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第Α話 逃げ足

 息が弾む。

 鼓動が激しくなり、呼吸がどんどん荒くなってくる。

 頬は赤らみ、額から汗が滴る。


 前からは幾重もの枝葉が襲い掛かりそれを手で押しのけながら道を切り拓く。

 瞬時に木々の隙間を見つけそこへ飛び込むように身を投げ電光石火の勢いで驀進する。こめかみ――肩――足を枝で切る。構わず草木の中を駆け抜けていく。


 頭上には枝葉が天蓋のように広がり緑色が次から次へと擦過していく。突き進むままに木漏れ日が体を流れていく。


 土手にいたると地面に尻をつきその下へ滑り込むように降下していく。着地。パンツが破けた。臆せず足を動かす。


 「あ!いたぞ!」


 刹那声のする方を一瞥するとまた足を素早く交互に惜しみなく全力で動かす。向き出た木の根にひっかかりそうになる。立て直す。土が舞って顔に食らう。


 鼓動が歌う。呼吸がますます激する。汗が吹き出す。土が張り付く。駆け抜ける抵抗で蒸発する。ブラが外れた。脳天から爪先まで一切の些事を置き去りにして今は走ることだけに一念する。


 数十メートル先に大きな木々の無い隙間を見つけた。光が漏れるその隙間には、奥の景色に木々の茂りを見出さなかった。


 ――――もう少し。あそこを抜ければ


 あと10メートル。走る。眼前に湧き出る枝葉を力強く薙ぎ払う。あと5メートル。木の根を跳び駆ける。蠅や埃が目に入る。あと3メートル。半目ながら身を粉にして木々の隙間に体を最速で入れ込みに行く。1メートル。コンマ数秒先のゴールのため、痛み、風、音――ゴール以外の世界を遮断し走る弾丸の如く抜け道へ―――――――――――――――――――――――――――――――











「わああああああああああ!!」


「きゃあああああああああああああああああああああああ」


 ――――。



 横から飛び出た存在に抱きつかれ、その場に思いっきり転ぶ。正面に向いていた力が、横殴りの力によって一瞬にして殺された。






 ・・・ゆっくり目を開ける。


 灌木を抜けると、ちいさな(くさむら)に出た。周りを木々に囲まれながら、このあたりだけ樹木が生えていない。叢はそよ風になびき、おひさまの光があたりをあやしく鎮めていた。


 自分の体に目を移す。――小さな生き物が自分の体に巻き付いていた。生き物は自分から飛び込んできた割には、ゆっくり、恐る恐るといった感じで自分の胸に押し付けていた顔を上げた。


「あんた・・・」


「ごめんなさい...痛かった...ですよね」


 メガネにおさげの女の子が自分のおなかにくっついていた。涙がちょちょぎれ、蕾のような鼻の上のメガネが曇っている。


「あんたねえ」


 女の子の口元が引き締まった。眉間は八字を描きわずかに力が入る。




 ・・・・・・。




「こらああああああああああああああああああ」




 ――瞬間、女の子は吹き飛んだように大きな声で笑った。あたしは女の子の脇から脇腹にかけてを勢いよくくすぐったのだ。


「きゃぁぁあははっはhや、やめてくださいーー」


「こらこらこらあぁ、あたしを吹き飛ばした悪い子はこうだあああ」


「ゃはははははははごめ、ごめごめなさい、ごめんなさいーーーー」




「おーーーい。とっつかまえたかーーーー」


 遠くから数人がこちらにやってくる。


「おい見ろ!!つかまえてんぞ!!!」


 先導の男の子が指をさしながらこちらに走ってくる。それに他の子も続いてくる。


「やったーーー!ようやくつかまえたぞーーー!!」


 あたしはくすぐりをやめると、女の子を抱きかかえ、その場に慎重に立たせる。かがんで目線を同じところに持っていく。怪我がないか確認する。


「ったくもう。...立っても痛くない?ケガはしてないのね?」


「うん。してない...と思う」


「よいしょっと」


 自分の姿を見下ろすと、あちこちが汚れていることに気づいた。青いワイシャツは枝々に触れ、線のような跡や泥を幾筋も描きながら破れている。スカートには土が飛び跳ね、お尻にいたっては泥だらけだった。黒い靴下は黄土色に染まり、運動靴の中には砂が入り込み、中で足の指をグーパーすると砂がザラザラした。




 


「おーーーーーーい!これでホントに図書館に入れてく」


 走って来たガキの頭を思いっきりひっぱたく。


「ぎゃああ!――――っちちちちち、、、って、なにすんだよ!」


「それはこっちのセリフよ。あんたがこの子に指示したんでしょ!怪我でもしたらどうすんの!反省しなさい!!!」


 もう一回少年の小さな頭を戯然(ポカリ)と小突く。


「ったたたた。しょーがねーだろ、こうでもしなきゃつかまえらんねーんだもん」


「それでもぜっったいダメ。今回はケガも何もなく済んだかもしれないけど。もしよくないぶつかりかたしてたら骨だって折れちゃうかもしれないんだよ。そしたらあんたその責任とれるの?」


「・・・ごめんなさい」


「もうしない?」


「・・・もうしない」


 ・・・。


 「よしっ!」と頷くと、あたしはしょんぼり下げた小さな頭に、次は優しく手を置く。左右に撫でると、男の子はゆっくり顔を上げ、あたしはそのまるっこいほっぺたに手をあてる。男の子はにわかにぱあっとほころぶ。


 手を離すと、次は突進してきた勇猛果敢な女の子に顔を向ける。


「タマルもだよ。いくら人から言われてやったこととはいえ、やったのはタマルなんだから反省しなさい。いいわね?」


「...ごめんなさい」


「自分の体なんだからあなた自身が一番大事にしなさい。これからは自分がやりたくないって思ったことはちゃんと断るの。わかった?」


「うん...わかった」


 タマルは、伏し目がちに自分がやってしまったことを謝った。こころなしかメガネがずれ下がり、小さな鼻がぴくぴくしている。


「だから言ったんだよやめとけって」


 後ろの方にいた金髪碧眼の男の子が、怒られた男の子に向かってヤジった。


「そうよ!タマルが何も言えないのをいいことにマサナリがむりやりやらせたから」


 釣り目が特徴のツインお団子ヘアの女の子が、怒られた男の子の名前を呼びながら、それに加勢するようにヤジを飛ばした。


「はあ!?お、お前ら一緒にやったじゃねーかよ」


 マサナリと呼ばれたその男の子は、後ろを振り向くと面食らったような顔で怒った。


「あんなことさせるなんておもわなかったもん」


「だいたいタマルにやらせるなよ。遊びの範疇とか手加減とかわかんないんだから」


「お、お前らだってやってみなきゃわからないって、これしか方法はないって言っただろ!!!」


 マサナリは二人からの追撃に若干ひるみながらも、一生懸命弁解しようとする。


「そんなこと言ってない!この方法でダメだったらどうしようって言っただけじゃん!勝手にやったのはあんたでしょ!」


「あんだとブス!逃げやがって!!てめーの側頭部先端の異物切り落として泥団子くっつけんぞ!!!」


 マサナリにチョップをお見舞いする。


「っっっ!!!って―。なんで俺ばっか...」


「ワダツミもヨドも結局知ってて止めなかったんだから同罪よ」


「え!?でも、タスケが勝手に...」


 マサナリを責めていたヨドと呼ばれた女の子は、一瞬その釣り目を見開くと、すぐ伏し目がちに愚痴垂れた。


「マサナリが止まらないならタマルを説得する。それでもダメなら私に言う!そうすればこんなことになってないんじゃない?」


「でもそれじゃぁつかまえられなぃ...」


「タマルがケガしてもよかったの?あたしはヨドがこんな作戦の候補になったら絶対やめさせるよ」


「・・・ごめんなさい」


「ワダツミは?」


「・・・うっす」


 ワダツミは碧い瞳を俯けながら、不愛想にすぼめた口で返事をした。


「わかったならよろしい」




 ・・・いよいよ捕まっちゃったかー。自信あったんだけど。油断したな。いや、結構本気だったけど。愚策だけどこの子たちの策があたしを上回ったのか。




 ――(正直こんな早いうちから覚えさせていいものかわからないけど)――




 ・・・でも、この子たちはもう自分のやったことを反省してる。確かにやったことは危ないことだけど、悪気はないみたいだし。それに負けは負け。潔く認めないとね。約束しちゃったし。


「よし...じゃあ...」


 あたしの言葉に、みんなが注目する。固唾を呑む者さえいた。叱責を受け、その小さな体を反省のこころでいっぱいにしようとしながらも、結局今回のことがなかったことになってしまうのかどうなのか、こどもたちは嫌でも気になっていた。みんながこの瞬間のために、どれだけ策を練り、話し合い、考えてきたかが伝わる。


 こんな純粋な気持ち、裏切っていいはずない。


「図書館行くか!」






 ――――時が止まったような静寂。


 お互いがお互いを尻目で、何を言われたかを確認し合っている。これまでの努力が、苦難が報われた瞬間だと。そしてここでぼくたちは、わたしたちは、精一杯喜んでいいんだと。今にも叫びだしたい感動を今本当に叫んでいいのかを、銘々の顔を覗き込みながら口内まで湧き上がってきている激情を抑え込んでいる。






「やったああああああああああああああああああああああああああ」


 それを、これまで主導で策を練り、実行し、指示をし、その果てにこっぴどく叱られた先導のマサナリが破った。


 マサナリの絶叫を皮切りに、この時を待ちわびたとばかりに子供たちがめいめいによろこびの声を上げる。


「ったく。ほんと調子いいガキどもなんだから」


 ま、いつかはこの子たちも大人になるんだもんね。いつまでも子ども扱いなんかしてちゃいけない。挑戦させなきゃ人は成長できない。成長できなければ、人はその人生を一生夢の中で過ごす。夢の中でだけ夢を叶える。この子たちにそんな業は背負わせたくない。あたしがしっかりしなくちゃ。


「ねえお姉ちゃん」


 タマルが心配そうにあたしのスカートを引っ張っている。


「ん?・・・大丈夫、あたしは約束は破らないわ。そんなダサいことはしない。一度言ったことは曲げない。・・・さっきの言葉、嘘じゃないわ」


「うん・・・あのね。なんか服変だよ」


「?...ああさっき転んじゃってね。ああ...泥だらけに」




 ワイシャツの中から何かが落ちた。


 足元を見ると、草の上に、汗を吸った黒いブラジャーが力なくひしゃげていた。


 胸元を見ると、青いワイシャツを誇り高く持ち上げる隆起の峰に、ほんのりその裡に蕾の膨らみを想わせるような皺の突起を結んでいた。

ご拝読ありがとうございます。

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