030 深淵への依存
(およそ4,300文字)
お腹いっぱいになってさぁ──
屋根のあるお家でさぁ──
暖かいベッドでぐっすりとさぁ──
そんな幸せな一時を──
味わう資格が──
ウチには──
あるのかい──
それは言葉の羅列。
暗闇のどこからか聴こえてくる。
嫌味ったらしく耳障りで、とってもとってもそれは不快なもので、だけれども耳を塞いでもそれは脳に直接語りかけてくるかのようにハッキリと聴こえてしまう。
ウチにはもったいないねぇ──
とーっても、もったいないねぇ──
それを享受しても──
いいだけのことをしたのぉ──
してないよねぇ──
だって、“望まれてない”もの──
だって、“望んでいない”もの──
(やめて!)
そう叫ぶのに声は届かない。
(なんでそんなことを言うの?)
(ウチがなにをしたって言うの?)
分からない。
この声が相手に届いているかもわからない。
けれど、このままじゃとってもヒドイことになる。それだけは知っている。
だから、ちゃんと対抗して、イヤなものはイヤだって言って、ハッキリと拒否しないと──
ほら、もう両方肩を掴まれて──
「ああ。サニード。オマエは、なんで生まれてきてしまったの?」
□■□
「もうやめてッ!!!」
サニードは掛け布団を蹴って起き上がる。
「……ハァ、ハァ」
全身がぐっしょりと汗で濡れ、胸が痛くなるほど鼓動が早まり、血液が耳の先にまでジンジンと流れているのが感じられる。
サニードは見慣れない部屋に警戒して周囲を見回すが、徐々に記憶が呼び戻され、そこが昨日にオクルスが購入した家であることを思い出すと、大きくため息をつく。
「……くそっ。ペルシェに来てからは、この夢は一度も見てなかったのに。なんでまた」
そう呟いて、なにか視線を感じてサニードは顔を上げる。
扉を開いたオクルスが入口に立ち、無表情にサニードを見ていたのだ。
「……女の子の……部屋……だぞ」
自分でもゾッとするぐらいの低い声を出す。
「見れば分かります」
「ノックぐらいしろよ!!」
サニードはカッとなって枕を投げつけるが、オクルスは難なくそれをキャッチする。
「……下、行ってよ」
「なぜ?」
「いいから! 行って!!!」
オクルスは特になんの反応も見せずに扉を閉める。閉めてからすぐに階段を降りる音が聞こえてきた。
「……最悪」
サニードは自らの顔を手で覆う。
「“どうしたの?”、“大丈夫?”くらい言えないのかよ」
サニードは涙を流して、布団の上に突っ伏した。
□■□
サニードが降りて行くと、オクルスは煮立つ釜の様子を見ていた。
「……あの、さっきはゴメン。言い過ぎた」
「何がですか?」
「変な夢見て、少し気が立ってたの。枕投げつけちゃったし」
「敵意を感じた攻撃ではなかったのでお気になさらずに」
サニードは、この「お気になさらずに」が果たして本当に自分の気持を慮ってのものなのか疑問に思う。
「えーと。あー、夢ってわかる?」
「ええ。存じています。人間が睡眠中に見る荒唐無稽な物語のことですね」
「コートームケイ?」
「突拍子もない、極めて奇妙、デタラメな……現実離れしたというものということです」
「うん? そうかな……あー、そうかも。ウチの夢には……興味ない?」
「興味はありませんが、話す必要があることなのですか?」
「え? いや、話したくはない……」
「ならば、言わなくていいのでは?」
振り返りもせずに言うオクルスに、サニードは突き離されたような感覚を覚える。
「ウチ、叫んじゃったし……」
「そうですね。叫んでいましたね」
「じゃあさ、なんで部屋に見に来たの?」
そこでようやくオクルスは釜から目を離して、サニードを見やる。
「もしかしたら、死んだのかと思いまして」
サニードはズキッと胸の奥が痛むのを感じた。
(こんな夢を見た後に……そんなこと……言うかよ)
怒る、泣く、逃げる…どの選択もできず、その場で棒立ちになり、目眩と吐き気を覚える。
「朝食の準備はできています。テーブルにどうぞ」
「……一緒に来て」
サニードはオクルスの袖の裾を掴む。
「なぜ?」
「“なぜ”って言わないで! それキライ!」
オクルスは釜の蓋を閉じ、サニードについてダイニングに向かう。
テーブルの上には、黒パンとコーンスープが1人分用意されていた。
「……ウチが邪魔なら、これに毒でも盛れば一発だね」
自嘲気味に笑い、サニードは冷めきったコーンスープをスプーンですくう。
「それができないのは、メディーナが……」
「メディーナは関係ない!!」
テーブルの端を叩き、サニードは怒鳴る。
「オクルスはどうなの!?」
「私は……」
「言うな!!」
サニードは髪を振り乱し、パンとコーンスープを床に払い捨てる。
「……何をしているのですか?」
「怒れよ!!」
「なぜ?」
「ッッ! ウチは悪いことをした! あんたが作ったものを台無しにしたんだぞッ!!」
「貴女が摂食を断つのは、私にとって不都合ではありません」
「な……んなん……だよッ。それッ!」
オクルスは「食事をしないのならもういいでしょう」と立ち上がり、再び釜の方へ向かおうとする。
「待ってよ!」
「なんですか?」
サニードの呼びかけに、オクルスは振り返る。
「……え」
オクルスが振り返りざまに、パンを踏み潰し、皿を割り、こぼれているスープにも頓着しないのを見て、サニードは眉を寄せる。
(他の人がいたらオクルスはこんな真似をしない……。どうして? それは、怪しまれるから……?)
「なんでしょうか?」
(ウチが魔物だと知ってるから、“演技”する必要がない……?)
「ねえ。オクルス。右脚を上げて……」
オクルスは自分の足元を見やり、それから言われた通りに右脚を上げる。
「今度は左脚を……」
オクルスはそれにも従い、右脚を降ろしてから左脚を上げる。
「……なんでこれには、“なぜ?”と聞かないの?」
「言っている意味が分かるからです」
「そうじゃなくて、ウチの言うことを拒否すればいいじゃん……」
「拒否した場合、口論となる可能性が高い。その時間の無駄を考えれば、貴女の言うことに合わせ脚を上げる方が早い」
「ウチの言うことに従うってこと?」
「従うとは違います。許容範囲内であれば応じるというだけのことです」
サニードはジッとオクルスを見やり、オクルスもただサニードを見返す。
「……ウチを見てくれるんだ」
「? それはどういう意味でしょう?」
「オクルスにも……感情はあるよね?」
「ええ。あります」
「いま感じていることは?」
「……早くこの過程を終わらせ、次の工程に進みたいと感じています」
オクルスは釜の方を見やる。
「……そっか。ウチが教えてあげればいいんだね」
「教える? ……私のこれから作ろうとしている物を貴女は理解していないはずです」
「違うんだよ。オクルス。そういう部分をウチが教えてあげる」
サニードは椅子から立ち、オクルスの目の前にまで来る。
「……髪、乱れているでしょ?」
「ええ。先程、貴女が髪を振り乱しましたからね」
「整え直して」
オクルスは目を瞬く。
「腹が立った? なんで自分がそんなことをしなきゃいけないって?」
「いいえ。腹は立ちません。後者については、そう思いましたが……」
「許容範囲?」
「……そうですね」
「なら、交渉成立」
オクルスは頷き、サニードの横髪を直す。
「次はウチの背中に手を回して……」
「それに何の意味が?」
「許容範囲じゃないの?」
「これ以上、貴女に時間を割きたくはないですね」
「……なら、あと2つ。簡単なお願いを聞いてくれたら自由にしていいよ。どう?」
「……無価値な」
「それはOKって意味ね?」
オクルスが動く前に、サニードはその腰に飛びつく。
「そのまま優しく抱きしめて。頭を撫でて。優しくね……」
オクルスはぎこちなく、サニードの後頭部を撫でる。
「ウチ、温かい? 柔らかい? 髪はどんな感触?」
「体温は私より高いでしょう。柔らかさは、平均的な人間のものと同じだと思います。髪はサラサラとしていて滑らかです」
どこまでも説明口調なのに、サニードはクスリと笑う。
「何か感じない? オクルス」
「……何をでしょう?」
「冷たい。けど、きっとこの奥には“心”があるんだよ」
サニードは、オクルスの心臓部分に手を当てて言う。
「オクルスはきっと優しい。だから、ウチを……」
「優しさでは……」
「答えないで……」
「……」
サニードの不安に揺れる。
「いまだけ。お願い。ただ、ウチだけを見て……」
オクルスの頬に触れ、サニードは懇願するようにその目を覗き込む。
オクルスの目は底知れぬ深淵の様で、サニードは自分の心の中を覗き込んでいる気持ちになった。
「これが最後のお願い。少し屈んで、ウチの口に、口を近づけて来て……」
サニードは頬を染めたまま、下がってくるオクルスの顔へと近づき……
「ダメ! やっぱりやめて……」
オクルスの口を押さえ、サニードはそっぽを向く。
「命令してやるのは……間違っているよ。ゴメン」
オクルスは眉を寄せる。
「いま私を捕食するつもりだったのでしょうか?」
「え?」
サニードは目を丸くした後、腹部を抑えて笑い出す。オクルスは彼女が何がそんなにおかしいのかわからずに黙って見ていた。
「……2つのお願いは果たしました。作業に戻ります」
「ああ、うん……。あのさ、オクルス。言っとくね」
「……まだ何か?」
「うん。ウチ、オクルスから離れないよ」
「そうですか」
「なにがあってもね。迷惑?」
「ええ。それは、とても迷惑ですね」
オクルスは背を向けて、今度こそ釜の方へと歩き出したが、途中で立ち止まると自分の左手を見やる。
「……オクルス?」
「いえ。私には関係のない話です」
オクルスはそう言うと、軽く首を傾げて左手を払う。
「そうだ。そんな“夢の記憶”など私には関係がない」




