096 哀愁のセンティネルズ⑦
(およそ4,000文字)
強めの性的描写や表現があります。
吹雪はそれから何日も止むことはなかった。
水は洞窟の奥に水路があり、そこで飲水は確保することができた。
ヴァルディガが持っていた食料は3日分くらいしかなかったが、洞窟内を彷徨っている小さな魔物を狩って空腹を満たす。
「……聞いたことあるか? 魔物を食いすぎるとよ、魔物になっちまうらしいぜ」
無精髭を生やし、目の下に深いクマを作ったヴァルディガは黄ばんだ歯をニヤリとさせた。
ネズミに似た魔物を、魔法の火で焼くと頭から齧る。もはや味や食感などどうでもよかった。
「食えよ。食わないと持たないぜ」
横たわって遠い目をしているシャルレドに、ネズミの手脚を食い千切って、一番栄養価が高い部分を与えようとする。
「……いらない」
「……そうはいかねぇよ」
ヴァルディガは胴体部分を自分の口に放り込んで咀嚼すると、横たわったシャルレドの口を無理やり開いて、口づけして噛んだものを流し込む。
「…ゲホッ、ゴホッ!」
「吐くな。飲み込め」
吐き出そうとするのを、ヴァルディガは無理やりに口を押さえて飲み込ませた。
咳き込んだあまり、涙を流れた頬をヴァルディガはベロリと舐めたが、シャルレドは瞬きひとつしない。
「……アアシらは……死ぬ」
「死なねぇよ。俺が死なせねぇ。“愛してる”からな」
ヴァルディガは愛おしそうに、シャルレドの髪を梳く。綺麗だった髪が、脂ぎってもつれ、指に引っかかる。
「……なあ、またいいか?」
「……クサイ。股間洗って…出直せ…」
「ひでぇな。お前も大概だぜ。嫌いじゃねぇがな」
同意もなく、脚を開かれ、ヴァルディガが割って入って来る。
シャルレドは虚ろな目で、“かつての仲間”を見やる。
この“行為”にもう意味を見出さない。やることが無いから、気晴らしに、時間を潰す為のものだった。
シャルレドの目が、ヴァルディガの腰の剣を見やる。
力は入らない。しかし、剣を抜いて前に出す……それぐらいならできそうだ。
ヴァルディガは気丈だったが、疲労は間違いなく溜まっている。上手く倒れ込む力を利用して、その喉笛に剣を突き立てることができるかも知れない。
チャンスを待つ。
この男を殺す。
そして、自分も首を斬って死ぬ。
今のシャルレドは、朦朧とした意識の中でそれだけを考えていた。
何度も肉体を重ね、ヴァルディガの“癖”も理解し始めてきた。
「……なんだ? 今回は随分と積極的じゃないか」
シャルレドの手が、ヴァルディガの頬に触れる。
ヴァルディガはそれを“シャルレドが応えた”ものだと勘違いし、一層のこと激しく動き出した。
脚に力は入らないが、ヴァルディガが定期的に回復魔法をかけてるので痛みはない。
(コイツが果てた時、それがチャンス……)
シャルレドは不審に思われないよう、ヴァルディガの胸に手を当てる。
「ハァハァ。シャルレドォ……」
痙攣するヴァルディガに、シャルレドはカッと目を開いて剣を取ろうと──
急に視界の端に光が見えた。
洞窟の入口の方、冷気の侵入を塞いでた衝立が動かされる音が響く。
「まさか……」
一心不乱に下半身を動かしていたヴァルディガが止まる。
そして2人は離れ、網膜を焼くような光の方を、眩しそうに目を細めて見やる。
「……待て。お前たちはここで待機しろ。私だけで行く」
入口から聞こえた声に、シャルレドだけでなく、ヴァルディガもあんぐりと口を開く。
そして、いつもと変わらぬ姿のベイリッドが中へと入って来た。
火も消えた暗がりの中、シャルレドとヴァルディガの姿を捉え、一瞬だけ驚いた顔をすると……
「生きていたか! よかった…。本当によかった……」
漂う異臭に顔を顰めることもなく、ベイリッドは泣きそうな顔で安堵の笑みを浮かべる。
シャルレドと、ヴァルディガはその姿を見て口を開いたままボロボロと涙を流す。
それは助かったことへの喜びなのか、ベイリッドの優しい笑みを見たせいなのか、それとも外から差し込む光があまりにも眩しかったせいなのかは、本人たちにもわからなかった。
「もう大丈夫だ。さあ、一緒に帰ろう」
そう言うベイリッドが頼もしく見えると同時に、シャルレドの目には全てが黒く、真っ黒に塗り潰されて見えた。
そして、ヴァルディガの腰にあった剣を引き抜くと、残った力を振り絞って──
「死ねッ! 死んでしまえよぉッ!! ベイリッドッ!!!」
──
町に戻ると、すぐに神殿へと連れて来られた。
「……これは膝下から切断するしかないね」
医療神官は、シャルレドの顔を見ることもなくそう言った。
「ドラゴンのブレスを受けたら、火傷や凍傷だけじゃ済まない。私も実際に診るのは初めてだが、これは一種の“呪い”みたいなものでね。この電紋に似たキズが、回復魔法の効果を阻害してしまうんだ」
そう説明を受けても、麻痺したシャルレドの心は特に何も感じることない。
廊下でベイリッドが、「金は幾らかかっても構わないから治してくれ」という声が聞こえてきたが、それでもシャルレドの気持ちが動くことはなかった。
シャルレドがベイリッドを襲ったのは、極限の状況下で錯乱していたせいであると、そう必死で擁護したのは、何を隠そうベイリッド本人だったのである。
チームメンバーたちも、被害者本人からそう言われては仕方ないと、この件についてそれ以上に追及する者はいなかった。
ヴァルディガは口を噤んでいたが、それが疲労困憊していて話せなかったのか、それともわざと話さなかったのかは不明のままだ。
ベイリッドだけがふたりを気遣い、擁護し、万全とばかりのフォローを行った。それはまさにリーダーとしての鑑と言える行為であったが──
「……見ていた癖に」
シャルレドは親指の爪を齧る。
洞窟に入った時、シャルレドもヴァルディガも下半身に何も纏っていなかった。
何があったのか、何が起きたのか。
ベイリッドであれば、すぐにそれを察したはずだ。
それなのに何も言わなかったことが、シャルレドには、他のすべてのことも含め、おためごかしにしか見えなかった。
「……生き恥にゃ」
シャルレドは小さく呟く。
神官は「何か言ったかい?」と聞いてきたが、シャルレドは「さっさと脚を切れ」とだけ言う。
魔法も麻酔も拒否するシャルレドに、神官は困り果てた様子だったが、やがて根負けして手術の準備に取り掛かる。
脚を失うのも、それに伴う痛みも、もはやシャルレドにはどうでもよかった。
今はただ、さっさとやるべきことをすべて終えて、泥のように眠りたいという欲求しかなかったのだ。
──
それから数ヶ月後。
ヴァルディガの言っていた通り、“センティネルズ”は解散することになる。
表向きは、セルヴァン本部が“超越者の調停管理”を行った……つまりは、ベイリッドの力をコントロールできなくなることを恐れ、英雄の座から引きずり下ろしたなどと言われていたが、本当のところは祖国に戻り、領主継承権について決着をつけるためだった。
ベイリッドはシャルレドに最大の配慮を行おうとしたが、シャルレドはそれを固辞し続け、彼と直接会おうともしなかった。
ただ手紙でのやり取りで、「何かできることはないか?」という質問に対し、「片脚を無くした者の分もレンジャーを続けろ」と書いたのだが、その後に返事はなく、それからすぐに父親の容態が急変したという事でベイリッドが発ったことから、シャルレドはそれも所詮は“建前”だったのだろうと理解した。
義足でのリハビリを行う以外では暇だったので、古くから付き合いのある商人ギルドを通し、サルダン小国の情報を得ていたのだが、そこで語られるベイリッドの“放蕩息子”や、“サルダンの恥”だのという話を知っても、今のシャルレドにはそれは当然の評価のように思えて仕方がなかった。
そして、ずっとヴァルディガを避けていたシャルレドだったが、ある時に偶然なのか、それとも偶然を装う形だったのか、それは後になってもわからなかったが、とある町の中で出逢うこととなる。
海岸沿いの防波堤を、散歩がてら杖をついて歩いていると、向かい側からヴァルディガがやって来るのが見えた。
シャルレドは一瞬引き返そうと思ったが、今の脚であれば、追い掛けられたら逃げられないだろうと諦め、素知らぬ顔をして通り過ぎようとする。
「……俺もサルダン小国に戻る」
すれ違いざま、ヴァルディガがそう言う。
シャルレドの猫耳が微かに揺れた。
「……そうかにゃ」
応える必要も、義理もなかったが、どうしてかシャルレドは彼の顔を見ずにそう言ってしまう。
「……脚の具合はどうだ?」
「……お陰様で、最悪にゃ」
「そうか。それならよかったぜ」
話は噛み合ってないように見えたが、2人の会話は不思議と意味するところは通じあっていた。
「……もう二度と遭わないにゃ。アアシも忘れる。オマエも忘れるにゃ」
「……シャルレド」
シャルレドはそのまま行ってしまおうとしたが、次のヴァルディガの言葉に思わず足を止める。
「俺の“妻”として一緒にサルダンに行こうぜ」
「……オマエ」
「俺とお前、ふたりでベイリッド様を支えるんだ。いいだろ?」
シャルレドは思わず振り返り、信じられないというような顔で、ヴァルディガを見た。
ヴァルディガは、いつものように笑っていた。
それは大胆に、不敵に、敵に挑みかかる時の、そして仲間とバカ話をする時の顔だった。
「愛してるぜぇ。シャルレド」
「……ヴァルディガ。オマエはアアシを見てないにゃ」
「愛してるぜぇ。シャルレド」
「……そして、ベイリッドのことも見てないにゃ」
「愛してるぜぇ。シャルレド」
「…………オマエは可哀想なヤツにゃ」
ヴァルディガが真顔になる。
その顔を見ていられなくなり、シャルレドは顔を背けた。
「……なんでだよ? なあ、シャルレド!」
追い掛けて来ようとしたのを、シャルレドは懐から手紙を出して見せる。
「……ハイドランド・ルデアマー」
「なんだと?」
「招待状にゃ」
「なんでお前がそんなもんを…」
シャルレドはその質問には答えず歩き出す。
しかし、顔を見ずとも、ヴァルディガが嬉しそうに笑っている気配がするのを背中に感じていた。
「……アアシは脚を失ってもレンジャーにゃ。アイツらとは違う」
シャルレドはその決意を胸に、寒波の吹きすさぶ海岸を目指し、たゆまず一直線に歩いて行ったのであった──。




