026 はじめてのおつかい
(およそ4,000文字)
「あー、沸騰石だぁ? そんなんねぇよ」
渡された黒板を見て、道具屋のオヤジは頭を掻く。
「ええー。どこ行けばあんのォ?」
サニードがカウンターに乗り出してきたので、「商品が倒れる!」と慌ててオヤジは棚を押さえた。
「…ったく。しかしよぉ、こんなモンを欲しがるなんて錬金術師かなにかか? あと、この最後の“料理本”ってのはなんだ?」
「知らないよ! 買ってこいって言われただけだもん!」
「魔法道具屋にはあるかもだが…」
「魔法道具! そっか! それってどこ?」
「どこって…ペルシェにはねぇよ」
「なんで!?」
「おい! だから、乗り出すなって!」
「ゴメン! けど、教えて!」
「しつこいな〜。なんでって…そりゃ、こんな町に魔法使いは少ねぇしな。店出しても商売にならねぇからよ。首都ディバーにでも行ってみたらどうだ?」
「遠い! なんだよ、市場で揃うって言ってたのに〜」
「それこそこっちの知ったことかよ。商売の邪魔だよ。シッシッ!」
猫のように追い払われ、サニードはむくれたまま店を離れる。
「ないならないでしょうがないことだけれど、それで買い物も満足にできないとは思われたくないなぁ〜」
噴水の近くにあったベンチに腰掛け、黒板を見直すが、リュックの中にはまだリストの半分しか入っていない。
「おや、お嬢ちゃん。沈んだ顔してなにかお困り事かい?」
鳥に餌をやっていた老婆が声を掛けてくる。
「うん。買い物を頼まれたんだけどさ、市場で見つからなくてさあ」
「それは困ったねぇ。…でも、あなたみたいな若くてカワイイ子があんまりこの辺をウロウロしてちゃいけないよ」
「なんで?」
「この辺りは怖い男たちが仕切ってるんだよ。街の警備責任者なんて言われちゃいるけど、ガラの悪い連中でね。ついこの前もコボルトの娘さんが…それもあなたとそう変わらない歳の子が連れて行かれちまってね」
(チルアナのことだ…)
サニードは素直に「うん」と頷く。
「悪い事は言わないから、早いとこ、お父さんとお母さんのところへお帰り」
「ウチ、そんなに小さい子に見える?」
「ええ?」
「幾つぐらいに見える?」
「ええと、10歳くらいかしら…?」
サニードは口をヘの字にする。
「……わかったよ。おばあちゃん。もう帰るけど、最後にこれだけは買って行きたいの」
「おや、なんだね?」
「料理本。この際、どんなもんでもいいから売ってるところをどこか知らない?」
「料理本? 本かい。本は市場じゃ手に……」
老婆は辺りを見回して、大通り外れの方を見やる。
「ああ。あそこならもしかしたら……」
□■□
サニードは老婆に案内された店へと入る。
「おジャマしま〜す?」
店は真っ暗で人気がない。泥棒にでもなった気分であった。
「……あ? 誰だぁ? 『休業』の字が見えなかったにゃか?」
店の奥から、気怠そうな声がする。
「『休業』? その看板なら店の外に落ちてたけど…」
サニードがそう言うと、「ああ!」というヤケクソめいた声が響く。
「帰れ、帰れ。今日は接客する気分にないにゃ」
「えー。店に人がいないなら仕方ないけど、今いるじゃん。別に接客なんてしなくていいから売ってよ」
「たまに来る変な客かと思ったら、ずいぶんと生意気な小娘にゃ。大人が帰れってんだから、素直に言う事を……ん? ハーフエルフ?」
金色の双眼が暗闇に爛々と輝く。
「ウチがハーフエルフだってわかるの?」
「その銀色の瞳を見りゃ、一発でわかるにゃ。あと、ハーフだと耳の先端がやや丸みがかっているしにゃ。こりゃ珍しい。エルフもこの町じゃあまり見ないが……風俗店は別にゃが」
自分で風俗店と言って機嫌が悪くなり、店主はチッと舌打ちする。
「ねえ? そんなことより売ってくれるの?」
「……あー。うーん。ま、いいか。その代わり、さっさと済ませるにゃ」
「なら明かり付けてよ。コレじゃなんも見えない」
「エルフの血を引いてるのに夜目も効かないのかにゃ? …はいはい」
店主が魔法球に触れると、店内の照明が付く。
「わー、色々ある。本もある!」
「本を探してるにゃ? タイトルは?」
「タイトルってか…料理本?」
キャッティの店主は、サニードを手招きする。
「なぁに? …って、酒クサ!」
カウンターに転がる酒瓶を見て、サニードは顔を歪ませる。
「休みにアアシがなにをしようと勝手にゃ。文句を言われる筋合いないね」
「別に文句を言うつもりもないけど…」
「シャルレド・シャムム。そっちは?」
「え?」
「こっちが名乗ったんだから、そっちも名乗るのが礼儀にゃ」
「あー、サニード・エヴァン」
「ん? エヴァン郷の?」
「知ってるの?」
「このサルダンでエヴァンを知らないヤツもいないにゃろ。…まあ、行った事あるヤツは、アアシも含めて居ないだろうけど」
「閉鎖的だかんね」
サニードは育ての親と友人を思い出して肩を竦める。
「それ、貸してみにゃ」
「これ?」
サニードが手に持っていた黒板を指し、シャルレドはクイクイと指先を動かす。
「ふーん?」
頬杖をついて、シャルレドは受け取った黒板をジーッと見やった。
「…錬金術師か?」
「あ、それ、道具屋のオジサンにも言われた!」
「ここに書かれたのは、うちに全部あるにゃ」
「え? ホント!?」
「でも、この内容……消炎香や星霜屑も入ってるにゃ。星晶石でも作る気かにゃ? でもそうなると土練鉱はなにに使うにゃ? それに雪楼粉?」
「普通じゃない…の?」
「……ウチの知らないレシピにゃ。で、ここだけ素人っぽい」
「どこ?」
シャルレドは表面をサニードに向けて指差す。
「『料理本』、『食材』……なんにゃ、これ?」
「あ、アハハ。やっぱそこ気になった?」
「こんなアバウトな注文あるかにゃし…。そんで、オマエはなにを買ったにゃ?」
「干し肉! お野菜! 果物! たくさん!」
サニードはリュックをひっくり返して、カウンターの上に中身を広げる。転がっていく玉ねぎをシャルレドがキャッチした。
「無軌道に手当たり次第に買った感じだね。うえっ、イロ豆もある…」
「イロ豆おいしいじゃん!」
「調味料は家にあるのか?」
「あ。ない…」
「やれやれ。なら、うちで買って行きな。あと、料理本でオマエさんに最適なのが1冊だけあるよ」
シャルレドは立ち上がると、本棚の方へと向かう。
「足? 怪我してるの?」
右足を引きずっているシャルレドを見て、サニードは問いかけた。
「まあね。…ほら、あったよ」
シャルレドが本を取り出すと、サニードに向かって放る。
「…『はじめての料理』?」
「イロ豆の煎り方は載ってないにゃし。ま、それがあれば家庭料理はなんとかなんだろ」
シャルレドは「ふむ」と言うと、紙袋に品物を詰めていく。
「……これで全部かね。フラスコとかはそこの藁にでも包みな。オマエ、オッチョコチョイそうだから割るにゃ」
「だれがオッチョコチョイよ! 割らないよ! あ!」
そう言っていたサニードの手から瓶が落ちて、盛大な音を立てて割れ散る。
「うー…」
「言ったろ? それも請求に加えとくよ」
「ゴメンナサイ…」
「謝れるのは偉いにゃ」
何度かシャルレドからリュックへの詰め方を指摘され、数度やり直してようやく収まるが、パンパンになってしまった。
「…オマエ、この町は初めてだろ?」
「え? あー、まあ、来て1ヶ月は経ってないね」
代金を受け取りながら、シャルレドはジロリとサニードの顔を見やる。
「この町は治安が悪いにゃし。買い物は保護者と…」
「あ! それも言われたよ! おばあさんに!」
話の腰を折られたせいで、シャルレドは不快そうに咳払いする。
「知ってる。ヴァルディガでしょ。あんなヤツ、へっちゃらだよぉ〜」
「怖いもの知らずはキライにゃないよ。けれど…」
シャルレドは頭を横に振ると、側にあった酒瓶を掴んで一気に呷る。
「ブハーッ!」
漂う酒の臭気に、サニードはむせ返るような気分でしかめっ面になった。
「…ヒドい事をされてから、初めて知ることもあるにゃ」
「……コボルトの女の子みたいに?」
シャルレドの耳と尻尾がピーンと立つ。
「なんにゃ。知ってたか…。まあ、噂にゃんてそんにゃものだよな…」
「うん。ウチも同じ店に居たし。蘭芙庭」
「……にゃに?」
「チルアナのことでしょ?」
今度はシャルレドの耳と尻尾がヘニャンとなるのに、サニードはそれが可愛くて面白いと思う。
「娼婦? それがなんで…ここに居るにゃ? しかも買い出し?」
年若いサニードが自由に出歩いているのを、シャルレドが疑問に思うのは当然だった。通常、若い新人は最初の教育が肝心であり、逃げ出さないように監視下に置かれているものだからである。まず、自由な外出など許されるはずもない。
「えーと…」
サニードは、オクルスのことをどう話したものかと迷う。
「す、ステキな人が……ウチを助け出してくれたんだよ、ねぇー」
サニードは自分で言ってて、なんだか恥ずかしくなり顔を紅くする。
「……そうか。オマエは幸福だったわけかにゃ」
シャルレドは新品のフラスコを取り、それを布に包みながら意味深に言う。
「早く帰れにゃ。その人のところへ」
「うん。あ、それの代金は…」
手渡されたフラスコの分は支払ってないと思い言うと、シャルレドは首を横に振る。
「くれてやるにゃ。オマエを救ってくれたヤツへの煎餅にゃ」
「センベツ? んー、そう。ならもらっとく。ありがと!」
サニードはペコリと頭を下げると、リュックを背負い直して店を出る。
「……そういや、オクルスと居た女の人ってキャッティだって言ってたな」
チルアナの話を思い出し、サニードはそう呟く。実際に会ったオクルスの周囲に女の気配がなかったので、すっかり忘れていたのだ。
「ま、そんなことあるわけないよね。さ、帰ろ」
サニードは『シャムム雑貨店』の看板を見やり、オクルスの待つ家へと足先を向けたのだった──。




