017 勇気の不在
(およそ3,500文字)
ドゥマを捕まえていたオクルスの左腕を、横から伸びた何者かの手がガシッと掴んだ。
「ドゥマ・ゲリウス。馬鹿な男だが、それでも俺にとっちゃカワイイ弟分なんでね」
(これは…)
グッと力を入れられたせいで、オクルスは思わずドゥマを捕まえていて指を離す。
落ちたドゥマは強かに尻を地面に打ち付けて「ギャ」と間抜けな悲鳴を上げた。
「ヴァルディガ!」「…アニキ!」
シャルレドとドゥマはほぼ同時にそう言った。
「なんの騒ぎかと来てみれば、お前はお使いもまともにできねぇのか?」
「い、いや、アニキ! それがコイツらが邪魔をして…」
「あー?」
ヴァルディガは黒髪を掻き上げ、オクルスをジロッと見やる。
「馬鹿野郎。この人はベイリッド様の上客だ。“罪与の商人オクルス”。お前でも名前ぐらいは聞いたことあるだろ」
「へ? …ま、まさか本当に、ボスの取引相手?」
「そうだ。せっかく、今朝方、気持ちのいい契約をしたばっかだってのによぉ」
「私は…」
オクルスが口を開こうとしたのを、ヴァルディガが止める。そして掴んでいた腕をゆっくり離した。
「わかってる。あんたは“巻き込まれた”だけ。そうだろ?」
オクルスは頷き、シャルレドは舌打ちした。
「ま、かといって“友達”にあまり嗅ぎ回られてもいい気はしねぇよな。そこら辺は理解してくれ。ミスター・オクルス。信用第一の商売だろ?」
「……仰る通りです。申し訳ございません」
「よしよし。わかってくれりゃいいんだ。今回の件は見逃してやるよ。借りひとつだな」
ヴァルディガは馴れ馴れしく、オクルスの肩を叩く。
「それにしても、ドゥマ。お前も本当に馬鹿だな。無手のヤツでも、中には凄腕の魔術師や格闘家がいるって教えてただろうが。単独の商人に護身術の心得がねぇわけねーだろ」
ヴァルディガはオクルスの手を見やって言う。
ドゥマは小さく「そんな…見ただけで、そいつが商人だってわかんねぇよ」と嘆いた。
「…で、次はお前だ。シャルレド」
ヴァルディガは頭を掻きながら続ける。
「いい加減、こんなことは止めて俺んとこに来いよ」
「誰が!」
サーベルを抜こうとしたのを、ヴァルディガは指を振って止める。
「ドゥマ相手ならともかく、俺が出て来た時点でお前が勝つ可能性は0だろ? それがわかっているから、最近はお利口にしてたんじゃねぇのか?」
図星だったのか、シャルレドは憎々しげにヴァルディガを睨む。
「その脚の件で、ベイリッド様を恨むのはわかるぜ。でも、いつまでもガキみてぇにヘソ曲げててもしゃあねぇだろ」
「ヘソ曲げてるだぁ? アアシはレンジャーとしての人生を奪われたんだぞ!」
「だから、その責任を感じたからこそ、だ。お前にはこの町に店を出させてやったろ。さらにショバ代だって取ってねぇ」
「ハッ! それに感謝しろと? 店は仲の良かったギルドマスターに世話してもらったんだ! 家賃だってちゃんと払ってる! オマエらになにかしてもらった覚えは一切にゃいね!」
「そのギルドマスターに俺らが働きかけたから…って、こんな話をしてても埒が明かねぇな。
率直に言う。お前が忘れられないんだ。頼むから、俺んとこに戻って来い」
「イヤだね! そんなにアアシが欲しきゃ、首と胴体をふたつに分けて持ち帰るんだな!!」
「どこまでも勝ち気だなぁ。そういうところも好きだぜ。俺は諦めないからな」
シャルレドは唾を吐き捨てる。
「……あー、気絶しているヤツらを起こせ。撤収するぞ。金は全部回収しろ」
店主が「え?」と目を丸くしてドゥマを見やる。
「あー、アニキ。実は半分残すって約束をしちまいやして…」
「半分? なんでだ?」
「いやー、なんて言いますか、成り行きというか……ああ! そうそう! これは見せしめっす! オイラたちに逆らわなきゃチャンスがあるんだぞ、みたいな! 飴と鞭の、飴ってやつで!」
ドゥマは咄嗟に思いついた言い訳を述べた。
「なーる。見せしめねぇ…」
ヴァルディガは納得したように頷いたのに、ドゥマも店主をホッとする。
「ジジイ。ちょっとこっちに来い」
「へ、へえ…」
ヴァルディガが手招きすると、店主は恐る恐る近づく。そして彼の間合い入った瞬間、ヴァルディガは目にも止まらぬ速度で剣を振って、店主の喉元を斬り裂いた。飛び散る血が、呆気にとられていたドゥマの顔にかかる。
「……いいか。これが見せしめってやつだ」
店主は頭から崩れ落ち、地面に多量の血が流れ拡がる。
「て、テメェ!」「おじいちゃん!」
シャルレドが怒鳴り、チルアナが悲鳴を上げた。
「大袈裟に喚くなよ。落とし前つけただけじゃねぇか…。死人に金はいらねぇしな。市場の連中もこれでつまらねぇ真似しなくなるだろ。一石二鳥ってヤツだぜ。あんたならわかるよな? ミスター・オクルス」
笑いかけられ、オクルスは「確かに合理的です」と頷く。
「…それで、そこの泣いてるお嬢ちゃんは?」
「あ。はい。その店主の養女みたいで、金の代わりにしようと…」
「ふーん。なら、連れてけ」
「おい! その娘は置いてけよ!」
ヴァルディガは、シャルレドとチルアナを交互に見やって「ははーん」と頷く。
「置いてどうする? お前のところで面倒みるのか?」
「それは…」
「後先考えねぇな。そういうところだぞ。お前独りだけだったら、レンジャーん時の貯えでも切り崩して、細々となんとか食い繋げるだろうがよ。家計が火の車で誰かの面倒を見れんのかい?」
「クッ!」
シャルレドは唇を噛む。
「それにこのお嬢ちゃんは元奴隷だろ? それも漬物売りのジジイが買えるってことは…若い女でも病気持ちか、なんかの訳ありだ」
その指摘が合っていたのか、チルアナはギュッと胸元を抑える。
「マジですか。売り払えねぇんじゃ意味が…」
「ま、なにかには使えるだろ。それともそこのジジイみたいに楽にして欲しいか?」
チルアナはすでに息絶えた店主を見やり、涙を浮かべて首を横に振った。
「なら、ついて来い」
ヴァルディガが手招くと、チルアナはシャルレドをちらりと見やってから歩き出す。
「あー、それと言うのを忘れてた。ちょうどタイミングがよかったぜ。ミスター・オクルス」
「はい?」
「ベイリッド様があんたに会いたいってよ。明日の昼、時間あるか? それとも約束したものの手配で忙しいか?」
「問題ありません。約束した期日までには必ず揃います」
「仕事が早くてよかった。こんなとこで油売ったから心配したんだぜ。もし、これから用意するとか言ったら、ここで首をハネるとこだったわ」
それが冗談で言ってないことは、笑っていない目と、まだ剣に手をかけてることから明白だった。
「じゃ、明日、昼ちょうどに屋敷の方に来てくれ。迎えは必要ないだろ?」
「はい」
オクルスはさっきから睨みつけてくるドゥマのことを無視して頷いた。
「それじゃあな」
ヴァルディガは手をヒラヒラとさせると、部下たちを連れて引き上げて行った。
「……クソッ。胸糞悪ぃ」
店主の死体を見やり、シャルレドは側にあった木箱を蹴り飛ばす。
「オマエ、本当にベイリッドの野郎に尻尾振る気なのか?」
「すでに言いましたが、取引相手なのです」
「ああ、そうだったにゃ。……だけど、チルアナをあの場では助ける気があったんだろ? ヴァルディガのクソ野郎がいなきゃ…」
「? 質問の意味がわかりませんが…」
シャルレドは「あー、もう!」と叫びながら屈む。
「……この世には悪に立ち向かう勇者ってヤツはいねぇのかよ。そこまでじゃなくても、少しは勇気あるのはいねぇのか。まったく泣けてくるぜ」
揉め事に巻き込まれまいとしている市場の連中を睨み、シャルレドは頭をガリガリと掻く。
「……疲れた。アアシは帰る」
「そうですか」
肩を落として来た道を帰らんとするシャルレドをチラッと見やり、オクルスは少しだけ考える様にした。
「……あのコボルトの娘の事ならば、心配することはないと思いますよ」
「ああ?」
シャルレドは不可解そうに振り返る。
「なに言ってんだ、オマエ? ヴァルディガが連れてったのは娼館にゃぞ。仮に病気が本当でも、それ以外の雑用をボロ雑巾になるまでやらされる。奴隷以下の扱いだ。それを心配するにゃって?」
「病気が問題でなくなったとしたら?」
「はあ?」
「……僥倖を活かすかどうかは本人の裁量次第です」
オクルスは自分の右手を見やりそう言い、シャルレドは「わけわからん」と首を傾げたのだった……。




