融解
目覚めたと同時に、酷い頭痛と息苦しさに襲われた。二日酔いなんて生易しいものじゃなくらいの、斧で頭をカチ割られたんじゃないかってくらいに鋭い痛みだった。
眠っている間の呼吸がずっと浅かったのだろうか。大きく喉を鳴らしながら吸い込んだ酸素に、肋骨が押し広げられる感覚。全力疾走した後のような呼吸を繰り返し、そして咽た。
床に敷かれたマットレスから体を起こすと、そこは見覚えのあるような、そうでもないような部屋だった。壁を這うひびを追っていけば、大きな窓。黄色く汚れたその窓から差し込む光に照らされて、壁際に押しやられたソファが寂しげにこちらへ背を向けていた。
十五畳程度の明るい室内には俺だけ。部屋の隅には、俺の荷物が纏めて置いてある。当然ながら、出発前にフレデリクから拝借したサーベルはない。後で謝らなくては、と頭を振った。
「いつつ……」
頭痛と、後から襲ってきた節々の痛みに全身を見れば、あちこちに包帯やガーゼが当ててあった。
最後の記憶は、迫り来る装甲艦と大きな三日月。搭乗していたAMUが俺の意志を外れて、魔力砲を撃ち出したのが夢でなければ、そこまでははっきりと覚えている。空中に投げ出され死を覚悟したはずであったが、五体満足であるところを見ると、どうやら九死に一生を得たらしい。
それにしても、俺は一体どれくらいの間眠っていたのだろう。アルルは、シンモラは無事なのだろうか。あのいけ好かない色男崩れはどうなったんだ。
「くそっ……」
頭をぐるぐると疑問が駆け巡る。しかしいくら考えたところで答えの出ない問いに、ただただ不安と苛立ちだけが募っていった。
もし助かったのが俺だけだったら、どうする。アルルが大怪我を……いや、もしも死んでしまっていたとしたら。そんな最悪の考えが、ひたすら渦を巻き、また振りだしに戻ってを繰り返していた。
スルトや、ナルヴィは俺を非難するだろうか。ヘリアンは、また嘲るように笑うだろうか。あの異端審問官は、無表情に俺を見下すのだろうか。
いっそのこと、全て捨てて逃げ出してしまえば楽になるのだろうか。
――嘘吐き。
ナリ・ウールヴルの亡霊が、耳元で囁いているような気がした。
自分自身に対する嫌悪感に吐き気がする。
考えれば考えるほど、俺は自然と自己保身ばかりを考えていた。どうすれば他人から嫌われずに済むのか、どうすれば見限られないのか。
ついこの間、アルルを守ると誓ったばかりなのに。
本当はそれすらも、ポーズなんじゃないかと自分の心すら信じられなくなってくる。
呼吸が早くなる。頭が痛い。
壁伝いに、窓辺へと歩み寄る。容赦なく入り込む日光に目を焼かれながら、両開きの窓を開け放った。
乾いた風が、髪を揺らす。
大きく深呼吸をすると、少しだけ気分が落ち着いた。
窓から見える景色へ視線を巡らす。
元は住宅街だったのであろうか。あちこちに崩れたアパートメントの名残が散見し、瓦礫や廃材が積み重なっている。その先には、その残骸や解体ごみに布を張ることによって急造されたであろう、簡素な住居のようなものが立ち並んでいた。
眼下では、直射日光から身を隠すように、質素な服を纏った数人の男が建物の陰に座り込んでいる。
彼らは実に特徴的な外見をしている。軍人というにはやや貧相な体つきに、薄汚れた格好。しかしその体には、魔導兵装と呼ばれる義体が組み込まれている。数日前、いや数週間前か定かではないが、ここを訪れた記憶がある。
「ここは……」
俺自分の口から、しわがれた老人のような声が出たことに驚き、数回咳払いを挟む。何か喉を潤す物がないかと部屋を見渡していた時、無遠慮な音とともにドアが開いた。
「……む」
「あ……」
男だ。顔中に傷跡を残す、筋骨隆々の男。
確か……最初に俺たちを拘束した、ダウワースとかいう難民だ。
警戒心は、自然と体を強張らせる。知った顔ではあったが、交わした会話の数など片手でも数えられる程度の仲だ。
「そろそろ目が覚める頃だと思っていた。そう構えず楽にしていい。悪いようにはしないさ」
彼は、俺の全身を下から順に眺め、手に持っていたボトルを投げて寄越した。
水が入っているらしい。飲め、ということだろう。
「……ありがとう」
わざわざ怪我の手当てまでしたのだから、今更毒を仕込む意味もないだろう。肩の力を抜き、素直に礼を言った。頷いたダウワースは、相変わらず目つきだけで人が殺せそうな人相をしているが、少なくとも敵意はなさそうだ。
ダウワースの視線を浴びながら、一息でボトルを空にする。
「……あ、あの。幾つか聞きたいことがある…………んだけど」
俺が喉の渇きを癒すまで、律儀に立ったまま待っていたダウワースに、縋るように言葉を投げつけた。
どうして俺がここに居て、扱いはどうなっているのか。他の二人はどうなったのか。あれからどれくらいの時間が経過しているのか。
「……俺の口から語れることはそう多くない。今、お前の仲間が我々の指導者の元で話を聞いている最中だ。そこへ合流するといい」
俺の仲間……!
つまり、アルルとシンモラは生きていて、しかも大きな怪我もしてないってことだ。さっそく大きな懸念事項が一つ消え去ったことに、内心で胸を撫で下した。
「なぁ、これは誤解しないで聞いてほしいんだが……。俺たちはここを発った後、あんたらの上司に酷い目に合わされてな。その、世話になったことはわかっているが……フロディの奴はここに?」
状況からして、俺たちは難民に命を救われたとみて間違いない。間違いないのだが、ここはフロディが指揮を執っていたコロニーだ。奴の影響力がどこまで及んでいるかわからない以上、警戒心をゼロにすることはできない。再びあいつの手の上で転がされるのは、もう御免だ。
「フロディ…………ああ、フロージのことか。我々もあの男に利用されていた。安心しろ。奴はここには居ない、というよりは行方がわからなくなっている」
「そう……か」
「その辺りの事情は、お前より先に意識が戻った二人に聞いた。タフだな、お前の連れは」
嘘を吐いている可能性は捨てきれない。しかしそんな疑念に反して、彼の言葉はすんなりと俺の心に落ちた。俺を真っすぐに見つめるこの男は、何故か無条件で信頼できるような、そんな気がしていたのだ。
これが俗にいうストックホルムシンドロームか。もしくは、ひよこの刷り込みってやつかも。とにかく今は、アルルとシンモラの無事であったことを喜ぶべきだろう。
「そうだろ、自慢の相棒さ」
肩を竦めて応えた俺に、ダウワースは小さく笑みを返した。そして用は済んだ、とでも言うように出口へと踵を返した彼は、付け加えるように再び口を開く。
「今後の話も含めて、お前は我々の指導者に会いに行くべきだ。この建物を出て北に歩くと、エメルン・カフェというモーテル跡がある。そこで、彼女がお前を待っている」
「……待ってる? 俺を?」
なぜ、と尋ねようとした時には彼の姿は消えていた。随分あっさりした男だ。
再び一人になった室内で、突然の孤独感に襲われる。
なんだか無性に、相棒の毒舌少女に会いたい気分だった。
いい加減、眩しさに慣れた目で窓の外へと視線を向ける。
外はやはり、暑そうだ。
***
ダウワースに言われるがまま、俺を待つ指導者とやらが居るモーテルを目指している途中、スクラップになった軍用車の側で、何やら人だかりが出来ていた。
集まっているのは、魔導兵装を装備した男たちだ。またキャラバン隊から物資を強奪でもしてきたのだろうか、時折、歓声が上がっている。まぁ、俺には関係のない話だと素通りを決め込んだ瞬間、その群れの中心から聞き覚えのある声が上がった。
「ほら! これでさっきの倍は魔力伝導の効率が上がったはずよ!」
「おいおいおいおい、見れくれよみんなァ! 今までとは全っ然軽さがちげぇ!!」
「俺のも調整してくれよ! なぁ姐さん、この通り頼むよ!」
「はいはい、慌てなくても全員分みてあげるわよ! 大体あんたたちはね、魔導兵装の扱いがなってないのよ。いくら魔導兵装の耐久性が従来の義肢を大幅に上回っているからっていっても、定期的なオーバーホールは絶対よ! いいかしら。そもそもあんたたちみたいな野蛮な人間にも扱えるよう、演算にファジィネスを組み込んだのは私なんだから感謝しなさいよね! 大体ね――」
「おーい! 俺たちにもわかる言葉で話してくれよな、博士!」
どっと笑い声が巻き起こった。
どちらかと言えば政府側に属していたシンモラ女史は、俺が伏している間にすっかり難民たちに馴染んでいるようだった。元々、スルトの頼みで兵器開発に携わっていた彼女からすれば、政府だろうが難民だろうが、立場なんて関係ないのだろう。姿は隠れて見えないが、彼女の快活そうな声が響いている。
意外なのは難民たちの方だ。もしかすれば祖国に牙を剥いたかもしれない、魔導兵装の開発者であるシンモラに、特に怒りや恨みの感情を見せることなく接している。
難民たちは皆、自分の義肢を、誇らし気に掲げていた。
「……ああ、そうか」
彼らが生きる術を得たのもまた、シンモラの開発した魔導兵装があったからこそ。道具やその開発者が悪いのではなく、誰が、どう使うかが本質であることを、彼らは理解しているのだろう。
俺から言わせれば難民たちもまた、タフな連中だ。彼らがこの不毛の大地で虐げられながらも生き長らえてきた理由。明日への渇望。ただただ、命に、未来に貪欲だからこそ、ここまで生き延びることができたのだろう。
俺は、この国で一体何を成し遂げたのだろう。
到着して早々に拉致され、騙され、ひたすら逃げ続けて。終いには大切な相棒まで死なせてしまうところだった。
――だが生きている。生きていればまた明日が来る。
偽善だろうが、中途半端だろうが、それでも生きてさえいれば。
何度でもやり直すことができるはずだ。
この地に足を踏み入れてからずっと、胸の隅に蠢いていたセンチメンタルが溶けていったような気がした。
まさか彼らに、こんなことを気づかされるなんて。
晴天を眺める。
太陽が眩しい。体が汗ばんでいる。
何度目かになるかわからない、迷いと決意。一生付き纏うかもしれない二つを抱えて、また俺は歩き出す。
モーテルはもうすぐそこだった。




