019 業界のルール
(およそ4,000文字)
夕刻の開店準備で忙しくなる前に決着をつけてしまおうと、クズリとトロスカルは打ち合わせもそこそこに2階の方へと赴く。
営業時間中では客と娼婦がひっきりなしに出入りをしているが、まだ日の高い今時分は当然ながら誰もいない。
客を迎える部分は、無駄に豪華な装飾が施されており、これはトロスカルの趣向が大いに反映されている。
しかし、神を模したというパンイチのマッチョな像は、客どころかスタッフからも大不評だったが、当の本人にはそれは伝わっていなかった。
仕事場を抜けると、長い廊下へと出て、壁にはトロスカルの金言(本人選定)が額に入れられた物が延々と続く。
その内容といえば、叱咤激励の後に温言慰謝が来るといった具合に交互に並べられており、それは職場に向かう時は奮起を与え、部屋に戻る時は癒やしをもたらすという効果を狙ってのものだったが、実際にこれが娼婦たちに影響を与えているかは不明である。
そしてそれを過ぎると、娼婦たちの生活空間が広がっている。
基本的には彼女らは数人から数十人からなる大部屋住まいだが、一握りの成績のよい高級取りなどは個室が与えられたり、外で住まいを持って、通いで店に出勤可などの自由が与えられる。
これらの事もかつては性奴隷を使っていたような時には考えられないことで、雇用関係を抜本から見直をしたトロスカルの手腕によるものだった。
2人は新人の集まる大部屋へと足を踏み入れ、驚愕の光景を目の当たりにする。
「あ〜、ゴクラク、ゴクラク」
奥に何枚も重ねてうず高く積まれた掛け布団。その上にあぐらをかいてサニードが座っていた。
「マジすげぇす! 尊敬するっす!」
サニードの肩を揉んでいる女が言う。
「外で騒いでる奴ら、みんなサニードさん目当てですよ!」
脚を揉んでいる女が言う。
「入ったばかりなのに即稼ぎ頭! 先輩たちは今頃、悔しがってハンケチの端を噛んでますって!」
シーツを広げて風を送ってる女が言う。
サーニドの取り巻き以外は、なんとも言えない顔でその光景を見やっていた。
「こりゃ、なんてザマだろうねぇ…」
まるで牢名主のように振る舞っているサニードを見て、トロスカルは肩をすくめた。クズリは胃の辺りをしきりに撫でる。
「さー、馬鹿なことはもう終わりだよ!」
「あ。教官に、オーナー」
「教官じゃない! メンターって呼びな! ほら、さっさと解散しな! 一番の後から来て娘に媚び売って、恥ずかしいと思わないのかい! プライドないヤツは成功しないよ!」
トロスカルはパンパンと手を叩き、取り巻きたちを追い払う。
「サニード。今回はたまたま上手くいっただけってのはわかるな? こんな偶然は続くもんじゃないぞ」
クズリがそう言うのに、サニードは「ん〜?」と首を傾げる。
「でも、この世界は実力主義でしょ? ウチのテクニックが認められた結果…そうじゃね?」
妖しげな目線をするサニードに、取り巻きたちが部屋の隅で「そうだそうだ」と頷くのをトロスカルがひと睨みで大人しくさせた。
「…よくない傾向ね」
「…だから言っただろう」
「なにがよ?」
トロスカルとクズリが憐れむような目をしてくるのに、サニードはムスッとした顔をした。
「こういう話だったよね? 客を取れば金が入る。金が入れば店が潤う。この店は娼婦にちゃんと給与を払う。だから、頑張りさえすれば、ウチみたいな出来損ないの取り柄のないハーフエルフでも人間社会で生きていける? …どこか間違っている?」
クズリは下唇を突き出し、トロスカルを見やる。
「そうね。アタクシがそう教えた。間違ってはないわ」
「なら、下にいる客を全員相手にすればいい?」
「サニード。聞きなさい。この業界にも守るべきルールがあるのよ」
「ルールだって?」
サニードは、あの黒くて大きな背中をふと思い出す。
「アータにはそのルールはまだ教えていないわ。それは、それを逆に“歓ぶ客”がいるからよ。なにも知らない無垢な娘を、“開発”したがる男がいる…それがまさに今回の新商品コンセプトだった」
「新商品…?」
サニードは自分が梱包され、特産物などと一緒に陳列されるイメージを抱く。
「そして、今回はその狙いが見事に当たって、運良くアータは特別な上客に当たった。だけれども、それがアータが特別な存在となったという意味と同じではないのよ」
「……“ルールを破ると商売にならない”」
「アタクシの台詞? そんなこと教えたかしら?」
「ウチたちの存在が、客に特別感を与えるんだよね?」
「? ええ。そうよ。なんだ。ちゃんと理解してるじゃないの」
「それって、ウチらがまさに特別な存在だからじゃないの?」
トロスカルは唖然とした顔をする。
「アータ…。なかなか顔に似合わず哲学的なことを言うわね」
分厚い唇に!フランクフルトみたいな太い指を当ててトロスカルは「うーん」と唸る。
「おいおい。こっちが感化させられてどうする」
クズリは心配そうにトロスカルを見やった。
「あー。もういいよ。口答えはもうオシマイにする。で、ウチはどうすりゃいいの?」
サニードは布団の山からピョンと降りる。
「……ほとぼりが冷めるまで、お前には客をとらせん」
トロスカルを気にしつつ、クズリはそう言う。
「それって仕事しなくていいってこと?」
「そういうわけにはいかん。雑用なら山程ある」
「はあ? それで金は貰えんの?」
「な! 食い物と住む場所に困らないだけでも感謝…」
クズリが怒鳴ろうとした瞬間、スタッフの独りが慌てた様子で入ってくる。
「オーナー! ヴァルディガさんです!」
胃の痛みを通り越し、ドテ腹に大穴が開くんじゃないかとクズリは思った。
□■□
ロビーのソファーに脚を投げ出して座り、ヴァルディガはタバコをふかしていた。
「昨夜に続いて悪いな」
「いえいえ、そんなことございませんとも」
「そう思うなら来るなよ」と言いそうになるのを堪えてクズリは愛想笑いする。
「それで今宵も何処かに嬢を? それとも店の予約で?」
「…あー、いや、今日は良い話を持ってきた」
「良い話…?」
クズリの顔に不安の色が生じる。
「なんだ? 疑ってんのか?」
「い、いえ…そんな…」
毎回、ヴァルディガが持って来るのは無理難題か、金の無心のことだ。クズリが疑いを持つのも致し方のないことだった。
「顔に出さねぇでもわかる。傷つくなぁ」
「全然そんなこと思ってないだろ」と、クズリは心の中で悪態をつく。
「だがな、別にそっちに損になる話じゃねぇ。むしろプラスになる事だ」
「プラス?」
ヴァルディガが「連れて来い」と手下に指示を出す。
「あの…」
手下たちが外から連れてきたのはコボルトの少女だった。
「ほら、名乗れ」
「ち、チアルナ…です」
「名字は? …って、そうか。奴隷だったな」
「奴隷?」
クズリは訝しそうにする。
「ああ。この店で働かせてやってくれ」
「は? あーー、えっと…おいくらで?」
「バッカ。オレとお前の仲だろ。タダでいいさ」
「へ? 無料? こんな若い娘…を?」
「そうだ。なんだ? 亜人だとなんか困るのか? そっちはエルフもいるじゃねぇか」
「い、いえ、もちろんそういう需要もあるので…」
クズリは妙だと思う。奴隷は若い女というだけでも高い価値がつく。ヴァルディガがそんなことを知らないわけがない。
「いらねぇのか? いらねぇなら他の店に行く。クズリの店だから真っ先に来たのによ」
「いやいや、そんなこと! いります! ぜひともお譲りいただきたいです!」
ヴァルディガはニヤリと笑う。クズリからすれば、こんなことでルデアマー家の寵愛を失うなんて馬鹿げていることに思えたのだ。
「よかったな。アナチル。今日からここがお前の家だ」
チルアナの視線が戸惑い左右に揺れ動く。
「……あ。それと肝心なことを言うのを忘れてた」
「え?」
「病気持ちだ。だから、“楽しいこと”はできねぇからそこんとこヨロシク」
「は…? ハア?!」
クズリは目玉が飛び出すかというくらいに驚く。チルアナは悲しそうに目を伏せた。
「い、いやいや、そんなんじゃ売り物にならないじゃないですか…」
「治療してから売りゃいいじゃないか」
興味なさそうにヴァルディガが言うのに、クズリはハラワタが煮え返るのを感じる。
医療神官に診せるだけでもかなりの金額がかかるのだ。ましてや完治するかどうかも分からないものに、どれだけお布施を支払うことになるかなんて予想もつかない。
「他にも仕事はあんだろ? 部屋の掃除や、オーナーの肩揉みだって。あ。もしくは名門ローション家から出向してきてる教官なら、スペシャル舌技を仕込めんじゃね? ペロペロってな。犬だけによ」
ヴァルディガが舌を出し入れするのに、チルアナは真っ赤な顔をして視線を逸らす。
「こ、この話はお断り…」
「一度受けたのを断るってのか?」
「……」
これは単なる厄介払いなのだと、クズリは悔しそうに唇を噛みしめる。
「それで、この素晴らしい贈り物の見返りの話だが…」
「??? た、タダ…なんでは?」
「あ? タダで貰ったからお返ししないなんて、そんな不義理な話があるのか? この業界は?」
「……」
この後、クズリはタダより高いものはないという言葉の意味と、なぜヴァルディガがチルアナを殺さずにわざわざここに連れてきたのかという理由を嫌というほど知らしめられることになるのであった。




