あれだけ愛していたのに…裏切られた公爵令嬢の愛は夏空と共に
あの方と結婚したい。あの方の隣に並びたい。あの方と…あの方と…
公爵令嬢メラウディアは、それはもう美しい金の髪で青い瞳の令嬢だった。
歳は16歳。
10歳の時にこのサレント王国の王太子、レオディール王太子殿下と婚約を結んだ。
3歳年上のレオディール王太子は、銀の髪に青い瞳のとても美しい少年で。
出会った瞬間にメラウディアは恋に落ちた。
レオディール王太子は、メラウディアに向かって手を差し出して、
「私がレオディールだ。レオでいい。メラウディアみたいな可愛らしい女性と婚約できるなんて私は幸せものだな」
「わ、わたくしもですっ」
メラウディアは真っ赤になった。
この人の為ならば、どんな辛い事でも頑張れる。そう強く心に誓った。
サレント王国の王族に嫁ぐにふさわしい王妃教育を10歳のメラウディアは、毎日のように王城に通い、勉強することになった。
何人もつく家庭教師、どの家庭教師も怖くて。
「こんな事も解らないのですか?メラウディア様」
「こんな事では未来の王太子妃、サレント王国の王妃様になれませんよ」
教師達はそう言って、メラウディアに厳しかった。
辛い勉強も、レオディール王太子がいたからこそ、頑張る事が出来た。
レオディール王太子はメラウディアに優しかった。
「妃教育は大変だろう。だが、メラウディアが将来、私の伴侶として困らない為に教師たちは厳しく教えているのだ」
「わかっております」
「大変だろうが、頑張って欲しい。私も頑張って勉強しているよ。このサレント王国をよくするために。父上のような立派な国王になるために」
なんて立派な方なのだろう。
メラウディアはレオディール王太子殿下への想いがさらに強くなった。
愛しているわ。とても愛している…
わたくしはレオディール王太子殿下の婚約者になれてとても幸せなのだわ。
レオディール王太子殿下の婚約者として6年の時が過ぎた。
メラウディアは毎日王城へ通い、王妃教育を頑張って来たのだが、
「メラウディア・コレントス公爵令嬢。そなたとレオディール王太子との婚約を解消する」
ある日、父と共に王城へ呼び出され、国王陛下にそう宣言されてしまった。
思わずメラウディアは国王陛下に向かって叫んだ。
「わたくしに至らない点でもありましたか?何故ですっ?国王陛下」
発言を許されていないのに、不敬である。解っていたが、言わずにいられなかった。椅子に座っていた国王陛下は立ち上がり、メラウディアに向かって、
「まことにすまない。隣国の王女をレオディールの妃にと申し出があった。両国の平和の為に、それは必要な事。我がサレント王国は断ることが出来ない。許してくれ。メラウディア」
「わたくしはっ。わたくしはっ…」
レオディール様は?探してみた。
レオディール王太子の姿はその場にはない。
父のコレントス公爵がメラウディアの肩に手を置いて。
「お前の気持ちは解るが、王命なのだ。ここで逆らったら我が公爵家が罰せられる。耐えてくれ。メラウディア」
「レオディール王太子殿下っ…いやぁーーーーー」
メラウディアはそのままその場に倒れた。
気を失ったのだ。
再び気が付いた時は自宅のベッドに寝かされていた。
涙がこぼれる。
なんの為に今まで辛い王妃教育を頑張って来たの?
レオディール王太子殿下がいてくれたからこそ、頑張って来られたのではないの?
レオディール王太子殿下に馬に乗せてもらった事もあった。
二人で王城の庭でピクニックをした事もあった。
お忍びで城下へ出かけて、デートをした事もあった。
レオディール王太子殿下はとても優しい人で、頑張って欲しいといいながら、気遣ってくれて。
気晴らしに連れ出してくれたり、美味しいお菓子や紅茶を手配してくれたり、素敵な花や宝石を贈ってくれたり。
何よりも、努力家で、勉学に励む姿や、身体を鍛えるその姿。
尊敬も出来て、何よりも愛していて…悲しい…悲しい…悲しい…
涙が止まらない。
メラウディアは声を出して泣いた。
公爵令嬢としてふさわしくない。解っている。それでも、レオディール王太子殿下と結婚出来ない悲しみを我慢できなかった。
食事も食べる気力が起きなくて。
心配した父や母が、
「少しでも食べておくれ。でないと死んでしまう」
「そうよ。メラウディア。今回の事は可哀そうだとは思うけれども、王命ですもの。仕方がないわ」
メラウディアは叫んだ。
「いやっーーー。いやぁっーーー愛しているの。わたくしは王太子殿下の事を愛しているのっ」
枕を投げつけて両親を部屋から追い出した。
毎日、泣いて泣いて泣いて。
食べなくては…と思うようになって、体力が回復したのが一月後だった。
屋敷から出る気力も無くて、しばらくぼんやり過ごしていたのだが、
とある日、メイド達が話している噂を耳にしてしまった。
隣国の王女様がこの王国にやって来る。
レオディール王太子殿下に会いに。
胸が痛い…とても苦しい。
そして、父から飛んでもない事を聞いたのだ。
「私は断ったのだが、今度隣国の王女殿下がこの王国にやってくるのだが、メラウディア。お前にお友達になって欲しいと、王女殿下が望まれてな」
「お友達に?何故、わたくしが」
「それは今まで王妃教育を受けて来たお前だ。色々と教えて欲しい事もあるそうだ」
「わたくしでなくても、教育係に教育させればよいではありませんか」
「それはいずれそうするだろうが。今度の訪問で、お前と仲良くなりたいと王女殿下の望みでな」
メラウディアの心はイライラした。
どういうつもりなのかしら。わたくしは元レオディール王太子殿下の婚約者だと言うのに。
父はきっぱりと、
「王命だから断ることが出来ない。すまない。メラウディア」
「わかりましたわ。お父様」
5日後に、隣国の王女殿下、マリーネ様が大勢のお付きと共に王城にやってきた。
レオディール王太子殿下が正門まで出て、家臣達と共に出迎える。
「ようこそ、我が王城へ」
「出迎えて下さり有難うございます。レオディール王太子殿下」
にこやかに馬車から降りて、挨拶をするマリーネ王女はそれはもう美しい金の髪の女性だった。
それをレオディール王太子殿下の後ろに控えていたメラウディアは、悔しく思った。
自分だって美しさには自信がある。
それなのに…
今日だって、レオディール王太子殿下はメラウディアを見ても謝るでも無く、声をかけるでも無い態度だった。
せめて謝って欲しい。いくら王命で、婚約が解消されたからって…
心に思っていたのに。
レオディール王太子殿下は幸せそうに微笑んで、マリーネ王女の手を取った。
それを見て、胸がかきむしられるメラウディア。
悔しい…悔しい…ああああっ…苦しい…
歩き始めようとしてマリーネ王女はメラウディアに気がついたように、
「貴方がもしかしてメラウディア?」
「そうでございます。わたくしがメラウディア・コレントスでございます」
頭を下げる。
マリーネ王女は弾んだ声で。
「わたくしと同い年だそうね。16歳。お友達が欲しかったの。王妃教育を受けてきた貴方に色々と聞きたいわ」
「わたくしでお役に立てればなんなりと」
「まぁ嬉しいっ。仲良くしてくださいね」
背を向けてレオディール王太子殿下と歩き出すマリーネ王女。
メラウディアはイラついた。
わたくしの気持ちも知らないで…
二人の仲よさそうな雰囲気にイライライライラ…
歓迎パーティが王宮の広間で行われると言う。
歓迎パーティで二人の仲良い姿なんて見たくはない。メラウディアは王宮の庭の片隅で、ひそかに泣いた。
その時、使用人の一人に声をかけられた。
「マリーネ王女様がメラウディア様をお探しでございます」
「わたくしになんの用よ」
「傍にいて下さらないと不安だとか」
「わかりました。今、行くわ」
王宮の会場に戻ると、マリーネ王女に声をかけられた。
「探したのよ。貴方に祝ってもらわないと、わたくし幸せになれないわ」
レオディール王太子殿下に腕を絡めてにこやかに微笑むマリーネ王女。
レオディール王太子殿下もにこやかに、
「君に祝って貰いたい。両王国の平和の為にね」
あああ…レオディール王太子殿下ってこんな事を言う方だったかしら。
でも王国の事を一番に考えている方だから…
そう…わたくしの気持ちなんてどうでもいいんだわ。
その日の二人を祝う夜会は華やかに行われて。
次の日もメラウディアは王城に呼び出されて、この王国に不慣れなマリーネ王女の相手をしてほしいと。
二人で王宮の庭でお茶を飲む。
マリーネ王女はにこやかに、
「貴方とお友達になれて嬉しいわ。こうしてお茶を飲むお友達がこの王国でも欲しかったの」
「わたくしでなくてもよかったのではないでしょうか」
「貴方でなくては駄目よ。レオディール王太子殿下って素敵な方よね。そう思うでしょう。わたくし、本当にあの方と結婚出来るなんて幸せだわ。貴方もそう思うでしょう」
見せびらかしたいの?それとも…自慢?
メラウディアはイライラした。それでも表情は崩さず紅茶を飲むメラウディア。
マリーネ王女は言葉を続けて、
「貴方に恨まれたら困るもの。このサレント王国の為に、わたくしに仕えて欲しいわ。メラウディア」
王国の為に…わたくしの心なんてどうでもいいと言うの?レオディール王太子殿下もこの女も…
メラウディアは立ち上がる。
「今日は気分がすぐれません。わたくし、失礼させて頂きます」
「あらそう。それじゃまた明日、お茶を一緒に頂きましょう」
マリーネ王女に言われて、殺意が芽生えた。
だが、殺すわけにはいかない。一国の王女だ。それに自分が殺したら、罪人として処刑されてしまう。コレントス公爵家もただではすまないだろう。
涙が流れる。
公爵家に戻ると、隣国へ留学していた義弟マルトスが戻って来ていた。
といっても血がつながった弟ではない。遠縁である。
コレントス公爵家が養子に貰った16歳、同い年だが生まれた月が下の為、義弟に当たるのだ。メラウディアがレオディール王太子殿下に嫁ぐ予定だったので、公爵家の跡継ぎとして養子に入った男である。
とても人懐こい義弟で、留学していてめったに会えないが、会えた時はメラウディアは可愛がっていた。気軽に何でも話すことが出来る義弟である。
「義姉上、久しぶりーー」
「マルトス。戻って来たの?」
「だって夏だよ。学園は夏休みだよ。久しぶりに家でくつろいだっていいじゃん」
「わたくしは、もう悔しくて悲しくて」
「ああ。聞いた聞いた。王女様に王太子殿下を盗られたんだってね」
マルトスは冷たいレモネードを飲みながら、にこやかに、
「だったら取り返せばいいじゃん」
「取り返すってどうやって?」
「あのマリーネ王女様、男好きなんだって。隣国カール王国では有名な話だよ。取り巻きの護衛騎士は美男ばかりだってさ。その中の連中と出来ているんじゃないかって。」
「そうなの?それを王家は知っていて、レオディール王太子殿下の婚約者に迎えたのね」
「両国の平和がかかっているからね。多少の男遊びは目を瞑らざる得ないんじゃないかな」
「許せない。わたくしはこんなにもレオディール王太子殿下を愛しているのに」
「愛されていないじゃん。義姉上。そりゃ、レオディール王太子殿下は義姉上に優しかったみたいだけど…あの人が一番なのはこのサレント王国だろう?そりゃ、未来の国王陛下だ。当然といえば当然だろうけれどもさ。」
「そうよね。あの方はサレント王国の事を一番に考えて、わたくしの事なんてわたくしの事なんて」
マルトスがハンカチを差し出してくれた。
また、泣いてしまった…恥ずかしいわ。
マルトスがレモネードを飲みながら、
「公爵家の力で、マリーネ王女様の護衛騎士にこちらからも美男騎士を紹介したらいいんじゃない?我が公爵家の為なら命も惜しくない派閥の令息なんて、いるでしょう?」
「それは我がコレントス公爵家に恩がある伯爵家とか、あるけれども、わたくしは、彼らに迷惑はかけたくはないわ」
「ともかく、俺に任せて。いいね?義姉上」
「ええ」
まさか義弟が自分で行動に出るとは思わなかった。
二日後、大勢の使用人達が囲む中で、半裸のマリーネ王女の褥から出てきたのは、マルトス・コレントス公爵令息だった。
マルトスはけろりと、
「ちょっと寂しいって、言ったらマリーネ王女様が一緒に寝ましょうと誘ってくれて」
マリーネ王女は青い顔で、
「ちょっとどうしてこんなに人がいるのよ。内緒でって言ったでしょう」
「自慢したかったんだもん。マリーネ王女様と一緒に寝た事」
この醜聞はあっという間に広がってしまった。来て早々、男を褥に引き込む王女。
いかに両国の平和の為とは言え、あまりにも醜聞すぎた。
マリーネ王女は隣国へ送り返され、今回のレオディール王太子殿下との婚約は無かったことになった。
コレントス公爵家にも責任がある。しかし、マルトスに罰が下されただけで、公爵家に罰は下されなかった。
マルトスは廃嫡されて、隣国へ追放となった。
「いやーー。隣国でもっと勉強したかったし、丁度よかったよ。公爵家の養子にはいったけど俺には荷が重すぎたってね」
「申し訳なかったわ。わたくしのせいで」
「義姉上の事。大好きだから。それじゃまた」
再び、レオディール王太子殿下の婚約者に戻ったメラウディア。
王妃教育を施したメラウディアを王家は手放さなかった。だからコレントス公爵家の処罰もマルトス自身だけにしたのだ。
レオディール王太子殿下はメラウディアに、
「すまなかった。王国の為に君と婚約を解消して。これからもよろしく頼むよ」
「ええ、レオディール王太子殿下」
嬉しいはずなのに、嬉しくない。
以前はあんなに好きだったレオディール王太子殿下にときめかなくなった。
きっと裏切られたから。サレント王国の為にマリーネ王女と婚約した。
自分は一度、捨てられたのだ。
その心の傷は生涯消えようもなく…
一生、彼の傍で幸せを感じる事はないだろう。
微笑むレオディール王太子殿下。
その手に手を重ね、そっと握り締めるメラウディアの心は、暑い夏だと言うのにとても冷たかった。
はぁ。気持ちいいわーーー。
空は限りなく青い。
メラウディアは国を出た。
船はゆっくりと隣国へ進む。
― 義姉上の事。大好きだから。それじゃまた。―
何だか無性に義弟に会いたくなった。
旅行をして来るって出てきたけれども…
このまま、サレント王国に戻りたくないわ。
風で白い帽子が煽られて飛んでいった。
夏の入道雲の彼方へ消えていく白い帽子をメラウディアは目を細めて見つめていた。
メラウディアはそのまま行方不明になった。
レオディール王太子殿下は仕方なく、別の家の伯爵令嬢と婚姻した。
彼はサレント王国の為に、共に頑張ってくれると思ったのにメラウディアはどうしていなくなってしまったんだとよく側近にこぼしていたと言う。
どこか遠くの国の片隅で、移住してきた夫婦が、羊を追いかけて、幸せに暮らしたというのは、サレント王国の誰も知らない。