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魔女だっておやつが食べたい  作者: 桃酢豚りんご
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黄昏、熱は冷めて

――その瞬間、魔導研究所ペルアンクを守る防壁は、魔力を失い完全に沈黙した。

 太陽光を浴びた防壁の破片が、辺り一面に翡翠色の雨を降らす。砂漠の海とのコントラストを描いたそれは、建物を覆うドーム状の形状を維持できずに、魔力の残滓を撒き散らしながら虚空へと溶けていった。


 今まで誰も成し得ることのなかった防壁破りは、信じ難いことにたった二人の侵入者によって行われた。その二人は、政府関係者として偽りの身分証を使用し、正面から堂々と敷地内に侵入。あまりにも精巧に作られた身分証は、とても個人で作れる品質を越えており、難民勢力や近隣国との背景を洗う必要があるだろう。



『――!――――!?』


 遠くに消えていく三機のAMUを見やる兵士たちの元に、通信魔術による念話が届いた。



 ――魔導兵装開発室主任のシンモラ・ノルシュトレームが人質となった。

 ――いや、彼女の謀反だ。あの女が侵入者を手引きしたのだ。政府軍が介入しているのがその証拠だ。

 ――勝利の剣(レーヴァテイン)計画が外部に漏れたのでは。

 ――フロディ殿の行方を知らないか? 指揮を執る人間がいなくては。


 ノイズ混じりの思念。巨大な魔力同士の衝突による、周辺一帯の魔力の乱れが引き起こした通信障害が、情報の錯綜に拍車をかけているようだった。

 防壁復旧に右往左往する魔術士たちの喧騒が、研究所の外まで漏れ出ている。とても正攻法とはいえない方法で捻じ伏せられた防壁は、本来の機能を取り戻すまでにもう少し時間を有するようだ。


「――賊は三名。いずれもAMUを奪い北東へ逃亡中。陽動の可能性を考慮し、我々は施設の防衛と警戒に当たります」


 破壊された外壁付近では、既に復旧のために大勢の人間が集まってきている。そのうちの一人、双眼鏡を覗き込んだ兵士が、地平線上に小さくなっていく土煙を眺めながら通信に応えた。

 

「追跡には既に“戦艦”が向かっております。ええ、奴らの死体はすぐにハゲワシの餌になることでしょう」

  

 今回の襲撃では、多くの人々がその責任を問われることになるだろう。防壁の堅牢さに胡坐をかいて、基本的な防備が疎かになっていたことは強く追及されるに違いない。非常時のマニュアルや連絡体制も見直す必要があるかもしれない。

 しかし、こういったイレギュラーも決してデメリットばかりではなかった。見方を変えれば、より実戦に近い形での訓練とも捉えられるからだ。


 防壁の脆弱性、そして近いうちに訪れる本番の戦争を前に、新たに作られた兵器の試作運用ができる貴重な機会となる。そして、今回のデータを基に、更なる改良や新規開発が進められていく。

 転んでもタダでは起きない。この不毛の大地で生き残っていくためには、それくらいの気概が必要となるのだ。



「それにしても――」


 通信を切った兵士が、穴空きチーズのようになった建物と外壁へ視線を這わせる。


「しばらく休暇はなしだな……」


 現場の惨状を改めて確認した彼は、辺りに舞う砂粒を吹き飛ばすように、大きな溜息を吐いたのだった。



 ***



 ――空の色が変化を始める。

 背中では太陽が沈みかけ、濃ゆく澄んだ青空から、限りなく赤に近い橙へのグラデーションとなる。遥か昔の砂岩層からなる崖群が夕日に当たり、巨大な炎の壁のように左右に広がっている。その先、地平線の向こうでは橙に濃紺が混じり始め、黄昏へと近づき始めていた。

 灼熱の大地はすっかりその熱を冷まし、じきに星空を望むベッドになるだろう。砂漠の夜は冷えるという。寒い環境に慣れた俺とアルルはともかく、防寒着を持たないシンモラ・ノルシュトレームには堪える気温となるのではないだろうか。


 機械脚の関節部分が、静かな駆動音を鳴らす。日の落ちかけた砂の海に足跡を残し、ただひたすらに進み続けて、既に二時間弱が経過しようとしていた。

 今のところ追手はない。苛烈な追撃を覚悟していたが、存外と静かな逃避行に少しばかり拍子抜けである。最初こそ、緊張した面持ちで度々後方を振り返っていたアルルも、今は眠たそうに右目を擦っていた。


 最初こそ物珍しかった砂漠の景色も、こう何時間も見せられ続けてはいい加減飽きがくる。ペルアンクを脱出する際の、過剰な興奮がもたらした反動からか、俺たちは三人ともに口数が極端に減っていた。


「……お腹が減った」


 時折、沈黙を破りアルルが一人呟く。

 普段は空腹により加速度的に機嫌が悪くなっていく、我が家の天才金髪美少女は、今回ばかりはゴネても無駄だということを理解しているのか、随分と大人しい。


『――砂漠に生息するゴミムシの幼虫は、一部では食用としても用いられています。産卵から孵化までも早いので、エネルギー源としては悪くないと言えるでしょう。地表に落ちた植物や動物の死骸を見かけたら、探してみては』


 ゴミムシと聞いて、一瞬自分のことを呼ばれたのかと思った。

 隣でダウンしている少女に、ゴミだのムシだのアメーバだのと呼ばれ続けていた所為で、罵倒の言葉に対しては条件反射的に返事をしてしまいそうになる。なんとも情けない話ではあるが、アルルに言われる分には腹が立たないから不思議なものだ。この一年間で、奴隷根性が染みついてきたのだろうか。


「……おい、ゴミムシ。貴様、産めるのか?」

「なにをだよ」 


 そのアルルに対して、毎回律儀に応える勝利の剣(レーヴァテイン)だが、先ほどの提案は今のところ却下だ。一応、俺は空腹でも動けるようには訓練を受けているし、アルルに関しては内包する魔力量のお陰で、数日は飲まず食わずでも活動ができる。

 問題はシンモラだが……まぁ、現地人の彼女なら必要に応じて虫も食べるだろう。


「……クッキーが食べたい。マフィンが食べたい。ホットココアが飲みたい」

「ちょっと、贅沢言うのやめてよ。そんなの聞いたらこっちまで食べたくなってくるじゃない」


 シンモラの意識にリンクしたAMUの機体が、空腹を表すように腹部へ手をやった。


 アルルと出会ったばかりの頃、あまり食に興味を持たなかったこいつに、試しにパンケーキを作って与えてみたのが始まりだった。漂う甘い匂いに鼻をひくつかせ、一切れ口にした途端、止める間もなく頬一杯に貪った姿は生涯忘れられないだろう。リスみたいになった顔を見て爆笑していたら、一瞬で氷漬けにされそうになったのも、今となっては良い思い出だ。


 甘い物好きの魔女。

 世間が持つ魔女のイメージとはあまりにも乖離したキャッチコピーだが、俺は結構気に入っている。いつか、アルルが自分の素性を隠すことなく、堂々と生きられる世界になってくれればと思う。

 

「……おい、ミールワーム。ミッドガーデンに帰ったら、アルフヘイム区のスイーツ専門店に連れていけ。手配中だとか、心配しなくとも良いぞ。歯向かってくる奴は全員ウィンターカーニバルの氷像に変えてやる」


 既に、割と堂々としているか……。

 


「……ちょっと冷えてきたわね。本格的に日が沈むまでに到着したいけれど……勝利の剣(レーヴァテイン)、目的地まではあとどれくらい?」


 いつの間にか、紫色が面積の殆どを占領した空を見上げたシンモラ。日はすっかり傾き、満点の星が主張を始めていた。


『――このペースであれば、明日中には国境地帯まで。しかし、Armored Magical unitの魔力がもつのはそこまででしょう』

「……そ。あんたたちの言う、“迎え”を信じるなら問題はないわね」


 シンモラの視線が、傍らに格納された球体コアから俺へ。彼女のいぶかる声に、俺は肩を竦めて応える。

 頭に浮かぶのは、この地へ来る前にスルトから渡された小さな外部記録媒体。今回の尋ね人であるシンモラの情報とともに記されていた、彼女と合流した後のこと。 



 ――東の国境地帯に迎えを寄越す。但し、追跡には注意されたし。



 たったこれだけ。詳細な時間、場所もない、簡潔な一文。喋り出せばくどくどと余計な言い回しをするくせに、こういう大事なことは随分あっさりとしていやがる。

 しかし、土地勘もなければゲッタウェイドライバーの当てもない俺たちは、彼女の残した一文に従うしかないのだ。


「信じるも信じないもないぜ。今も血眼になって三匹の子豚を捕まえに来ている狼から逃れるには、ひたすら進み続けるしかねぇのさ。なんてたってここには、バカでかい牙から守ってくれるシェルターもなきゃ、百発百中の腕前を持つ猟師もいねぇ。まぁもっとも、そんな子豚ちゃんに救いの手を差し伸べてくれるのも、おそらくクソ生意気な口を叩く狼だってのも笑える話だが」


「そう……そう、ね」


 目を閉じ、自分を納得させるかのように反芻するシンモラ。

 彼女から視線を外し、天を仰ぐ。

 黄昏時。きっと、この空と似た色をした狼が、俺たちを迎えに東の国境地帯まで来るのだろう。「おせーですよこのハゲ!」なんてぶつぶつ文句を言いながら。


 

 ――そういえば。

 俺とアルルはもうある程度慣れたが、シンモラにとっては、ナルヴィが繰り出す超高速移動は初めての体験のはずだ。


 シンモラにも話しておくべきだろうか。

 

「もうここまで来たんだもの。どうせ研究所に帰っても機密漏洩やら国家反逆やらで、居場所なんてないし。今更だけど、あんたたちを信じて着いていくわ」

 

 そんな俺の葛藤を知らず、シンモラが笑う。

 出会ってからトラブル続きだった彼女が、俺たちに見せた初めての笑顔。上空に広がる星空にも負けないくらいの、そんな輝きを前にして。


 恐らく、パンツの替えが必要になるとは、どうしても言い出せなかった。


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