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魔女だっておやつが食べたい  作者: 桃酢豚りんご
25/60

目に焼き付くのは

 鮮血。

 

 絶望に染まったままで時が止まった、彼女の顔。チーズのように真っ二つに両断された体から、ぼろぼろと零れ落ちる臓器。吹き出る血液が、滴る脂肪が、真っ白な地面に色を乗せていく。

 重力に逆らう機構が破綻し、崩れ落ちていくナリ・ウールヴルだった物。美しかった薄紫の髪の毛も、柔らかな光を湛えたその瞳も。全てが歪な形となって崩壊していく。

 

 死体は見慣れている。俺だって、今までたくさんの人間や魔女を斬って、その命を散らしてきた。彼らの仲間の前で、時には家族の前で。

 

 剣を握って間もない頃、初めて人を斬った時の感覚は今でも思い出せる。柔らかい肉に刃が侵入していく感覚。骨に阻まれ勢いが止まる感覚。それらの感触は中々拭えず、それからしばらくは悪夢に苛まれた。しかし、いつしかその記憶は色褪せていき、段々と剣を振るうことに対する抵抗は消えていった。

 身勝手に、言われるがままに、人も魔女も斬ってきた。

 

 ――だからこれはきっと、罰だ。


「あ……あ、あああああああぁああああぁ!!!!」


 そうじゃなきゃ、あまりにも理不尽じゃないか。


「ははははは! 素晴らしい! 実にいい音色を聞かせてくれる」


 ヘリアンは笑った。

 場末の寂れた映画館でコメディ映画を観たときのような気軽さで、遠慮なく、愉快そうに。美しいその顔を醜悪に歪ませて。


 化け物だ。こいつは人の不幸を糧に成長する悪魔だ。


 「――しかし、あなたも不運な男ね、アヤメ。精神支配による紛い物の感情だったとはいえ、一度は愛した女を目の前で殺されてしまうなんて」

 

 一頻り笑ったヘリアンが、追い打ちのように俺の心を抉る。


「黙れ……」

「しかし酷い女だったな。あなたを嘘吐き呼ばわりした癖に、自分も魔女であることを隠していたなんて」

「黙れよ……!」


 貶し、嘲り、扱下ろす。とどまることを知らないかのように羅列される悪たれ口に、逆撫でされる神経が、ついにその臨界点を迎えようとしその時。


「本当に哀れ。愚かな選択の所為で結局あなたは何もかも失った。あなたの優柔不断さが、ナリ・ウールヴルだけではなく、アウルゲルミルまで殺すことになるなんて」

 

 思考がフリーズする。


「は……な、に…………?」


 アルルを……殺す?


「あら、言ったはずよ。あの子が暴走しないように監視し、誘導するのがあなたの役目。与えられた仕事を、与えられた通りにこなす。それさえ守っていれば、あの子は街中で魔法を使うこともなく、今頃ボロアパートでホットココアを飲みながら、あなたの帰りを待っていたはずなのに」


「アルルは……どうなる」

「決まっているじゃない。処刑よ。しょ、け、い。そしてそれはあなたも同じ。あなた、アルルの封印の件、報告を怠ったわね。異端審問官としては間違いなく失格よ」

「それは……。うあ……あ、アルルのことは、違うんだ。それは、ちょっとした勘違いなんだ。頼む、よ。あいつのことは助けてやってくれないか。なぁ……頼む、頼むよ」


 プライドもクソもない。惨めったらしくヘリアンの足元に縋りつく。

 

 いつも不機嫌そうに暴言を吐くアルル。甘い物を幸せそうに頬張るアルル。不器用に俺の安否を気遣ったアルル。

 ついこの間、彼女と過ごす時間を守りたいと、そう願ったばかりなのに。


 俺は一体何をしていたのだろうか。

 

「ああ、本当にくだらない。あなたのその偽善が全てを台無しにしたのよ。殺す覚悟も守る覚悟もない……全てが中途半端。偽善者、意気地なし。あなたの無様な姿を見るのは楽しかったけれど、もういいわ。お腹いっぱい」

 

 もう言葉はなかった。


「畜、生……!」


 ただ自分の無力さに、反吐が出る。


「安心しなさい。私、剣術もそれなりなのよ。痛い思いはさせないわ」


 ヘリアンの右目、モノクル越しに白く濁った眼が俺を見下している。

 その頭上に振り上げられた刃が、雲の隙間から覗いた月明かりに照らされ、光った。

 

 ――その瞬間。


 俺たちを遠巻きに包囲する兵士たちの一画。後方で巨大な火柱が立ち昇った。

 

「があぁあぁああああ!!?」


 轟音に大地が揺れ、男の悲鳴が響き渡る。乱層雲に覆われた夜闇が赤く照らされ、夕焼けのような空へと変貌する。

 先ほどまで静寂を守っていた兵士たちが、一気に騒がしさを増す。どよめきと、自動小銃の乾いた発砲音が数回鳴り響いた。


「――あれは」


 その火柱を見て、あの夜の出来事がフラッシュバックする。マフィア、氾濫したゴーストとの戦闘。アルルと交戦したという、魔女。

 その名は確か――


「大司教、魔女が現れました。恐らく焔心です」


 そうだ、焔心の魔女スルト。

 圧倒的な魔力量でアルルを追い詰め、北エリアのゴースト氾濫を引き起こした張本人。


「……」


 なぜ、その魔女がここに……。


 黒衣の一人が、ヘリアンへ現状報告を続けている。その黒衣の男は、よくよく見れば首元から、見慣れた黒い十字架が垂れ下がっていた。

  教会で発行される十字架のうち、ブラックオニキスで作られた物は一つの身分を証明する。


 こいつも、異端審問官……。

 

 騎士と違いスタンドアローンとして機能する異端審問官は、お互いに干渉することは滅多にない。危険度が高いと判断された魔女狩りや、大規模な討伐――七年前の集団粛清のような有事でしか、連携を図って動くことはない。だから、自分の他にどのような者がいるかも知らされていないし、戦闘スタイルなど殊更知りようもない。

 他の兵士たちの練度も相当なものであったが、この男は更に別格だ。一部の隙も無い立ち振る舞い。顔半分を覆ったマスクから覗く目はヘリアンの方を向きながらも、常に臨戦態勢。今も俺の動向に注意を向けていることが伝わってくる。


「あれは、高出力の魔法を使うが防御は脆い。奴の土俵で戦うな。数の利を最大限に活用しなさい」

「はっ……第一種戦闘配備! 魔法による更なる攻撃が予想される! 複数の魔女と戦闘になることも想定し、総員防壁魔術を展開。奇襲に備えろ!!」


 ヘリアンの指示を聞いた異端審問官は、即座に全体へ号令をかけ、踵を返す。彼が立ち去るその瞬間、その目が明らかに俺を見下すように細められ――。


「……ふん」


 明らかな侮蔑の態度に、顔が熱を持つ。こんな醜態を晒してなお、羞恥心が残っている自分に嫌気がさす。


「っ! 隊列を乱すな!! 同士討ちを避け、お互いの正面には立たないよう注意しろ!」


 次々と立ち昇る火柱に対し、迅速に陣形を修正していく黒衣たち。連続する発砲音に咥えて、魔術の発動を示す淡い光が瞬いては消えてを繰り返している。


 そして気づく。喉や眼球の粘膜を焼くほどの熱風を引き連れた、高濃度の魔力が徐々にこちらへ接近していることに。明確に指向性を持った火炎が、行き掛けの駄賃とばかりに、黒衣の兵士たちを焦がし、蒸発させていく。


「なんだ……? 何が起きているか報告しなさい」

「――いや、その必要はないよ」

 

 その声は上空から。

 声の主を探そうと、その場にいる全員が空を仰いだその時。

 

 ――深紅の意志が、空から舞い降りた。

 

 緩やかに、優雅さを湛えながら、ヘリアンと這い蹲る俺の前に着地。


「や、こんばんは。いい夜だねー」


 色彩は情熱の赤。燃え盛るような深紅の髪を熱風に揺らしながら、その魔女は現れた。

 厳めしい軍服をなびかせながらも、対比のように飄飄ひょうひょうとした空気を纏う佇まい。

 

 焔心の魔女――スルト。


 アルルが念写した姿と相違ないが、身に纏う雰囲気の所為か写真よりも幼い印象を受ける。

 辺り一面に立ち込める熱と魔力が奔流し、周囲の雪を瞬く間に溶かしていく。周囲の温度が上昇し、今が冬であることが嘘のように体から汗が滴る。襲い来る熱気に目を焼かれそうになり、咄嗟に防壁を重ねた。


「……あら、これはこれは。自ら死地に飛び込んでくるとは、遂に自分の前頭葉まで焼き切ったのかしら」 


 対するヘリアンは、スルトの姿を認めてなお涼しい表情を崩さない。スルトから放たれる高濃度の魔力が、ヘリアンの防壁を避けるように周囲へ流れていく。


「あはは、久しぶりの再会なのに酷いなぁ。最後に会ったのは二百年前? それとももっと前かな? 相変わらず肌が綺麗で羨ましいや」

 

 彼女たちから漂う気配だけで理解する。

 お互いに、一異端審問官でしかない俺とは次元の違う強者。俺の頭を飛び越えて交わされる言葉の応酬に、脳の処理が追い付かない。

 

「分隊長! ナリ・ウールヴルの死体を回収して、第二集結点にて待機! 焔心には近づくな!」


 ヘリアンを守るように、展開していた黒衣の兵士たちは、号令を受けて皆一様に撤退していく。数秒後には、俺たち三人を残して閑静な住宅街の姿が戻ってきた。

 しかし、その空気は明らかに異質。普段の日常から、ここだけが切り取られたかのように変貌した空間。高濃度の魔力がせめぎ合い渦となって循環する。

 その身に燃え盛る深紅を纏う魔女と、ダイヤモンドのように鋭く、硬質な魔力を張り巡らせる大司教。

 俺は否応にも、自分が場違いな存在であることを思い知らされる。


「ここに姿を現したということは、いよいよ裁きを受ける気になったということでいいのかしら、焔心」

「ふふ、まだ鬼籍に載るつもりはないよ。これでも生にはがめつくてね。精一杯の抵抗はさせてもらうさ。でもね、ヘリアン。今日はキミと戦いに来たわけじゃないんだ」


「――再会を祝してガラにでも洒落込もうってわけ? 戯けたことを」


 ヘリアンの声が鋭さを増した。

 突如として、重圧。

 魔力、闘気、殺意――表現はなんでも良い。とにかく耐え難い程の重苦しい空気が、この空間全体に圧し掛かった。


 ヘリアンが手をかざした先、虚空に光の筋が走っていく。それは一瞬で複雑な幾何学模様を描きながら、目の前の魔女を滅ぼさんと高濃度の魔力が充填されていった。彼女の周囲に風が舞い、光の粒子が朧なカーテンとなって空間全体を包み込む。


 時間にして数秒――


「さぁ、踊りなさい」


 空中に顕現した魔法陣に圧縮された光が極大の束となって発射された。


「やばっ!」


 真っすぐにスルトへと照準を定めた光線は、その周囲の空間がひび割れたと錯覚するほど鋭利な音色を奏でながら、破壊を撒き散らす。

 流石の魔女といえど、それを喰らえばタダでは済まないらしい。慌てた表情を浮かべたスルトはその場から大きく飛び退く。僅かに掠めた軍服の裾が、光線を受けて文字通り消失する。その先にあった木々や石壁も同じく、巨大なスプーンでくり貫かれたような跡を残して消えた。


 途方もない威力に、見ているだけで冷や汗がでる。防壁など関係ない。あんなもの、まともに受ければ待っているのは死どころではない。魂すらも消滅させる一撃を、涼しい表情で放つヘリアンに思わず身震いさせられる。


 キ、と再び鋭い音が響き渡る。

 二発、三発――

 

 紙一重で回避し続けるスルトを嘲笑うが如く、次々と射出される光の杭。今だ直撃はしてはいないものの、いずれ限界は訪れる。スルトの体力が尽きるのが先か、ヘリアンの魔力が尽きるのが先か。


「ああ、もう!」


 苛立ったような、しかしどこかまだ余裕を感じさせるスルトは、回避を続けながらもヘリアンに向かって、いくつもの炎球を繰り出している。その威力もまた極大。ヘリアン子飼いの兵士を圧倒した火力は、そこらの魔女が生み出す出力とは一線を画しているうえに、その軌道も複雑で予測がし辛い。


 しかし、ヘリアンの代名詞はその防御力。彼女が教会に張り巡らせた防壁は、他に比類を見ないほど緻密で隙がない。先日は予期せぬ穴を突かれてしまったようだが、単純な力比べでは、まさに要塞と思わせる堅牢さを誇る。

 スルトが発する灼熱も、ヘリアンの周囲に展開された防壁に阻まれ、その身まで届かない。回避する必要のないヘリアンはその場から一切動かずに、一撃必殺の魔術を撃ち続けるだけ。大司教が圧倒的な優位に立っているのは明白だった。


「――よく頑張ったわ。でも、もう終わりよ」


 空中に展開された魔法陣が絶望の予兆を鳴らす。

 体に圧し掛かる重圧とともに。

 その数が――増えた。


「……な」


 思わず声が漏れる。 


 次々と描かれていく光の軌跡。それは、ほんの数秒で完成する。

 合計で六つ。

 その全てに高濃度の魔力が凝縮され、今か今かとその力を振るう瞬間を待ち望んでいる。射出された魔力の余波はスルトだけではなく、間違いなく俺にも襲い掛かるだろう。漏れ出した魔力が大地を揺らし、原初の感情を呼び起こす。

 

 ――やばい!

 

 本能に従い、その場から飛び退いた瞬間。

 展開された全ての魔法陣から、圧倒的な破壊の光が吐き出され――。


 そして遂にスルトの身体を捉えた。

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