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030 ステュピード

(およそ6,000文字)

 家に辿り着く頃には、サニードの機嫌はすっかり直っていた。


 砂糖のついた指を舐めているのを見て、オクルスはアブダルの言っていた子供には甘い物が効くを改めて実感する。


「サニード」


「うん? なぁに?」


「外での話の続きですが…」


「もういい。オクルスは別にアブダルさんたちに危害を加えるつもりはないんでしょ?」


「私の利益を害さない限りはそうですね」


 サニードは少しだけ眉を寄せる。


「……ウチがイヤだったのはさ、オクルスが物やお金で全部を解決しようとしてるとこだったんだと思う」


「? それも理解に苦しみますね。物や金で物事を解決するのは、人間として当然のやり方では?」


「そうだけど……それって寂しいじゃん」


「寂しい?」


 オクルスは奇異なものでも見るような目をサニードに向ける。


「ウチがオクルスのやってることがよくわかんないみたいに、オクルスもウチが言っていることの意味がわかんないんだよね?」


「…そうなのでしょうね」


「……なら、わかんない同士が話しててもなんもわかんないから、もうこの話はオシマイでいい」


 オクルスは、サニードがなにを言っているのかをまったく理解できなかった。


「でも、これからもウチはイヤなことはイヤだって言う。オクルスはきっとそれに冷たいこと言うのはわかってるけど我慢する」


「我慢?」


「だから……ウチは側にいてもいい?」


 探るような上目遣いをするサニードの表情には、恥ずかしさや怒りがあるようにオクルスには感じとれる、


「……なぜ、そこまでして私と一緒にいたいのですか?」


「なんでだろ! さあね! そんなことウチにもわかんないし!」


 サニードは頬を紅く染めてそっぽを向いた。


「あ! そういえば、この釜の中って…」


 話の流れを変えるように、サニードはキッチンの大釜を指差す。


「いま茹でてるの、これが魔物の核なんでしょ?」


「そうです」


「この後、どうするの?」


「魔力を抽出し、精製して濃度を高める作業を行います」


「それがこれらの道具ってこと?」


 サニードが様々なパイプが通った巨大ビンを指差す。


「へー、これがさっきのポーター…だっけ? とかになるの?」


「そうですね。それ以外にも使い道はありますが…まあ、それも追々に説明します」


 オクルスは懐中時計を取り出して確認する。


「そろそろ食事の時間ですか?」


「え? あー、そうだね。日も落ちて来たし。夕飯だよ」


 サニードが言われるまで空腹を覚えなかったのは、ついさっき菓子を食べてしまったからだ。


「人間というのはわかりませんね。なぜ、食事が時間によって決まるのですか?」


「時間によって決まるって…?」


 奇妙なことを言い出すオクルスに、サニードはキョトンとする。


「オクルスは違うの?」


「私はエネルギーが不足したタイミングで摂食を行います」


「あー。それは人間も同じだと思うよ。お腹すく時に食べるし。それがたまたま同じ時間になるからそう見えるんじゃない?」

 

「深夜に摂食する者もいますが、その違いはなんなのですか?」


「あー。生活リズムの違いもあると思うけど、お酒とか飲む人は普通の食事とは別におツマミとか食べたりするからね」


「普段の食事とは別に? なぜですか?」


「えーっと、楽しいからかな? みんなでワイワイやったり、お話とかしたり? ウチもお酒派飲めないからそこはよくわかんないけど、お店に来る人はみんなご機嫌だったよ。しょっちゅうケンカもしてたけど」


 蘭芙庭に来た酔っ払いを思い出しつつサニードは答える。


「ほら、オクルスがウチにくれたお菓子とかもそうだよ。別に絶対に食べなきゃいけないわけじゃないけど、食べると幸せな気持ちになるんだよ」


「…なるほど。情緒を安定させるためですか」


「オクルスって、時々変なこと言うよね?」


「……サニードに言われたくはないのですが」


「へへ、でもウチはそっちのオクルスが好きだよ!」


「好きでいてもらったほうが都合がいいのは確かです」


 オクルスはそう言うと、キッチンの方へと向かう。


「食事を作るの?」


「ええ。そうするつもりです」


「ウチも手伝う!」


「結構です。時間的なものを考えると…」


「イヤだ! やるったらやるの! 弟子だもん!」


「……なら、イロ豆を炒めて下さい」


「うん! わかった!」


 オクルスは今ある材料から判断し、料理本に書かれた分量通りに計り、手順を間違うこともなく正確に作業を行っていく。


「なにを作ってるの?」


 フライパンの上でイロ豆をグチャグチャにかき混ぜているサニードが問う。


「レシピには米が必要とあったのですが、買って来た食材にはなかったので少しアレンジしています。ですから、正式名称は不明です」


 芋を茹でている間に、オクルスは卵を溶き、野菜を微塵に切る。

 塩を取って振ろうとした時、オクルスはその容器を見て目を細める。


「モフ塩…? サニード。シャムム雑貨店に行きましたか?」


「シャムム雑貨店? 行ったよ! そこでほとんど買ったの!」


「…なにか店主と話をしましたか?」


「え? なに!? いまそれどころじゃないんだけど! あ! ヤバ! 燃えてる!!」


 フライパンから大きな火が立ち上り、サニードはパニックを起こして水をぶっかけた。


「……」

  



□■□




 ダイニングテーブルの上に、真っ黒に焦げた残骸が皿に乗せて置かれる。


「なぜ軽く炒めるだけのイロ豆がこんな状態に?」


「……ちょっと失敗した」


 サニードは真っ赤な顔をしてモジモジとしていた。


「だって初めてだったし…」


「私も初めて作りましたが」


 オクルスが差し出した皿に乗っていたのは、綺麗な形をした、見るからに食欲をそそるフワトロのオムレツであった。


「オムライスのつもりでしたが、中身はマッシュポテトと他の野菜で代用しています。上に下は買っているのはトマトソースを煮詰めたものですが、ハート型にすることが異性には好まれるとあったのでそのようにしました」


 真顔のまま、絞り袋でハートを描いているオクルスはたいそうシュールな姿だったのだが、いまのサニードはそれを笑うような精神状態になかった。


「……ズルい」


「なにがですか?」


「いいから! 食べて! ウチのも!」


 ダイニングテーブルを叩き、自分が作った炭の塊を食べるようにオクルスに催促する。


「私は食べる必要がないのですが」


「うるさい!! いいから!!」


 オクルスはため息をつき、その消し炭を口にする。


「どう?」


 オクルスが口元をナプキンで拭いてると、ボンッ! と、その背中から何かが飛び出して、壁にとブチ当たる。


「へ? な、なにが起きたの…って、これいま食べたもの?」


 壁にへばりついた消し炭を見て、サニードは目を白黒とさせる。


「消化担当が、毒物と判断して排出した様です」


「ヒドイッ!!」


「私の方は結構です。さあ、食べなさい。そろそろ蘭芙庭に向う時間に頃合いですよ」


 オクルスはすっかり日の落ちた窓の外を見やる。

 サニードはむくれた顔をしたまま、オムレツを見やる。そしてスプーンを掴み、掬って一口食べる。


「…お、おいしい!!」


 目を輝かせ、物凄い勢いでがっつくように食べるサニード。

 その姿をジッと見ているオクルスと目が合うと、気まずそうに一瞬だけ目をそらした。


「くやしい! けど、おいしい! くやしい! けど、おいしい! くやしい! けど、おいしい!」


 食べながら悔しがるサニードを見て、オクルスは「忙しいですね」と呆れる。


「ごちそうさまでしたッ!!」


 口のまわりにトマトソースをつけた状態で、行儀悪く空になった皿にスプーンを放る。


「……では、行きますか」




□■□




 蘭芙庭。風俗街の中でも、夜になるとそこはまるで世界が変わってしまったかの様な違う佇まいを見せる。魔法灯により建物全体が色とりどりに輝く。この非日常的な異空間の演出も、トロスカルによる演出のひとつだ。


「やべー。なんか緊張してきた」


「……サニード。その格好は?」


「なにって、変装だよ。変装」


 サニードはウシャンカ帽に似たものをかぶり、色眼鏡をつけ、ボアコートを着ていた。来る途中に、必要だからと市場で買ったものだ。


「なぜ?」


「なぜって、元働いた店じゃん。なんか客として行くの気まずいじゃん」


「……そうですか」


「それで改めて確認だけど、まずはチルアナと話して、それからクズリのおっさんに話してから彼女を連れ出すって手筈でオーケー?」


「クズリのおっさんとは?」


「あれ? 知らない? 宿でヴァルディガにへーコラしてたチビデブハゲのおっさん。オーナー」


 サニードは手振り身振りで、クズリの特徴を示す。


「最初からオーナーと話した方が早いでしょう。客を相手していないチルアナを呼び出す手間を考えれば…」


「それじゃダメだって」


「なぜ?」


「だって、チルアナはオクルスのことを怖がってんだもん」


「なぜ?」


「なぜ、なぜって…アンタがチルアナを脅したからでしょ」


 身に覚えがないとオクルスは肩をすくめる。


「本当に商売の交渉しか興味ないんだね。

 …いきなりオクルスが引き取るって言っても、チルアナがイヤがるでしょ。そうならないように、ウチがちゃんと事情を説明してからにするの。こういうのはさ、女の子にとってデリケートな問題なんだよ」


「……くだらない(ステュピード)


「ステュ…なに? いまもしかして、ウチのことをバカにした?」


「……いいえ」


「コホン! いい? オクルスはこういうこと慣れてないでしょ? ここはウチの方が慣れてるし、芙蘭庭のことは全部わかってるから任して!」


「……ご随意に」



 店に入ると、すぐに案内役のビシッとしたスーツを着込んだ若い男が内股小走りに出迎えにやって来る。

 なぜか若干、目の下に隈ができて、顔色もひどく青白かった。


「いらっしゃいま…せッ!」


 案内役は、サニードの姿を見るなり「うっ!」と声を漏らし、それから苦笑いをする。


「申し訳ございません。お子様を連れてのご入店はお断り…」


「失礼な! ウチ…アタイは、ステディなのよ!」


「ステディ? 奥様? 愛人?」


 どう見ても親子にしか見えない2人に戸惑う。しかしオクルスが一言を発さないのを見て、それが真実なのだと案内人は思わざるをえなかった。


「いえ、それでも女性の方を同伴というのは…」


「なによ! 持ち込み女と、3人で愉しむのが彼のヤリ方なのよ! 金なら払うんだからさっさと2階に案内しな!!」


「持ち込み!? そ、そんな…」


 どれだけ変態なのだと、客だということも忘れて案内人はオクルスの顔をマジマジと見やってしまう。


「しょ、少々お待ちを。上の者に確認を…」


「待ちなさい。この店のモットーは、“お客様第一”じゃなくて?」


「た、確かにそうですが…」


「それなら、こんなところで待たせずにさっさと案内しなァ!! 金ならなんぼでも払うつーとるんだからYO!!」


「ヒイィィ! あ、案内させていただきますぅ!!」


 ネクタイを掴まれ、案内人は半泣きになって、2階への階段を封鎖していたバーを開く。


「ううッ、今日は続けてなんなんだ。あの酔っ払いといい。なんて日だ…」


 サニードはなにかやり遂げた顔をして、「仕返ししてやった。アイツ、ウチが新人だからってイジメて来たんだ」などとオクルスに小声で言う。


「では、こちらの部屋で女の子をお選び下さい…。決まりましたら、そちらのベルでお呼び…」


「いや、すぐに決まるからそこにいていいわ」


「え?」


 2人はソファーにと座り、サニードはサイドテーブルにあった指名表を取る。開くとそこには女性の姿絵があった。


「あっらー。この娘なんてよござぁせん? 胸ド~ン、お腹キュキュッ、お尻ド~ン!」


 サニードは、オクルスにしなだれ掛かりながら言う。


「ならば、その娘をすぐに手配…」


「え!? まあ! なんてことでしょう!!」


「?」「え?」


 オクルスと案内人は不思議そうな顔をする。


「他に好みの女が…ふんふん、ほー、はいはい」


「……私はなにも申…ん」


 サニードはオクルスの口を手で塞ぐ。


「なるほど! コボルトがいいと!」


「コボルト…?」


「それもフトモモがムッチムチでむしゃぶりつきたくなるような、尻尾がモフモフの、イジメたくなるよーな金髪のメス犬がいいと! さっすが、御主人様はお目が高い!」


「お、お客様。あいにくと、当店にはコボルトは…」


「いるでしょうが!! 隠し立てするんじゃないよ!!」


 サニードは、サイドテーブルに指名表をバシバシと叩きつける。


「す、少しお待ちを…」


「客を待たせる気か!! いい度胸してんなオオィ!!」

 

 案内人は逃げるようにして部屋を出て行った。


「……サニード。あまりやり過ぎると支障が生じます」


「わかってるよ。演技、演技だって」


 サニードは、オクルスの横顔をチラッと見やる。


「…ねぇ、オクルス」


「はい?」


「もし…もしだよ」


「もし? なんですか?」


 サニードは指名表を指差す。


「オクルスが自分でこの店に来たとしたら……ウチを指名した?」


「その質問は…」


 ドォーン! という物凄い音と共に扉が開き、それだけでは止まらず蝶番が弾けて扉そのものが落ちる。


 そこには全身が筋肉の塊で出来たゴリラの風貌によく似た存在が仁王立ちにしていた。

 ケツアゴの剃り跡が青白くテカリ、深い洞穴のような鼻腔からシュゴーッと勢いよく放たれる。


「うっ…。フトモモがムッチムチとは依頼したけど、全身がムッチムチなんて依頼してないんですけどォ…」


「チッ! 次から次へと! そんなチャチなもんで、このアテクシが騙せれるとでもお思い!? サニード!!」


 サニードの帽子と色眼鏡を奪い取る。


「ウチに気づくなんて…。さすが、トロスカル…ね」


「舐めるんじゃないよ、小娘! 一度、教育した娘の顔は、このトロスカル・ローション! 耄碌したとしても絶対に忘れないわ!」


 サニードは、オクルスが戦闘態勢になるのではないかとハラハラする。それだけの迫力がトロスカルにはあったからだ。


「…それで? ヴァルディガの糞餓鬼が、端金で買ってったアータが今更なにをしに戻ってきたってのよ?」


 トロスカルは、なぜかサニードでなくオクルスを見やりながら言う。


「え、えっと…ここは正直に言うべき?」


「それが賢明でしょうね。最初からそうした方がよかった」


 サニードは観念して、チルアナを引き取りに来たことをトロスカルに話す。


「チルアナ? なんだってあんな娘を…」


「友達だから!」


「友達? 友達だから買い取りたいってのかね? そこの旦那さんは?」


 サニードでは話にならないとばかりに、トロスカルは太い腕を組んでオクルスを見やる。


「……彼女は、市場で世話になった方の孫でした。手違いがあってここに連れて来られてしまったのです」


「ふーん。それで義理を立てて引き取りに来たと?」


(こんな安っぽい嘘は信じないか。面倒な相手だ…)


 オクルスは眼を細める。


「私の大好きなサニードの友人とも聞きました」


「えっ? ウチが大好き…!?」


 サニードが頬を赤らめて驚く。


「……それでも私が彼女を引き取る理由に足りませんか?」


 オクルスと、トロスカルがしばらく無言のまま睨み合う。


「……渡せないね」


「なんで!」


「金ならばそちらの望む額で…」


「勘違いおしでないよ」


 トロスカルは大きくため息をつく。


「ここにいない娘は渡すことはできないって言ってるんだよ」

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