006 魔物と半森人の奇妙な取引①
(およそ3,000文字)
自分の“分体”を通して、話をしていたオクルスは無防備な状態にあった。
それでも“警戒している者”がいるので、もし敵意のある攻撃をされたのなら自動的に反撃するし、命の危機と判断した場合には“本体”に連絡が来る。
しかし、脚の間にサニードがいるのは、それを“敵意”とも“攻撃”とも捉えなかったからだろう。だからこそ、オクルスには特に驚く様な事でもなかった。
「……なにをしているのですか?」
「うぇッ!」
他人の股間の周辺をまさぐっていたサニードは、気まずそうに銀白の瞳を揺らした。
髪や着衣に乱れがあるのに気づき、オクルスはなにがあったのかを“警戒している者”に心の中で尋ねると、「本人が勝手にやった」との答えが返ってくる。
(私の生殖器官を探していたのか?)
自らのズボンを見やり、オクルスは少し首を傾げる。
「……ああ、確か貴女は“娼婦”でしたね」
オクルスは何気なく言ったつもりだったが、それを侮辱と捉えたのかサニードの頬が朱色に染まる。
「か、からかって…るのかよ?」
俯き、怒りに充ちた眼でオクルスを睨みつけた。
(まったくもって不快な“眼”だ…。さて、どうしたものか。殺してしまうのが一番確実だが…)
油断している今ならば、“跡形もなく溶かしてしまう”のは造作もない。
(空腹でもない。今後の面倒を考えるならば最善ではないか…)
まだ“契約の途中”であることを思い起こし、オクルスは考え直す。契約を終えていたなら迷いなく始末していただろう。
「こっちは覚悟して来たんだ! “太客”だかなんだか知らないけどさ! 人間社会に溶け込むため必死でさぁ! 日銭を稼いでるんだよ! 女を金で買っている癖に、それをバカにするなよッ!! こっちだってプライドぐらいあらぁ!!」
激昂して涙を流すサニードに、なぜそのような状態になったのかオクルスには理解できなかった。
「小バカにして散々楽しかったろ! ウチは帰る!!」
サニードが離れようとするのを、オクルスが片手を掴んで止めた。
「なんだよ!」
「帰られるのは困りますね。それに貴女の商売を貶すつもりもありません」
「はぁ? ならなんで…」
「有価値と思ったからです」
「ユテ…? なに?」
「……まあ、お座りなさい。貴女と話したいのですよ」
サニードはなにやら口をモゴモゴさせた後、それでも言われるままに向かいの席にと戻った。
「まず、こんな事をせずとも金は貰えますよ。私にこういった“行為”は不要なので…」
オクルスはズボンのチャックを直しながら言う。サニードは目を瞬き「え?」と不思議そうにした。
「ウチはなんもしなくていい?」
「ええ」
「なら、なにもせずにウチは金を貰うのかよ?」
「金が欲しいのでは?」
「欲しいけど…施しは受けたくない。そこまで堕ちちゃいないよ」
その台詞に、オクルスは初めてサニードという存在に“個”としての興味を抱く。
「シッ! ヒッ! ヒッ!」
「???」
オクルスは歯間の間から、小刻みに勢いよく空気を吐く。
「それ、もしかして笑ってるの?」
サニードは苦笑いをしつつ遠慮がちに尋ねる。
「失礼。…笑っているように見えませんでしたか?」
「見えない。なんか、発作でも起こした人みたい」
「……そうですか。笑うのは難しいですね」
「おかしくないのに笑ってるの?」
「可笑しいから笑っているのです。その表現はなんとも難しい」
「笑うのが難しいって…簡単じゃん。口をこうやってやってさ…“ニシシッ”!」
サニードは人差し指で自分の口角をクイッと上げて笑ってみせるが、演技が下手なせいで傍から見れば奇妙な笑い声となった。
オクルスはジッとサニードを見やる。
「そ、そんなにジロジロみないでよ…。恥ずかしいじゃんか」
「シ…ヒ…ヒ」
オクルスは口角を上げて、サニードの笑い声を真似する。
「あ。なんかいい感じ」
「シヒヒ」
「う、うーん。なんか、下品な感じだけど…笑ってるのはわかる…かな」
「失礼」
オクルスは首を軽く傾げて元の表情に戻す。
「ホント、変なお客さんだね。笑い方を知らないとか、ウチになんもしなくていいとか…」
怒りの冷めたサニードは、少し恥ずかしそうに自分の乱れた着衣を直す。
「……でも、なんもしないで金貰うわけにはいかないよ。だから、オーナーには正直なこと…」
「それは私が困ります」
「なんで? あんたが金を払うんじゃないんだろ? 金払うのは、あの剣持っていたイケ好かないヤツじゃないの?」
サニードには、ヴァルディガは暴力で物事を押し通す最低最悪の男に見えていたのだった。
「貴女は私の違和感に気付いているでしょう?」
「え? …あ! い、いや、あんたの…その“ナニ”がないことは誰にも言わないし…」
サニードは気まずそうに頭をかきながらそう言う。
「魔力値が高い種族であれば、低確率で先天的に宿る、極めて珍しい希少なスキルがあります」
「…なに?」
まるで脈絡のない話をしだすオクルスに、サニードは戸惑った。
「他種族との交配が先祖返りの様な現象を引き起こすことで、原種族の元々持っていた能力までを発現させた…というのが有力な説ですが、なにぶんデータが少なすぎて統計も取れないため、立証されたことではありません」
「先祖返り…? なんの話だよ?」
「貴女のその“眼”のことです」
「目?」
「貴女のその眼は“魔眼”と呼ばれるものです」
「ウチの目が…? 魔眼?」
銀白色の瞳が左右に揺れる。
「魔眼には様々な種類がありますが、中には他者の魔力を数値として見たり、使われる魔法を事前に察知することなどもできると聞きます。優れた使い手になれば、睨みつけるだけで敵を死に至らしめられるとも…」
「そ、そんなこと! ウチにはそんなことできないよ…」
サニードは首を激しく横に振って否定した。
「そうですね。訓練せねば、強い能力は発揮できません。しかし、それでなくとも、そのスキルの真に厄介な点は別にあります…」
オクルスの目が、まるで心の中を覗き見ようとしている様にサニードには感じられる。
「それは魔眼は共通して“偽装を見破る”という効果があることです」
「偽装?」
「聖職者の探知にも引っ掛からないハズの私の“隠蔽”に、貴女は真っ先に“違和感”として気づいた。これはなんとも由々しき事態…」
オクルスは被っていた帽子をサイドテーブルに置き、灰色の髪を撫で付ける。
「いま私の魔力の偽装を解除しました。部屋には予め結界を張ってあるので外部に漏れることはありません。従って、貴女にしかわからないハズ」
「だから、ウチにはなんもわからないって…え?」
サニードの眼に、オクルスの周囲がユラユラと陽炎のようなものが揺らめいているのが視える。
「“違和感”の正体がそれです。普通の者ならば、ただ男が座っているようにしか視えないことでしょう。さて、ではもっとわかりやすくしましょうか…」
「え? な…ッ!」
オクルスの髪がまるで頭頂に吸い込まれる様に消え、顔から“表情”が失われ、その輪郭が波打つように揺れ動く。
「げ…ぇ…ッ!」
頭の部分全体に無数の“目玉”が現れ、樹木の枝葉の如く伸びたかと思いきや、それがギョロギョロと周囲を探る。
「ば、化け物…うッ!」
吐き気を催し、サニードは前屈みになって口元を覆った。
「仰る通り、私は化け物ですとも」
逃げなければ…と思いつつも、金縛りにあったように身体が動かない。
「エルフ族の血を引いているのなら、私の魔力に当てられるのも致し方ないでしょう」
「…あ?」
サニードが顔を上げた瞬間に、オクルスは元の“人間に擬態”した姿へと戻っていた。
「脅かすつもりは毛頭ありません。さあ、話しましょう。そして有意義な取引にしましょう」