065 ライラードの特使
(およそ2,900文字)
「まったく賓客に対する礼というものがなってないな!」
石造りの重厚なローテーブル。その上に脚を投げ出した中年男は、尊大な態度でブドウの実を頬張る。
ライラード主国特有のくすんだ黄金色の鎧とマントを纏い、胸には勲章をジャラジャラと下げ、座っている横に鶏冠のような派手な羽根飾りがついた兜を転がしていた。
おおよそ情や思いやりといったものとは無縁といった風体で、その人相の悪さも相まって、関わるすべての人から嫌悪されそうなタイプだ。
彼の後ろに並んでいる同じ鎧を着た部下たちは顔こそ無表情で生真面目な態度であったが、その視線は冷ややかなものであり、心から仕えているという気配は少しもなかった。
「そもそもだ。領主が代わったならば、皇帝陛下に自ら挨拶に来るのが筋というものであろう。サルダン小国はそういった常識にも欠けておるのか? あ?」
歯に挟まったブドウの皮を小指の爪で取りながら言う。
その歯列は酷い乱杭歯で、しかもところどころ黒ずんでおり、それを見た者は顔にこそ出さなかったが不快感を覚えた。
「お言葉を返すようで恐縮ですが、ガニメデ様。ご存知の通り、主は病に臥せっております。然れば書面による挨拶でも構わぬと、ファーブレル大臣閣下からはそうお言葉を賜っております……」
横の壁際に一列に並んだ使用人たちの中、老齢の執事長がそう告げる。
ガニメデは「ファーブレル大臣閣下ぁ〜?」と嫌そうな顔を浮かべた後、「んがッ!」とわざとらしく叫んで白目を剥いた変顔をした。
「だぁれも大臣閣下の話などしとらんのだよ! 俺は“サルダン小国側の態度”のことを言っているのだ! 我らがライラードに対する敬意や誠意があれば、大臣閣下の寛大なるご温情があったとて、それに甘えたままでよいはずがあるまい!?」
「それは……」
「そうだ! 領主が歩けぬのであればこそ、領主代行が赴くのが当然であろう! それを大臣閣下の名前を出して言い逃れしようなど、厚顔無恥も甚だしい! 恥を知れ! 恥を!!」
揚げ足取りにしか思えぬガニメデの言動に、老執事は唇を噛む。
「ガニメデ特使。その辺でご容赦くださいませ」
静かだが凛と響く声と共に、ゼリューセが入室して来た。
それを胡乱げに見やったガニメデであったが、すぐに鼻の下がだらしなく伸びて頬が上気した。
ゼリューセはドレス姿であったが、大胆にも胸元や肩を大きく開いたデザインのものを着ており、湯上がり直後ということもあり肌艶がよく、髪も烏の濡羽色のように光沢を帯びて、普段の様相より艶やかな色気があったからだ。
「ほう。入浴中であったか」
メイドの何人かは「知っていたくせに」という反感を覚えた。
ゼリューセの全身を上から下へと舐めるように見やり、少しも情欲を隠さずにガニメデは唇をすぼめた。
「ええ。お待たせするわけにはいかぬと、取り急ぎ準備した次第。このような端ない格好をお赦しくださいませ。お気に召さぬようでしたら、すぐにでも着替え直して参りますが」
ゼリューセがそこまで言ったところで、ガニメデはゴホンと咳払いする。
「うむ! いや、確かに我らも急に来たのは、多少は悪かったところがあったかもしれん!」
大仰に頷いて見せるガニメデの態度に、執事長は怪訝そうにする。
「だがな! 重要なのは、話し合いそのものであろう! ゆえに、その程度の無礼には寛大に目をつむろうではないか! そのままでよろしい!」
明らかに下心を剥き出しにしてガニメデが言うのに、ゼリューセは丁寧に頭を下げ、謝意を述べる。
主のどこまでも下手に出る姿に、執事長は自身の目頭を指で押さえた。
ゼリューセが向かいに腰を下ろそうとして、わずかに前屈みになると、その胸の谷間を覗こうとしてガニメデは首を伸ばす。
「それで、本日はどのようなご用件でしょうか?」
ガニメデは、ゼリューセの視線を見て、脂ぎった鼻先を人差し指で掻いた。
「あー、それはだな、あれだ」
「あれ……ですか?」
「あー、うむ! ゴホン! 我がテュポポン家はだな」
「はい」
「ライラードでも随一の歴史ある由緒正しき名家なのだ」
ゼリューセは「よく存じております」と頷く。以前にも何度もガニメデ本人から聞かされた話だったからだ。
「それでだ。当然、我が妻となる者は、それなりの者でないといかん」
ガニメデの瞳が三日月のように歪むが、ゼリューセは顔色ひとつ変えなかった。
「分かるだろう? 我が寵愛を受けるということはだな、辺境地方の領主代行などではとても味わえぬ贅の限りを……」
ゼリューセは片手を上げて、ガニメデのそれ以上の発言をやんわりと止める。
「これは縁談のお話でしょうか? そちらはサルダン小国の件が片付いてから、改めてお聞きすることになっていたかと」
「む、無論! そんなことは分かってはいる!」
「そうでしょう。閣下ほどの御方が、皇帝陛下より託された大事をお忘れになるはずもございません」
ゼリューセが柔らかく笑みを浮かべると、ガニメデは「当然だ!」と尊大に頷いて見せた。
しかし、ガニメデは名残り惜しそうに、ゼリューセの胸の谷間をチラリと見た。
「ちょっとくらい味見をしてもだな……」
小さく呟いたところで、執事長たちだけでなく、自分の部下たちの視線も感じ、わざとらしく咳払いをした。
「あー! あれだ! 我々は、あの“超越者”であるベイリッド・ルデアマーの存在を由々しきものと考えている!」
ガニメデを真っ直ぐに見て、ゼリューセは「仰せられる通りです」と頷く。
「故コディアックやハイドランドのような“柔軟な思考”を持たぬ者、つまりライラードにそぐわない人物にサルダン小国を任せたくはない……と、皇帝陛下はそう仰せだ」
「皇帝陛下の御意向、しかと承りました」
ゼリューセはまるでここに皇帝がいるかのように、深々と頭を下げて見せた。
「それで、サルダンはベイリッド・ルデアマーをどうするつもりなのだ? ん?」
ガニメデは顎をしゃくって尋ねる。
「戦争は避けられぬかと考えております。その為の備えは、万全を期すべく着実に進めております」
「うーむ」ともったいぶったように、ガニメデは何度か頭を前後に揺らす。
「我らがライラードの大変貴重かつ強力無比な兵力を、今回ばかりは貸し与えてくれよう。光栄に思うがいい」
「寛大なるご配慮、誠に痛み入ります」
皇帝か大臣の命を受けて、それをそのまま口にしているだけだと、ゼリューセは気付いていたが、そんなことおくびにも出さずに頭を下げ続ける。
「これに失敗は許されん。ハイドランド側の勝利をさらに確実なものとする必要がある」
ガニメデの含みある台詞に、ゼリューセはわずかに目を細めて怪訝そうにした。
「呼べ」
ここにいる自分こそが主だと言わんばかりの態度で、ガニメデは指を振って指示を出した。
部下のひとりが廊下へ出た。
しばらくして、背の高いエルフの男が入って来た。
「あなたは……」
「お初にお目に掛かります。エヴァン郷の長、ファウドと申します」




