062 一糸纏わぬ女たちの会合①
(およそ5,000文字)
若干の性的描写や表現があります。
シャーニカ宮殿は、王族の所有地だったこともあり、果樹園だけではなく大浴場といった贅沢な娯楽設備をも備えていた。
大理石を惜しげもなく使った総タイル張り。壁面も床もモザイクタイルで細かな部分まで意匠が施され、天窓にはまるで木々が覆いかぶさるように枝葉を伸ばし、その隙間から陽光が差し込み湯面を反射させてキラキラと輝いて見えた。
「うー、なんでみんなでお風呂なんだよぉ」
タオルで胸を隠したサニードは、濡れた床に足を取られないように慎重に歩く。
エヴァン郷のエルフには浴槽に入るという習慣はなく、貯めた雨水や川の水で全身を流すというのが普通だった。
ペルシェで風呂に浸かるということを知ったサニードだったが、蘭芙庭でも集団で入る浴槽といったものはなく、基本はシャワーのみで、売上がよい者が優先的にバスタブが使えるという仕組みであり、皆で風呂に入るというのは初めての経験だったのだ。
「私なんて使用人なのに…」
チルアナも恥ずかしそうに言う。フワフワの尻尾が垂れ下がっていることから、彼女もこの状況に萎縮しているのが見て取れた。
「裸になりゃ、貴族も僧兵も、商人も使用人も関係ないってのが姫様の考えさぁ!」
一糸も纏わぬ姿でキキヤヤは洗い場を駆け抜ける。見た目は小柄な少女だが、鍛え上げられた四肢は引き締まっており、痛ましい傷は腕だけではなく全身に及んでいた。
「ま、皆で背中を流し合うってのもオツなもんさ。レンジャー時代にゃ、川で水浴びが風呂の代わりってもしょっちゅうだったしね」
キキヤヤと同じくらい刀傷があり、引き締まっているだけでなく、ちゃんと成人女性としての魅力をも兼ね備えたシャルレドは、外した義足の方をチルアナに支えられていた。
「離してくれていいよ。別にアアシは片脚でも風呂くらい入れるにゃ」
「好きでやってることですから」
「そ、そうかにゃ」
チルアナの熱っぽい視線に、シャルレドは頰をポリと掻く。
「異世界のおとぎ話では、裸の付き合いというものが親交を深めるのに最も有効だとか。個人的な解釈ですが、この身体的な無防備さ故のものではないかしら」
先に浴槽に浸かり、獅子口から溢れ出る湯を弄ぶゼリューセが言う。
「まあ、姫さんのあの美貌を見ちゃ気後れするのもわかるにゃし。ま、オマエだけじゃないよ」
シャルレドは居心地が悪そうな顔で、ゼリューセとサニードを交互に見やる。
「い、いや。確かにウチは色々と負けてるけどさぁ…」
サニードは同年代の女性よりもややささやかな自身の胸元を見やって複雑な顔を浮かべた。
ゼリューセは、この集団入浴を提案しただけはあってか、なにも纏わない姿でも凛とした気風は少しも揺らぐことなく、その堂々と肢体を晒し、その測ったかのように創られた彫刻のようなプロポーションは、異性から見れば言わずもがな、同性から見ても羨望を抱かせる。
(あー、でも、問題はそこじゃない! オクルスがいることなのに!)
サニードは大声で叫びたくなるのを堪える。
オレシアは、キキヤヤと同じく何も纏わぬ状態で浴室に入って来る。しかし、その表情は普段と一切変わることはなかった。恥じらいなどがないというより、ただ単に感情が欠落しているかのようにサニードには感じられる。
「…あのさぁ」
「なにか?」
遠慮なしにジロジロと見られたことで、オレシアは軽く首を傾げる。なぜかそんなところも様になっていた。
「そんなだったっけ? その、細かいところまで“作れる”もんなの…?」
サニードは、“意外と立派”な、幼い顔立ちとは不釣り合いなオレシアの胸元を指差す。
オレシアはあまり興味がなさそうに、自分の身体を見やってから頷く。
「必要であれば形を似せることは可能です。しかし必要な機能は有していません。単なる見せ掛けだけです」
「そうじゃなくて…」
サニードは口を尖らかせて、自身に巻きつけてあるタオルをキュッと締め直す。それを見て、オレシアはわずかに目を細めた。
「……私からすれば、わざわざ衣服を身に着ける事のほうが異様です」
「そりゃスライムからすればそうかもだけれど…ひゃあッ!」
そっと近づいたキキヤヤが、サニードとオレシアの臀部を下からむんずと摘んだので、サニードは甲高い悲鳴を上げた。
「キキヤヤッ!」
「なーに、ふたりだけでコソコソやってるんだよ!!」
ケラケラと笑うキキヤヤに、サニードは真っ赤な顔で抗議した。
ゼリューセの視線を感じ、サニードはますます居心地が悪くなる。彼女の目的はサニードとオレシアにあることはよくわかっていたからだ。
「おい」
シャルレドが胸を張ってオレシアへと近づく。
「オレシア…でいいんだよな? 初対面のハズだが、アアシになんか用でもあったのかにゃ?」
チルアナが顔を曇らせて、シャルレドの腕をキュッと掴む。
「あ! あのそれは…」
サニードが慌てて言い訳を考える前に、オレシアは腕を組みつつ首を横に振る。
「いいえ。ペルシェでは貴女に賞金が掛けられましたから、なかなかの金額につい目が眩んだだけです」
シャルレドは「ふーん」と頷き、サニードは視線を彷徨わせた。
「それでアアシをペルシェに突き出すかい?」
「魅力的な金額ではありましたが、それは難しいでしょう。1対2ではさすがに分が悪い」
シャルレドと、ニィッと歯を剥き出しに笑っているキキヤヤを見て言う。
警戒した視線をものともせず、オレシアが洗い場 へと向かうのをサニードは慌てて追う。
「…大丈夫なの?」
「チルアナの様子から、私のことを話した感じはしません」
「そうなの?」
「仮に何かを疑っていたとして、ディバーに居る間は私の取引の邪魔はできないでしょう。それが確認できただけでも充分です」
オレシアは自身の身体を流しながらそう答えた。
「それにしたって…」
「ゼリューセ氏が待っています。貴女も早く流して下さい。行きましょう」
湯船には無数の花びらが散り、仄かに甘いよい香りが漂っていた。
「社交辞令抜きに、本音で話しましょう」
湯船の縁に全員が腰を掛け、ゼリューセに向かい車座となる。
「ご存知かと思いますが、現状、ハイドランド・ルデアマーが治めるディバーと、ベイリッド・ルデアマーが治めるペルシェは半ば対立状態にあります」
なぜかサニードだけが頷く。
「それはサルダン内の小事などではなく、他の村や街までも巻き込んだ大きな紛争となると私は考えております」
ゼリューセは髪を後ろに撫でつけ、オレシアの顔を見やる。
「オレシアさんはキキヤヤと対等に渡り合える実力の持ち主。シャルレドさんは元レッドランクの…」
「ブルーランクにゃ。剣の腕だけだったら、身内からはそう言われていたけどねぇ」
「失礼致しました。その剣技は見せて貰いましたが、私にとって強さというものは、キキヤヤかカイマイロが基準となっておりますので、おふたりが単純に強いということしか理解が及びません」
再びサニードが頷き、今度はチルアナも同じように頷く。
「ですからお聞きしたいのです。ドラゴンスレイヤーであるベイリッド、同じくドラゴンスレイヤーである警備責任者ヴァルディガ。その弟分の狂犬ドゥマ。彼らがどのくらいの強さなのかを」
ゼリューセは湯から上がり、湯が流れる斜面に腰かけて脚を組む。ちょうど天窓から一筋の光が差し、彼女の背を照らしたので、一流の絵画からそのまま抜き出したかのような神々しさにサニードは思わず息を呑んだ。
シャルレドは猫ヒゲを軽く摘むと、まるで値踏みでもするかのようにゼリューセとオレシアを交互に見やる。
「私はサニードの護衛として来ました」
「無論わかっております。意見というより、感想をお聞かせ願いたいのです。あなたから見て彼らはどうなのかを」
(ここで嘘をつくのは賢明ではないか)
オレシアは自分に注がれている視線に、何か試されている気配を感じ取る。
「その質問は、当人らと面識がなかったとしても意味がありますか?」
オレシアが疑問形でそう尋ねたのは、ヴァルディガたちと会ったことがないと嘘をついても、サニードの態度で見透かされるだろうと思ったからである。
「ええ。ペルシェに居たのなら名前ぐらいは聞いているでしょう。名前や肩書からくるイメージだけでも構いません。もちろん、それが的外れな意見だったとしても文句は言いません」
暗にここでの発言にはなにも責任はないと言っているのに、オレシアはますます警戒を強める。
「……ヴァルディガ・キールロングは相当な手練れですね。並の戦士の強さではない。レッドランク以上と見ていいでしょう」
「キキヤヤや、シャルレドさんよりも強い?」
「ええ。上です」
シャルレドとキキヤヤが殺気立つのにも、オレシアは平然と言ってのける。
「ドゥマ・ゲリウス。彼も強いですが、ヴァルディガと比べると幾段見劣りします。カイマイロ氏が同等ぐらいの強さだとは思いますが、正直なところ戦っているのを見たことがないので断言は致しかねます」
「なるほど。シャルレドさんとほぼ同じ見解ですか」
ゼリューセがそう言うと、シャルレドは鼻を鳴らす。
「……それでベイリッド・ルデアマーは?」
サニードが眉を寄せ、シャルレドが腕を組む。
「ドラゴンをご存知でしょうか?」
「ドラゴン? ええ、魔物の中でも最上位、最強の存在ということぐらいなら…」
オレシアの質問に、ゼリューセは顎先に指を当てる。
「実物を見たことは?」
「いえ、それはさすがにありませんわ」
「仰る通り、ドラゴンは魔物の中でも頂点に君臨します。多種多様な高い能力に加え、高い知性を持つ者は、魔王にも匹敵するかそれ以上の力を持つでしょう」
「魔王ですか。そんなものが喩えに出てくるのは、幼い頃に聞いた神話の世界の様ですわね」
ゼリューセはわずかに笑ったが、オレシアは真顔のまま頷く。
「信じる信じないはお任せしますが」
「気に障ったのなら謝罪いたします。続けて下さいますか?」
「……いまドラゴンの話をしたのは、ベイリッド・ルデアマーと戦うのであればほぼ同等の難度だと考えたからです」
「? それはベイリッドがドラゴンと同じ強さだと言っているのですか?」
「それ以上です。この地上に置いて彼に勝てる者は殆どいないでしょう」
「ヴァルディガもドラゴンスレイヤーの称号を持っていますが、彼も同じくらいに強いと…?」
「ベイリッド・ルデアマーは古代竜を倒したと聞きました。これが本当ならば、緑竜や赤竜などとは比べ物にもならない話…」
サニードはゴクッと喉を鳴らす。
「仮にベイリッド・ルデアマーが単騎でこのディバーを滅ぼしたとあっても、私は不思議にも思わないでしょう」
ゼリューセは唇を噛む。そして、シャルレドを見やった。
「気にくわにゃいけど、アアシも同意見だね。竜を倒すまでは腕の立つ剣士で、アアシやヴァルディガも追いつけるレベルに見えたにゃし。竜を倒してからは神憑り的な強さにゃ」
「“竜の祝福”ですね」
「ドラゴンズ・ブレッシング?」
サニードが尋ねる。
「“守護”や“継承”と呼ぶこともあります。ドラゴンは強く誇り高い。自身を倒した者に敬意を払い、その力を譲渡することがあります」
「ドラゴンの力…そんなもの持ってたら…」
「ですから言ったのです。ドラゴン以上の脅威だと」
(それに加えて、悪魔50体…。こんなの、どうしたら…)
「サニード?」
真っ青になっているサニードを見て、オレシアは目を細める。
「…なるほど」
ゼリューセは、サニードとオレシアを見て頷く。そしてバチンと指を鳴らした。
「であれば、どうしたらベイリッドに勝てますかしら?」




