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第2話 剣崎吉広参上!!

 カラオケを出ると、21時を過ぎていた。人の顔はとうに判断がつかない。駅前店の光が道を拓き、そこを通る車の音が駅前を彩っている。4月の夜はまだ寒い風が吹き、駅から帰路に着く会社員はロングコートの襟を立てた。もう深夜が迫っている。


「ちくしょー、運悪すぎ~」


 そこに彼らの嫌いな若く大きな声が響く。


「絶対あんたら示し合わせてるでしょー。じゃなきゃ5回連続で言うこと聞かなきゃいけなくなるなんてありえないから!」


「今日はちょっと杏奈ついてなかったね。昨日のボーリングもガーターばっかだったもんね」


「いやマジでついてないわー。言っとくけど次はあんたたちの番だからね!そんで次は私に勝利の女神はほほえむのよ☆」


「っていうかあんた彼氏と大丈夫なの?」


「あ!そういえばさ、この前彼氏がね、オムライス食べたいって言うから作ってあげたら、マヨネーズはかけるな!ってめっちゃ怒鳴られてさw」


「そりゃオムライスにマヨネーズはないっしょwww」


「え?マヨネーズってご飯に?」


「いや卵の上にwそれもうオムライスじゃないから」


 爆笑が起こる。

 駅前の帰りの時間の疲れた空気を、生意気な笑い声が響く。藤城はあくびをしていたが、同調して共に行動している彼らの会話に笑った。たいして面白くもないが、これで社会人がイライラしていると思うと優越感で笑わざるを得なかった。


 こんな大人にはたぶんならない。


 もはや意識さえしていないほと深層意識で感じている社会人に対する侮蔑が、藤城の心をくすぐっていた。同時に、藤城はグループに溶け込み、律儀にグループカーストの会話のラフトラックを務めあげていた。


 ・・・カラオケは結局4時間続いた。しかし藤城は既にカラオケの内容を覚えていなかった。それくらい内容はないも等しかった。前半を歌って過ごし、後半は王様ゲームをしていたとだけ。放課後にだいたい集まる馴染みのメンツで、いつも通りなんとなく時間をつぶしていた。藤城は、そのメンツといるときの自分の役割をわかっていた。


 ――基本笑っとけばいい。


 参加する。聞き役に徹する。笑う。これだけでいわゆるクラスで覇権を握っているカーストを掌握できる。大したコストもなく虎の威を借りることができるなら、お構いなく借りるのが賢い生き方だ。「虎の威を借りる狐」をださいと言う人間は、根底に自分は狐ではないという思い上がりがあるのだろう。もしくは、虎の威を借りるよりは、孤高な狐でいたいという虚栄心。はたまた、自分が虎の威を借りていないと勘違いしているか。とりあえず賢い生き方ができない人間がいる。どれにしても、藤城にとってはそのような生き方ができない人間は侮蔑の対象だった。藤城はふと体育の授業で一緒になる陰キャのことを思い出した。





 ――「藤城君。今日楽しかったね」


 行き交う車の音や共に歩いている集団の声を縫うようにその声は聞こえてきた。


「うん。そうだね」


 藤城は左を見ると、その腰まで伸びるロングが特徴の女に同じテンションで答えた。ゆるめのハーフアップの髪は夜闇にも黒く輝き、櫛で梳いてもスッと抜けるようにしなやかに見えた。


「歌すごい上手だったね」


「そんなわけないだろ」


 藤城は呆れた風にツッコんだ。ここで真に受けて照れた風を装って相手からのツッコミを待つ方法もあるにはあるが、彼女相手ではそれがあまり通用しない。こんなのは世間一般にはお世辞に決まっているのだが、彼女の場合半ば本気で思っている節がある。それゆえ、真に受ければ彼女はさらに褒めちぎってくるだけで、一向に落ちがない地獄の褒め合いが続くことになる。


「えーそんなことないよ」


 だからこそ彼女の称賛は、否定することで彼女側からこんな風にツッコませるしかない。ご存知、よく見る女の会話の完成である。


「いやいや、マジでどう考えても神海の方がうまかっただろ。謙遜し過ぎるとかえって高慢に見えるぞ」


 軽く微笑むと、神海直子(かみうみなおこ)は優しく肯じた。普段はぱっちりとした目もとが、笑った時だけ細く弧を描くように流れるのが彼女のギャップだった。体躯の線の細さと妙に気品のある雰囲気も相まって、それは人をとても儚い気持ちにさせた。


 ったく。なんで僕がこんな典型的な女会話しなきゃならないんだ...。


 なるほど、藤城は彼女と話すのが苦手だった。しゃべるといつも、話がふわふわしてオチがない。お互いが社交辞令のような口調で話しているからか、誰も傷つかない代わりに誰も本音では分かり合えない。それゆえ大した笑いも起こらない。笑いは緊張の緩和とはよく言ったものだが、二人の会話は緊張状態があまりにも浮薄なため、緩和する余地がない。ずーーっと空気が気持ち悪いほど和んでいる。藤城は彼女と話す時、会話は好奇心からではなく社交辞令をするために四方八方に飛び、退屈からかほかの人間が話しかけてきたり帰り道が分かれる時を待っていた。

 また数十秒して神海が話しかけてくる。会話が終わる。また話しかけてくる。終わる。話しかける、終わる。話しかける。終わる。...

 藤城にとって彼女からの話題振りは全て社交辞令に感じた。グループの中で会話にあまり参加できていない人間に話しかけるのが神海直子の性格だった。だから藤城は彼女から話しかけられないように、気持ちアクティブにグループのメンバーに話しかける癖がついた。




 また神海は数十秒の沈黙の後に話しかけてきた。


「藤城君はどうだった?」


 ・・・・・・?。


 ――カラオケのことか?でもそれさっき楽しかったって言ったよな...


「何が?」


 藤城は単調に訊いた。


「テストだよ」


 テスト。—神海は先週に塾で行われたテストのことを言っていた。藤城と神海は同じ塾に通っていた。立地はド内陸にある駅に面しているのに、塾の名前は海に面しているという意味の、あべこべな印象を受ける学習塾である。


「いつも通りだな」


「ってことは?」


「・・・。いつも通りってことだよ」


「よかったってことね」――そう言うと神海はまた微笑んだ。


「そっちはどうなんだ」


「ん?まあまあかな」


「ってことは?」


「もぉ...まあまあはまあまあだよぉ」


 白く、柔らかな印象のかんばせが、かすかに怒気に染まる。


「よかったってことか」


 たまゆら、神海は悔しげに唇を引き結ぶ真似をしたと思えば、また少しはにかんで「もう!それでいいよっ」とあきらめたように言った。


 ・・・。


 話が一段落した。会話が止まる。再度駅前の殷賑に意識が呼び戻される。このあたりの商店が閉まるのは22時が多く、家路に着く人間がほとんどのため店への客足は少ない一方で、店頭の光は夜のピークと変わらず輝いていた。また、都市から下ってくる車や改造バイクの音が駅前をかてて加えて賑やかにしていた。この殷賑が会話の沈黙を慰めてくれる。ただ、帰途が分かれるまではもう少し歩かなければならなかった。


 神海はショルダーバッグを手前に持ち、気持ち目線を下に歩いていた。藤城の様子を、頭頂から頬に伝う髪越しに、後目でこちらを恥ずかしそうに瞥見しているようにも見える。


 ・・・誰かこいつに話かけてくんねーかなー。今僕から他の奴に話しかけたら、なんかこの女も浮かばれないだろうが。だから早く誰か話しかけに来てくれ!神海!お前から僕以外に話しかけるでもいいから!僕全然他の奴に話しかけてもらって構わないから!一旦独りになっても寂しくないから!お前が気いつかいなのはわかってる!ただ毎度毎度気まずいんだこの空気!頼む...息が苦しい...


 ・・・。


「藤城君は文系と理系どっちに進むの?」


 まだ僕と話すつもりかよ。ほら、前にいる馬鹿な女どもの会話にでも参加してろ。こいつらまだマヨネーズの話してるぞ。は?おでんにマヨネーズかける?かけるわけねぇだろォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ


「僕は文系かな。滅法数が苦手でさ。それならまだ暗記科目とかの方が百倍マシだよ。神海の方は?」


「そっか。私も文系なんだ。私も数学苦手。・・・大学は?」


「行くよ。私立文系だけど。とはいえ勉強せずに受かるようなところでもないから油断は禁物って感じ」


「藤城君ならきっと大丈夫だよ。・・・。私も私文なんだ。・・・。」


 いちいち意味深な間の取り方するなこいつ。


「上京するのか?」


「ううん、県内」


 千葉県内ということか。なおかつ私立文系、それに加えて神海の偏差値というと相当限られないか。こいつの学力なら上京して良い学歴がつくような大学に当然行くと思っていたが・・・


 バイクの空ぶかしが響く。


「そう...か。ちなみにどこに行くか訊いてもいいか?」


「うん、目木(もくもく)


「へー目木ね」


 私立目木(もくもく)大学。この国でも有数の大規模な教育施設であり、研究機関である。関東圏にいくつかキャンパスがあり、生徒数も他の大学を圧倒する。一方で偏差値は40~65程度であり、医学部の65をのぞけば主な偏差値分布は40~55あたりが多い。世の学歴評価で言えば、中堅と言われる部類だ。キャンパスは東京に集中しており、そこから郊外へとまばらに点在していく。千葉となれば学力的にも規模的にもキャンパスは相当限られてくるはずだ。

 だが奇妙でもある。一度神海の模試を見せてもらったことがあるが、十分目木より上の難関大学レベルを狙える学力だったはず。医学部にでも行くのか。・・・いや私文って今言われたばかりだ。


「この町から電車で30分もかからないかな。無理したら自転車でも行けるかも」


 神海は口元に手を添えて、ちょっぴり自虐っぽくはにかんだ。


「ここから30分ねぇ」


 ここから30分ならもうキャンパスは一つにしぼれるだろう。ここから30ねぇ。ここから30...ここから30...ここから30...。ああ!確か習志野の方にキャンパスがあったなぁ・・・


 バイクの空ぶかしは勢いを増す。夜はますます騒々しくなる。


 ・・・?。


 っていうか。


 そのキャンパスって


「私教育学科に行く」


「あー。教育学科ね。神海教育に興味あったのか、、、。教育!?」


 決して神海直子が教育に関心があることに驚いたわけではない。

 目木大学教育学部教育学科。うちの高校――種籾高校から徒歩20分もかからない距離のため、校内で知らない者はほとんどいないと言えるだろう。また、教育学部と種籾高校の最寄り駅である種籾駅からも徒歩10分もかからない。それゆえ種籾の生徒であれば、その学部がどんな学力なのかもある程度把握するようになるのが自然なのだ。


 偏差値、BorderFree。略称――BF。通称――Fラン大学。


 難関大学を狙えるこいつが…なんで...


 「お前、それどういう――」




 バイクの強烈な空ぶきで藤城の言葉はかき消された。

 と思った次の瞬間、藤城がいる取り巻きのすぐそばで強烈なブレーキ音が響き渡った。


 ・・・・・・。


 火花が散るような音が夜闇にこだまして、やがてその場に沈黙だけを残していった。その場にいる銘々が何事かと辺りを、そしてお互いを確認し合う。そして当然、周りが、その音の発信元に気付き始める・・・




 ――ブレーキの跡はコンクリの道に黒々と直線を描いていた。跡からは熱気と、それを描いたタイヤはほとんど黒い球体のような形をしており、フェンダーもなければローターなどの機構も表面からは一切見えない。黒くシンプルな外装がバイクを包み、その中でフロントライトだけが煌々と光っている。メーターの光が往復している。搭載されたタッチパネルが幽然(ぼんやり)と光っている。今宵の駅前に鎮座するバイクのような代物。・・・そしてその代物の中央にある座席に、一人の男が座っている。


「オメーらァ、、、ずいぶん静かに歩いてるじゃねぇかァ、、、」


 男はバイクを降りない。バイクを脇によけない。声がデカい。人の迷惑を考えない。人を小馬鹿にしたような笑みが駅前の夜に君臨する・・・




 藤城はすべてを察した。


 言うなれば僕は、これまでの会話で盛大なのろけを見せつけられたのだ。人が人に恋するバグのような激情が、これほどまでに人の運命を左右してしまう一部始終を見せつけられたのだ。本来自らが挑戦できる世界が大洋のように広がっていること、輝かしい名誉と順風満帆のコースが目の前に確約されていると言っても過言でないにもかかわらず、その道を大きく外れた。常に学校でトップクラスの成績を誇り、模試においても有名大学はもちろん、一流大学さえ目指せる秀でた能力を持ちながら、その明るく拓けた可能性をすべて捨てる様を僕は今目前にしているのだ。それもたった一時の衝動で。

 ここまでの僕達の会話を見た人間は、多少なりとも勘違いをしてくれるのではないか?この僕と神海は一種の儚い恋愛感情によって、お互いがお互いを意識しながらもそれを表に出せずにいる初心な高校生だと。だがそんなのは、陳腐なラノベやアニメの見過ぎだ。現実とはもっと何もなく、残酷とも甘美とも言えず、中途半端につまらない。常に妥協点を射ている世界。善悪よりも、勇敢か臆病か。真面目か不真面目かよりも、かっこいいかブサイクか。またはその両方のものさしか。果てはすべてのものさしか。


 バイクに乗るその男は、仮にものさしで計るとするならば、悪であり、勇敢であり、不真面目であり、かっこいい...というのが他己評価。言わばこの現実世界において、馬鹿な女を蠅のように寄せ付ける牛の糞そのものなのだ。そしてそれは、この女――神海直子もその例に漏れず、このようなありきたりなものさしの人間に惹かれる平凡な女の一人であり、馬鹿なキモオタが夢想する清楚風な黒髪女がクラスの中で唯一異端な自分を見てくれる令和ロマンはあくまで夢想に過ぎず、、、


 


「オメーらァ、、、ずいぶん静かに歩いてるじゃねぇかァ、、、葬列でもしてんのかァ????」


「よっちゃん!」


 神海は精一杯の声でその男の名を呼んだ。


 現実はこんなものだ。

ここまでスクロールしてくれてありがとうございます!

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