嘘と歪
砂漠の夜は冷える。日中との温度差が激しいとは聞いていたが、まさかここまでとは。しかし、寒冷地体の気温に慣れている僕からすれば、こちらの方が過ごしやすく感じる。背中に滲んだ汗の不快さを我慢してでも、コートを羽織ってきて良かった。キャソックだけだったら、きっと今頃凍えていたに違いない。
ただ、この気候も悪いことばかりではなかった。年間を通して晴天率が高いお陰で、空気が澄み渡り、今夜も星空の輝きがダイレクトに網膜へ突き刺さるようだ。あの陰鬱な雲に覆われた北国では、一度もお目にかかることのなかった光景に嘆息する。
周囲が赤茶色の岩石に周囲を囲われた空間。難民キャンプ付近の砂砂漠から南東へと進み、風化した岩屑が蓄積した景色へ。露出した岩盤はゴーレムの群れを思わせる。
その岩壁を伝う隙間風と焚火の弾ける音だけが、星空を飾るBGMとなって耳に届いた。
「…………」
昼間から今までずっと、無言だった。口数の少ない同行人に、今更小噺を要求するほど図々しくはないが、そろそろこの旅の行く先や終着点について共有してほしいと思うのは贅沢なことではないだろう。
揺れる炎を挟んで反対側に座る同行人――エーギルさんへ視線を向ける。
「あの……」
「……」
反応なし。俯いたまま、微動だにしない。
何時間かぶりに発した声は掠れていて、聞き取りにくかったのかもしれない。
「あのぅ…………」
「…………」
咳払いを挟み、もう一度話しかけるが……反応ナシ。
あれ、聞こえてるはずだよね。意図的に無視されてる?
というかさっきから全く動かないけど、生きてるよねこの人。
その後、何度か呼びかけるも全て同じ結果に終わり、体だけではなく心まで凍えてしまいそうだと、そんなことを考えていた時。
「あう……」
「……? すまない、何か言ったか?」
ようやくエーギルさんが顔を上げ、僕の方を向いた。
焚火が作り出した影が岩盤に揺れ、それと同調するように身を捩った彼の指で、通信魔術用の指輪が淡い光を放っていた。
「あ……、通信中だったんですね。すみません」
「いや、今終わったところだ。ミッドガーデンは今昼過ぎだそうだ。やはり、それなりに時差があるな」
灰色の街、ミッドガーデン。僕が神父見習いとして出向させられた街。
表と裏、善と悪の側面。今日僕は、教会の中で蠢く、暗い事情を知った。当然、組織として運営されて以上、全てにおいて無償の施しを行うことなど不可能であるとはわかっている。僕と同じような伝播性精神感応症患者も受け入れ続けているし、とても寄付金だけでは賄えないということも。
だからこそ、何かしらの資金源がなければ、教会に所属する者は皆路頭に迷ってしまうことだろう。今、僕たちが馬小屋で藁を抱いて寝ずに済んでいるのは、多少の後ろ暗い事情の上で成り立っていることくらい、いくら見習いの僕だって心のどこかで察してはいた。
しかしまさか、他国へのスパイと人体実験紛いの兵器開発だなんて。ぼんやりとしていた空想が、急に明確な輪郭を持ったかのような、血生臭い現実を突きつけてきたことに、やはり僕は悲しいと思ってしまったわけだ。
「い、いえ! 用というほどではないのですが……。今後、どちらへ向かうのかを確認しておきたくて」
「……そうか。君は、真面目だな」
あなたほどではないですが……と、余計な感想は心の中にしまい込む。
周囲の人々からは、僕もエーギルさんも勤勉で真面目だという評価を受けている、らしい。広義ではそう捉えられると自覚はするところであるが、その本質は下馬評からは少しばかりズれているような気もする。
僕の場合は、敷かれた道から外れることが恐ろしいという理由で、規律を重んじていた。どちらかと言えば、臆病さからくる真面目さなのだろう。
しかしエーギルさんは、きっと臆病さとは無縁な人なんだと思う。どちらかといえば、機械的と表現したほうが正しいだろうか。エーギルさんとの仕事はこれが初めてだが、彼にまつわる話は神父たちの中でも度々挙がっていた。
淡々と自分に与えられた任務に当たり、達成のためならば自身が傷つくことも厭わない。そんなエピソードの数々を聞いていくうちに、ヘリアン様に対する強い忠誠が、どこかプログラムじみたもののように感じてしまうのだった。
「引き続き、イングナル・フレイの足取りを追う。魔導研究所ペルアンクに侵入した賊を追って東へ向かった、というのが最後の目撃例だ」
「はぁ、東……ですか」
こんな広大な砂漠だというのに、随分ざっくりした情報だ。もう少し具体的な、せめてどこの街に、くらい分かっていれば、追跡しがいもあるのだけど。
「……そこで、君の出番だ」
もしかしたら、その不満が表情に出ていたかもしれない。エーギルさんが付け加えるようにそう言った。
嘘を吐くのは苦手だ。恥ずかしいことがあると、すぐに顔は赤くなるし、悲しい出来事を前にすると、すぐに泣きそうになる。
「ああ……なるほど。確か、先週の事件でしたよね。残留思念を視るには、少し時間が経ちすぎているかもしれません」
エーギルさんが期待しているのは、僕の神父としての異能。思念観測。
その土地に、一定期間刻まれた記憶を覗く、限定的な過去視。
「……君は、優秀だと聞いているが?」
「……それ、パワハラって言うんですよ」
思わぬ反撃に、エーギルさんは軽く目を見開いた。口元をマスクで覆っている所為で読み取りにくいが、驚いてくれたのだろう。
あまり、冗談なんかには耐性がなさそうだ。これは、良いことを知ったかもしれない。
「……そんなつもりはなかったんだが、すまない。あー、範囲はどの程度まで設定できる?」
謝らせてしまった……。心の中に芽生えたいたずら心を、ぐっと抑え込んで立ち上がった。
周囲に落ちている適当な石で砂の上に陣を描いていく。どこまで遡るのか、どの程度の距離なのか、どこまで深く潜るのか。
「ええと、半径20キロメートル……ですかね」
「……なるほど。やはり下手な神父よりも、ずっと優秀だ」
「いえ、その分ノイズは多くなってしまいますし。同じ広範囲観測でも、僕よりも精度の高い神父はたくさんいますよ」
既に過ぎてしまった過去を鮮明にしようとすれば、それだけ大量の情報が一度に脳内へ流入することになる。それをどれだけコントロールできるか、が神父としての技能の差だ。未熟な者が広範囲、高精度の観測を行おうとすれば、簡単に精神汚染が発生してしまう。
「――では、いきます」
ややあって準備を終えた僕は、エーギルさんにもしものときのバックアップをお願いした後、出来たてほやほや、新鮮な魔法陣へと魔力を通していく。
焚火よりも、少し明るく柔らかな光が、空間全体を照らす。僕の、エーギルさんの影が濃ゆく大きくなる。
視界に薄いモザイクがかかっていくような感覚。目に入る物全ての境界が曖昧になり、現在と過去すらも混ざり合う。
イメージするのは翼。背中を突き破った、黒く大きな翼が霞みがかった世界を揺らす。
意識が――過去へと飛翔した。
***
焚火が弾けた音で、意識が引き戻された。
現実世界での空白は、ほんの一瞬。
砂の集合体が形成する魔法陣から光が失われ、ただの物言わぬ記号の群れと化した。
「……ふぅ」
「精神汚染も、なさそうだな。どうだ、何か視えたか?」
影が発生したときのために、すぐ傍で控えていたエーギルさんが僕の目を覗き込む。
彼の瞳は揺れない。真っすぐに、僕を見据える。
「…………はい。大きな船と、なにか白いボールのような物を持ったフレイ異端審問官が。そのまま北に向かったみたいです」
少し恥ずかしくなって、顔を背ける。顔が熱い。どうしてみんな、そんな近くで見ようとするんだろう。
いつかの、鎖骨まで伸びたプラチナブロンドの毛先を揺らす少女を思い出した。あの時も確か、彼女の顔がすぐ近くにあって、人生で一番どきどきしたことを覚えている。
仕方ないよね。年も近いし、女の子だったし。顔も……綺麗だったから。
でもエーギルさんは、一回りくらい年上だし僕と同じ男なのに、やっぱり顔が近くなると恥ずかしくなってしまう。エーギルが中性的だからだろうか。変なの。
「……。その白いボールとやらが例の兵器か……? この周辺の荒れ方を見るに、恐らく戦闘があったはずだが、賊についての情報は?」
確かにここでは戦闘、というか一方的な蹂躙が行われていた。
僕は思念観測するまで気づかなかったが、周辺の岩が崩れ、あちこちに落ちているのは戦闘の余波によるものだったらしい。エーギルさんは観察力だけで、ここがその現場であったことを見抜いた。
改めて異端審問官という人種の技能と、この人の凄さを実感させられる。
「…………いえ、視えませんでした。やはり時間が経ち過ぎると、記憶が不鮮明になっていきますね。上書きされた部分が多すぎて……」
「……そうか。しかし、手掛かりは得られた。よくやった」
ちくり、と胸に針が刺したような痛みが走った。
僕が視た過去の記憶には、エーギルさんに告げたようにフレイ異端審問官の姿が映っていた。
しかし、それ以外にも――
なにやら外骨格のような物々しい装備を身に纏った、見知った顔の姿もあったのだ。
少し前、ミッドガーデンでヘリアン様から任された大仕事。あの時同行した二人が、今は大罪人として追われる身だと知ったときは驚いたが、彼らなら違和感がないというか、お似合いというか……。今の教会を取り巻く薄暗さではなく、ボニーとクライドのような、軽快な逃走劇を見せてくれると、そんな予感をさせるような二人組。
そんな彼らと、もう一人が、思い切り吹き飛ばされ――瓦礫の下敷きになった。
そして大地に刻まれた記憶は、徐々に現在へと近づいて来て、三日前。
彼らは、難民たちの手によって瓦礫の中から引き上げられた。
繋がる記憶。
難民キャンプで、ロキさんが口にした、怪我人が運ばれたという言葉。
そして僕の視た、過去。
僕だけじゃない。ロキさんも、エーギルさんに嘘を吐いていた。




