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007 魔物と半森人の奇妙な取引②

(およそ4,000文字)




若干の性的描写や表現があります。

 未だ恐怖に縮こまっているサニードとは対象的に、オクルスは何事もなかったかのように悠然としている。


(ウチが落ち着くまで待ってるの…か?)


 見れば見るほど、その仕草が実に作り物めいたものに感じられる。それは彼が正体を現したからだからと言うわけではなく、最初に見た瞬間から忌避…つまり、下の酒場で、無意識のうちに“違和感”を覚えてその視線を避けようとしてのだと、今になって思い返してみればそうだったという確信が湧いてきた。


「……何者なんだよ。あんたは」


「何者だとは、なんとも答えがたい漠然とした質問ですね。世に遍く存在する、魔物の一種ですよ」


「魔物…あんたみたいな魔物は見たことも…」


「見たことがない? いいえ、見たことはあるはずですよ」


 サニードは頭が無数の蛇のようになる生物と思い浮かべて、「石化蛇女(メドゥーサ)?」と出てきた単語を口走る。それは幼い頃に読んだ本にでてきた魔物だった。


「スライムですよ」


 あっさりと答えを言ったオクルスに、サニードは怪訝そうな顔を浮かべる。


「スライムって…あのネバネバしてドロドロの? よく下水に詰まってて、討伐依頼がでている?」


 オクルスは「そうです」と頷いて見せた。


「私はその中でもいわゆる変異種というやつでしてね。多数の同種族が合わさっている複合体なのです」


 そう言うと、黒手袋の先がウネウネと触手のように伸びて蠢く。サニードは「もういい。わかったから」と首を横に振った。


「……スライムが、魔物がどうして人間のフリなんかしてるの?」


「貴女と同じですよ。商売……金を得るためです」


「魔物が金を欲しがるの? 奪うんじゃなくて?」


「これは異な事を仰る。シヒヒ」


 オクルスは“人間の指”にしたものを突き合わせ、口角を上げて笑みを見せる。先程、サニードから教わった笑い方だ。


「貴女こそ、なぜ奪わなかったのですか?」


「奪う…? なにを?」


 オクルスは自身の胸元を指差しで示す。


「いま手持ちは多くはないのですが、ここに当面の滞在費があります。私にあれだけ近づけたのですから、これを抜き取るなど容易かったはず…」


 オクルスは懐から、金の入った紐巻袋を取り出してサイドテーブルに置く。ズチャという硬質で重そうな音が、その中身の多さを訴えていた。

 サニードは思わずゴクッと喉を鳴らす。それは彼女が年単位で頑張ってもきっと稼げない額だろう。それが目の前に置かれたことで心が揺さぶられたのだ。


「今からでも遅くはありません。奪ってみては?」


「なに?」


 思いがけなかった提案に、サニードは戸惑う。 


「私は“弱いスライム”に過ぎません。なんら遠慮することなんてないでしょう。ここは人間の町なのですから」


 人間のフリをした魔物を倒したと言えば、サニードは罪に問われることはない…オクルスは暗にそう言いたいのだ。


 サニードの銀白の瞳が左右に揺れたが、それは本当に一瞬だけのことだった。


(これは…私の判断に間違いはなかった。本当に嫌な眼だ)


 真っ直ぐに鋭く見つめてくるサニードに、オクルスはまるで自分が交渉に負けたような気がした。この町に来て、初めて彼の中で生じた“不快感”である。


「……それは間違っていると思うからしたくない。いくら、あんたが魔物でもね」


 サニードは若干不貞腐れた様に答えた。


「なるほど。…私も同じ理由ですとも」


「同じ?」


「ええ。間違っているから…というのは語弊があるかも知れませんが、商売というものは、ルールがあってこそのもの。そのルールを破るというのは、商売の不成立を意味します」


 椅子の上であぐらをかき、サニードは「ん?」っと首を傾げた。


「よくわかんないんだけど、人間を傷つける気はないってこと?」


「いま交渉しているのはそのためです」


「交渉? …あ。こうやって話してるのが?」


「そうでなければ、無価値(イニュティル)です」


「イニュ…? 何語か知らないけど、なんとなく言いたいことはわかったよ。要は、あんたの正体をウチに話すなって言っているわけだよね?」


「その通りです」


「もし、話すって言ったら…?」


「それは困ったことになりますね。交渉が不可能な相手とは商売はできません。となると選択肢は限られて…」


「ウソウソ! 冗談だって!」


 オクルスが不穏な空気を纏うのに、サニードは慌てる。


「…なにが“弱いスライム”だよ。ウチを倒すなんて簡単なんでしょ?」


「あいにくと私は戦闘タイプではないので、戦いは避けたい方です。貴女に逃げられ、冒険者ギルドにでも逃げ込まれるリスクの方が大きい」


 オクルスは、サニードが逃げる素振りを見せないのを見てそう続けた。 


「……なら、ウチがそうしなければ? あんたの正体を黙ってたらどうなるの?」


「ええ。その見返りに、貴女のことを“最高だった”とオーナーやヴァルディガ氏に伝えましょう。もちろん、チップも添えてね」


「口止め料ってことか。それなら悪くない…かな」


 サニードは満更でもなさそうな顔をした。理由なしに施しは受けたくはないが、なにかしらの対価として支払われるなら話は別だったのだ。


取引成立アファーレ・コンクルーゾですね」


「…また? なんなのそれ?」


「お気になさらずに。最初に学んだ言語の癖が時たまに出るだけです」


「そう。ま、どうでもいいや〜」


 尋ねておいて失礼な話だったが、オクルスは気にした様子も見せない。


(これがオーナーや教官だったら、メチャクチャに怒ってきただろうな…。お客さんの前でなにやってんだって)


 だんだんサニードにも、オクルスが問題となる事物以外には寛容…というより、無頓着であることに気づき始めていた。


(あれ? これってもしかして、超楽な仕事なんじゃね? 初っ端から当たりを引いたってやつじゃん?)


 どんな酷い目に遭わせられるか覚悟していただけあって、状況がそう悪いものではないと察したサニードはだんだんと気が抜けていく。


「ウチは明日の朝まで部屋さえでなければ…自由にしてても?」


「ええ。どうぞ、おくつろぎ下さい」


「ヤッター!!」


 サニードは大きなアクビをしつつ伸びをし、椅子が後ろに倒れるのではないかというぐらいに背もたれに体重をかけた。

 後方の2脚だけが辛うじて床に接地しているだけで、あわや倒れるのではないかというギリギリで前に体重をかけて、ずいぶんと器用にバランスを取る。

 大股を開いて肘掛けに足指をかけていたため、半分めくれたスカートの中から紅い下着が、オクルスの目にと飛び込んで来た。


「……意外でしたね」


「ん〜? なにがぁ?」


 完全にリラックスしきった顔で、サニードは椅子を前後に揺らして尋ねる。


「もっと騒がれるかと思っていました」


「あんたが魔物であること?」


「ええ」


「うーん。なんていうかな。驚いたっちゃぁ、驚いたけどさ。皆から嫌がられて、仲間はずれにされるのは…ウチもわかるから。そういうところはわかる…みたいな?」


 オクルスには理解できなかったのか、返事をせずにジッとサニードを見やっていた。


「ぷはッ! アハハハッ!!」

 

「なんでしょう?」


 いきなり腹部を押さえて笑い出したサニードに、オクルスは不思議そうにする。


「いや、あんた、交渉している時はめっちゃ喋るのに…なんかヘンだなぁと思っちゃって…」


「? 交渉が終わったのに…これ以上なにを喋ると?」


 真顔でそんなことを言うオクルスに、サニードはなんだかさらに笑いが込み上げてくる。


 化け物だけれど、それが自分に危害を加えないとわかった時点でなにかとても面白いことが起きているかのような感じがしていた。


「いや、あんた、スッゲー真面目な人なんだねぇ!」


「私は人ではありませんが…」


「そういうところだって! アハハハッ!」


 心底おかしそうに笑うサニードに、オクルスはどういう表情をしていいかわからずに固まっていた。


「はー。えっと、あんたの名前は確か…」


「オクルスです」


「あー、うん。そうそう、オクルスさんだったよね」


「オクルスで構いません」


「そう? なら、そう呼ぶね。ウチはサニード。サニード・エヴァン」


 行儀悪く、椅子を前に勢いよくガタンと戻しながら名乗った。


「存じています。サニード。姓はいま初めて聞きましたが…」


「うんうん。短い間だろうけどよろしくね、オクルス。どうせなら楽しい時間にしたいじゃん」


「楽しい時間ですか?」


「そうだよ。こんな若い女の子とふたりっきりなんだしさぁ…」


 サニードの顔にイタズラめいたものが生じた。それはオクルス相手ならば安全だろうから…そして、どこまで平気なんだろうという、そんな安易な好奇心からきたものであった。


「本当に興味ない?」


 サニードは下着を見せつけながら、八重歯を見せて笑う。


「なにがでしょう?」


 オクルスの表情は一切変わらない。


「えー、それ、演技じゃなく、本当にぃ?」


 精神的優勢に立てたことによる高揚感からか、サニードの態度はだんだんと大胆なものとなっていく。


「いちおー、“お客さん”が望むなら、サービスしなきゃとは思ってるからさぁ〜」


 自身のスカートの中に手を入れ、わざと下着を引き上げて見せる。


 オクルスはわずかに口を開く。


「人間の男なら、『もっと見せろ』って言うんだよ。オクルス」


「そうなのですか?」


 無知の相手を挑発している自分自身に酔い、サニードはなにやら幻でも見ている気分になっていた。

 気のせいなのか、それと自らの放つ思春期特有の芳香なのか、甘い香りが仄かに漂う。


「もっと見たい?」


「……」


 サニードの眼がトロンと半分閉じかける。


「……なんか眠い」


「そうですか。ならば、ベッドへ行かれては?」


 オクルスは自分の横にあるベッドを手で示す。


「ベッドへ〜? あ〜、変なことする気でしょう〜?」


「私は眠る必要がないので」


「そんなこと言ってさぁ…」


 サニードは覚束ない足取りでベッドへと向かう。その布団のすべてを包みこんでくれそうな、柔らかさの誘惑には逆らえそうになかった。


 倒れ込むようにして、サニードは布団の上に覆いかぶさる。想像したよりもフカフカで、それがより眠気を強める。


「……一緒に…」


 “寝よう”と言わんとして、言い切れず、サニードは静かな寝息を立てて眠りについた。


 オクルスはそれをチラッと見やり、半開きにしていた口を閉じて“甘い香り”を出すのを止めた。


「……殺してしまった方が手間じゃなかったかもしれませんね」

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