018 蘭芙庭
(およそ4,500文字)
ペルシェの町、市場から少し離れた花街に『蘭芙庭』は存在した。
数ある娼館の中でも最も古くからある老舗であり、値はそこそこ張るものの、その質の高さ、ニーズに合わせた柔軟な対応、また客を飽きさせない数々の趣向を凝らすことで、小金持ちの庶民からだけでなく、ルデアマー家などの一流名家からも大変重宝されていた。
そして、そんな蘭芙庭に、未だかつてない危機が今まさに訪れていたのである。
まだ昼間だというのに店の前に人だかりができており、クズリ・バッドソンは昨日から寝ていないのにもかかわらず、その対応に追われていた。
「ですから、何度も言います様に、今日は店にはいないのです!」
「嘘をつくな! 朝見たって言ってたぞ!」
「ええ! 昨夜の仕事を終えて帰ってくる時の事を仰ってるんですよね!」
クズリは冷や汗でビッショリになりながら愛想笑いを返す。そのうち暴力も厭わなくなるのではないかと、心胆を寒からしめていた。
「ワシはそんなこと信じんぞ!」
「信じないと言われましても! まっこと、嘘偽りのないことを私は述べておるわけでありまして!」
隙あらば店に入ろうとする輩を、スタッフがスクラムを組んで止める。
「金ならなんぼでも払うっとるんじゃーッ!」
「そういう話じゃないでしょう!」
先頭の老人が口横に手を当てて大きく息を吸い込む。そして──
「サニードちゃーん! ワシを天国へ連れてってぇ〜!!!」
店の方に向かって声を張り上げた。それを皮切りにし、「サニードちゃん」というシュプレヒコールが始まる。
「や、やめて下さい! 営業妨害…いや、営業時間外ではありますが、これは明らかな妨害行為ですよ!」
「なら、サニードちゃんを出せ! 天国へ連れてってくれる程の極上の果実! 天の起こした唯一無二の奇跡と聞いているぞ!」
「そ、そんなのデタラメな話を…」
「隠すな! 俺はこの耳で聞いたんだからな! あの娘は1,000年に1人の逸材! 稀に見る“名器”だってな!」
クズリは「ああ…」と目眩を覚えてヨロヨロと下がり、その代わりに屈強な若いスタッフが前に出る。
「サニードちゃんに会わせるまでは帰らんぞ! ワシは死ぬ前に一度、天国に行くんじゃー!」
「天国は死んでから行くところだろうが!! あんたはなにもしなくても、もうすぐ行けるだろうよ!!」
「は!? なんじゃと! もういっぺん言ってみろ!! この野郎!!」
スタッフと老人が揉みくちゃになって互いに罵り合いとなるのに、クズリは首を横に振る。
「……後は任せる。店には入れるなよ」
「え? オーナー! ちょっと、任せるって…コレを!?」
スタッフたちが戸惑うのに、少しだけ申し訳なさそうな顔をしたが、それでもクズリは店内に戻って扉を閉めて内鍵をかける。
「あー、もう。昨日から散々だ。ヴァルディガはクソみたいにな額に値切ってくるし、他の嬢からは恥をかかされたってクレーム。ウッ! 胃が…」
クズリは懐から小瓶を取り出し、錠剤をザラッと手の平に載せると水もなしに一気に飲み干した。
「……よし。今日という今日こそは言ってやるぞ」
□■□
蘭芙庭は3階建てで、1階がロビーや待合室、男性スタッフの待機所、奥に会議室やオーナー室なとがある。
2階に客を迎える個室があり、娼婦たちが生活する部屋もあるが、厚い壁や長い通路などを用い、仕事と私生活の空間を分ける工夫がされているのが他とは違っていた。
これらは働いているの女たちに対する配慮というよりも、客が“非日常的な美女との甘い一時”を味わえるようにとの演出なのである。
そして、3階。普通の娼館では考えられないが、ここに所属する娼婦たちを“教育”する場所があった。
それも“教育係”となる人物が住み込みで働いており、オーナー室よりもさらに広い空間をたった1人が占拠しているのである。
これは“教育係”がやって来てから大改装されたものであり、3階部分は増築、2階の演出的な造りはその時に一緒に改築したのだ。
もはや説明するまでもないが、その“教育係”はオーナーよりもはるかに強い権限を有しているのである。
3階の大部屋から妖し気なオルゴールの音と共に、ピンク色をした魔力式スポットライトが明滅する。
「なにやら外が騒がしいけれども、集中なさい。集中よ〜。こんなことで心を騒がしてはならないわ」
野太い声にエコーがかかってるのも、魔法アイテムによる効果だ。
明滅する光に合わせ、徐々にポージングを変え、最後に割れた顎に太い親指を当て、七色をしたネイルの小指を立て、タラコ唇を突き出し、やや前のめりになる。
「……24番、33番、38番」
自分と同じポーズを取ってる向かいの女たちをギロリと睨みつける。
「何遍おんなじことを言わせるのぉ! お尻よ! お尻はこう! プリリンと突き出すの!!」
背中を反らせ、自身の巨大な尻をグイグイッと上げる。
指摘が入った番号を胸につけた女は頷いて真似して臀部を上げる。
「いい! “お色気”! お色気を忘れたら女はオシマイ! 男心をくすぐる事…これが懐を弛めて、大金を落とさせ、それがアータたちのお給金となるのよ!!」
自分の言葉に酔って頬を上気させ、槍のように上下に生えた睫毛をバッサバッサさせて目を潤ませる。
「ただ楽しませるだけの店は掃いて捨てる程あるわ! でも、蘭芙庭は違う…。名画と出逢った時の感動のように! 耳にいつまでも残る名曲のように! 永遠に心に残る歓びを与えるお仕事なのよ! つまり、アータたちは“芸術”なの! 誇りを持ちなさぁい!」
「いまイイ事言った! これは永久保存!」と叫ぶと、女たちは一斉に今の言葉を木板にガリガリと書き出す。
紫色のカールした髪を掻き上げ、やり切った顔でバチンと指を鳴らすと光の明滅が止まる。
「さ、次のレッスンよ! 教養も必要! お馬鹿さんのままじゃ、金勘定もできなくて騙されるのがオチよ!」
どこからか大きな黒板を持ってきた瞬間、扉がゴンゴンと乱暴にノックされる。
「今日の座学では客の“棒”について解説するわ。この“棒”を自由自在に操ることができれば、一人前に…」
無視して続けていたが、女たちは扉の方を気にし始めていたので、黒板に書いていた手を止める。
「なによ! いま“教育中”よ!!」
扉をバァンと開くと、そこには冷や汗を拭っていたクズリが居た。
「新人の娘は夜の営業までに仕上げなきゃならないの! 1分、1秒もムダにできないのよ! わかってんの、そこ!?」
「も、もちろん、わかってるとも。トロスカル教官」
クズリは、トロスカルの乳房が腹の上にまで“移動”しているのを見て、恐ろしいものでも見たかのようにゴクリと喉を鳴らした。
「教官ってのはやめてって言ってるでしょ! 何遍言わすの! “メンター”よ!」
「あ、ああ。申し訳ない。メンター・トロスカル。…しかしだね、その、“教育”はもっと“実技的”なものを……」
「なによ? アタクシのやり方に文句があるっての?」
「いや、その…」
「アタクシはアータに頼まれたから、西方アナハイムくんだりからアドバイザー兼教育係として来たのよ!」
「あ、ああ…」
「ただ古いだけが自慢の潰れかけた娼館が、カビ臭いガッチガチの体制から脱却し、たった3年で赤字経営を立て直して、黒字にまで至る輝かしいドラマチックなV字回復を成し遂げたわよね?!」
「た、たしかに…」
物凄い勢いで捲し立てられるのに、クズリは目を白黒とさせる。
「んで、今もリピーターは増え続けて経営はすこぶる順調!! これは誰のおかげかしら!? これのどこに、どんな問題があって、なーにが不満で、改善したいというの!? え?! チビデブハゲオーナー! 答えなさぁい!!」
血走った眼をした巨大な顔面を近づけられ、クズリはその割れ顎に数本の剃り残しがあるなんてどうでもいいことに着目することで現実逃避しようとした。
「…違うんだ。文句じゃないんだ。相談だ。聞いてくれ。外で話そう。トロスカル」
消え入りそうな声で言うクズリに、手応えのなさに肩透かしを喰らった気分になったトロスカルは大きく鼻息を噴き出す。
そして、トロスカルは棚上から一抱えはある木箱を取って来る。
中には20センチほどの長さをした木の棒が沢山入っており、それを女たちに1本ずつ配ると、「それで自習してなさぁい!」と言う。
「なに赤い顔して見てんのよ」
「あ、いや…」
「さっさと出るわよ」
「あ、ああ…」
トロスカルは、クズリの背を押して廊下へと出た。
女たちは、不思議そうに木の棒を見て、思い思いにそれを眺めたり回したり叩いたりし始める。
「……で、相談とは?」
「ああ」
「どうせ、サニード・エヴァンのことでしょ」
クズリは不愉快そうに頷いた。
「言ったでしょ。あの娘はダイヤモンドの原石だって。アタクシの眼は節穴じゃないのよ」
「ああ、ああ! 正しかった! “未経験”の生娘を好む金持ちは確かにいた!」
「なら、なにが問題だってのよ?」
「金額だよ! いったい一晩、幾らの値段をつけりゃいいんだ!?」
「オーナーの好きな額でいいじゃないの」
クズリはワナワナと指を動かした後、ガックリと肩を落とす。
「……このままだと、売上ナンバーワンの娘よりも高額になっちまう。これがどういう意味かわからんわけでもあるまい」
「そりゃ由々しき事態ね。新人が初日でなんの苦労もせずにトップになったら、他の娘たちのやる気が削がれるか、はたまた嫉妬から……血を見ることになるかもね」
「わかってるじゃないか!! だから、悩んでるんだ! もうハゲそうだよ!」
「もうハゲてるじゃない」
クズリの頭頂が汗に光る。
「しかし、サニードの初客も変わった人ね」
「ああ。変わり者だよ。公の場であんなベタ褒めして、お陰でこんな迷惑……って、なにを笑ってるんだ!?」
頬に手を当てて「ンフフ」と笑うトロスカルに、クズリは顔を真っ赤にして怒る。
「“芸術”よ」
「は、はあ?」
「事後に、客に評価させる…たいしたものだわ。アテクシは彼女がナンバーワンでもいいと思うけれども」
「冗談はよしてくれ…。長年の“伝統”をそんなことで覆せん」
「そんなこと言ってるから赤字になんのよ。…ま、いいわ。とにかく、サニード本人から話を聞いてみましょうよ。そうしないと話が進まないわ」




