016 オクルスの不快感
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「こ、コイツ…攻撃を全部避けやがる…」
「なんてすばしっこい野郎だ…ゼェゼェ」
「速い…? 速い…かぁ? なんかそれとは違う気がするけど、攻撃が一向に当たらねぇー」
手下3人は荒い息を吐いて動きを止める。オクルスが反撃しないことを確認し、呼吸を整えて仕切り直すつもりなのだ。
オクルスはこの隙に逃げるべきかとも考えたが、ドゥマがシャルレドを始末する気がないのだとしたら、後から彼女があることないことを言う危険性は高かった。
(迂闊だった。なぜ私は偽名を使わなかったのか? 信じたとでもいうのか、“人間”を。これは後悔…ああ、なんとも意味のないことだ)
「お願いします…助けて…」
チアルナに触れられて、オクルスは初めて彼女の存在を認識した。
接近を許したのは、そこに敵意を感じられなかったせいと、シャルレドの問題の対処を優先していたからに過ぎない。
(助けて? なにを言っている? 交渉する相手が違うだろうに…)
オクルスは女を無視する。ベイリッドの部下たちからも価値を見出されてない以上、使える要素は微塵もないと判断したからだ。
手を振り払おうとして、オクルスはハッとする。掴まれている自分の指から、“意図しない物”が出ている事に……
「?」
チアルナは殴られて痛むはずの鼻の周りから、痛みが瞬時に消えたことに不思議そうに自身の顔に触れた。腫れも鼻血も引いたのである。
(メディーナ…!)
指先から出ていたのはメディーナの触覚だった。それはオクルスが命じたものではなく、“独断”でチアルナを治癒したのである。
(感化された? 人間の記憶に触れることで? このコボルトに同情しただと?)
オクルスの疑問に、メディーナは沈黙する。普段、感情を動かすことのないオクルスはそれを不快なものだと認識する。
ふと視界に手下のひとりが手斧を振り下ろそうとしているのが目に入った。それがなにを狙っているものかも考えずに、オクルスは指から“球”を放つ。
「ブベッ!」
手下がその場に崩れ落ちる。
(? チッ。“私を狙った”わけじゃなかったか…。メディーナ。答えろ)
オクルスは内面に語りかける事に意識を集中させたが、指先部分にいるメディーナからは返答がない。ますますオクルスの中で不快感が拡がる。
「あ、あの…」
「……私に逆らうな。殺すぞ」
「ひ…う…ッ!」
その言葉はチルアナに向けてのものではない。だが、オクルスの思わず発露させた怒気に当てられ、チルアナは呼吸が止まりそうになる。
彼女が恐怖心に囚われていることなど構わず、オクルスはもうすでに考えを切り替えていた。
(仕方がない。殺さなければ言い訳が立つだろう。状況を静観する方が悪化する)
「お、おい。テメェか? なにをやった?」
さっきまで戦っていた手下たちが怯えたように、カタカタと震える剣先を向けてくる。
(“毒”と“酸”…論外。“麻痺”…一番楽だが、神経毒は中枢神経に影響を与える。量を少しでも間違えると殺してしまう。それに後でどうやって投与したのかを聞かれると面倒だ)
「おい! 聞いてるのか!! 返事…ンブッ!」
オクルスを取り囲んでいた男たちが一斉に倒れる。
「は? なんだ? 魔法か?」
さっきまで笑っていたドゥマは警戒心を露わにする。
「魔法じゃにゃい。なにか“飛ばし”てるけど…アアシの目にも視えない…」
シャルレドの言う通り、オクルスは指先にゴムのような球状の物を生み出していた。それは“自身を千切ったもの”を超高速で飛ばしていたのだ。
(下から顎に当てれば、脳震盪を起こす。が、あの2人は少しレベルが高すぎるな。当てても気絶まではさせられない)
オクルスは先に、ドゥマの手下に球を撃ち込んで全員倒してしまう。
「じょ、冗談じゃねぇぞ! ふざけんな! オメェ、いったい何者だ!? オイラたちが誰だか知ってんのか!?」
急に小物臭いことを言い出すほど、ドゥマは追い詰められていた。しかし、オクルスは無言のまま進んで来る。
「……どういう心変わりだにゃ?」
胡散臭そうに、シャルレドは腕を組む。
「小蝿が眼の前を飛んでいたら鬱陶しいでしょう。それを追い払うだけのことです」
「小蝿だ? それ、オイラのこと言ってんのか!?」
「気に食わないが、礼は言っとくにゃ」
「無意味です。貴女のためではありませんから」
オクルスは左手を伸ばしてドゥマを掴まえようとする。
彼は剣を振るって抵抗するが、その隙間を縫うようにスルスルと長い手が動く。
「ギャアアッ!」
ドゥマの双剣を払い落とした上、オクルスはあっという間にその頭蓋を鷲掴みにして持ち上げた。
「ど、どういう腕力してるにゃ…」
「は、離せ! 離しやがれ!!」
「少し静かにして貰えませんか? 交渉したいのです」
シャルレドは眉を寄せる。
「こ、交渉だ? 人の頭を掴んだ状態で…ギギギッ!」
オクルスが少し力を入れると、足をバタバタさせていたドゥマが大人しくなる。
「このまま、私とシャルレドは居なかったことにして貰えませんか?」
「は、ハァ?」
「貴方は貴方の仕事を行ったということで、彼ら…つまりは貴方の部下と一緒に、この店の集金を持って帰って頂きたいのです」
「……おい」
シャルレドが睨んでくるのに、オクルスは鷹揚に頷く。
「貴女の望みは、あのコボルトの女性の解放でしょう。それも条件に付け加えましょう」
シャルレドは、チルアナと老店主を見やり、それから大きくため息をついてサーベルを鞘にしまう。
「グッ! へ、へへッ! こんな舐められた真似してそんな事できるか! オイラの頭を潰すか!? いいぜ、やれよ!! 仲間が必ず報復する! そうしたら、オメェもこの市場ももう終わりだ!!」
「いいえ、貴方は殺しません。受け入れて貰えないのならば、私がシャルレドを殺します」
「…はァ!?」
素っ頓狂な声を上げるドゥマ。真顔を保っていたシャルレドはプハッと吹き出して笑う。
「オメェ、シャルレドの男じゃねぇのかよ!?」
「なんの話ですか?」
「ニャシシ。オマエ、やっぱおもしれぇヤツにゃ」
「このアマ! つまんねぇフカシこきやがって! 無関係なら、オイラたちが争う理由ねぇじゃねえか!」
「最初からそう言っています。聞く耳を持たなかったのはそちらです」
「つれないこと言うなよ、ダーリン。愛する男に殺されるなら、アアシは大歓迎にゃし。そういうシチュは興奮する!」
「…それはもしかして冗談ですか?」
「ああ? ニャシシ。当たり前だろ」
シャルレドに振り回されることに、オクルスは少し呆れる。
「…まあ、その辺で勘弁してやってくれねぇかな」
「!」
ドゥマを捕まえていたオクルスの左腕を、横から伸びた何者かの手がガシッと掴んだ。




