004 商談と欲望
(およそ5,000文字)
何人もの人間が、品物が山盛りになった台を前にして、大声で何事かを言い合う。
物を示し、指を立て、首を横に振り、そしてまた指を立て、ややあって今度は頷いて見せた。
それから、なにやら硬質な金ピカに光るなにかを手渡し、山盛りの中の物を大事そうに抱えて持って帰る。
「…また来てますぜ」
奥のバンダナを額に巻いた男が、不快そうな顔で囁いた。
「ああ?」
「ほら、あの木のとこに…」
「まあ、悪さしてるわけじゃないんだ。放っておきなよ」
男の隣に居た女は、チラッと視線をやっただけで、肩をすくめてから、向かいにいた別の男に「まいど」と言って、今度は銀ピカのものを向かいの相手に手渡す。
どうやら役割り分担のようなものがあるらしい。
「…でも、客が怖がりますぜ」
「ビビってんのか? 情けないわねェ」
「いや、あんなんワンパンですよ。けど、攻撃もしてこないで、ただ居るだけなんて不気味じゃねぇですか…」
女はフウとため息をつく。
「なら、本人に聞いてみればいいでショ」
「ええ? 聞いてみればって…会話なんかできるわけねぇでしょ。いくら魔商様でも…」
「やってみなきゃわかんないわよォ」
女はかぶっているマギハットを男に手渡し、長いピンク色の癖毛を撫で付けると、木陰の方へやって来て見下ろす。
「なぁに?」
話しかけられるとは思わなかった。
「んー? アタシらがやってることが不思議なのかしらァ?」
言葉の意味はわからなかった。ただ“それ”が自分に向かってなにかを問いかけているというだけは認識できた。
「コレに興味があるのォ?」
女は硬質な金ピカをヒラヒラと揺らして見せる。眼の部分に相当する“核”が、釣られてその動きに合わせて揺れた。
これはなんだろう? という気持ちが奥底から湧いてくる。
「これは“お金”よ」
“オカネ”…この金ピカの物はそう言うのか、と思う。
「そんなゲル状の生き物に、そんなことわかる知性なんてあるわけがないですよ」
「そんなのは人間側の常識でしょ。魔物ってのは、変異種がよく出てくるもんよ。この子はもしかしたら……」
□■□
依頼人が来るまで部屋に籠もっていてもよかったが、オクルスは極力、1階の酒場に居るようにした。
理由としては情報を手に入れるためもあったが、“食事するタイミング”がなかなかつかめなかったからだ。
本当に必要な食事はこの国に来る前にすでに済ましているし、彼のエネルギーは他の多くの魔物と同じく、魔力の欠乏こそが問題なのであって、通常の活動するだけだったら数ヶ月は摂食を必要としない。
以前に泊まった宿で、一切の飲食をしなかったことから不審がられたという苦い経験があった。
だが、酒場にいれば誰かしらが食事をしているのを見計らい、その人物の食べているものを指して「あれと同じ物を」と言えば済むのだ。
1日に2回か3回、人間はそれをやらねばならないということだけはオクルスは理解していた。
ただ煩わしいのは、時折に話しかけてくるレンジャーが居ることだ。彼らはオクルスを旅の行商と見るや、「なにを売ってるんだい?」とお決まりのセリフを投げかけてきた。掘り出し物の武具でもないかと思ってのことだろうが、いま手持ちに売れるものがないこと、基本的に大口の顧客しか相手にしないと伝えると、「なんだぁ」とつまらなそうに離れて行く。
日が落ちて、必要性のない物を“溶かした”頃、ようやくそれらしい風体の人物が入ってきた。
歴戦の勇士なのだろうと想起させる、刀傷だらけの古びた胸当て。ややくたびれてツヤの消えた革手袋に深靴。腰に帯びた、他の装具に比べると手入れの行き届いた長剣。
年の頃は30代半ば程。しかし、年齢以上に落ち着き払っていて、自分の腕に相当な自信があるのだと窺われた。
扉をくぐりしなに、店主に向かって酒をオーダーし、左右に連れた部下たちに適当に座れと命ずると、迷う素振りもなくオクルスの前へとやって来る。
「よお。待たせて悪かったな。ミスター・オクルスだな?」
「ええ。そうです」
「ヴァルディガ・キールロングだ。ルデアマー家の…ペルシェの警備責任者をしている」
「兵団長とお聞きしましたが」
「その肩書はあんま好きじゃなくてね。
おい。俺の顔が見えねえのか? こっちが先だろ! この旦那にもだ!」
さきに部下の方へ向かおうとしていたウェイトレスが、慌ててこっちへと向かって来る。
オクルスはなみなみと注がれたジョッキを見て、ヴァルディガに気取られないほどの小さな声で「またか」とため息をついた。
ヒューマンと交渉するのは初めてじゃない。だが、毎回といっていいほど、彼らは話し合いにアルコールを欲するのだ。
「それで、だ。前置きはいらねぇ。さっそく交渉したい」
「私はべイリッド・ルデアマー様に呼ばれたのですが…」
「いま前置きはいらねぇって言ったばかりだろ。俺がこの件は任させられている。信用できないってならこの話はなかったことになる」
オクルスは無言のまま指を突き合わせる。それを同意と見たのか、ヴァルディガは話を続けた。
「こっちの条件は3つ。1つは人型であること。もう1つは最低限の命令を聞く知性。3つめは…当然の話だが、他言無用って点だ」
「3つ目の点は問題ありません。こういう商売をしているわけですからね。ご安心下さい」
「まあ、そうだろうな」
「残りは2つは……。人型には幾つか心当たりはございます。しかし、知性がある者となるとなかなか難しいですね」
「言っとくが、土鬼や屍鬼、腐人は論外だぜ」
「……なれば、人狼か影人はどうでしょう」
「レベル帯は?」
「20前後のものならはすぐに用意できます」
「低すぎる。最低でも30か40レベルは欲しい」
オクルスは眼を細める。
「失礼ながら、いささか過剰戦力では?」
ヴァルディガが頬をひくつかせたが、「続けろ」と促す。
「この町の冒険者ギルドの平均レベルは25前後。レッドランクのレンジャーで35くらいではないでしょうか」
「俺はそこら辺のレッドランクよりも強い」
“ならなぜ魔物を必要するのか?”とは聞かない。顧客の事業を聞くのは最低限の事柄だけだ。
「そうだ。上位悪魔などはいないのか?」
オクルスは小首を傾げた。
「グレーターデーモン…ですか? あれらの最低レベルは50台からです。悪魔族は…」
「自分よりレベルが低い相手とは契約しない、か?」
「……よくご存知で」
悪魔族は知性こそ高いが、その分だけ扱いが難しい種族である。
「ただ方法はあるんだろう? でなければ商品として扱う以上、自分よりレベルの高い魔物をどう手懐けるってんだ?」
「確かにそうですね。“制約の腕輪”という魔力アイテムがあります。それを使えば…」
「制約の腕輪か。それがあれば言うことを聞かせられるんだな? なら、話が早い。そいつも一緒に用意してくれ」
「……簡単に仰って下さいますね」
「できないのか?」
「いえ、できますが。上位悪魔と、魔法のアイテムとなると…そこそこ値が張りますよ」
「構わん。金は言い値で用意するつもりだ」
金額交渉をしてくるとばかりに思っていたオクルスは少し拍子抜けした。
「……グレーターデーモンは1体でよろしいんですか?」
「いや、100体だ」
「100体? …なにかの冗談で?」
「冗談で言っているように見えるか?」
ヴァルディガは前のめりになって凄みを利かせる。
「その制約の腕輪ってのは、1匹にしか効果がねぇのか?」
「いいえ、単一の契約下にある魔物が相手でしなら数に決まりはありません」
「なら、他に問題が?」
「数体でもこの国を滅ぼすに足る戦力です。そんなものを本当に要するのですか?」
「国を滅ぼせる力があれば、それは簡単に国を手に入れられるってことさ」
「…なるほど」
予想していた答えだけに、オクルスは特段驚く素振りを見せなかった。魔物を欲するということは往々にしてそういうことなのだ。詳しく聞いてもいいことはない。なによりもそれ以上は聞くなと、ヴァルディガの目が言っている。
「しかし、100体は難しいですね」
「何体ならいける?」
「……50体ならばなんとか」
「まあ、それでもいいか」
「用意するまでには少し時間がかかりますね」
「どのくらいだ?」
「10日ほど見て頂ければ…」
「わかった」
「それと…」
「まだなにかあるのかよ?」
ヴァルディガはウンザリした様子を見せる。
「お支払いの方なのですが…」
「おおっと。肝心なことを忘れてたな。アイテムの分も含めて、そうだな…。10億Eでどうだ?」
イロ豆を口に放りつつ、ヴァルディガはさらっと言う。
「足りないか?」
「……いいえ。妥当かと」
「ならもっと嬉しそうにしたらどうだ? 目も眩む様な大金が手に入るんだぜ?」
ヴァルディガは、からかうように下品に手を叩く。
「…それとも、こんな小国の貴族がそんな大金を持ってるのかと怪しんでるのかい?」
「そうですね。不思議とは思います」
声の感じから、嘘を言っているようには見えないとオクルスは思う。
「ハッ! 安心しろよ。踏み倒しゃしねぇ。あるところにはあるもんさ。…ルデアマー家はつまんねぇ豆作りだけで稼いでんじゃねぇ。傭兵の派遣とか手広くやっててな」
「そうなのですか…」
「疑わしいのはお互い様だ。そっちこそ、どうやって魔物を調達するってんだよ?」
「……狩人から買い取ることもありますが、専属の育種家や調教師が取引相手におりますので。ただ悪魔種となると、扱っている者も少ないですね」
「だから時間がかかるというわけか」
オクルスは首肯する。
「こんな依頼は始めてか? 難しい部類かい?」
「悪魔を求められたお客様はいらっしゃいますが、さすがに100体はないですね。難易度で言いますなら、難しい方でしょう。不死鳥を見つけて来いと言われるよりは簡単とは思いますが」
「ハハッ! こりゃ傑作だ! 伝説の魔物か! 10億じゃとても足りないな!」
ヴァルディガは面白そうに自身の膝を叩く。
「……さてと、つまらない話はここで終わりだ。アンタ、魔物以外にも奴隷とかは扱ってないのかい?」
「奴隷…ですか?」
「ああ」
ヴァルディガがパチンと指を鳴らすと、部下がそそくさと動き出して入口の方へと向かう。
そしてすぐに、ヒョコヒョコと奇妙な足取りをした小太りの小男が出てきて、それに引き連れられるように女たちが入ってきた。皆、派手な化粧をして、胸や太腿を強調させるような扇情的なドレスをまとっていた。
他の客たちは眼を丸くして、ゴクリと息を呑むようにし、店主は軽く頭を横に振った。
示し合わせたかのように、小男と女たちは1列になって、オクルスとヴァルディガの席の横に並ぶ。
「…これだけか?」
「は、はい! ヴァルディガ様!」
ヴァルディガが不満そうに顔を歪ませると、小男がハンケチで顔の汗を拭いながら何度も頷く。
「俺は店の女、全部呼べったよな」
「こ、これで全部でございます…」
「10人ぽっちもいねぇじゃねえか…」
「その、ベイリッド様が…」
小男が言いにくそうに名前を出す。
「? ああ。そういう事か。チッ。閣下もしょうがねぇ人だな。喪中に宴なんて…って、そんなこと言ってられねぇか。人の事は言えた話じゃねぇしな」
ヴァルディガが手招きすると、女たちの中でも慣れた様子の、豊かなウェーブのかかったスタイルの良い女と、勝ち気な眼をしたベリーショートの女が席に近づき、ヴァルディガは嬉しそうに2人の細い腰を掴んで愛撫しだす。
「ミスター・オクルス。商売人とはいえ、売るだけじゃなく買うのも嫌いじゃないだろ? 俺からのほんの御礼の気持ちだ。奢ってやる。好きなのを選びな」
下卑た笑みを浮かべ、ヴァルディガはそんな事を言う。
女たちは一斉にオクルスに対し、色目使いを向けた。
(選ばれた者が報酬を得るのか。興味深い)
オクルスが魅かれたのは、商売としての仕組みだけだった。
魔物の中でも、俗に亜人と呼ばれる土鬼や豚人ならばそういった欲望も抱いたであろうが、オクルスは人間族に対してそういう欲求は抱かなかった。
「どうした? なんなら全部だっていいんだぜ」
ヴァルディガがそう言うと、女たちは笑って矯声を上げる。
(面倒なことだ…。さて、上手いこと断らねば)
なるだけヴァルディガの機嫌を損ねぬように、やんわりとした断り文句を考える。
「私は…」
オクルスはそこまで言って、一番奥に居た女を見て目を見開いた。
「……ならば、その娘で」