1話:出所、投獄
9/6、助言をいただきましたので、ガイナスが幽閉される理由について、設定を深く描きました。
「父、母、それに先代国王夫妻よ、あなたたちのおかげでこの三十六年の獄中生活は素晴らしく有意義なものであった。
ワシはこれより人間国を離れるが、どうか幸せにあってくれ。そして、いつか必ず顔を見せにくるから元気でな」
そういって一度深く、出来うる限り深く頭を下げると、ワシは人間国と魔王国の国境沿いにある【人魔の森】に体を向ける。
背後で、四人の声が聞こえる。
「ガイナス」「うう、ガイナス、体には気をつけるのよ」
「すまぬ、我らの力が及ばず、国外追放などと。 王家として、情けなく思う」
「あの子も、オルガオルも苦肉の策だったのよ。このまま、あなたの人生を牢で終えて欲しくなかったから」
先代王妃の嗚咽するような声に、ワシはふるえる背中越しで答える。
「オルガオルのバカに、国王にありがとうと伝えてくれ。 お前のおかげで、ワシは人を嫌いにならずにすんだと」
「ううう、ガイナス。ごめんなさい、ありがとう、ごめ」
「こちらこそだ、それではみんな、ワシはいってくる」
必ず幸せになるのよ、そんな二人の母の声と、いってこいという父たちの声を背に、ワシは大樹立ち並ぶ暗き森に一歩を踏み出した。
***
「ガイナスが投獄されただとッ」
玉座に座ったワシは、遠い記憶を思い出していた。
「お、落ち着いてくださいオルガオル王子。 詳細は不明ですが、どうやら魔物を連れ帰ったようで、王都の混乱に収拾をつけるための一時的なものかと」
「あのバカア⋯⋯!」
魔王軍の侵攻を押し止めようやく日常を取り戻し始めた王都に魔物を持ち込んだだと!
「ああ! 王子お待ちください!」
「待ってられるか! ヤツはどこにいる!」
「お、王の命によりここ王城の地下牢へ移送されたと」
「ナイスだ父上!」
ガイナスの実家であるマイトバリア家はその結界魔法をもちいて【人類の守護者】と呼ばれるまでになった王家に次ぐ大貴族。ゆえに俺ら二人は生まれてこのかた双子の兄弟のようにして互いの両親に育てられてきた。
だから父上のことだ、悪いようにはせんと思うが、ことがことだけに不安がよぎる。魔物を捕まえてきただと。どうやってだ。魔王の魔力に洗脳支配される魔物どもは息の根を止めるまで人間に襲いかかる。まだ十二の俺たちにどうこうできる存在じゃないだろうが。
ガイナス貴様、何をした。
「よおオルガオル。 なんかたいへんなことになっちまった」
「知っとるわボケェェェェ!」
なにを呑気にのうのうと、そこが牢の中だと理解しておるのかこいつわ、それに!
「その背中の黒狼はなんだ! どうして魔物がお前に背を預けられておるのだ!」
「オルガオル、落ち着きなさい。 我々もそのことでガイナスに事情を話して貰っておったところなのだよ」
「父上! 母上! それにガイナスの父と母まで!」
牢の鉄柵を握って怒鳴りつけていたところ肩を触れられ、振り返ると父たちがいた。
「【魂の魔法】。 ガイナスの固有魔法については知ってるだろうオルガオル? どうやら、それに起因するらしいのだ」
「あの、魔力が可視化して見えるとかいうこいつの魔法が?」
「うむ、魂とは、やはりそれだけではなかったようだ」
魂、なにか知らぬが、こいつが固有魔法に覚醒したななつのときその名称だけが頭をよぎったといっていた。もともとが人類にまれに発現する特殊な魔法が固有魔法だ、解明されていない部分はまだまだ多い。
ゆえに、なにらかの力を秘めているのであろうとは俺たちもみな考えてはいたが、それがこたびの騒動の原因だと?
「黒いモヤが見えたんだ」
ガイナスが自分でもよくわからないといった顔で口を開く。
「ほら、俺は魔力が見えるだろ? 人間だったらその魔力ってのは肉体を纏う光のように見えるんだ。 そんでそれ全体を卵のような器が包んでて」
身振り手振りと説明を続けるガイナスだが、その話は何度も聞いた。その卵が魂ってやつな気がすると、お前はいつも愉快そうに語っていた。
「だけど今日初めて魔物を目にしたとき、肉体の中心に小さな核のようなもんが見えたんだよ?
それは黒いモヤで全体を抑えつけられてて、なんとゆーか、苦しそうでよ。
で、この黒狼が牙を向いて襲いかかってきたとき、俺はとっさに手のひらでそのモヤを払ったんだ。
そしたらまあ、こーなった」
「その恐るべき力を秘めたブラックウルフが、まるで子をいつくしむ母のようにお前の顔を舐めだしたと?」
「ああそうだ父上。 こいつブラックウルフってゆーのか。 死ぬかと思ったよほんと」
暗い地下牢、そして俺はガイナスの目しか見てなかったゆえに気づかなかったが、その頬には三本の爪の跡がある。右に二本、左に一本。俺の母は治癒の魔法が得意だが、治療する前はさぞ痛々しかったのだろう。
俺の父が、国王が呟くようにいった。
「ガイア、黒いモヤとは」
「うむ、魔物を洗脳支配するという魔王の魔力、であろうな」
ガイアはガイナスの父だ。親父たちが真剣な目つきを見合う。魔王の魔力をはらった、つまりガイナスのソウルマジックとやらは、魔王の洗脳をとっぱらったということか!
「すげえじゃねえか! ガイナスお前、人類の英雄になれるぞ!」
「そーなのか?」
「そうだよ! お前のその力があれば魔物なんてもう怖くねえよ!」
「いやあ、そうでもないぞ? まじで死ぬかと思ったもん。 運良く手が腹に触れたけど、こいつが遠隔のスキル持ちとかだったらその運さえ働く暇がなかったからな」
そうか、人類の固有魔法のように魔物は種ごとに特殊な能力を持つから。ブラックウルフのそれはたしか、夜にしか発動しないもの。だから本来こんな昼間に出くわすことはない。さらにいえば王都の近くで魔物を見ることすら稀なんだ。
ん? とゆーことはこいつ。
「お前、それどこで拾ってきたんだ」
「んーーー? 親父の前でそれを聞くかお前? まああれだよ、俺今日誕生日だろ? ジュウニになったら外に出てもいいって約束だったから」
「日が変わると同時に王都を出て、魔物を探して走ったと?」
「おう!約束は守ったからな親父! で、ちょーど朝日が出てきた頃に川辺でこいつを見つけてな。 ちょっくら観察したら帰るつもりだったんだけど、こいつ鼻がきくみたいなんだよ」
「⋯⋯バカが」
魔王国との間にある人魔の森で魔物の侵入を抑えているため、人間国のはずれならともかく王都近辺で魔物を見ることなどほとんどないはずだ。
逆にいえば、このブラックウルフはそれだけ強力な個体ということ。
運がいいのか悪いのか、ガイナスお前、生きててよかったわまじで。
「⋯⋯すまん、ガイナス」
「なに?」
ふりかえると、ガイナスから事情を聞き終え何かを相談していた親父たちの横に、鎧を着た男がひとり立っていた。
街の警備にあたる者、伝令係であろう。
親父やガイアさん、そして母たちの顔に、不穏な影が浮かんでいる。
「ガイナスよ、民の前でも同じ説明をしたようだな」
「うん? そうだけど、まずかったのか親父?」
「お前に罪はない。 お前は優しい子だ。きっと魔物と人が手を取り合えると証明しようとしたのだろう。
だが、民たちにとっては恐怖なのだよ。
魔物を洗脳支配する魔王と、魔物を手懐け使役するお前。
どちらも、民の目には同じに映る」
「それって」
俺は、ガイアさんが口にするのを躊躇うように見えた言葉を、いう。
「民たちは、ガイナスを新たな魔王として見ている、と」
「そうだ」
⋯ッ
俺は王子だ。頭を沈黙に支配されることは許さない。民の声が、どれほどの重みを持つか理解しているのだ。このままではガイナスは、俺の兄弟は、
民の声に殺される。
「王家から国全土にガイナスの固有魔法と安全性を後押しする宣言文をだそう! 親父、打つなら早くだ!」
「オルガオル、同じ気持ちだ。私たちも伝令を聞くまでは様々な手を考えた。
しかし、王家とマイトバリア家の力を持ってしても、魔王の恐怖を民から拭いとることは出来ぬのだよ」
「それじゃ、こいつを見殺しにするってかよッ!」
視界でガイナスの母が泣きくずれた。俺の母がその肩を抱いて地下牢を離れる。伝令の兵はいつのまにか姿を消している。
ガイナスの母は息子の生死がかかった状況で逃げ出すようなひとではない。
両親たちのあいだで結論は出していたということか。
親父が真っ直ぐな目で俺を見た。
「⋯⋯オルガオル。
魔王が現れる前、魔物とひとは共生していたという歴史は学んだはずだ。
獰猛な魔物もいれば、おだやかで優しい魔物もおった。
いまは人魔の森から姿を消した【動物】たちとなんら変わりない、野生の種族だった。
それが突如、たったひとつの目的のためだけに生きるようになったのだ。
人間国を、人間を滅ぼすことだ。
それを扇動したのが魔王。
そして魔王が何者なのか、それは誰もわからぬ。
ソウルマジックのように固有魔法に目覚めた人間ではないか、その力に飲まれたのではないか、とも何度も議論されてきた。
もちろん、民たちのあいだでもだ。
その歴史が⋯⋯民の恐怖を裏付けてしまうのだよ。
魔王軍に侵略されゆくなか、人間国に暮らすものたちは身近な人間にさえ疑心をいだきながら戦い続けてきた。
もしかすれば、隣家から第二の魔王が誕生するのではないか、と。
侵攻が一旦の落ち着きを見せたとはいえ、人間国が二つに割れるようなことがあれば、この国に未来はない。
それに能力のわからない固有魔法に目覚め、他の魔法が使えないガイナスだ。
⋯⋯民の混乱を避けるためにも、ガイナス自身を守るためにも⋯⋯」
「この王城の地下牢にガイナスを幽閉する。 いま、ガイナスが生き延びる手はそれしかないんだ」
「王家の監視の元、マイトバリア家の結界で新たな魔王の脅威を封じこめる。 それが我々に残された唯一の言い訳だ」
「⋯⋯いつまでだ」
それはいったい、いつまでガイナスから自由を奪うつもりなんだ!
「オルガオル、ありがとう。私の息子のために。 私は王家に感謝している。 ガイナスよ、すまない」
「なぜ答えないッ!」
いまいる魔王が死ぬまでか、それはいつの未来だ、魔王が死んだからって、こいつのことを民は忘れてくれるのかよ、
それならガイナスの未来は、どうなるんだよッ!
「あーーーーー、そーなっちゃったか。そうか。 それなら灯りだけはどーにかしてくれ。 こんな暗いと気が狂いそうだ。 あと、こいつは外に出してやってくれな。それくらいはバレないようにいけるだろ?」
なんでお前は、いつも痛みを笑って誤魔化すんだ!
「そんな怖い目で見るなオルガオル。 お前が王になったとき、助けてくれるんだろ?」
「いつもいつも! お前の尻拭いはうんざりだ!」
「嘘こけっ、お互い様だろーが」
それからガイナスは地下牢での生活を強いられた。逃亡を疑う民の目もあり、監視には常に二人以上の兵がついた。王家に忠誠を誓う彼らでさえ、ガイナスを見る目には恐怖が宿る。人の口にフタはできない。王城の中だけでさえガイナスを歩かせてやることはできなかった。
俺は毎日地下牢に通った。俺がいる間だけ、兵の監視をハズしてやれる。ご馳走もお菓子も持てるだけ持っていった。「これじゃ太っちゃうな」とガイナスは狭い地下牢でトレーニングをはじめた。
当時はまだほんの子供だったことや、ガイナスの能天気なまでに明るくみせる性分もあり、しだいに兵の緊張はやわらぎ、差し入れの本や、両親たちとともに地下牢で飯を食う時間も作れるようになった。
そして王座を継いだ七日前、ワシは特赦としてガイナスを地下牢から外の世界に出した。
この長き時間、ワシは民たちを説得して回った。人類の守護者の家系に魔王の呪縛を解き放つ者があらわれたのは本来なら喜ぶべきことではないかと。
それで目が覚めたように賛同する民もいたが、多くは不確かな希望よりも可能性ある恐怖のほうが勝るようだった。王家として、頭が下がる思いと、やり場のない怒りを覚えたのも正直なところだ。
あのときガイナスがすんなりと地下牢生活を受け入れたのは、あやつが貴族の責任をワシよりもはやく感じていたのかもしれぬ。あいつはバカのくせに頭が回り、なによりも人を気遣ってばかりのバカだったからな。
いまごろ国境の人魔の森に着いたころだろうか。別れの挨拶はしなかった。それをしてしまうと、もう会えない気がするのは、ワシも年をとったからだろうかな。
「いってこいガイナス」
明るい場所へ。
いつかまた、あのイタズラな笑みが民たちを驚かせる日を楽しみにしてワシは玉座にて待つ。そしてそれまでにワシは、お前の帰る場所を取り戻す。
そのときは気ままに遊ぼうな。また。兄弟よ。