汝の隣人を愛せよ
何かしら突出した才能がある者以外、三食まともな食事するには軍属となるしかないムスペルヘイム。この国唯一の超高層建築である大統領官邸を訪れた人々が皆、血税の上に成り立つ砂上の楼閣であると密かに揶揄していることは、他の誰よりも大統領自身が知っていることであった。
環境的要因と人口爆発による食料難や頻発する内紛。進行する砂漠化と悪循環の渦に巻き込まれ、国内のお財布状況は散々たるものだった。このままでは国家としての形態を維持していくことすらも難しい。しかしいくら立て直しの政策を弄したところで、ない袖は振れない。ならば他所から資源を奪えば良いと、近隣国への侵略を開始したのが前々代の大統領だった。
「――以上を踏まえまして、魔導研究所ペルアンク襲撃は難民主導で行われたテロ行為と断定し、勝利の剣奪回のための部隊編成を進めております」
大統領の肩書きをぶらさげた人物が公務を行うには、少々手狭な執務室。しかし、死角の多い場所が苦手な自分からしてみれば丁度良い空間と言えた。暗殺は何よりも恐ろしい。セーフハウスや隠し通路やまでの導線は、短ければ短いほど良いと、自分は考えていた。
「あとはあなたのサイン一つで、いつでも軍は動かせます。迅速且つ適切な判断を期待していますよ」
寄木細工と装飾金具で飾られたオーク製の大統領机を挟んで、直立不動の姿勢を貫いている将校が、淡々と報告を終えた。
肩章を吊った彼の軍服の下、およそ三分の二が人工物に換装されているのは軍の中でも有名な話である。四肢は当然、臓器から皮膚まで。
「……外国人を使った、というのは理解ができる。だが、偽の身分証は? いくらなんでもペルアンクのセキュリティを突破できるような代物を、奴らが用意できるとはとても思えんが」
それは、戦争の傷跡だ。国のために戦った名誉の負傷とも表現できるだろう。
しかし……。
人間として生まれ持ったものを失って、全てが金属に代わってしまったとしたら、それは果たして自分と同じ生物と言えるのだろうか。
おぞましい、という気持ちがゼロだと言えば嘘になる。特別彼を嫌っている訳ではないが、機械皮膚により常に一定の表情を張り付けた彼を、直視する度にある種の覚悟を必要とする自分は、果たして大統領の器に相応しくないだろうか。
「難民キャンプに潜入していた諜報部員の一人と、連絡がつかなくなっています。ペルアンク襲撃時に居合わせていたようですが、どうも不自然だ」
金属同時が触れ合う断続的な音が、先ほどから耳に障る。
前大統領の時代から政権を支えてきた将校であるが、それ故に自分の考えよりもこの男の意見が優先されてしまうのも致し方ないと、いつしか割り切ってしまっていた。
「大将、君の言いたいことはわかる。要するに、難民救済派の人間が軍上層に紛れ込んでいたということだろう……。はぁ、今一度、軍属に当たっての身辺調査は基準を見直す必要があるか」
頭の痛い問題ばかりが起こる。厳しく締め付けるのは簡単だが、それに見合う物が果たして得られるかどうか。結果として使えそうな人材の登用が減る、ということも当然起こり得るわけで。しかし安全保障を疎かにすれば今回のようなことが起きてしまう。
難民問題に関しては今に始まったことではないが、彼らの怒りの矛先が国民ではなく大統領である自分に向かっているうちは、まだ良いと捉えるべきだろう。
「……それと、もう一つご報告が」
「……まだあるのか」
思わず溜息が出るが、目の前に立つ将校の真っ白な義眼に見つめられていることに気づき、反射的に表情を引き締める。
「どうやらこの件、教会の関与があるかもしれません」
「なに? どういうことだ」
「数日前、北方の難民キャンプに、黒い十字架をぶら下げた男と、子供の出入りがあったと監視部隊から連絡が。難民の装備といい、不自然なことが多すぎる」
教会……。北方の小さな街から始まった宗教団体。表向きは慈善団体として綺麗事を並べ、呪物や影による汚染災害の予防対策を主な活動としている…………が。
非情な人体実験や、一介の宗教団体が所有するには過剰なまでの武力など、黒い噂が絶えない組織だ。他国の内政にも潜り込み、気づいたころには国中に汚染が広がっている……毒虫のような存在であると、先代の大統領からの引継ぎがあったような記憶がある。
「教会か…………。前代の耄碌ジジイどもに代わって、女司教が指揮を執るようになってからいい噂を聞かん組織だ。前々から目障りではあったが、今回の件にも関与しているとなれば、いよいよお仕置きが必要か。大将、進軍の件は君に一任することにする。難民のついでに、狡猾な宗教家どもの鼻まで明かせれば良いが」
「ええ、ムスペルヘイムに仇なす者には、鉄血の制裁を下すとしましょう」
了解の意を示し部屋を後にする将校の背中を見送り、くたびれた椅子に深く座り直す。気の抜けた全身に疲労が襲い掛かり、しばし目を瞑り思考を止めた。
どうにも、あの将校とは反りが合わない。今の……いやその前の政権から、軍事に関することはほとんどが彼の言いなりとなっている。
「……情けないな」
口から漏れる、弱音。自分の背負う肩書きと国家という重みに、時々潰れそうになってしまう。
「……」
ふいに、どこかから視線を感じ部屋を見渡す。
壁にかかったいくつもの肖像画たちと、目が合ったような気がした。
物言わぬ視線は自分を非難しているのだろうか。
……争い事は嫌いだ。傷つくのも、傷つけるのも、胸が苦しくなる。
昔は自分も前線に立っていた。当時はとにかく生きることに必死で、女も子供も、立ち塞がる者全てが敵だった。今となっては恐ろしい話だが、随分と惨い殺し方をしたこともあった。当然報復もあったし、それに対する復讐もした。五体満足のまま兵役を退けたのは、ほとんど奇跡のようなものだったのだろう。
あんな思いはもうしたくない。それを誰かに背負わせることも、本当はしたくなかった。
だが、もう後には引けない。長く続く混乱も、紛争も、未だ終着点は見えない。
引き金を引いた人物を責める気にはならない。彼とて、断腸の思いで始めた戦争であったに違いない。自分ならどうしただろうか。多分、当時の彼と同じ決断を下したのではないだろうか。
せめて、自分の代で一つでも多くの問題を解決したい。まだ見ぬ次世代の子供たちに、平和で豊かなムスペルヘイムを見せてあげたい。
だが、きっとそれは叶わないだろう。依然として我が国は、不安定な砂の上でかろうじてバランスを保っているに過ぎないのだ。
「……まさか祖国の落魄を頂上から見る羽目になるとはね」
溜息は大きい。
今日もまた、血が流れる。
***
いつの間にか日が暮れかかっていた。地平線の向こうに太陽が沈んでいく。西日の差した室内に影が落ち、爛々と輝く瞳が真っすぐに俺を見据えている。
自ら魔女であることを打ち明けたロキが、あの後に語った内容は俺の想像を簡単に超えてくるものだった。病み上がりの脳には少々ヘビーすぎる内緒話に、終始俺の口は開きっぱなしで、早々に理解を諦めてアルルに全てを任せることにした。
「……私たちの立場も少々複雑でな。助けてもらったことには感謝しているが、誰を信じて何処を目指せば良いのか、決断を下すにはもうしばらく時間がかかりそう…………だ……」
アルルの声に被さるように、俺の腹が低い唸り声を上げた。
横目で俺を睨むアルル。どうせ、頼りないなコイツ、とか考えてるだろ。うん、俺もそう思う。だって仕方ないじゃん。何日もまともな食事してないんだもん!
くすくすと笑うロキの瞳はいつしか、元通りの色に戻っていた。今すぐに返事をする必要はないと、彼女はそう言って立ち上がる。
出入口へと俺たちを促しながら、彼女は思い出したように付け足した。
「……確か、東の国境地帯に行かれるんですよね。もうご存じかもしれませんが、夜の砂漠は冷えます。早朝発てば、お昼前には着くと思います。今夜はゆっくりして行ってください。大したものではないですが、食事も用意していますから」
斜陽に染まる、腰まで伸びた髪。ふと生じた疑問に、彼女の後に続く俺の足が止まる。
「なぁ、ロキさんよ。変なことを聞くようだが、あんたと俺、どっかで会ったことはないか? どうも、初めて会った気がしなくて。なんていうか……」
それは最初に彼女を見たときから、俺の中にあった感覚だ。記憶の奥底を突かれているような、むず痒さ。なにか……大事な何かを忘れてしまっているような、そんな感覚。思い出せそうで思い出せないもどかしさが、ずっと心の隅に居座っていたのだ。
「……いいえ、アヤメさんとお話ししたのは、今日が初めてですよ。きっと、髪や瞳の色が似ているから、そう思ったのかもしれませんね」
しかし、彼女から返ってきた答えは否定だった。
「そう……か」
「ふふ……それとも、そういう口説き文句だったり、とか?」
「へっ!?」
「!?」
先頭を行くアルルが肩を震わせて立ち止まったのが見えた。
唇に指を当てて、悪戯っぽく笑うロキに思わずたじろぐ。
「えっ、あ、いや……はは」
「冗談です。こんなこと言ってたら、アルルさんに怒られちゃうかしら」
「……別にィ? ドコでナニをしようが貴様の勝手だしィ?」
口調崩れてますよ。
軽蔑を隠そうともしないアルルの視線を受け、今夜はなるべく頭を低くして生きようと誓った。
それにしても。
……上手く、はぐらかされたような気がする。でも、姉や妹なんていた記憶はないし、あるとすれば遠い親戚……とか?
――結局、どこか釈然としない気持ちを抱えたまま、モーテルの前でロキと別れることになった。
モーテルを出る頃には、太陽は地平線の向こうにほとんど隠れていた。ブルーモーメントの空に穏やかな風が差し込む。少しずつ気温が下がってきているが、今が丁度過ごしやすい時間だろう。難民たちも昼間よりも活動的な様子だ。
キャンプの中は、思っていたよりも明るい。あちこちで焚かれた火の周りで難民たちが暖を取り、配給された食料へと手を伸ばしている。談笑の声に混じって、シンモラが力説する声が聞こえた。
俺とアルルは、顔を見合わせて笑う。そういえばと、シンモラとはまだ話していなかったことを思い出し、彼女の元へ向かうことにした。
穏やかな時間。異国に来て、落ち着いて食事が出来たのは初めてだったかもしれない。生まれ故郷も、人種も立場も、数えてみれば共通する部分の方が少ないのに、それでも俺たちは笑い合えた。きっとムスペルヘイム国民と難民たちも、戦争さえなければこうして手を取り合えたかもしれないのに。
――襲撃があったのは、その数時間後だった。




