052 付加価値
(およそ4,700文字)
サニードは俯いたまま帰り道を辿り、色々と考えを巡らせていた。
「……でも、本当にどうしよう。オクルスに止めてと言っても聞いてくれるわけもないし」
仮に説得するにしても、サニード自身が根拠に乏しいと気づいていた。多数の悪魔を悪事に使うという確信はあったのだが、果たしてどのようにかと問われたら答えられないし、そんな状態ではオクルスは聞く耳すら持たないだろう。
「うーん。誰か相談できる人いないかなぁ……」
真っ先にウェンティの顔が思い浮かび、サニードはバスケットの中のグリンを見て、「ウチは何やってんだか……」とバツが悪そうにした。
「悩み事かい? 俺でよけりゃ聞いてやるぜ」
背中から低い男の声がした。
「え?」
バスケットを持っていない方の手首を取られ、振り返る間もなく背中側に拗られる。
サニードは抵抗しようとしてバスケットを地面に落としてしまった。
「痛い! 離せ! 離せよ! なんだよ! 誰だよ!」
横目に相手の顔を見やると、獰猛な狼のような目に睨まれてサニードは背筋を凍らせる。
「ヴァルディガ!」
「ヴァルディガ“さん”だろ? 躾がなってないな」
「あぐうっ!」
さらに手首を捻じられ、肩に走る激痛にサニードは前屈みになって苦しむ。
(グリン! グリンを見られるわけには……)
サニードは落ちたバスケットの方を心配するが、ヴァルディガは特にそちらを気にする感じはなかった。
「な……んだよ。いきなり。ウチに何の用だよ……」
バスケットの方に意識を向かわせないよう、サニードは強がって話し掛ける。
「用……? ああ、そうだな。新しい御主人様と仲良くやってるか気になってね。紹介した手前さぁ」
サニードにもそれが取って付けたような理由だと気付く。
そして、なぜかヴァルディガの力が弛んだので、サニードは咄嗟に拘束から抜け出す。
「逃げねぇのか?」
サニードはそのまま走って逃げようとして立ち止まり、警戒したままヴァルディガの方に向き直った。
「ま、賢明だな。俺から逃げられるわけがないからな」
「さっさと逃げよう」とサニードの本能はそう言ったのだが、バスケットの中のグリンを置いて行くわけにはいかないと理性が止める。
「こんな道のど真ん中で……」
サニードは周囲を見回す。まだ日の位置は高い。人の往来は多く、成人した男と少女の剣呑なやり取りに怪訝そうにしている。
「忘れたか? 俺はこの町の警備責任者だぞ」
ヴァルディガはニヤッと笑って腕を組んだ。
「おら! 見世物じゃねえぞ! とっとと行け! 娼婦への職質だ! めずらしいもんじゃねぇぞ!!」
少し離れたところでドゥマがそう周りに威圧を掛けていた。
町の人々は“娼婦”という単語に、サニードを憐れむような目で見て、「ああ」と得心がいったような顔をしてそそくさと足早にその場を離れた。
(クソ! 娼婦ってのはそんなに悪いことかよ……)
この場にトロスカルがいたとしたら、「堂々としな! この町で合法的に稼ぐことのなぁにが悪い!」と啖呵を切ったであろうとサニードはそう思った。
「少し話がしたいだけさ。別に拒否してくれてもいいぜ。その場合は、しょっぴいて牢屋に入れることもできるしな」
ヴァルディガは、腕を圧し折るジェスチャーをしてみせる。
「ま、あんなカビ臭いところで、腐った芋のスープを飲むくらいならよ、お日様の下で少しばかりお喋りした方がお利口だ。お前の御主人様も余計な金を払わずに済む」
「金を払うってなにさ?」
「保釈金って知らねぇか? 牢屋から出るにも金が掛かるんだよ」
ヴァルディガが投獄の仕組みについて話す中、サニードは別のことを考えていた。
牢に入れられたことをオクルスがどう考えるかは分からなかった。これ幸いと「取引が終わるまで預かってくれ」と言いかねないし、そうなればヴァルディガの思うつぼだろう。
「取引に……ウチが邪魔になるから?」
「あ?」
ヴァルディガは片眉を上げ、それから鼻で笑う。
「何を言ってんだ、お前? 取引を有利にするためにお前をわざわざ娼館から引き抜いたのは俺だぞ」
まるで値踏みでもするように、ヴァルディガはサニードを上から下まで見やる。
「俺にとっても、オクルスの旦那にとっても、取引に多少の影響はあったとしても、“邪魔になるほどの価値”はねぇよ」
「ウチは無価値なんかじゃない!」
サニードが怒ったのに、ヴァルディガはヒューと口笛を吹く。
「……そうだな。オクルスは、“なぜか”お前に目をつけた。“どうしてか”興味を惹く、そんな“何か”があった」
含みを持たせるようなヴァルディガの言い回しに、サニードは冷静さを取り戻す。
「……それは、ウチが“名器”だから……うっ!」
笑って誤魔化そうとしたサニードの細い首を、目にも止まらぬ素早い速度で伸びたヴァルディガの手が掴んで側の外壁の方へ押し付ける。
「あんまり舐めんなよ」
ヴァルディガは口元こそ緩んでいたが、その鋭い目は少しも笑っていなかった。
「お前が情婦じゃないことは分かってんだ。ましてやあの男にとっちゃ、お前はなんの価値もない」
反論したかったが、喉を強く押さえつけられているせいで声が出ない。
ヴァルディガがその気になれば、サニードの細い首を圧し折ることなんて容易いだろう。
抵抗は無駄だと力を抜いたサニードを見て、ヴァルディガは「それでいい」と髪を掻き上げる。
「……だがよ、世間様の見方は違う。今もさ、実際にはガキをイジメてるだけだが、この町の人間には『問題を起こした娼婦が懲らしめられている』って認識になるわけさ」
ヴァルディガが冷たい目で辺りを一瞥すると、目の合ってしまった通行人は慌てて顔を伏せて去って行く。
「ここでお前を殺しても、せいぜい酒場で俺の名前が悪く語られるくらいさ。だから、死にたくなきゃ言えよ。お前は罪与の商人の何を掴んだ? なんか弱味があんだろ? そうじゃなきゃ、お前を抱えておく理由も意味もねぇ」
これは「脅しじゃない」と、サニードの目の奥を覗き込みながらヴァルディガは言う。
その時、サニードの目の端に映ったのは、バスケットからモゾモゾと這い出すグリンだった。
(ダメ! じっとしていて!!)
「……誰にも言わねぇ。俺とお前だけの秘密さ。もちろん、旦那にもお前が喋ったなんて言わねぇよ。五体満足でおうちに帰してやる。な? 悪い話じゃねぇだろ」
サニードが目線をキョロキョロさせているのは、恐怖からか、もしくは思案しているせいだと思ったヴァルディガは薄く笑う。そして力を込めていた指をゆっくりと離した。
解放されたサニードは喉を押さえて咳き込む。
「どうだ? 話す気に……」
「ペッ!」
ヴァルディガの頰に唾が掛かった。
「こ、殺すならさっさと殺せ。ウチを殺してみろよ……」
周囲を警戒していたドゥマが真っ青になる。
「て、テメェ! アニキの顔に!」
「すっこんでろ、ドゥマ」
「だ、だけどよ!」
「うるせぇ。こんなことでギャーギャー喚くな。器が知れるぞ。向こうへ行け」
ヴァルディガはドゥマを追い払う仕草をすると、手袋で顔の汚れを拭った。
「サニード・エヴァン。なかなか勇気があるじゃねぇか……。肝っ玉はシャルレド並だな。気の強い女は嫌いじゃねぇよ」
「あいにく、ウチはあんたが大キライだ。誰が話すもんか。あんたみたいなヤツに……」
「まあ、そうだろうな。そこには期待してねぇよ。これで話せばめっけもんだと思っただけだ」
サニードは困惑気味にヴァルディガを睨む。
「オクルスに……」
「このことを話すか? いいぜ。話せよ。それで取引が破談になったとしても構わねぇよ」
「……意味分かんない。何がしたいんだよ?」
「そうだな。この話がご破算になったとしたら、俺を怒るかねぇ?」
「怒る? は? 何言ってんの?」
ヴァルディガはしばらく空を見やり、フゥーと上に向かって息を吐いた。前髪がそよぐのを見て、馬鹿馬鹿しいとばかりに頭を横に振る。
「……なんでもねぇ。忘れてくれ」
「?」
「それよりも、だ。お前のことは調べさせて貰ったよ。エヴァン郷のサニード」
白銀の目が大きく見開かれる。
「ウチを調べた? 何を?」
「そりゃ色々さ。エヴァン郷にはヒューマンは立ち入れねぇし、調べられることは限りがあるが……昔話なんかはチラホラと風の噂でね」
警戒を強めるサニードの肩を、ヴァルディガはポンポンと軽く叩く。
「お前は今まで通りにしてていい。オクルスの味方をしな。今日、話しかけたのは情報を貰うためじゃない。むしろ、お前に教えてやるためさ」
「え? 教えてやる……って、どういう意味?」
ヴァルディガはニヤリと笑う。
「いいか。どんな宝石でもその価値が分からねぇなら石ころのまんまだ。だがな、お前みたいなミソッカスのガキでも付加価値がつくことがある」
「何を言ってんだかさっぱり……」
「いいから、向こうの通りを見ろ。今からお前に価値を付け加えてくれるものが出てくる」
(そんなことよりグリンを……)
「ほら、余所見すんな。あっちだ」
ヴァルディガの指差す方向を、サニードは胡散臭そうに見やる。
「冒険者ギルド……?」
通りの向こう側にあったのは、サニードがこの町に最初に来た時に入った建物だった。
「あそこがなんだって言うんだよ? レンジャーの知り合いなんていないよ」
「いいから。黙って見ていろ。今から出てくる、そいつの顔をよーく見ろよ」
そして、サニードは冒険者ギルドから出てきた人物の顔を見て──
□■□
扉がノックされる音を聞いて、窓辺に佇んでいたオクルスはゆっくりと玄関の方を見やる。
サニードならばノックなどせずに入って来るだろう。これは何事かと思案していると、再びノックされた。
オクルスの視線が下に降りる。ノック音の位置はかなり下側からだった。それも地面すれすれの所だ。
「……敵意はない、か」
相手の気配を探りつつ、オクルスは周囲を見回して結界が壊されていないことを確認してから扉に近づく。
「グリン?」
扉を小さく開いて入り込んで来たのはグリーン・スライムだった。同化していないのでオクルスには“仲間”だと感知できなかったのだ。
「サニードは? 一緒ではない?」
グリーン・スライムはそれに答えるような知性を有しない。単独でも帰ってきたのは、単なる帰巣本能からだ。
しかし、オクルスはグリーン・スライムの先に気配を感じて扉を大きく開いた。
「サニード?」
グリンを抱きかかえていないことに加え、まるで幽鬼のように扉の前に立つサニードを見て、さすがのオクルスも違和感を覚える。
「……何か問題が生じましたか?」
オクルスは全身のセンサーを働かせて探るが、サニードが誰かを連れて来ている形跡はなかった。
「……ねえ、オクルス」
「……はい?」
「ウチは行く」
「行く? ……どこへですか?」
「ルデアマーの本家に」
そう言い切ったサニードの目は、決して揺るがない意思を示していた。




