真夜中の逃走劇
マフィア頭領であるクリストフェル・ノルンは上機嫌であった。
私室の椅子に深く座り、琥珀色のリキュールを流し込む。ここ最近は精力的に動いていたため、こうして酒を飲む暇もなかったが、ようやく一息つけたことに安堵する。
曖気とともに吐き出されたアーモンドとアルコールの混ざった臭いが嗅覚を刺激した。
全て順調に進んでいる。何もかも。
今まで碌なシノギがなかったが、強力な魔女の力が手に入ったことでそれも解決した。
そう遠くない未来に、もっと高い酒を惜しまずやれる日が来るだろう。
ボドヴィット一家の頭領であったトーマス・ボドヴィットは、先日暗殺することに成功しており、ファミリーの支配権は自分に移った。ファミリー内での抗争、まして親殺しなど最大のタブーとされる行為であるが、魔女と協力関係を結んだ今となっては自分に逆らう組員など存在しない。
昔は良かった。ボドヴィット一家は暴力一つで、このミッドガーデンという街をのし上がってきた。群雄割拠の北エリアをまとめ上げるために、マフィアたちは血を血で洗う抗争を繰り返し、時に裏切り、時に競合し、しのぎを削ってきた。
その抗争の最中、親という立場でありながらも先頭に立ち続けるトーマスの背中に憧れ、自分も鉄火場を走り抜けてきたのだ。
その中で命を落としかけたことは一度や二度ではないが、数多の抗争を生き抜き、ボドヴィット一家は北エリアでも有数のマフィアへ数えられるようになった。
しかし最近はどうだ。騎士団や教会の顔色を伺いながら、つまらない商いを細々と続けるだけ。相互利益のためと、他のマフィアともシマを分け合っている状態だ。
嘆かわしいことに前代はすっかり耄碌してしまった。
現在この街の全域に根を張り、多大な影響力を持つ教会と騎士団。
前代はその権力の前に飼いならされてしまい、そうなってしまっては中央への進出はおろか、北エリアの覇権を握ることすら絶望的であった。
魔女を名乗る女からコンタクトがあったのは、どうすればこの街の支配構造を変えることが出来るか考えを巡らせているときであった。
魔女との利害関係が一致した後は、その異能の力を利用して、自分に歯向かう連中を残らず始末した。
手始めに腑抜けたトーマス・ボドヴィッドを殺害。そして他の組織へ圧力を強め、マジックドラッグや禁術売買のシマを独占することに成功。これだけの資金源があれば、もっと強力な兵器や組織を作り上げることができ、いずれはピラミッドの頂点へ手が届くかもしれない。
「キミは強欲だね」
不意に耳に届いた中性的な声に、グラスを運ぶ手が止まる。
声のした方向へ目線を向けると、いつの間に部屋に入ってきていたのか、ソファに腰けた赤髪の魔女が愉快そうに笑っていた。
「いつかその欲がキミを滅ぼすよ」
前代の残した趣味の悪いオブジェを指でなぞりながら、彼女はご機嫌に鼻歌を奏でだす。
断りなく私室に入ってくることも、まるでこちらの考えを見透かしたかのような発言も、いちいち癇に触る女だった。
自分の短気は自覚するところであるが、折角の気分に水を差されたような気がしてならない。
――自身の魔女としての力を好きなように利用しろ。その代償としてファミリーが持つ、教会とのパイプを使わせてほしい。
それがこの魔女からの提示された契約。
最初こそ半信半疑であったが、試しに振るわせた魔女の魔法を目にした途端にどうでも良くなった。
(この力は使える!)
禁術の調達、暗殺、脅迫。特に暴力沙汰においてはかなりの恩恵を受けた。
だが自分に対する振る舞いに関しては別の話だ。少なくとも、私室に勝手に侵入して酒を不味くするような言動を許した覚えはない。
一つ怒鳴り返してやろうかと口を出かかった言葉はしかし、私室の扉を叩く音に邪魔をされる。
不必要に大きなノックの音だけで、その下品な性分が伝わってくる。
「ボス。ご報告が」
こちらの返事を待つことなくドアが開けられ、柄物のシャツをだらしなく着崩した部下が入ってきた。
心の中で舌を打ちながら、顎をしゃくって先を促す。
「ウチを嗅ぎまわってる連中がいると、ピンク街から情報が回ってきています」
「あぁ? その連中は昨日コイツが片づけただろうが」
ソファで寛ぐ魔女を指す。
「いえ、それがまた新手だそうで。男が一人とガキが二人。ガキの素性はわかりませんが、男の方は異端審問官だと」
「異端審問官……。目的は、お前か」
肩を竦めた魔女と目が合う。最近は特に派手に動き回った。魔女の存在が漏れていても不思議ではない。
敵が多いのは結構なことだが、こう連日になると少々面倒臭い。
「兵隊を送れ。異端審問官だろうが関係ねぇ。全員殺してこい」
頷いて出ていった部下の背中を睨みながら見送る。
異端審問官のことは噂程度には知っている。魔女狩りを専門にした、教会が保有する虎の子。
魔女に関することは公にはされないため、異端審問官に関しても出回るのは本当か嘘かわからないような話ばかりだ。
曰く、一人で一個小隊に匹敵するだとか。
曰く、魔女に関わった者は問答無用に皆殺しにされるとか。
正直、胡散臭い。
しかし、色々と嗅ぎまわられるのも面倒だ。
異端審問官と敵対するということはつまり、教会への宣戦布告とも取られかねないが、幸いなことに教会内部にはお友達がいる。上手く誤魔化すよう“お願い”しても良いし、最悪この魔女に全ての責任を擦りつけても良い。
大丈夫。全て順調に進んでいる。
「ねぇねぇ、ボクも行っていいかな」
深紅の髪を揺らしながら、魔女は無邪気な声を上げた。
その言葉に、はぁと大きな溜息を吐き応える。
「お前話聞いていたか? 相手は異端審問官だ。しかも目的はお前。これまでの連中みたく、スコッチエッグを揚げるのとは訳が違うんだぞ」
この魔女の力は認めるところであるが、異端審問官といえば対魔女の専門家だ。魔女を爪の先まで知り尽くした彼ら相手に、そのカードを切るのは愚の骨頂というものであろう。
しかし、わかっているのかわかっていないのか、自信に満ちた表情で魔女が立ち上がる。
「だいじょーぶ、だいじょーぶ! どんな料理だって献立通り作れば問題ないだろう? 異端審問官だって、しっかり対策を立てれば対処はできるものさ」
「それに……」
ニヤリと気持ち悪い笑みを浮かべる。
「ボクが興味あるのは子供の方なんだよね」
ふふ、と唇に指を当てて微笑むが、口の端から涎が垂れている。
「ああ……お前、そっち?」
「あはは、こう見えてボクはなんでもイケるんだよ」
***
「っ……!」
突然、身震いするアルル。
「どうした」
「いや、何か寒気が……」
歓楽街を抜け、最後に赤髪の魔女が目撃されたという地点へ向かっている最中だった。
少しずつ人通りが疎らになり、先ほどまでの喧騒が遠のいていく。夜の静けさが濃くなるのに比例して、街を照らす光も頼りないものに変化していく。
もし一人で歩こうものなら、いつ窃盗や暴行の餌食になってもおかしくないような環境だ。
大通りから細道を経由し、車が通り抜けられないような裏路地へ。僅かな魔力の痕跡を辿りながら進むと、一つの空間に出た。
壁に囲まれた袋小路。
まるでそこだけが日常の中から切り離されたような空気が流れている。元々何か建物でもあったのだろうか。行き止まりにしておくには、少々広い空間だった。
残飯を求めてきた鼠も死肉に群がる羽虫の一匹も見当たらない。
ただただ微量の魔力と何かが焦げた臭いが漂っている。
「魔力の残滓が最も濃いのはここだ。高出力の魔術もしくは魔法が使われた形跡がある。おいイカスミ坊主。貴様の仕事だ」
その空間に向かって碧眼を凝らすアルルが、神父見習いの少年を呼ぶ。
暗闇に対する恐怖もあったのだろうか、テオーはアルルの声にビクリと身を震わせた。
「ヘリアンの私兵が連絡を絶って一日。残留思念が消えるにはまだ早い」
その土地に残された思念に触れる魔術を思念観測と呼ぶ。それはその場所の記憶を覗き見る、神父による魔術。
残留思念の観測と記録を目的としたそれは、今までにも様々な事件を解決へ導いてきた。
「うぅ実戦は初めてです……」
緊張した面持ちで、しかし丁寧な手順で両手に魔力を循環させていくテオー少年。
次第に彼の体全体が淡い光を帯び始めた。
それを見て頷くアルル。ポケットからチョークを取り出し、地面に魔法陣を綴っていく。迷うことなく描かれたそれは、複雑な幾何学模様が重なり合い、一つの芸術品の様相を呈している。
「タコツボ坊主、直接潜らずこの陣の上に投影しろ。それと一応防壁は張ったままにしておけ。この場所が当たりなら精神汚染の危険がある」
「わ、わかりました。潜らず、投影……。できるかわかりませんがやってみます」
テオーは何かをイメージするように、眉根を寄せて目を細める。
自身の魔力を、アルルの描いた魔法陣に向かって放出。点から点、線から線へ、テオーの魔力が重なっていく。
その全てに魔力が行き渡ったたとき、魔法陣全体が魔術発動の合図を奏でた。
柔らかな光が俺たちの姿を照らし、魔法陣の中心に、この場所の記憶が映像として投影された。
まず投影されたのは目深に被ったフードで顔を隠した男。キョロキョロと辺りを伺うように見回している。その挙動不審な男から黒い箱を受け取る、無精髭を生やした柄の悪い男。なにか取引のようなことをしているらしい。そしてその後ろで、その箱を興味津々といった目で見つめる深紅の髪を湛えた女。
場面が転換する。次いで投影されたのは、折り重なるように倒れた人間。そして先ほどの女だ。金色に輝く双眸を湛えた彼女が手を振るうと、辺り一面に火炎が広がり、山積みになった人間の体に炎が纏わりつく。
火炎は一瞬にして全てを燃やし尽くし、辺りに灰を降らせた。
異変が起きたのはその時だった。
映像に突如ノイズが走る。炎に照らされるように、この場所の記憶に呼応するように、魔法陣の周囲から、複数の黒い影のようなものが立ち上がった。不明瞭な姿をしていたそれは徐々に人の形を成していく。
アツイ……アツイ……。
シニタクナイ……。
ダイシサイサマ……。
残留思念から生み出された影が、呪詛の声とともにテオーの体に纏わりついていく。
テオーの額に汗が滲む。眼を見開き、強張る体が浅い呼吸を繰り返している。
魔力は魔法陣へ供給され続けているが、彼の不安や恐怖に呼応するように映像が不安定になっていく。その間にも影たちの浸食が進み、テオーの下半身を覆い尽くそうとしていた。
「そこまでだ」
アルルの制止の声とともに、テオーの全身から力が抜ける。
魔法陣に供給されていた魔力がプツリと途絶え、映像が消える。それと同時にテオーの体に纏わりついていた影も、その存在を保てず瓦解していく。
尻もちをついた姿勢で呆然とするテオー。
残留思念の観測とは、云わば限定的な過去視。土地に残った記憶を覗き見れば、そこに居た者たちの感情や怨念までも拾い上げてしまう。未熟な者が対策もせずに行えば、いとも簡単に精神が汚染され、最悪廃人となりうる危険を孕んだ魔術であった。
本来、それを防ぐためには多量の魔力と技術が必要である。アルルのサポートがあったとはいえ、神父見習いという立場でありながら、やり遂げたテオーは見事であった。
「やるなぁ。ヘリアンが優秀だって言ってたのは理由がわかるよ」
俺は素直な称賛に、テオーはようやく落ち着いたように胸を撫でおろす。
「いやぁ、それほどでもっ――!?」
汗を拭きながら、にへらと照れたように笑みを浮かべるテオー。
その顔へ伸びていく少女の手。
アルルが、彼の顔をぐぃっと引き寄せその瞳を覗き込んだ。
「……」
顔が、近い。
不意の出来事に身動きが取れないテオー。
「あ、あの……アルルさん?」
睫毛が触れそうな程の距離。テオーの頬にさっと朱が差した。
神職見習い、恐らく女性への耐性が乏しいと思われる彼にとっては、些か刺激的な距離ではないだろうか。
それにアルルは自称するだけあり、口さえ閉じていればかなりの美少女だ。
ういやつめ。
ドキドキしているんだろう! 少年!!
ゴクリと、テオーが喉を鳴らす音が聞こえた。
「精神汚染は――問題ないな」
一方のアルルは実に事務的な態度であった。
確認を終えたと同時に彼の顔から手を放し――あろうことか、その手をハンカチで拭った。
それを見て絶句するテオー。
そんな彼にお構いなく離れていくアルル。
「ここで何らかの取引が行われたようだな。あの箱の中身が件の文書か。そして赤髪の女がマフィアが飼っている魔女。ふん、ようやく役に立ったな豆坊主」
いやぁ、アルルさんそりゃないっすよ。
「……おい童貞、いつまで腑抜けた顔をしている。さっさと立て。貴様にはまだ馬車馬のように働いてもらうぞ」
何事もなかったかのようにその場を後にするアルルと、真っ赤になった顔を伏せながら体を起こすテオー。
心中察するよ。俺も慣れるまで時間かかったもん。
緊張、恐怖から一転し羞恥心へ。右へ左へ感情を揺さぶられた彼に向かって、強く生きてほしいと心の中で祈った。
***
『気付いているな』
もと来たルートを引き返している途中、アルルから通信魔術が飛んできた。
『勿論だよ鬼畜女』
夜闇の中、着かず離れずの距離を保って追従してくる、いくつかの気配があった。
息を潜め、足音を殺し、建物の影に隠れながら、俺たちを囲むように展開している。
直前まで気配を消し、完全に包囲が完成したところで初めて牙を剥く。地形と人数を最大限に活用した狩りの手法。堅気にできる芸当ではないだろう。
このタイミングでの尾行。相手がマフィアの刺客であろうことは容易に想像がつく。
「あの、お二方。この後はどちらへ向かう予定ですか」
尾行に全く気付いていない様子のテオーが、呑気に次の予定を尋ねてくる。先ほど思念観測で魔力と体力諸々を使い果たしたこともあるが、そうでなくても非戦闘員である神父はこういった気配に鈍い傾向にある。
俺とアルルも尾行に気づいていない素振りを徹底しているが、時間をかければかけるほど挟み撃ちにされる可能性が高まる。
『数が多い。二手に分かれるぞナメクジ』
『オーライ、丁重に迎えてお話を伺おう』
『片づけたらセーフハウスで合流だ』
俺と同じ結論に至ったらしいアルルの提案に乗る。
「……へっ? え、えっ!?」
突如として、跳躍する少女。
彼女が人間離れした動きで、建物の屋根へ飛び乗った。
五メートル以上はありそうな高さを跳躍したアルルを見て、目を点にするテオー。
俺は、呆ける少年の腕を半ば無理やり引いて、アルルから離れるように走り出した。
後ろの気配が明らかに騒がしくなり、複数の足音と怒号が響く。相手も俺たちが尾行に気づいたことを察したらしい。
成人男性三人がすれ違える程度の広さの裏路地を駆ける。分かれたアルルと反対方向、相手の戦力を分断するよう誘導する。
そこらのゴロツキに体力は負けない自信はあるが、テオーが行動を共にする以上、この逃避行は長く続くまい。
予想通り、しばらく走っているとテオーの息遣いが荒くなり、足取りが重くなっていく。彼の肺活量も限界が近い。
丁度良い。迎撃するのであれば、ここだ。両脇の壁が高く、死角からの攻撃を受けにくい場所。
「ハッ……ゼェッ……。あ、ば、っなん……ですかいったい」
「悪いね。どうやら追われてるらしいぜ」
立ち止まって追手を待つ。
テオーの呼吸がある程度落ち着いた頃、ようやく追いついてきたらしい男たちの姿が見えた。
全力疾走により喋る余裕もないのか、荒い呼吸を繰り返しながら俺を睨みつける男の後ろに、さらに八人。格好はバラバラだが、服装に品がないことと、目つきが悪いことは共通していた。
一目で堅気ではないと判断できる男たち。
しかし残念。この程度で息を上げている程度では、異端審問官は捕まえられない。
「よ……よう……はぁ、やく……あき、はぁ……らめやがったか」
息も絶え絶えで、まともに喋る余裕がないらしい。膝に手をついている者までいる始末。
運動不足だ、馬鹿ども。
奴らは鹿狩りを楽しむつもりだったようだが、既に立場が逆転していることに気づいていない様子。
この手の咬ませ犬的役割の察しが壊滅的に悪いのは、どこの世界でも共通だ。
「そんじゃ色々聞かせてもらおうかな。ちょっと怪我するかもだけど、保険は入ってるよな?」
懐から取り出した“柄”に魔力を通す。それに呼応して、淡く輝きだした刀身に男たちの姿が反射する。
――さぁ、狩りの始まりだ。




