054 テイマーの資格
(およそ5,500文字)
サルダン小国、首都ディバー。
人口およそ3万5,000人。ガットランドでは、ライラード主国の王都ラ・ポムトスに次ぐ人口を誇り、南方の奥まった僻地、流通が止まる雨季という弱点さえなければ、“大国”とすら呼んで差し支えないほどの規模だ。
ディバーは町全体が台形の形をした山の上に築かれており、この地域では唯一、ヴァロン大河の氾濫の影響を受けない地である。
この地域に生まれた若者たちは首都への上京を果たし、そこで居を構えて、足腰の弱った年老いた親を迎えることが最高の孝行とされていた。
またディバーは国境側が切り立った崖となっており、その下にヴァロン大河が広がっていることでそれが天然の防壁となり、有事の際には最も落としにくい難攻不落の要塞と化す。
そんな安心と安全を兼ね備えているからこそ、不便な地にあっても今なお移住を望む者も多いのである。
馬車は花崗岩で造られた立派な大門を通り、無事に検問を終えて馬繋所へと辿り着く。
「あー、お尻がガッチガチだよ。ぜんぜん眠れなかったしさぁー」
馬車から降りたサニードがアクビをしつつ伸びをする。
オクルスはなにやら御者と二言、三言交わしてからサニードの元へやって来た。
「なに話してたの?」
「本家の場所を聞いていました。かなり離れているそうです。日が暮れる前に急ぎましょう」
「えー。少し休もうよぉ。くたびれたよぉ〜。グリンにご飯もあげたいしさぁ」
出発前はなによりも早く行かねばならないと思っていたサニードだったが、丸3日がかりの馬車の旅はそんな気概をすっかり圧し折っていたのだ。
「私は構いませんが、先方は心象を悪くするでしょうね」
「ん? なんでそうなるの?」
「セフィラネが、訪問日時を今日の午後と伝えているからです」
サニードは目を丸くする。
「…なんで明日にしてくれなかったの?」
「私なら問題ないと思ったのでしょう。実際、問題はありません」
疲れた様子を微塵も見せずオクルスがそう言ってのけるのに、サニードは頬を膨らませる。
「オクルスを基準にしないでよ! セフィラネめ! 絶対にイヤガラセだよ! これ!」
「…どうしますか? 明日にしますか?」
「行くよ! 行けばいいんでしょ!」
サニードは眠気を覚まさんと、自分の両頰をペシャリと叩いてから歩き出す。
「少し待って下さい」
「なんだよ! 急ぐったの、そっちだろ!」
オクルスが指先をサニードに向けたかと思うと、グリンを出す。サニードは慌ててそれを受け取った。
「こんなところで!」
「今は周囲に誰いません」
「連れて歩けないよ! 預かっててよ!」
「それとこれを」
「そ、それって」
オクルスは懐から、白い指輪を取り出した。
「利き手ではない方がいいでしょう。手を出して下さい」
「え…? あ、うん」
紅い顔をしてそっと左手を差し出したサニードに対し、オクルスは屈んでその手を取る。
半ば夢見ごこちな気分でそれを見ていたサニードだったが、オクルスは迷うことなく人差し指に指輪を嵌めたのを見て怪訝そうにした。
「く、薬指じゃないの?」
「示指に嵌めるのが一般的です」
「そうなの…? でも、よくウチの指のサイズわかったね」
「夜寝ている時に勝手に測りました」
「おいいッ! ウチのトキメキを返せぇ!!」
オクルスは周囲を見回すと、サニードは大声を出したことにバツが悪くなりながらもグリンを隠すように抱える。
「それは単なる指輪ではありません。これとセットで常に身に付けていて下さい」
手の平サイズの金属のプレートを取り出して、サニードに手渡す。
「なにこれ?」
「テイマーの資格証です」
「え? こんなに簡単に手に入るの?」
「いいえ。本来は冒険者ギルドが主催する筆記試験や実技試験のみならず、厳しい適正検査を経てようやく取得できるものです」
町中で魔物を使役するということはそういうことなのだと、オクルスは暗にそう示す。
サニードはプレートに自分の名前が彫られ、『ビギナー』という単語と共に、これが身分証明となる内容や、裏側には短い規約のようなもの、そして冒険者ギルドの刻印が施されているのを確認する。
「ならこれどうやって…」
「無論、偽造です」
「は?」
「この辺りであれば問題ないと思いますが、連番は適当なので本部照会をかけられるとすぐに偽物だとバレます。そこまで工作する時間がありませんでした」
「いやいや! もしバレたら…」
「絞首刑です」
サラッとそんなことを言うオクルスに、サニードは青くなる。
「貴女が別件で逮捕されるか、なにか問題を起こさない限りは照会などされないので心配しなくて大丈夫です」
「ぜんぜん大丈夫じゃないんだけど。これってもしかして用意したの…」
「セフィラネに頼みました」
「“欠如なき”ってそういう…」
今更になって、裏社会と関わってしまったことをサニードは後悔した気分になる。
「もしかして、オクルスの商人バッジも…」
「これは正規ルートで手に入れたものです」
「じゃあ、なんでウチだけ不正規ルートなんだよ…」
「貴女がテイマーの資格を取るまで待ってはいられませんからね。もし気に入らないのでしたら、実力を身につけてから資格試験でもなんでも受けるのがいいでしょう。資格などは所詮は“人間族が決めたルール”です。当人の持つ能力とは直接関係はありません」
オクルスが水鳥のプレートタグを指で弾くのに、資格を単なる手段としか見ていていないのだとサニードは理解する。
「偽造してますが、そのプレートと“テイマーリング”自体は本物です」
「? どういうこと?」
「リングをプレートに押し当てて下さい」
サニードは言われるまま、リングをプレートに当てた。
「あ。なんか模様が浮き出てきた…」
プレートの下にあった枠に黒い幾何学模様が浮かび上がる。
「これで貴女の“魔紋”が登録されました」
「“マモン”?」
「人間、魔物問わず、誰しも大なり小なりはあれ魔力を宿しています。そして目には見えませが、心臓から血液を流す血管のように、核から魔路と呼ばれる管を通って全身に巡っているのです」
「“マロン”ねー」
「魔路です」
サニードは不思議そうに自分の身体を見やる。
「そして魔路は個人によって異なります。全く同じ魔路を持った者は二人として存在しない。特に核を巡る周囲の魔路は複雑に絡み合っています。それを魔紋と呼びます」
「なら、このプレートのが…」
「そうです。その紋様は貴女だけのものです。そのため、唯一無二の証明として有効なのです」
「まるで蝶が羽根を広げたみたい…」
サニードは嬉しそうに微笑み、自分のプレートと、オクルスの水鳥のタグプレートを交互に見やる。
「次にグリンに指輪を近づけて下さい。そして心の中で『従属せよ』と3回唱えて下さい」
「えーと、“従属せよ”、“従属…」
「口に出さなくても大丈夫です」
「わかってるよ! あ、指輪が光った…」
指輪が仄かに光り、グリンの体に黒い紋様…プレートと同じ形の物が現れる。
「これでグリンは正式に貴女に所有物となりました。魔紋のある魔物は、町中で連れ回していても“テイマーの管理下”にあると見做されます」
「おお! スゴイ! これって他の魔物にも使えるの?」
「ええ。魔物が拒否しない限りは魔紋は刻まれます。グリンに至っては自意識がないので当然ですね」
「ん? それって、例えば外にいる他のスライムとかにだったら簡単に紋様つけられるってこと? 沢山つけて、“サニードのスライム軍団”とかできちゃうってこと?」
サニードは色とりどりのスライムたちが、「行け!」の指示で敵を倒す様を思い浮かべる。
「不可能ではありませんが、まったくメリットはありませんね。使役していない野生種の魔物が人間を襲った場合、それに紋様があれば、紋様を刻んだテイマーに責任が問われます」
「え? そ、そうなの…?」
「この紋様は飽くまで単なる“印”です。テイマーリングの起動呪文には“従属せよ”とありますが、実際には魔物を従わせられる力があるわけではありません。従わせられるのは当人の実力によるものです」
「なんだー。資格があるからテイマーになれるってもんでもないんだね」
「だから言ったのです。“人間族が決めたルール”に過ぎないと。周囲の目を欺くには都合のいい仕組みですが…シヒヒ。失礼」
なんだかオクルスに馬鹿にされたような気がして、サニードはむくれる。
「さて、立ち止まっていては変に思われます。行きましょう」
「はーい。でもさ、忘れないでよ。脚の長さ違うんだから、追いかけてるの大変なんだから」
「問題ありませんよ。私もこのままの姿では不味いですからね」
「え?」
大通りを歩き始めたオクルスが少しずつ小さくなっていくのに、サニードは見間違えかと思って目を擦る。
しかし、オクルスの肩がサニードの頭より低くなった時点でそれが本当に小さくなっているのだとわかった。
「いや、ちょっと、なにしてるの!」
「歩きながらであればすれ違うのは一瞬だけ。誰も気づきません」
オクルスの身体はだんだん小さく、そして丸みを帯びていく。
「こ、ここは大通りだよ?」
サニードは左右を見やりながら小声でそう言う。
「だからこそです。私はこうしながらも全体を見回せます。私たちを観察している視線はひとつもない。すれ違ったのが男か、女か。帽子の色は、服の色は…見てはいても記憶に留めて置くことはない」
冷たく低かったオクルスの声も、徐々に高く柔らかく高いものとなっていく。
「え?」
オクルスは左手の指を立てたので、思わずサニードは視線でそれを追う。
「サニード。グリンは?」
「え? 抱えて…あれ??」
サニードは自分の手が何も持って居なかったのに目を瞬く。いつの間にか、オクルスは右手にグリンを抱えていた。
「人間の注意力などそんなものです」
「あ…」
サニードはオクルスの顔を見て驚く。
服装こそ変わらなかったが、オクルスは長い白髪を風に棚引かせた少女になっていた。背丈もサニードの耳よりも低い。
「オクルスが美少女になっちゃった…」
「“罪与の商人オクルス”はここに来ていません。ここにいるのは、サニード・エヴァンの付添人…商人の“オレシア”です」
「お、オレシア?」
完全に女性となったオクルスに、サニードは戸惑う。
「人前で呼ぶときにはそのようにお願いしますわ」
「な、なんか、凄い違和感…」
「そのうちに馴れますよ。見かけなど一時的な事…」
「で、でもズルい」
「ズルい? なにがですか?」
オクルス…オレシアは、びっくりしたように目を開く。オクルスの時より瞳が三倍は大きいので、表情が乏しくても少し表情の固いだけの少女にしか思えなかった。
「だって、オクルスは美男でも美女でも、大人でも子供でもなりたいものに自由になれるってことでしょ?」
「……ああ。そういうことですか。ですが、まったく制約がないわけでもないです」
「そうなの?」
「私を持ち上げて見て下さい」
オレシアは両腕を開いて、まるで抱っこをせがむようにする。
「へ、変な感じ…」
自分より小柄であることにつけ加え、あの大柄だった男を下から持ち上げようとするのに変な気分となった。
「うッ! 重んもおッ! なにこれ! ぜんぜん、持ち上がらない!」
脇の下に手を入れ、軽々と持ち上がるだろうという予想に反し、オレシアはビクともせず、浮き上がるどころか引っ張ることすらできない。
「質量だけは変えることができません。オクルスの時のサイズが最も人間時の体重に近い」
「つまり、ギュッと圧縮した感じってこと?」
「そうなりますね」
道行く老人が、サニードとオレシアを見て「仲が良いねぇ」とクスリと笑うのにオレシアは笑って手を振り返す。
「目立っちゃったかな?」
「我々の背丈から言って子供がじゃれあっているように思っただけでしょう。警戒したのなら笑みになるわけがありません」
「笑みって…そりゃ、。ん? あれ? そういやオクルス…じゃなくて、オレシアは普通に笑えるの?」
オレシアがあまりに自然に笑ったのを見て、サニードは少し驚く。
「女性の笑顔は表情筋の動かし方がわかりやすい。セフィラネを参考にできますからね。以前、オクルスのままそれを行ったら否定されました」
オクルスがニッコリ微笑む姿を思い浮べ、サニードは確かに逆に不気味に感じるだろうと思う。
「確かに大人の男がハッキリと笑うのってあまりないね。爆笑してるのは見たことあるけど」
「爆笑するのは最も難しいですね」
「今ならできるんじゃない?」
微笑んだままのオレシアの口がクイッと三日月の形になる。
「シッ! ヒッ! シッヒッ! ヒッヒッ!!」
歯列から息を吐き出して、まるで痙攣したように笑うのにサニードだけでなく、周囲に居た人々もギョッとする。目元だけが涼し気な笑みを湛えているだけにチグハグな奇妙さが際立っていた。
「……うん。その姿の時は声出して笑わない方がいいかも」
「……そうですか」
オレシアは元の無表情へと戻ると、帽子を被り直したのだった……。




