032 猫女と犬娘の脱出作戦②
(およそ5,000文字)
若干の性的描写や百合表現があります。
「なあ、元気出せよ」
「あ、ああ…」
シャルレドを案内した若手がひどく落ち込んでいるのを、その同僚が慰めていた。
「あとは事が終わって、お会計して、はいサヨーナラだろ。もうちっとの辛抱だって」
「そうだな。もう、これ以上はなにも起き…」
「ウッギャアアアッ!!」
女性の叫び声と共に、ドガンッ! と、さっき入口で聞いたような音と共に、個室の扉が外れ壊れて廊下にとブチ当たる。
「な、何事!?」
男性スタッフだけでなく、廊下にいた客や嬢たちもびっくりした顔をしていた。
「な、なんなんだ! このクソ店はぁ!!」
壊れた扉から出てきたのは、ほぼ裸の女性…シャルレドだった。
キャッティ特有のしなやかで、束ねた鋼のような美しい筋肉美に思わず目を見張りそうになるが、今はそんなことよりも腰に巻いたタオルについた、おびただしいまでの赤…ポタリ、ポタリと床を濡らすそれは紛れもなく血液であった。
(まさか、お客様に怪我をさせた!?)
太腿から義足にまで垂れる鮮血を見やり、若手はサーッと自身の血の気が引くのを感じる。
「イッテエェェェッ!! マジで信じらんねぇ!! この雌犬がァァァ!!」
シャルレドは怒り狂い、自分の居た部屋に向かってなにやら罵声を繰り返す。
「お客様! い、いったいなにが…」
「テメェらはどーいう教育してんだァ!?」
「な、なにか不手際が…」
「不手際だぁ!? 不手際なんかで済むか! アレを見てみろ!!」
「アレって…ハァッ?!」
シャルレドが指差す部屋を見て、若手はその場で気絶しそうになった。
部屋の中は血が飛び散り、生き物でも解体してたのかと聞きたくなるぐらいに凄惨な光景が広がっていた。
そして半ば血の海と化したベッドの上で、生気のない淀んだ瞳をし、狂気の笑みを浮かべている全裸の女コボルト…チルアナが居たのだ。
「お、お前は…」
「エへへへ、待って下さいよォ…」
血で汚れたシーツで胸元を隠しつつ立ち上がるチルアナを見て、若手は言いしれぬ恐怖を感じて思わず後ずさる。
「お前はいったい…お客様になにを…?」
「いやー、入るかなぁ…と、思ってェー」
「入るってなにが……ハオオォッ?!」
若手はチルアナが手に持つ物を見て驚愕の声を上げた。
それは空になった酒瓶であり、底にたっぷりと血の塊がついていたのだ。
それとシャルレドの血に塗れた脚を見て、なにに使ったのか、若手は察したくもないのに、職業柄のせいか瞬時に察してしまった。
「ふざけんなァ! いくらアアシでもそんなん入るかァァァッ!!」
「エーー。徐々に慣らしていけばァ、イケますよォー」
酒瓶についた血をペロリと舐めるチルアナを見て、シャルレドはブルリと震える。
「どう責任とってくれんだ!? 嫁入り前だってのに、こんな“キズモノ”にしてくれやがってからに!!」
「え!? な、なんで僕!?」
シャルレドに胸ぐらを掴まれ、若手は半泣きになる。
「オマエが案内した女が、アアシにこんな残酷なことをしやがってんだにゃ!! 落とし前つけてくれんにゃよな! こんなんじゃ嫁の貰い手がねぇ! オメェがアアシと結婚して、一生面倒見て、死ぬまで養うくらいはしてくれんのよにゃぁー!?」
彼は自分がキャッティの尻の下に敷かれて、艱難辛苦の生活する様を描いて絶望する。
殴られ、蹴られ、晩酌のための酒を買いに行かされる日々が容易に想像できた。
「こりゃ一体なんの騒ぎだい!!」
シャルレドの声に負けない、野太い声が廊下に響き渡るのに、若手は目に希望の光を宿す。
「トロスカル教官…!」
「“メンター”ってんだろ! 何度言わすんだ! ブチ殺すわよ!!」
鬼のような怒声の迫力に、若手はビビると同時に頼もしさを感じる。“彼女”ならこの問題を解決してくれるに違いない、と。
「……それでなにがあったってんだい?」
「じ、嬢が、お客様に乱暴を…」
「乱暴だぁ?」
「そうだ! 見ろにゃ! この有り様を!!」
シャルレドは股を開いて、パンと両太腿を叩いて見せる。
「ああん? チルアナ?」
トロスカルは、部屋から顔をのぞかせるチルアナを見て怪訝そうにする。
「この娘は“お相手”じゃないのに、どうして客室にいるってんだい?」
「そ、それが…こ、こちらのお客様がコボルトをご所望されまして…」
若手は戦々恐々としながら説明する。
「……そんで、アタクシの許可もなく、チルアナを連れ出したってぇのかい」
トロスカルの額に青筋が立ち、静かな怒気が溢れる。
若手は必死で言い訳を考えるが、そんなこと聞く気もないとばかりにシャルレドの前に立つ。
「手当が必要そうだね? お客さん」
「必要ないにゃ。自分でできる。それよか責任にゃ! どう責任とってくれるにゃ!?」
「……その娘は雑用係さね。客を取る教育は施していないわ」
「そんなことアアシの知ったこっちゃないね!」
「まあ、それもそうだね。用意したこっちに落ち度があるって言い分はもっともだわ」
若手は真っ青になって膝をつく。チルアナを案内した責任を痛感しているのだ。
「だけど、この娘を選んだのもアータだわ」
「詭弁にゃ! 客に責任を転嫁させるのがこの店のやり方か!?」
トロスカルは、シャルレドとチルアナを交互に見やる。
「……なにがお望みなんだい? 金か?」
「金だぁ? 金なんかで、アアシの気は晴れにゃいわ!」
「土下座でもしろと?」
「ハッ! オマエの安い頭を地面につけたところでなんになるにゃ! そんなら、このクソ店たためにゃ!」
「それは過ぎた要求じゃないかい?」
「それもダメなら、この娘の身柄にゃな! 仕返ししにゃいと、アアシの気がすまないね! 売り物にならないくらいズタボロにして、奴隷市場で二束三文で売り払ってやるにゃし!」
トロスカルの眉がピクリと動く。
「……そう。なら、アタクシがここでお客様の前で半殺しにして、その娘に責任をとらすってのはどうかしら?」
それを聞いたチルアナが真っ青になり、脚をカタカタと震わせる。
トロスカルの二の腕が盛り上がり、拳がキギッと凄まじい音を響かせた。
この鉄拳が、何人ものクレーマーをワンパンで沈めるのを見てきた男性スタッフも恐怖に慄く。
「……それ、アアシがやらなきゃ意味ねぇだろ」
シャルレドが目が据わり、わずかに腰を落とす。
「怪我人のする構えじゃないね…。それにまるでアータはチルアナを守るようじゃないかい」
「キャッティは獲物を横取りされるのを嫌うにゃ」
両者、一触即発の剣呑な雰囲気が漂う。
「…ったく、あーもう! シラけたわ。いまどう見ても、アタクシが悪者に見えるじゃない。美しくないったらない!」
トロスカルは力を抜き、大きく舌打ちしてから、チルアナをもう一度見やる。
「……ヴァルディガの糞餓鬼の絡みかい」
「……ベイリッド一味に報告するにゃ?」
「この店になんの得があって? ご執心の泥棒猫が入りましたよって、わざわざアタクシが教えてやんなきゃいけない理由があんのかい?」
「……見かけと違って話がわかりそうなヤツにゃ」
シャルレドはニヤッと笑う。
「それで、チルアナ。アータの本心はどうなんだい? 雑用係でも、うちの娘はうちの娘…立場的に、アテクシにはアータを守る義務があるけど」
チルアナはそっとシャルレドの腕を掴むのを見て、「ますます美しいじゃないかい」とトロスカルは口元を一瞬だけ笑わせる。
「…だけど、チルアナの所有権はオーナーが持っていてね。アタクシの一存じゃ決められない」
「あ? なら…」
「だから、聞いてみようじゃないかね」
そう言うと、トロスカルは大きく息を吸い込む。
「クズリィィィッ!!! どうするゥゥゥーッ!!? こそこそ隠れて聞いてんだろーォォォッ!!! アータのモンを! 貰って行きてぇそうだァァァーッ!!! 文句あんならァァァ!! 顔を出しなさぁいィェァァァッー!!!」
爆音のような声量に、廊下や窓がビリビリと震えた!
「…うるせぇ!!! み、耳がおかしくなる! まるで大砲にゃ!」
シャルレドとチルアナは耳をペタンと倒し、他のスタッフたちは耳を抑えて呻く。
「……んー」
トロスカルは首を左右に傾げ、それから心の中でたっぷり5秒を数える。
「……どうやらオーナーに文句ないみたいだね。チルアナの件はアータに任せるわ。連れて行きたきゃ、好きにしな」
「気前いいにゃ。礼を言うよ」
シャルレドは、チルアナに着替えるように促してそう言う。
「賊に礼を言われる筋合いもないわ。強い女だから気に入ったってなだけの話よ」
「そうか。オマエも強い男…じゃないな、強い女だにゃ」
「……でも、聞いてた話と随分と違うねぇ」
「聞いてた話?」
「アータのことよ。『ありゃ、俺の女だ』、『冒険者時代はヒィヒイ言わせて愉しませてやった』…って話をしていたかと思ったんだけどねぇ」
誰が言ってるのかすぐに理解したシャルレドは、眉を寄せて、廊下に唾を吐き捨てる。
「あんな自分の髪ばっか弄くって、股間も洗わねぇクセェ男と寝たことなんて一度もにゃいわ!」
「ハッ! だと思ったよ。…ま、せいぜい頑張りな。アタクシは女の味方だからね」
「変わったヤツにゃ」
「見てみな、ここの男共をさ。こんだけ頭数いても、なにひとつできやしない。普段は偉そうなことばっかり言ってるくせに、言葉に行動が伴わない…フニャフニャなヤツらばっかさ」
トロスカルにギロリと睨まれ、男性スタッフは縮こまる。
シャルレドも手早く衣服を身に着け、サーベルを突いて歩き出すのをチルアナが手伝う。
その姿を見て、なぜかトロスカルは「う、美しい…」と呟きズズッと鼻をすすった。
「さあ! ここから旅立つ、そんなイカした女たちに蘭芙庭からエールを送るわよッッッ!!!」
「は?」「え?」
トロスカルが、シャルレドとチルアナに向けて、応援団がするように真っ直ぐに前ならえをする。
「女は強いッッッ!!!」
爆音が再び響き、シャルレドとチルアナの耳が再び倒れる。
「はいィィィッ!! 唱和ァァァッ!!」
「「「女は強いッ!」」」
客室が一気に開き、嬢たちが一斉にトロスカルに続いた。
「な、なんだこれは! 最中に客を馬鹿にするにも程があるぞ!!」
「うるさぁーいッ!!! たかが客の分際で黙っとけェェェッッッ!!!」
「ひ、ヒィィィッ!」
怒った全裸の客が顔を出したが、トロスカルの圧に負けて腰を抜かした。
「女は強いッッッ!!! 女は凄いッッッ!!! はいィィィッ!!」
「「「女は強いッ! 女は凄いッ!」」」
どこからか持ってきた笛で、三三七拍子の調子で繰り返す。
「わ、わけんからんのにゃ…」
「え、ええ…」
なんだか気恥ずかしく、歯の裏側がムズムズする感覚に苛まれつつ、シャルレドとチルアナはそそくさと2階から逃げるようにして降りて行ったのだった。
「……嗚呼。美しいふたり。そして、それを全力で見送るアタクシも美しい!」
恍惚の眼差しで、シャルレドたちが降りて行った階段を見やるトロスカル。
「あ、あのぉ…」
「ん? あら、アータまだいたの?」
すっかり存在を忘れられていた若手を見やり、トロスカルは興が削がれたといった顔をした。
「なんか、具合が悪くなって来たので…あの、今日は早退させて…」
「は? 女たちが命懸けで金稼いでる時に、なに甘えたこと言ってんだいッ!!」
「ぎゃあッ!!」
トロスカルの平手が、若手の尻をべシンと下から叩き上げる。それだけで、飛び上がった若手は危うく天井に激突するところだった。
「さっさとその扉直して、部屋の“血糊”を落としな! 10分以内に営業再開だ! さあさ、急ぎな! お客様第一だかんね!!」
 




