023 闇商人への弟子入り
(およそ6,000文字)
サニードは初めて会った時の様なドレス姿ではなく、白く細いヘアバンドを前髪の上に付け、ミントグリーン色をした丈の短いタイトなローブ、下にはところどころ破けたダメージタイツにローヒールサンダル。これが彼女の普段着だと思わせる様な格好であった。
「……これはどういうことでしょうか?」
オクルスが尋ねると、ヴァルディガとサニードは顔を見合わせた。
「どういうことって、アンタのお気に入りの“名器”だろ?」
「め、“名器”っす…」
サニードは片手を上げてそう言う。
「名器…? なにがですか?」
オクルスは質問の答えが返って来ないことに困惑した。
「なんだよ。思ってた反応と違うな…。一度遊んだ女とは、二度と遊ばない主義だったのか?」
「……ああ。なるほど」
ようやくヴァルディガがなにを言いたいのか察し、オクルスは頷いてみせる。
「素敵なバンビーナ。またお会いできて光栄です」
「ば、バンビーナ?」
サニードは眼を瞬く。
「彼女を招いたということは、これから饗宴でも行うのですか?」
「はあ? 今はまっ昼間だぜ? なに言ってんだ、アンタ?」
ヴァルディガは眉を寄せ、サニードは「あちゃー」と顔を片手で覆った。
「ちげーよ。コレが、アンタへの贈り物ってことだ」
「贈り物? 彼女が?」
「そうだ。最高級品だって言ったろ? 苦労したんだぜ。いまや娼館のナンバーワンになっちまってたからな。店から引き抜くのには骨が折れたぜ」
これが大嘘であることは、サニード本人はわかっていた。厄介払いも同然で、クズリは喜んで手放したのだ。ナンバーワンというのも、ヴァルディガの単なる誇張に過ぎない。
「それとも不満か? もう少しガキ……いや、若いヤツがいいのか?」
サニードの顔に一瞬だけ不安感が浮かぶ。
「……彼女を私に提供してどうすると?」
ヴァルディガは髪を掻き揚げ、「んなことまで言わせるなよ」と独りごちる。
「つまり、それで支払いの半分を待ってほしいってことだ。なにも払わないって言ってるんじゃない。少しだけ待ってくれって話さ」
「……そこになんのメリットが私にあると?」
「メリット? いや、この娘をこれから自由にできるんだぜ? わざわざ店行かなくてもいい。金を払わねぇでも好きにできるんだぞ? そうじゃなくても飯炊き、掃除、洗濯、荷物持ち…これから自由にできるって話さ」
ヴァルディガの説明は、オクルスにはピンと来ていない様子だった。
「そんなに良い具合なら試してみてもよかったがね。聞いたところ、アンタ以外に客をとってもなかったらしい」
オクルスがサニードを見やると、彼女はその視線の意味を誤解したのか頬を赤くする。
「……んだよ。ご執心じゃなかったのか? てっきりそうだとばかり思ったのによ」
だんだんと不機嫌になっていくヴァルディガを見て、オクルスも自分が対応を間違えているのだとようやく理解し始める。
「……それとも別の娘を都合した方が良かったか?」
「いえ、そういうわけでは…」
ヴァルディガが不審感を募らせていくのに、さすがにどうにかせねばと考える。
「前金で5億E、後金5億の件は…本来ならばお受けしないところですが、昨日の私の落ち度もあります。今回だけはお受け致しましょう。ですが彼女の件は…」
「受ける? この条件を呑むってのか?」
ヴァルディガの視線が強くなるのに、オクルスは押し黙る。
(なんだ? ここは譲歩するべきでなかったのか? ヴァルディガは、サニード・エヴァンを5億Eの価値があると判断したのではないのか? なぜだ? わからない。なにが彼女を私に与える利点となった? そこがわからねば、これ以上の交渉の余地がない……一旦、ここは保留にすべきか)
「あ! はい!」
サニードが挙手すると、なにかを言いそうになっていたヴァルディガは口をすぼませて「話せ」と促す。
「えっとぉ、ウチ…“あの事”を話しちゃおうかなぁ〜」
「!」
オクルスの顔に戸惑いが浮かぶ。
(メディーナ!)
「ウチもお店辞めさせられたわけだしぃ〜」
「……お待ち下さい。サニード・エヴァン。私は貴女を歓迎いたしますとも」
「え?」「あ?」
サニードとヴァルディガが同時に驚く。それはオクルスがにこやかに微笑んでいたからである。
「ヴァルディガ・キールロング様。この娘を引き取らせて頂きます。私の趣味趣向をご理解いただき、大変恐縮です」
「お、おお…」
「慈悲と寛容は人間の持つ最大の美徳にございます。彼女を娼館から解放することは、大変素晴らしい勇気ある行動だと思います」
「あ…ああ?」
「さらに望むべくならば、もっと多くの女性たちを……失礼。なんでもございません。少々お喋りが過ぎました」
微笑んでいたオクルスが真顔に戻る。まるでスイッチで入り切りでもしてるかのような切り替えの早さに、ヴァルディガは目を白黒させた。
「それで支払いの件は…承知して貰えたでいいんだよな?」
「はい。それで問題ございません」
「そうか。ベイリッド様への件は…」
「サニード・エヴァンが居る場で話しても?」
オクルスがそう言うと、ヴァルディガはニヤリと笑う。
「……コイツがアンタが魔物商と知ったところで、“新しいご主人様”の邪魔はしねぇだろうよ。そこら辺は選んで連れて来ている」
サニードは不思議そうにしていたが、オクルスは「なるほど」と頷く。
「取引内容の件は口裏を合わせましょう。ただし……少しお待ちを」
「なに?」
オクルスは一瞬だけ俯くが、すぐに正面に向き直った。
「……私に不利益が生じる場合はその限りではありませんが。それでもよろしいですか?」
「? 構わねぇよ。どっちかというとこっちはついでなんだ。単に拳骨を貰いたくなかったんでね」
そう言って、ヴァルディガが自分の頭をコツンと叩く真似をする。
「ベイリッド様の評価爆上げのために、こんな嘘ついてまでやってるんだぜ? これ、実に上司思いだとは思わねぇ?」
「…ベイリッド・ルデアマー様とヴァルディガ・キールロング様のご関係は私の関知致しかねるところでございます」
「なんかさっきから口調が違うくねぇか? …まあ、いいや。俺からの話は以上だ。そろそろベイリッド様も食事を終えられた頃だろ。呼びに来るはずだ」
ヴァルディガは席から立つ。
「あ。ベイリッド様との謁見には、お前は立ち会えないからな。お前はこのまま部屋で待機してろ」
サニードは「うん」と頷く。
「……じゃ、ごゆっくり」
手をヒラヒラとさせて、ヴァルディガは退出して行った。
彼が出ていくのを確認し、サニードは辺りを興味深そうに見回した後、さっきまでヴァルディガが座っていた椅子にちょこんと収まる。
「すっげーフカフカの椅子。お尻がトロけそう」
子供のようにはしゃぐサニードは、オクルスの視線に気づいて照れたように笑った。
「えっと…オクルス?」
「私は“メディーナ”ですよ。サニード・エヴァン」
「え? メディーナ?」
「はい。あの窮地、機転を利かして下さり感謝します」
「アハハ。あの場はああ言うしかないかなぁと思って…」
「ウフフ。貴女は素敵ですね」
「そんな褒められても…へへへ」
「しかし、残念ながら、これ以上は私に貴女との対話は許されておりません。“主”に代わります」
「んん? それって、どういう…」
サニードの疑問には答えず、オクルスの雰囲気が変わる。柔らかさが消え、緊張感が漂う。
「……困ったものです。ある意味では私より人間らしい時がある」
「えっと、オクルス? いまは…オクルスってこと?」
「ええ。サニード。私はオクルスです。
……さて、しかしてどうしたものでしょう。私の正体については黙する約束のはずでは?」
「もちろん! あれは嘘だよ!」
「…? 嘘? 私を強請るつもりだったのでは?
「えー。たぶん、メディーナはわかってると思うけど…」
「……」
オクルスの顔に若干の不快感が生じる。
「これ以上は危険だけでなく、損害も増すばかり……ここいらで手を打ちましょう」
「手を打つ?」
サニードが小首を傾げるのに、オクルスは自ら懐に手を差し入れる。そこから取り出したのは、白の混じった大きな金貨であり、それをテーブルの上にと置く。
「こ、これ…、まさか金貨!? しかも、このサイズって…小金貨じゃないよね?」
サニードは指を震わせ、ゴクリと息を呑みながら金貨を食い入るように見る。
「中白金貨です」
「中白金貨!? えっと、貴族とか大商人しか持ってないヤツじゃん! は、初めて見た!」
「ええ。貴女が都市部で生活する上で、当面は困らない額だと思いますが…」
「いやいや! 当面困らないどころじゃないって! こんなのペルシェで家を買って、毎日美味しいもの食べても、数十年は遊んで暮らせるよ!」
「そうですか。ハーフエルフの寿命が長い事も鑑みて、これを10枚出しましょう」
「ッッッ!!」
無造作に並べられた10枚の中白金貨を前に、サニードは思わず飛びつきそうになる。
「どうぞ。貴女に差し上げます」
「い、いらない! しまって!」
サニードは自分の太腿をつねり、「む〜!」と
唸る。
「なぜですか? これは口止めだけではありません。貴女が自由を勝ち取り生きていくために、私から獲得した対価だと思えばいいではありませんか」
「言ったろ。ウチは施しは受けたくない…」
「…くだらない」
「?」
オクルスは眼をつむり、指を合わせる。
「……では、貴女の望みはなんなのですか?」
「ウチは……その、アンタについて行く…じゃ、ダメ?」
叱られた時の子供の様な顔をして、サニードは問う。
「ついて行く? 私は魔物ですよ?」
「うん。わかってる。そして、商人でもあるよね? たぶん聞いてた話だと…魔物とかを売る闇の商人?」
「そこまでわかっていて?」
「うん! むしろ、ウチも商人になりたいくらい!」
鼻息荒く、サニードは瞳を輝かして言う。
「……正気ですか?」
「うん! 正気も正気! あのヴァルディガって人が来てから考えてたんだ! これはきっとチャンスだって!」
オクルスが表情を動かさないのに、サニードは少し慌てる。
「お願い! ウチをアンタの弟子にしてよ!」
「……」
「ウチの眼、魔眼なんでしょ!? これも鍛えればなにかの役に立たない!?」
オクルスはため息をつく。その時、ちょうど扉がノックされて呼ばれる。
「……ダメ?」
立ち上がるオクルスに、サニードが尋ねる。
「ひとつ条件があります」
「条件?」
「ええ。私が面倒を見るのは、貴女が一人前になり、商人としてひとりで生計を立てられるようになるまでです。それでもよければ…」
「うん! もちろん! いいに決まってる!」
即座にそう言うサニードを、オクルスはジロリと見やる。
「……それでは詳しい話は後ほど。少し行ってきます」
「はい! 行ってらっしゃい! 待ってるね!」
□■□
「アニキィ〜」
ヴァルディガが廊下にでると、半泣きのドゥマが駆け寄って来た。
「アゴがイテェよぉ。危うく外れかかったんですぜ」
口の端が裂けて血が出てるのを見て、ヴァルディガは肩をすくめて歩き出す。
「外れたら、俺が叩いて治してやんよ」
「そんなぁ…。しかし、あんの野郎。もうオイラは関わりたくねぇって言ったのに…」
「舐められたままでいいってのか? 根性のねぇ野郎だ。その腰のは飾りか? 腹にブッ刺してやりゃよかったんだ。それができねぇから、テメェはブルーランク止まりだったんだよ」
叱責され、ドゥマはションボリする。
「……だが、無駄じゃなかった。あのオクルスって野郎が普通じゃねえことを証明できた」
「イカレてんのは間違いねぇですね」
ドゥマは裂けた自身の口を指差して言う。
「馬鹿だな。そうじゃねぇよ。グレーターデーモンの金額の件でわかったんだよ」
「へ?」
「ドゥマ。グレーターデーモンの討伐にどれくらい払われるかを知ってるか?」
「え? あ、いや、急に言われても…。悪魔なんてそんなに出るもんじゃ」
ドゥマはしどろもどろに答える。
「そうだな。悪魔族なんて、誰かが悪意を持って召喚でもしない限りは出て来ない。それも強い魔術を持ったヤツがだ。
…ちなみにグレーターデーモン1体の討伐費用は最低5,000万から1億Eってところだ」
「1億ですか! …ギルドでそんなに出せるもんなんで?」
「出せねぇよ。だから、各支部が連携するか、もしくは各国や自治体が依頼を出す事になる。つまり国家を揺るがす規模の異常事態ってことさ」
ヴァルディガは親指の爪を齧る。
「わかるか? アイツはそんな化け物を50体用意できるって軽々と言いやがったんだ。普通であるはずがねぇ」
ドゥマは何度も頷くが、ヴァルディガの目は「コイツわかってんのか?」という疑わし気なものだった。
「それに10億じゃ安すぎるんだよ。1体最低5,000万だとしても25億だろ。そしてさらに支払い方法を前金5億にしてくれって言ったのに、あの野郎は顔色ひとつ変えなかった。これがどういう意味かわかるか?」
「えっと……さあ?」
「金が目的じゃねぇんだ。それに女にも興味がねぇ」
「は、はぁ…。でも、アニキがなんでそんなことを気にするんで?」
「……ドラゴンの爪は危険だが、その爪を使った武器ならドラゴンの鱗を裂けるんだぜ」
話が急に変わったと感じたドゥマはキョトンとする。
「お前はドラゴンスレイヤーにはなれねぇな…ハハ。ま、つまり俺は用心深いってことだよ」
ヴァルディガは背中越しにチラッと自分が出てきた部屋を見やる。
「……サニード・エヴァン。秘密を握る女、ね」




