真っ暗闇の中を、小さな黒猫の後をついて歩くのは難しい
メッセージ:『そこから見える風車まで来てください』
「えっ?誰?」
『どなたですか?』とメッセージを返すもそれ以上の返信はなかった。
胡散臭い。すごく胡散臭いけど、他にできそうな事はない。
見える範囲に建っているはずなのに、風車は思ったよりも遠かった。
他に情報が何もないから、指示されるがままに風車を目指してみたものの、仕事用のキャリーバッグを引きながら舗装されていない道を歩くのは、思ったよりもしんどい。
風車に向けて出発してから、かれこれ3時間ちょっと。現在15時48分。
ゆるやかな丘を3つほど超えたが、後どのくらい距離が残っているのか。今も見える風車の大きさしか判断材料がないので、奈々の感覚ではさっぱりわからない。
ゆるい坂道が延々と続く丘越えの道のりに体力をゴリゴリ削られ、奈々はだいぶ疲労が溜まっていた。
疲れを自覚すると、途端に休まずにはいられなくなる。
「黒猫さん、ちょっと休みたい」
「いいよ」
奈々と黒猫は、大きな木の根元に座って、少しだけ休むことにした。
奈々はペットボトルの水を数口飲むと、手のひらにペットボトルの水を注ぎ、黒猫の口元にもっていく。
「黒猫さんもお水どうぞ」
「みず!おいしい」
ピチャピチャと小さな舌で水を掬って飲む黒猫はかわいい。癒される。奈々は、なんだか元気が出てきた気がした。
「黒猫さん、あとどれくらい歩けば風車につくのかわかる?」
「風車は、あれ?(前足で示す)あそこまであと丘2つある」
丘2つ。今までのペースを考えると、あと2時間ちょっとくらいか。良かった、来た道よりは短そう。
スマホを見ると、この時点でだいたい午後4時。6時すぎくらいには着きそうだ。
「夜になる前につく?」
「つく」
「そっか、ならそろそろ行こう」
「いいよ」
一人と一匹は、また歩き出した。
歩いているうちに、草原が茜色になって、辺りが少しずつ藍色に染まっていく。
2つめの丘を登り切った時、すっかり日が沈んでしまった。
近付いているはずなのに、見えていた風車は暗くて見えなくなっていた。
スマホを見ると、現在17時28分。日が沈むのが早い。
空を見上げると、あるはずの月がない。暗いはずだ。
奈々は、月がないことに軽く動揺するも、目の前の大問題を何とかしないと死活問題なので、気付かなかったことにする。
「黒猫さん、暗くて風車が見えなくなった。どうしよう」
「大丈夫。暗くても見える」
「えっ?見える?黒猫さん風車見えるの?」
「見えるよ」
「あ、黒猫さんは猫だから暗くても見えるのか!猫目凄い!」
「ついてきて」
「あ、はい。ついていきます」
黒猫、ちょっと自慢気でかわいい。
元気出た。がんばって歩こう。
そうして奈々は暗闇の中、また歩き出した。
真っ暗闇の中を、小さな黒猫の後をついて歩く。
それがどれだけ困難か、奈々は歩き出して割とすぐに気が付いた。
「ちょっとちょっと、黒猫さん。待って待って。黒猫さんがどこにいるのか、ぜんぜん見えない」
「ここだよ」
黒猫は、奈々の脚にスリっと体を寄せる。かわいい。
灯りが欲しいから、本当はスマホで足元を照らしながら歩きたい。
でも、これからどうなるかも分からないし、電池が惜しいのであまりスマホは光源として使いたくない。
奈々は、そんな風に逡巡しながら、ふと手元に視線を移して、元居た場所から草の上を必死に引いてきた仕事用のキャリーバッグの存在を思い出した。
キャリーバッグの中身を思い浮かべながら、黒猫に向けて話す。
「キャリーバッグの中に、レジン用のライトがあったと思うんだよね。LEDライトとUVライト」
ポイント照射用のLEDライトは光源が小さいけど、電池の持ちはいい。
最近のUVレジンはLEDライトでも固まる。UVライトだと手にシミができそうで不安だったし、買っておいてよかった。
「えるいー・・・?」
「えっとね、小さい灯り。ちょっと探してもいい?」
「いいよ」
奈々はスマホの灯りを頼りに、キャリーバッグを探る。
LEDライト入れたポーチは、ゲーセンで取ったリサ&ガスパールのマスコットがついているので、暗くても手触りですぐに見つかった。
LEDライトのスイッチをカチッと入れてみると、パッとライトが光った。
ライトを黒猫に向けて照らすと眩しそうに目を細めたので、ライトは後ろからお尻に当てる事にした。
「これで大丈夫。先に進もう」
「うん、行こう」
小さな灯りが、黒猫のお尻をちらちら照らす。このお尻が命綱。
奈々は、光が外れて見失わないように、慎重に黒猫のお尻に焦点を当てて必死に追いかけた。
そうして小一時間歩いたころ、不意に黒猫が歩みを止めた。
「ついたよ」
目の前に、ぼんやりと建物があるのが見える。
建物は風車だった。
うっすらとしか見えない闇の中、風車の周りを歩きながら、入り口を手探りで探す。
歩いてきた方とは反対側に、閂のついた小さな扉があった。
奈々は、コンコンと控え目にノックしてみる。
「誰かいませんかー?」
更にコンコンとノックしながら、もう一度聞いてみた。
「誰かいませんかー?」
ふと、外から閂がしてあった事を思い出し、もう一度声をかける。
「誰かいませんかー?返事が無いなら開けますよー」
もし誰か居たとしても、外から閂がしてあったという事は、向こうからはこの扉を開けられない。
奈々は、閂を抜いて、慎重に扉を開いた。
町田奈々45歳。独身。アクセサリー作家。
小さな黒猫のお尻に縋り付いて、真っ暗闇を乗り越えたのだった。