虚構の海
ミッドガーデン 中央エリア ヴァナ区
政府要人や財界の大物たちが居を構え、騎士団の中でも選りすぐりの精鋭が警護にあたる、この街で最も安全が謳われている場所。コソ泥も、暗殺者も、国家転覆を目論むテロリストまで、立ち入ろうとする不届き者は例外なく焼き尽くされるスフィンクスの門。
そんな絶対不可侵領域で俺は今、何十にも及ぶ兵士から銃口を突きつけられている。
「……やぁ大司教様。こんな時間にピクニックとは恐れ入る。通信魔術で一声かけてくれればおもてなしも出来たんだが」
包囲には一分の隙も見当たらない。軽口を叩きながら周囲の気配を探れば、包囲網の更に奥や、住宅の屋上にまで兵士が配備されているようだった。
何の用かは知らないが、ヘリアンまで出張って来ているとすれば人払いや結界も抜かりないはずだ。と、すれば逃げ出すという選択肢は現実的ではないだろう。俺一人であったとしても、この包囲は抜るのは骨が折れる。ましてナリを連れてなど……。
ナリの体からは震えが伝わってくる。
恐怖と戸惑いが入り混じった表情のナリを、しっかりと引き寄せた。
「聞こえなかったかしら。跪け、とそう言ったのよ」
教会を統べる女傑、ヘリアン・ヴァーリ。地面に着きそうなほどの長い白髪が、僅かに積もった雪との境界線を曖昧にする。黒衣を纏い、闇に同化する集団の先頭に立つ彼女は、冬の夜空に輝くシリウスのように圧倒的な存在感を以て俺たちを見下ろした。
「これは命令よ、アヤメ。あなたには断る権利がない。勿論、あなたの胸で震えている傲慢な《《魔女》》にも」
一瞬、耳を疑った。魔女? 魔女だって?
俺の胸へ顔を埋めているナリの表情はわからない。しかし、小刻みに震えるその体は間違いなく恐怖に支配されていた。
「……それは一体何の冗談だ? 魔女だって? そりゃあんたの勘違いだ! そんなことは、一緒にコーヒーでも飲んで落ち着いて話せばわかる――」
ナリが魔女などと馬鹿げた話だが、それを完全に否定するための言葉が上手く選べない。一瞬脳裏を掠めたのは、不機嫌な顔で俺を睨みつける少女の顔だった。
「これが最後の警告だ。ソレをこちらに引き渡せ」
有無を言わさぬヘリアンの声に、黒衣の兵士たちが今一度銃を構える。
「……」
「ち、違います。私、魔女なんて……し、知りません」
思考がまとまらない。
ナリが魔女のはずがない。だって、こんなにも怯えて、泣いている。居なくなった両親を探すために、懸命に一人で生きてきたのに。
しかし、俺の中で、小指の先程度に残っている冷静な部分が反論してくる。
――大司教ヘリアンともあろう者が、何の根拠もなくこんなことをするのか?
――彼女の両親は、ただの行方不明じゃない。異端審問にかけられた。少なくとも何かしらの魔女との関わりがあったから。
……じゃあ彼女自身は?
「貴様が知っていようがいまいが、そんなことは我々には関係ない。ただ事実がそこにあるのみ……拘束しなさい」
黒衣の兵士が三人、俺たちを捕らえるべく近寄ってくる。小銃を構えながら、決して警戒を緩めることなく慎重に。
その身のこなしから、かなり練度の高い兵士たちであることが見て取れた。しかし、異端審問官とも騎士団とも違う。このような部隊は今までに見たことがなかった。
……一つ思い当たる。恐らくはこいつらが、ヘリアン子飼いの兵士たち。
「……っ!」
三人のうち一人は、少し離れた場所で銃を構えた。残りの二人が俺たちを拘束するべく、更に近づいてくる。
黒衣の手がナリへ伸びた瞬間。
思い切り、その手を蹴り上げた。弾き飛ばされ放物線を描く自動小銃。
「っぐ、貴様!」
「取り押さえろ!」
即座に向かってきたもう一人に向かって、体を回転させながら肘で顎を打ち抜く。脳震盪を起こし倒れ込む兵士を放って、一人目の兵士の手刀を受け止めた瞬間――。
「――!」
背中に衝撃を受け、倒れ込んだ。そのまま、腕を組み伏せられてしまう。地面に接触した肌に雪の冷たさが伝わる。
「アヤメさん!」
俺と同じように、地面に押さえ付けられたナリが悲痛に叫ぶ。
俺とナリの頭に銃口が突きつけられた。
「無駄なことを……」
「クソどもがッ! ナリさんから離れろッ! てめぇら全員殺してやる!! ああ、俺が死んだとしても、地獄の果てまで追い詰めて殺してやる!!」
無駄な抵抗、無意味な咆哮。
この兵士三人から逃れたとして、後方には数えきれないほどの黒衣が控えている。
解っている。それでも威嚇する。
考えろ考えろ――!
どうすればこの状況を打破できる!?
「ぐっ!?」
頭が踏みつけられ、地面に顔が突っ伏した。土混じりの雪が口内へ侵入し、ざらざらとした不快な感触が広がる。
「吠えたところで状況は変わらないわよ。勝算が無いことなんておバカなあなたでもわかるでしょうに」
頭上から、ヘリアンの淡泊な声が聞こえた。
いつもと調子の変わらない彼女の様子に、神経が逆撫でされる。
思いつく限りの罵倒を浴びせたい衝動に駆られるが、頭を抑えつけられている所為でそれすらも叶わない。
「この小娘にかけられた容疑は、先日教会から黄金の林檎が盗み出された事件において、裏で手を引いていたと思われる焔心の魔女スルトとの共謀。また、逃亡の手引き」
とてもではないが信じられない内容を、つらつらと語るヘリアン。
ナリさんが、あの事件に関わっていただって?
「大司教。これを」
「んんー? なんだこれは。こんな物どこで手に入れたのかしら」
パラパラとページを捲る音が耳に入る。
――あのファイルを、ヘリアンに見られた。その事実に、心臓が跳ねる。
「――イイコトを教えてあげましょうか、アヤメ。この娘は確か、集団粛清でいなくなった両親を探しているのだったわね。あら、今更驚くことじゃないでしょう? 初めからあなたやアウルゲルミルにだって監視の目はつけていたもの」
「この資料の中に、ウールヴル姓はなかったでしょう。それは当然よねぇ。だって初めから、ナリ・ウールヴルを名乗る魔女に両親など存在しないのだから」
呼吸が、止まる。
ヘリアンが何を言っているのか、理解できなかった。
ナリは今どうなっている? 状況がわからない。
「さて、本来であればあなたにも処分を下さなければならないワケだけど」
ヘリアンが足を降ろしたのだろう。頭の上にかかっていた重量が、ふと消え去った。
土を吐き出しながら、ナリの姿を探す。
黒衣の兵士に、恐らくは何らかの魔術によって拘束された彼女が、必死で何かを叫ぶように口を開いている。
声帯を封じられたのだろう。彼女の声は微塵も聞こえず、泣き声も届かない。
頬に赤く跡がついている。殴られたのだろうか。
「まずは、アウルゲルミルに対する監督不届き。知っているかしら。あの子、街中で魔法をぶっ放したそうよ」
「……」
アルルが一瞬見せた、悲しみと怒りの混じった表情がフラッシュバックする。
魔法を使った。何故。身体の負担はどうなっているのだろう。教会が、ヘリアンが事態を把握している。それじゃあアルルは今……。
「そして魔女狩り執行の妨害をしたこと。最後に魔女を庇護する行為に及んだこと。これに関しては、『知らなかった』では済まないことはあなたも知っているわよね? すべからく、異端審問の対象となるわ」
直接魔女に関わった者は全て異端審問の対象となる。処罰を受けるかどうかは、その過程と結果において、能動的であったのか、秘匿性があったのか、などいくつかの要因を経て判断される。
「あなたのことは高く買っていたのよ私。だから、だからねアヤメ。あなたに挽回のチャンスをあげる」
しゃがみ込んだヘリアンが、俺の顎を持ち上げ顔を近づける。右目のモノクル越しに、白く濁った眼が俺を吸い込むように見つめている。
そして、告げた。
「あなたの手で、あの魔女を、ナリ・ウールヴルを処刑しなさい。そうすれば、あなたはまた明日から何事もなかったように、お家でエールを乾杯することができるわ」
絶句。
こいつの嗜虐性は知っていた。弱者だろうが強者だろうが関係なく、自分の前に立ち塞がる者は徹底的に痛めつけ、服従させる。その全身に返り血と悲鳴を浴びながら、幾つもの夜を引き裂き、そして今の地位を手に入れたことも知っていた。
しかし今になって初めて、自分その矛先が向けられてそれが事実であると確信する。
「さぁ……どうする?」
三日月型に歪んだ口から愉悦の声が漏れ出る。
――こいつは、悪魔だ。
「イヤぁ!! お願い離して!!! お願いよ!」
突如響き渡る声。
図ったかのようなタイミングで、ナリの声帯を縛っていた魔術が解かれた。いや、間違いなく、ヘリアンが意図的に解いたのだろう。
俺を拘束していた兵士に、無理矢理立たされた。
「さぁ異端審問官。職務を全うしなさい」
ヘリアンが、奪われた格納式ブレードの柄をこちらへ差し出している。
これを使ってあの魔女を殺すのだ、と。
「……い、異端審問官……って?」
ヘリアンの言葉を聞いたナリが、呆然とした表情で俺を見つめている。
やめてくれ。そんな目で俺を見ないでくれ。
鼓動が速い。視界が、思考が、揺れる。
「イヤ……ぁ、助けて……」
「あ、そうそう。伝えるのを忘れていたけれど……アウルゲルミルは既に拘束させてもらってるわ。安心して頂戴。五体満足よ……まだね」
それをわざわざこのタイミングで言うのか。
魔法を、魔女の力を行使した、アルルの身柄はヘリアンの手の中。彼女が未だにその命を散らしていないのは、ヘリアンのほんの少しの気まぐれと、このクソくだらない余興を楽しむためだ。
こいつは性格が悪いなんてものじゃない。終わっている。性根が腐りきっていやがる。
「こ、のクソ外道が……!」
精一杯の殺意を以て、白髪の大司教を睨みつける。
「さぁ、どうする?」
この一年余りを共に過ごしてきたアルル。口は悪いが、甘いものが好きな少女。いつだって、危険な場面を彼女に助けられてきた相棒。
そしてナリ。まだ出会って日は長くないものの、その薄紫の髪も瞳も全てが愛おしい。健気で、儚い。この女性となら幸せな道を歩めると思っていた。
そして、どちらも……魔女だ。
二人を天秤にかけろと、ヘリアンはそう言った。俺がどちらを選択するのか、ただただ愉しんでいる。
ヘリアンが差し出した武装。それに伸ばした手が、怒りで震える。
「お、俺には……」
どうすればいい。
俺は……。
「選べない……」
選べるはずが、ない。
項垂れ、膝をついて崩れた。
俺の悲痛でいて、か細い声は積もった雪へ吸い込まれ同化していく。言葉にできない感情が涙となって溢れた。
「あらそ。じゃあいいわ」
あっさりと俺を見限ったヘリアンが、その手に握った柄に魔力を通したのがわかった。
格納式ブレード。何人もの魔女を屠ってきた白く輝く刀身を携え、ヘリアンはナリのもとへ、ゆっくりと歩み寄っていく。
「やめろ……! やめてくれ……」
もう俺の言葉に、ヘリアンが応えることはない。
「陳腐な表現だけれど、楽しませてくれたお礼よ。辞世の句くらいは聞いてあげるわ」
その切っ先をナリへ突きつけて、顎をしゃくる。
「……アヤメさんは、異端審問官なんですか」
小さな声だ。泣き腫らし、叫び続けた彼女の表情は、乱れた髪に隠れ窺うことができない。
「なぁんだ、知らなかったの? この男は私のお気に入りでね。大きな仕事の後だったから、しばらく暇を与えていたのだけど。それにも関わらず魔女をマークしてくれるなんて、働き者よねぇ」
「……そう、ですか」
ブレードの先端が天へと向けられる。
ナリは笑った。
「ナリ、さん……」
その薄紫の双眸が、俺を捉える。
「嘘吐き」
魔力の軌跡を輝かせながら、縦一文字に振るわれた刃が。
ナリの体を二つに切り裂いた。




