第10話 天宇受賣命タイプエラーアウフヘーベン
すみません。
前回次で1章目最後の話になると言ったのですが、もう1話かかります。
「物置に拘束されていると聞いていざ物置の中を見てみたらもぬけの殻。逃げたのだと思って安心していたらこんなところで仲良くおしゃべり。・・・あら三人いるわ。聞いていたよりお友達が多いのね」
ミス・ミセスはどこか恍惚を演じた表情で、舞台の上に集う三人の少年少女を眺めた。それは母親の心一杯の哀切と執着に潤んだ我が子に対する慈愛の目にも見え、また剥き出しの敵意をみじめとする心情が体裁良く対象へ侮蔑を誇示しようとする時の慇懃無礼にも見えた。
「ようやっと教祖様のお出ましだ。それともここに俺を追い詰めるための作戦か」
待ち侘びた本命らしき者の登場に剣崎はほくそ笑んだ。かと思うと、そのまま眉間にだけドス黒いシワと影を刻みながら藤城を振り返る。藤城は眼鏡の奥の目を丸くして前で手をブンブン振る。
「よっちゃん...」
神海は剣崎の後ろに隠れると、剣崎の体から覗き込むようにミス・ミセスを観察した。
「わたくしが聞いていたのは男性一人に女性一人、もう一人は、、、一体どっちの男の子が新規生かしら?」
「あんたがこの宗教の親玉かァ?」
黒い様相をした不敵な笑みを浮かべる青年の声高な問いに、ミス・ミセスはわずかに眉を上げる。かと思うと、ゆっくり眉を下げ、目を細め、微笑んで、波紋が水を伝わるようにみるみる顔に温和な表情をたたえた。
「なるほどあなたがわたくしを倒すと息巻いていた方、とても勇敢で素敵だと思いますわ。・・・・・・あなたの言う通りわたくしがこの陀含宗の第一使徒、Miss.Mrsでございます」
ミス・ミセスは豊かな腰をわずかに落とし、片手を重ね着の重厚な胸へ、片手を千早の袖を拡げるように横へ出して挨拶とした。ぱっつん前髪に陰る細い目が藤城達を見据える。
「ですが不思議なものね。わたくしあなたに恨みを買った覚えがございませんの。なんならお会いしたのもこれが初めて…」
「長峰正子っつーのがお前んところにいんだろ。そいつを辞めさせろ。したら痛い目には合わせねえ」
当然長峰正子が剣崎に相談してきた人間の母親だと思われた。
「はあ…正子さん、もちろん存じ上げております。わたくしたちのかけがえのない「使徒」でいらっしゃいますから。その正子さんを辞めさせるとは・・・正子さんに何かあったのですか?」
「ああ。てめェらが金せびったおかげでそいつの家庭がしっちゃかめっちゃかになっちまった。そんでそいつのガキから相談を受けたってわけだ。お前を倒せば10万」
「お金をせびった?そのようなことを致した記憶はございませんが…」
勇気を得て、神海が剣崎の背後から身を乗り出す。
「じ、実はですね。よっちゃ、この人の話によればその相談してきた人のお母さんがそちらへ寄付をされたらしいんですけど、それが結構なお金で家計が今逼迫している状況らしいんです。それで…」
「あら・・・そうだったの、正子さんが。・・・正子さんは熱心で敬虔な使徒です。常に信仰に努め、義に厚く、礼に明るく、そして欲のない方でいらっしゃいます。御仏を崇める者にとっての模範であり、目標であり、同じ使徒からも慕われる使途の中の使徒でありますわ。御仏を想い、人を助け、畜生を愛護し、感謝の怠らない清く真面目な姿をわたくしたちに見せてくれました。・・・・・・その中で彼女は近くにいる人間に嫌疑の心を向けられてもなお慎ましやかで清貧な生活を全うしようと志したのね・・・素晴らしいわ。・・・・・・それで正子さんは?」
「いねェよ。自分で、家族の言葉で抜けらんねェから俺がここにいんだろォが」
木霊がひしめくように風にざわめく森がたちまちしんとするように、その中にある清濁な泉の漣が徐々に凪を迎えるように、ミス・ミセスの口端に揺らめく笑みは音もなく消えた。
「・・・宗教とは、誰でも自由に選ぶことができます。また、自由に選ばないことができます。信じる者は救われますが、救いを求めず不信を選択することもできます。何をどう信じるか信じないかは個人の選択に委ねられているのです。・・・・・・蝉時雨の、光り輝く夏の濃い陽射しを浴びる、淡緑の木々が閑静としている日でした。正子さんは我らが使徒に連れられてやってきました。目は虚ろに伏せがちで、唇は病のように青く渇いていました。まさに一寸先の希望を繋ぐ一縷の糸を掴もうと瞬間を生きておられるのが見て取れました。わたしくし達はもちろん御仏の教えに従い救いの手を差し伸べました。それから幾日か経ち、正子さんは見違えました。みるみる頰に気を宿し、笑うことが増えました。目は前を見据え、声は朗々とし、髪艶もあでやかになりました。・・・・・・心が満ちたのです。御仏を信じ敬う心がやがて知らず知らずのうちに御仏だけでなく彼女の周りの衆生にまで及び、そのお心が正子さんに報いたのです。まるで雲間から漏れる日光の兆しが胎動のような雲の移ろいに従って地平をみるみる掃いていくように。・・・・・・正子さんがわたくし達と共に御仏を信じ願い、自ら幸せになろうと、人を幸せにしようと努めていらっしゃる勤勉ぶりを知らない者はここにはいません。そんな正子さんの人生をあなた方は、断ち切りたいとおっしゃるの?ましてや正子さんの意向を鑑みずに、正子さんのいないところで正子さんの信じる人生を否定しろとあなた方はおっしゃるの?」
・・・藤城は驚かなかった。予想通りではある。当たり前だが宗教団体が自分達の信者を一介の学生にどうこう言われたからと言って、おいそれと手放すわけはない。宗教団体にとって信者とは客であり、収入であり、利益なのだ。
「おい直子。あいつの言ったことを翻訳しろ」
「え!?だから、、、よっちゃんのお願いは」
愕然と神海は気づいたように剣崎の問いの答えに窮した。もしミス・ミセスの言ったことを剣崎にもわかるように言えば、それは対立を意味する。剣崎の暴力を止める理由がなくなる。僕に目配せするな。
にわかにミス・ミセスは温和で妖しい笑みを取り戻すと、藤城と神海の空中戦を次のように破壊した。
「つまり、あなたの質問に答えさせて頂くのでしたら長峰正子は脱会させません」
・・・・・・。
剣崎は眉間に邪悪な影を刻み、不敵な唇はかたわに歪んだ。藤城は期待していないかったが、改めてこいつらだけでは対立が避けることができないことを知ると、億劫で鈍重な気持ちになった。神海は不安に眉間を険しくし、唇を引き締めた。
「いいぜ。早速やろうか。喧嘩をふっかけてきたのはてめェらだ」
「あらそう。・・・あなたお仲間はそれだけ?どういうつもりか知らないけれど、子供数人が束の大人相手にどこまでできるのかしら」
ミス・ミセスの背後の信者の影はたちまち横に広がると、薄暗い照明の下にその無機質な面を亡霊のように差し出した。数は20人ほど。剣崎がどれほど強かろうと勝てるわけがない。
「いいねェ。こういう数で脅してくる相手をぶっ飛ばすのが気持ちんだわ」
剣崎はこの大人の集りを見てなおやる気らしい。彼は藤城からしてみれば全く煩わしい人間だった。こうやって面倒事を増やす。
「だ、ダメ!こんな人数相手にしたら死んじゃう!よっちゃん逃げなきゃ!!」
神海が剣崎の黒い革ジャンを掴む。彼女の目は潤み、その瞳の中に星座のような光のつどいを宿したまま、一つ一つの星が今にも瞳を逃れ雪のように白い目尻へ流星のように流れていくかと思われた。剣崎はお構いなしと言った感じだが。
「藤城君、、、どうしよう」
僕に訊くな。
「藤城ォ。お前はおとりとして周りの奴らの注意を引け。俺は…あぁんのババアの腹ぶん殴るからよ」
剣崎は左の掌に右の拳をパシンと叩き込んだ。黒い革ジャンの肩から暴威が蒸発しているようだった。
「そちらの眼鏡の子もその気なのかしら?そこのやんちゃな子とは違ってあなたはその気じゃないように見えるけれど…」
「藤城ォてめェがぶっ飛ばされてェかァ?????」
「よっちゃんダメだって!!!・・・藤城君!!!」
「手を出さないのであれば分別はするわ。手を出すのであれば当然の行使としてまとめて正当防衛するわ」
「藤城ォ!!!」
「藤城君!!!」
「・・・それとも眼鏡の子を人質にでもしたら止まってくれるのかしら」
・・・・・・藤城はつくづく思った。こいつらと出会ったのが間違いだったと。こいつらと出会ったのは不遇以外の何者でもない。帆に追い風を受ける、流れに身を任せればそれだけで円滑な人生の航行が、にわかに荒れ狂った嵐に見舞われた。刹那の苦難かと思えば、遭遇から時を経て未だに渦中。一体何の因果だろう。
傍若無人かつ人様に迷惑をかけることで注目を浴び、またそれが思春期の暴力的な承認欲求の補完をするようなサイクルにある、世のため産み落とした人間もろとも死ぬべき不良。学はあるが知恵に欠け、自らの人間関係が他人へ与える悪影響を鑑みずに見境なくお世辞と体裁で固めた友情ままごとを展開したうえ、ついには悪影響の責任を取るつもりがなく人の悪意に鈍感なお嬢様。その間にある幼馴染の関係。支配と庇護を跨ぐ、共依存のような関係。人を不幸にする関係。僕を、僕の人生を邪魔する人間関係。
だが、、、悲劇を嘆いて祈りに任せるような人生は御免だ。いじめられながら、恐怖に怯えながら、迫り来る理不尽な試練を耐えるべき受難として我慢の連続の日々を送るみじめだけは御免だ。この僕がそんなみじめを味わう道理がない。それだけは死んでも嫌なんだ。・・・とはいえ、既に流れに身を任せて自分が幸福になり得る状況ではない。ここで根を上げれば、器物損壊、不法侵入の嫌疑に加え、こんな頭のおかしい大人どもに痛い目を合わせられるかもしれない。内申はどうする!大学は!?どう考えたってこのままでいいわけがない。僕の行動が僕の運命を分ける岐路までとうとう追い詰められてしまったのだ。・・・・・・選ぶ以外にない。
「剣崎。・・・・・・戦う必要はない」
藤城の声は涼しく、なんなら冷徹に響いた。
「ぁあ?」
剣崎はほとほとダルそうに自分より少し背の低い眼鏡をかけた中性顔の同級生を振り返った。
「てめェ反抗すんのかぁ・・・わかってんだろォなァ・・・明日からいつも通り学校に来れると思ってんじゃねェぞォ・・・こんなとこで油打ってるとこ教師に言われたくねェだろォ・・・今までちびちびやってきたお勉強ぱァにしたくねェよなァァァ????」
「わざわざ剣崎の手を汚すまでもないってことだよ」
「ぁあ?」
「藤城君?」
「これは・・・僕が教祖と話すだけで解決する問題なんだ」
ミス・ミセスは少し驚いた様子だった。
「あらまあ。そこのやんちゃな子は10万円を獲るためにわざわざここまでおいでなさったらしいですよ。そのためには正子さんを脱会させる、でしたっけ?そうしましたらあなたと話すだけでわたくし達は大切な使徒の一人をなくしてしまうというの?ふふふ、面白い子。。。あなたまさか自分を信者にする代わりに正子さんを脱会させるなんて言わないわよね。ダメよ。その時は正子さんのいるこの場所であなたも一緒に御仏の言葉を学び、心を会得し、ともに救済の道を欣求する使徒として清く慎ましやかな生活を」
「ミス・ミセスさん、、、あなたたち脱税してますよね?」
すみません。
前回次で1章目最後の話になると言ったのですが、もう1話かかります。
次で絶対終わります!
ご期待を!!
すぐ出します!!!