激情は麻薬と化す
「アヤメさんは、お休みの日に何をされているの?」
ミッドガーデンでは、またしても曇天の日が続いていた。どんよりとした灰色の雲が一日中空を覆い、時折思い出したように雪を降らせる。晴間が見えたのは、残念ながら先日の数時間だけ。
本日も、生憎の雪模様。
窓の向こうに見えるアルフヘイム区の街並みは、街路樹や石畳の上に白く斑な模様を描いている。
行き交う人々は、寒さから身を庇うように縮こまりながら歩いている。しかしその表情は案外暗くない。立ち並んだ露店の周りでは活気の良い掛け声が響いているし、ホットワイン売り場には人だかりができていた。
そんな外の様子を横目に、暖かい店内で珈琲を啜る。
「休みの日は読書を少々。新しい情報を常にインプットし続けるのは大人としては当然のことですから」
「わぁ! やっぱりアヤメさんも本がお好きなのね。なんだか嬉しい……」
あれから数回、ナリとはデー……お茶会を重ねている。
今日のように小洒落た喫茶店で待ち合わせてみたり、或いはナリ邸に招かれてみたり。 回数を重ねる毎に、お互いの口調もある程度砕けたものに変化しているし、少しずつ親密になれているような気もしていた。
ナリは良く笑った。
辛い過去を今でも引き摺ってはいるが、それでも前を向こうとしている芯の強さがある。ナリとの出会いはある意味運命的であったし、そんな彼女から笑顔を向けられて、もしかしたら、なんて淡い期待を抱いてしまうのは男の性なのだろうか。
だからこそ、成り行きとはいえ未だ俺の身分を隠していることに胸が痛む。彼女の性格上、教会や異端審問官に対して思う所はあっても根には持たないタイプではないだろうか。打ち明けても少しは驚かれるだろうが、きっと受け入れてくれる、なんて考えるのは短絡的であろうか。
彼女との逢瀬を重ねる度に、いっそ全ての思いの丈を打ち明けたいと、心が前のめり気味になっていた。
「アダルト雑誌を見ながら射精の間違いだろあいだだだだだ!」
しかし、何故か毎回のようにアルルがついてくる所為で、なんとなく踏み留まっている自分がいる。ナリと会うことを秘密にしていても、待ち合わせ場所に何故か毎回コイツがいるのだ。
自分で言うのもアレだが、アルルは俺以外の人間に懐くことは稀だ。自ら積極的に交流を図るタイプではないし、どちらかといえば人を寄せ付けない、排他的なきらいがある。
情報屋のセックスワーカーとは仲良さげに話しているところを見たことはあるが、他に彼女が気楽に話していることなど、両手で数える程度しかない。
それにも関わらず、俺がナリと会うときはコバンザメの如く、俺から離れようとしなかった。しかしだからといって、自らナリに話しかけにいく様子は見られないから不思議だ。
一応、ナリから話題を振ればそれに応えるものの、「ああ」だの「うむ」だの相槌程度の返事しかしていない。
『お前、俺のこと嫌いなの?』
『ふん、私は忘れていないぞ。お前があの中年騎士と長々と話し込んだ所為で、結局スイーツを食べれずじまいだったことをな!』
たまに会話に入ってきたと思えば、先ほどのような核弾頭じみた発言を繰り返しては俺にお仕置きされている。
お前もナリさんを見習って前を見てお上品に生きろ。
『飴ちゃんいる?』
『もらう』
こいつの場合、懐柔が容易いのが幸いか。
***
「いい娘だ」
イチゴ味の飴を口の中で転がすアルルが、お花摘みのために席を立ったナリの背中を見送りながら言う。
意外な発言、ではあった。どういった意図があって俺に引っ付いていたかは知らないが、今までの言動だけを切り抜けば、アルルは俺の恋路を邪魔しているようにしか見えなかった。しかし、意外なことにアルルの口からは肯定的な意見。
お前にもようやくわかったか。ナリさんの素晴らしさが。
そうとわかったらもう邪魔はしてくるな。
俺がそう言葉にしようと口を開いた瞬間。
「――貴様が夢中になるのもわかる。あれは、世の男が放っておかないタイプの女だろうしな。意識してやっているとしたら大したものだよ」
アルルが、口の中の飴を噛み砕く。
「……なんだよ。やけに含みのある言い方をするじゃないか」
「――Love is blind」
「なに?」
「古文だが、読書家のあの女なら知っているかもな。要するに、目を覚ませ、と言っているんだよウスノロ。あの女、ベタベタとやけにボディタッチが多いが、まるでマーキングだ。魔力が不自由な所為で気づくのが遅くなってしまったが」
眼帯を手で覆いながら、恨めし気に呟くアルル。
しかし、発言の意味がわからない。
「お前はさっきから、何が言いたい」
「何度か貴様に同行して確信したよ。アレはやめておけ。自覚があろうが無自覚だろうが、あの手の女に深入りして不幸な目に合うのはいつの時代でも男の方だ。発情してるのかどうか知らんが、獣臭くてたまらん」
要するに、ナリと深い関係になることを止めようとしている。言葉選びは酷いが、その意図は伝わった。ただ、その理由がわからない。
それにしても発情、発情だって?
「お前、ちょっと言い過ぎだぞ。それに俺は純粋にナリさんのことを――」
「馬鹿者、貴様のことだけを言っているわけではない。いいか、この際だから言っておくぞ色ボケ野郎。貴様が何処の誰と何をしようが知ったことではない。知ったことではないが、一応貴様は仕事上でのパートナーであり私の食い扶持でもある。だから貴様がくたばれば、私も腐れ尼に処分されて二人仲良くあの世逝きだ。だからこうして忠告している。あの女はやめておけと」
「っどうしてそこまで……!」
普段からアルルがみせる、歯にもの着せぬ発言は嫌いじゃない。むしろ、彼女との会話はテンポが合い心地良くすらある。
だが、何故だ。今回に限ってはどうにも苛々が募っていく。
俺ではなくて、ナリのことを悪く言われているから?
普段なら、冷静に聞き流せたのだろうか。しかし今は、とにかく無性に腹が立った。
「普段よりも更に察しが悪いのも、あの女の所為か。思い当たる節はないか? まるで思考が制御できなくなるような感覚に。はっきり言わないとわからないようだから教えてやる。いいか、あれは――」
「あ、あの! お二人とも落ち着いて。一体どうされたの?」
アルルとの口論に夢中になっていた所為か、ナリが帰ってきていたことに気が付かなかった。
どきりとする。今の会話はどこから聞かれていたのだろう。
「ああ丁度良い。面倒なことはもう無しにして単刀直入に聞こう」
「アルル!」
こいつ、また余計なことを……!
今までの冗談のようにではなく、少し乱暴にアルルへ手を伸ばす。
しかし、それは魔力の壁によって防がれた。
「お前、何の目的でアヤメに近づいた?」
「……え」
「誤魔化しても無駄だ。今は魔力の使用を極力控えはているが、元々気配には敏感なんだ。特に、血に飢えた獣の気配には」
「え、えっと、私……アルルさんが何を言っているか……」
ナリは、突然のアルルの変化に戸惑いを隠せない。当然だ。今まで無愛想ながらも可愛いと思っていた少女が、突然己にその牙を剥き始めたのだから。
「いい加減にしろ! 冗談になってないぞ!」
「あ、あの私……なにか気に障ることを、した……のかしら」
俺の声に、何事かと店内の視線が集中した。
今にも泣きそうに顔を歪めるナリと、氷のような無表情を湛えたアルル。思わず声を荒げてしまったことを少し後悔しながら、しかしアルルに対しての苛立ちは収まらない。
「お前、一回帰れ。そして頭を冷やしてこい」
「……フン」
声のトーンを下ることが出来る程度には冷静だった。しかし、これ以上アルルといると、きっと自分を抑えられなくなる。
当のアルルはといえば、不機嫌な顔をしながら立ち上がり、店の出口へと踵を返す。すれ違いざまに、注がれた侮蔑混じりの視線が鋸のように最後まで俺の心に波を立てる。
「あ、あのアヤメさん……。私……」
不安を表情一杯に浮かべたナリが、俺とアルルの背中を交互に見やる。
「……いいんですよナリさん。あんなやつ放っておいて」
「でも……」
「それよりも、今日はナリさんに見せたいものがあるんです」
無理矢理笑顔を作ろうとしたが、固まった表情筋の所為で上手く出来たかわからない。なるべくナリと目を合わせないようにしながら、ファイルを取り出した。
「ほら、座ってください。ナリさんのご両親の手掛かり、手に入れましたから」
「……え! もう見つけたんですか!? あ、アヤメさん、すごいです……」
アルルが去った店の出口を気にしながらも、ナリが驚嘆の声を上げた。まるでフルートのように透き通った音色が、脳に溶けるように響く。
彼女の声を嬉しそうな声を聞くと安心する。
そうだ、あんな礼儀知らずのガキのことは忘れて、今はナリさんのことに集中しよう。
そして俺は分厚いファイルを開いた。




