もしかしたら藤城だったかもしれない。だがその吐いて出た言葉は、それまでの軽佻浮薄な雰囲気を裏切った感動や驚愕を表すのに適した吐露だったと言える。
ミス・ミセスは、宙に浮かんだ。
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