落日
――誰の気配もない通路。暖色の人工魔力灯は、いつしか無機質な昼光色へ。
背後で断続的に鳴っていた戦闘音が少しずつ遠ざかり、やがて聞こえなくなった。
「……アルル」
カッコつけて走り出してみたものの、本当は今すぐ振り返り、戦っている少女の元へ戻りたい気持ちで一杯だった。
……戻ったところで、武器も持たない俺が何をできるわけもないのだが。
「情けない顔しないでよ! よくわかんないけど、あの子はアンタを信じて色々託したんでしょ!」
「そんなの……百も承知だっての!」
彼女は俺を信じて、自ら殿を申し出て、俺は彼女を信じて先へ進むことを決めた。ならば、この足を止めずに課せられた役割を全うすることが、彼女から寄せられた信頼に応えた証明となるのではないだろうか。
「……ところでアンタ、あのふてぶてしい男と知り合い? というか、成り行きで一緒に行動することになったけど、私はアンタたちのこともよくわかってないんだからね」
静けさが支配する通路。自然と俺たちも忍び足となり、声を潜めながら会話を続ける。
振り向いたシンモラの目には訝し気な色。そういえば、フロディの登場で、俺たちの正体や目的を彼女に伝えるタイミングを失ってしまっていた。
シンモラからすれば、自身が追われる身になった原因の一端は、俺たちが担っているようなものだ。表面的に見ればそれも間違ってはいない。十中八九、そうなるようにフロディが仕向けたのだろうが。
それに加えて彼は当初、自分がシンモラと顔見知りであるかのように俺たちに説明したが、今思えばそれさえも欺瞞だったようだ。
「知り合いってほどじゃない。あいつとは難民キャンプで知り会ったばかりで、あんたにあのデータを渡すよう頼まれただけの関係さ」
「会ったばかりって……。ちょっとは疑うとかしないの?」
アルルは今回の件に関しては、終始懐疑的な目を向けていた。結局はシンモラの情報に釣られ、流れに身を置いたわけだが、やはり彼女が危惧した通り、全てフロディの掌の上だった。
「ん……まぁ、そうなんだが」
「なによ、歯切れが悪いわね」
シンモラが呆れるのもわかる。わかるのだが……今回は事情が事情だ。
「シンモラ。俺たちも、君に会わなきゃいけない理由があったんだよ」
「理由……?」
「聞いての通り、俺たちは国際指名手配中の犯罪者……らしい。それは多分、本当のことだ。だが、俺たちがはるばる灼熱の砂漠地帯までやって来たのは、スルトという魔女が君に――」
「――スルト!? あなた今スルトって言った!!!?」
俺の言葉を最後まで待たず、シンモラが詰め寄ってきた。鼻息を荒くして、目を見開いた女が、首を締めんばかりの勢いで迫ってくるのはちょっとした恐怖である。
「あなた、スルトの知り合い!? 彼女、今どこにいるの!?」
驚愕と悲しみと喜び。様々な感情が混じった、複雑な表情を浮かべる彼女の声が、静かな通路に反響する。声を潜めることも忘れ取り乱す彼女を落ち着かせるために、肩を押し返した。何がこうも彼女を興奮させるのかは知らないが、どうやら二人はただならぬ関係であるらしい。
「ちょ、落ち着け。経緯を話せば長くなるが、とにかく彼女は君の協力が必要だと言っていた。積もる話はあるだろうが、まずはここを脱出してからでも構わないか?」
「……オーケー、クールに……クールになるわ。ああでも神様、信じられない! スルトが私を頼ってくれるなんて……! ずっと連絡がなかったから、無事かどうかもわからなかったのよ」
大きく一呼吸。少し冷静さを取り戻した彼女が、何かを思案するように視線を巡らせる。会った時から不健康そうな顔をしていた彼女だが、一度にたくさんの出来事が起こった所為で、短時間の間に少し老けたような気もする。しかし、スルトの話を聞いて、肩の力が抜けたようだ。
傷んだ毛先が、彼女の動きに合わせて弾む。
「これで、俺たちのことを少しは信じてもらえたか?」
「ええ、ええ! 勿論よ! そうと決まれば早くこんなところ抜け出しちゃいましょう!」
喜びを隠しきれない彼女の様子に、思わず口元が緩む。こんな事態でなければ、すぐにでもスルトと引き合わせてやりたいところだが。
咳払いの後、表情を引き締めるシンモラ。
「……あのナルシスト男が、どうして私たちを陥れたかは想像がつくわ。間違いなく、この先にあいつの目的があるはずよ」
あちこちに彷徨っていた彼女の視線が、はっきりと通路の先を見据える。
「そういや、あの野郎も勝利の剣計画がどうとか言ってたが……。そいつは一体全体何だってんだ?」
俺たちが目指す場所。そこに格納されている勝利の剣という兵器に対して、フロディは言及していた。
「……あれは、私がスルトに頼まれて開発した戦略兵器なの。勿論、ムスペルヘイム政府には、私とスルトの関係は伏せていたし、本来の用途はカモフラージュして開発を続けていたわけだけど」
再び、無機質な廊下を進む。
今から話すのは表向きの用途であると、前置きをしてシンモラは言葉を続ける。
「従来の魔術や魔導兵装は、使用者の魔力や、カートリッジに予め充填していた魔力を消費して、一定の現象を起こすわよね。それは、銃でも大砲でも同じ。弾丸や火薬を消費して、初めて破壊という結果を起こすわ。でも、資源の少ないムスペルヘイムでは、他国との戦争が長引けば長引くほど戦況が不利になっていくの。だからこそ、エネルギーコストを必要としない大量破壊兵器が求められたわ」
「コストを……必要としない?」
なんの見返りもなく、無尽蔵に力を発揮する兵器。そんなものが実現できれば、間違いなく戦争の在り方は変わる。あっという間に、世界地図はムスペルヘイムの国旗に塗りつぶされるだろう。
だが、そんなものが果たして有り得るのか。
「当然、そんなことは不可能よ。ただし、見方を変えることはできるわ。要するに、自分たちの懐が痛まなければそれでいいのよ。勝利の剣は、任意の対象から魔力を吸い上げて、自らのエネルギーとする兵器。要するに相手の魔力を利用して、力を発揮することをコンセプトとして発明されたわ」
なるほど。詭弁ではあるが、確かにコストのかからない兵器とも捉えることができる。
「例えばこの研究所の周りに張り巡らせらた防壁。そこから魔力を吸収すれば、防壁は維持できず、瓦解する。問答無用で相手を丸裸にできるだけでも、戦略級の兵器となり得る上に、こっちには防壁を形作っていた魔力を、お腹いっぱいに溜め込んだ勝利の剣が残るって寸法よ」
「そりゃあ……」
彼女の言う通りであれば、勝利の剣を使って、ここの防壁を無効化して脱出することも可能だろう。
「恐らくあの男は、秘密裏に進められていた計画をどこかで知って、独占しようとしたに違いないわ。じゃなきゃ、あの兵器マニアで戦争狂いの大統領が、私を切り捨てるとはとても思えないもの」
国家に対する明確な反逆。その仮定が真実であったとして、体外諜報員としての顔と権限を乱用したフロディは、一体何を成そうとしているのか。
「って、ことは――」
「多分、あのナルシストはもう動いているはずよ。ただ、当然起動するには管理者権限が必要だから、そう簡単にあいつの物にはならないはず……!」
強力な兵器を扱うためには、それを軽々しく使えないための、或いは悪意
ある者に利用されないためのセキュリティが存在する。一国の主でも、その一存では使えないように、様々なプロセスを踏む必要があるはずだ。
「あのドアの向こうが格納庫よ。でも、気を付けて。先回りされてると思った方がいいわ」
一つの国家を揺るがすことができるほどの兵器が存在する格納庫。しかし、不自然に静まり返ったその道中が意味するもの。
無限とも思えた長い通路。その終着点が見えてきた。
***
白い空間だった。
壁も、床も、天井も、室内を照らす人工魔力灯の光までもが白い。その無機質な空間に存在する、巨大なオブジェ。
――眠っている。
俺が抱いた感想は、兵器に対するものには相応しくなかっただろうか。しかし、そう形容せざるを得ないほどの存在感に、ただただ圧倒されていた。
その巨大なフォルムも、足元を揺らす微かな振動も、脳に響く鈍い音も――
目の前の物体は生きているのだと、そんな有り得ない妄想を掻き立てる。
「さぁ、俺の意志に応えろ――勝利の剣!」
俺の知らない誰かの頭部に縋りつくシンモラも。今までの彼のイメージとは程遠い、恍惚とした表情を浮かべるフロディも。彼から放たれた侮蔑の言葉も、それに対する怒りも無念も。そんな全てがどうでも良くなるような、なにか。
――神性。
理解を越えた何かと対峙したとき、人はただただ畏怖することしかできない。エデンの園で知恵の実を口にした人間が、最初に覚えたのは果たして恥じらいだったのだろうか。創造主の言いつけに背いたことに対する、恐怖だったのではないだろうか。
俺は今、原初の感情に支配されていた。目の前の男を止めることも忘れ、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
――目覚める。
フロディの咆哮に呼応して、人工の神がその息吹きを取り戻す。
「あ……あ…………」
「はっ、はは――」
白い空間を更に白く塗りつぶすように、光が満ちる。
「あ、はははははははははははは!!!」
国家すらも持て余すほどの性能を持った兵器。それが、目の前の男に掌握された。
どうしようもない絶望感に襲われ、体の力が抜ける。一瞬で俺の頭を駆け巡る思考。
彼の言った通りだ。俺は、また負けた。
視界が染まる。
両手を広げ、高らかに笑うフロディの影すらかき消すほどの光が――
「――遂に! 遂に!! これで全てが終わる!! 勝利の剣よ! この国も、教会も、魔女も、全てを破壊し、滅ぼし尽くせ!!」
『――イヤです』
収束した。
「…………」
「…………は?」
『――イヤであると、勝利の剣はそう告げました』
その音声は、目の前の剣から発せられた。




