ジッグラトへ至る階段で
今にも駆け出しそうな勢いで俺の手を引くアルルが、マリトッツォだのバターサンドだの、聞くだけで胸焼けしそうなワードを呪文のように繰り返している最中。
立ち並ぶ露店の前で偶然、ナリに会った。
「アヤメさん?」
数日ぶりに聞いた彼女の声は、相変わらず美しい管楽器のように透き通り、何の抵抗もなく鼓膜を震わせる。
キャメル色のニットにモノトーンのボアコートとカジュアルな装い。絹の束のように艶やかな髪はジャカランダの花のように神秘的な雰囲気を醸し出していた。
「な、ナリさん?」
「わぁ! こんなに早く会えるなんて。おまじないが効いたのかしら」
ナリ・ウールヴル。
七年前の対魔女集団粛清作戦の折、両親が行方不明となったきり孤独に暮らす妙齢の女性。
黒いブーツが石畳を踏む。嬉しそうに駆け寄ってくる彼女の足取りが、どこか危なっかしく感じるのは、未だ彼女に深窓の令嬢といった印象が残っているからだろうか。
「まさか、こんな所で会うなんて……っ!?」
俺の両手を優しく包み込む、女性らしい柔らかな手の平。
「本当に偶然。私、よくここに来るんです。ほら、ヴァナ区って安全で過ごしやすいんですけど、静かすぎて何だか色々考えてちゃって……」
鼓動が跳ねる。
「あっ……ごめんなさい。私ったらつい」
彼女の頬が少し赤いのは、寒さの所為か、恥じらいの所為か。
俺の両手から、彼女の体温が失われる。
くすくすと笑う仕草さえも上品さが隠し切れない。ちょっとそこまで、程度の外出であっても、きっと彼女のような人種は完璧なスタイルを崩さないのだろう。それでいて、決して無理をしている風ではないのだから、それが自然体なものとして染みついているのだ。
ヴァナ区に居を構えるような本当のお嬢様は、やはりどこか住む世界が違う。初めて会った時に着ていたスーツに、所々穴が空いていたことを思い出してしまい、今更耳が熱くなった。
ぐい、とコートの裾が引っ張られる感覚に、ふいに庶民派金髪少女の存在を思い出す。
「貴様、あの日帰りが遅かったのはやっぱり……い゛っ!?」
余計なことを言うな。汚い言葉でナリさんのお耳を汚すんじゃない。
裾を掴む手を、ナリの目から見えないように思い切り抓んだ。
「あら、アヤメさん、この子は?」
ナリは、人懐こい笑顔を浮かべながらアルルの顔を覗き込む。
「助手です」
これは予め用意していた答えだ。ナリと今後深く付き合っていくのであれば、必然的にアルルとの関わりも生まれる。妹、というには髪の色も違うし、外見年齢も離れすぎている。仕事のパートナーという意味では、この答えが最も適切だろう。
「は? おいウスノロ、貴様なにっフグゴゴ」
ナリから死角になるよう、今度は鼻を抓んだ。
同時に通信魔術を起動する。
『いいか、クソガキ。何も聞かずに話を合わせろ。そうすりゃ万事オーライだ。俺は彼女に良い格好ができて、明日の朝にはお前の枕元に甘ーいロリポップが届く。どうだ、悪い話じゃないだろ』
『……毎朝だ』
こいつ足元見やがる。また財布が軽くなるぞクソッタレ。
……だが、背に腹は代えられない。
「あの……?」
「……やぁ、天才金髪美少女兼助手のアルルだ」
赤くなった鼻を擦りながら、仏頂面で答えるアルル。
もっとマシな挨拶があっただろ。
「まぁ、よろしくね。天才金髪美少女で助手のアルルさん。こんなに可愛い助手さんがいるなんて。ふふ、アルルさんも探偵に憧れてるのね」
「……うむ」
わかってるよ。そんな目で見るな。
あんな話聞いた後で正体明かせないんだもん。
アルルのジトっとした視線を浴びながら、心の中で釈明する。
「あら、もうこんな時間。ごめんなさい。この後行かなきゃいけないところがあって。」
私から声をかけたのに、とナリが腕時計から目を向け言った。
「折角会えたのに、残念だわ。また今度、私の家へいらっしゃってくださいね。そうだ、今度はアルルさんも一緒に、ね?」
こちらに振り返り会釈する彼女を見送る。手を振ると、手汗が冬の空気に弾けた。
らしくないとは思いつつ、胸の高鳴りを禁じ得ない。今まで幾多の死線を潜り抜けてきたが、その時の緊張感とはまた一味違う感覚を、俺は味わっている。
そんな俺に絶え間なく浴びせられる、じめじめと湿った視線。
「……助平」
「ほっとけ」
アルルの目線が、去っていった彼女を追うように移動した。どこか腑に落ちないような、煮え切らないような表情を浮かべるアルルは、何かを言いたげに視線を彷徨わせている。
「……なぁ、あの女は犬を飼っているか?」
「犬?」
妙なことを聞いてくる。
ナリと犬の話をしたことはない。少なくとも自宅では、犬を飼っている形跡はなかった。
「いや……なんでもない」
アルルの真意は掴めない。
彼女にとってはどうでも良い質問だったのかもしれないが……。
しかしどうにも彼女のその態度が、小さく胸に引っかかった。
***
「ご用件は?」
「異端審問官アヤメだ。フレデリク大尉と約束をしていたんだが、彼に取り次いでもらえるか?」
受付の男と簡単なやり取りを済ませる。
騎士団本部。
その名の通り、騎士の総本山。
教会が巨大な要塞だとすれば、ここは空高く聳えるバベルの塔だ。
組織としては最大の規模を誇り、集団を一つの戦力とする治安維持部隊。しかし個の技量も決して低くはない。対魔女として期待するには少々頼りないが、幹部クラスになれば十分に渡り合えるだけの力はあるだろう。
「大尉は今少々取り込んでいる。応接室でお待ちいただけるかね」
男に軽く手を挙げて応える。
「……」
「……ところでそちらは?」
「……助手だ」
***
「やぁ異端審問官。息災かね」
「ああ、フレデリク大尉、あんたの方こそ。随分忙しそうだが」
シャツ一枚に咥え煙草というラフな出で立ちで現れた偉丈夫。白髪交じりの髪をオールバックにセットした彼は、本当であれば中年の色気を醸し出していたはずだが、今はあちこちに跳ねた髪と、目の下のクマで台無しになってしまっている。
勢い良く応接室のソファへ腰かけたフレデリクは、煙草の煙を吐き出しながら俺とアルルを順番に見やる。
「なんだお前、女の好みが変わったか? まぁその……俺とお前は友人ではあるが、しかし一応これでも騎士だ。児童買春は見過ごせないぞ」
よくわからないが同情混じりの視線を隠そうともせず、とんでもないことを口にする。あまつさえ犯罪者扱いをされる始末。
「……随分なご挨拶じゃないか大尉殿。久しぶりにあった友人に対する態度とは思えないな」
「なに、あまりにも浮いた話がないから、ついにそっちに走ったのかと。ま、軽い冗談だ」
「面白くねぇんだよ、タコ」
最後にフレデリクと顔を合わせたのは、アルルと出会う前の話だ。これでも、この男には世話になっているし、世話もしている。俺がまだ正式に教会所属の異端審問官だった頃は、同じ現場に出くわすことも何度かあった。
俺が異端審問官として駆け出しだった頃から付き合いのある男だ。その当時の階級はまだ少尉だっただろうか。オールバックは変わらないが、まだ白髪はなかったような記憶がある。
「大尉、こいつはEDだ」
初対面の大人に馬鹿げた嘘を吐くのを辞めなさい。
「ああ、そりゃ可哀相に。俺が言うのもなんだが、たまには息抜きも必要だ。現代人はストレスに弱いからな……。まぁそんなことはどうでも良い。全く、どっかの馬鹿が北の方でドンパチしたらしくてな。事後処理がコッチまで回ってきた。お陰で向こう一週間はここで寝泊まりするハメになってる。俺の愛しい妻はすっかりお冠だ」
「あー……それは、災難だったな」
「しかし、ドンパチやられた奴らにはしっかり縄をかけたんだが、やった奴がどこにも見当たらん。内内の揉め事とも思ったが違うらしい。なぁアヤメ、お前さん何か知らないか? 現場の近くで目撃された奴ってのがな、金髪のガキを連れた、葡萄酒みたいな髪色をした男らしいんだが……」
アルル、フレデリク、と順番に目が合う。
「いや?」
「……そうか」
気まずい沈黙が降りる。
半目で俺たちを見やり、フレデリクは続けて新しい煙草に火をつけた。
「――で、お前さんの方は。何の話で?」
前置きはここまで。
話は本題へと移る。
「七年前のことについて、聞きたい」
休暇中の俺が、わざわざアルフヘイム区まで足を運んだ理由は、ナリの両親に関する情報を集めるためだった。実は教会の方で得られそうな情報は大方調べがついてる。ここ数日で教会に残されている資料を漁ってみたが、目ぼしい結果とはならなかった。
ヘリアンに聞けば何かわかることもありそうだが、彼女はそう気軽に会える身分ではないのだ。次になにか仕事の話が来た時にでも、尋ねるタイミングがあるだろう。
「……対魔女集団粛清作戦か? なんでまたそんな昔の話を」
「デリケートな話題さ、大尉。当時のあの状況、誤認逮捕や確証のないまま処刑が行われることが、相当数あった」
対魔女集団粛清作戦では、模倣犯や魔女崇拝を謳う者たちの対処に終われ、教会だけでは対処できない状態に追い込まれた。早急な治安回復のために、騎士団や傭兵も出動することになったものの、数多くの冤罪が発生する事態になった。
「そりゃあそうだ。お前さんだって、後方支援とはいえ参加していたなら当時の状況は知ってるだろう。だからこそ、被害者にはそれ相応の額が政府から支払われている。で? お前さんはそこから先、何が知りたい」
フレデリクは、紫煙を吐き出しながら目頭を押さえた。
彼の声が明らかにトーンダウンする。
補償はされていても、誤認した事実は変えられない。亡くなった者たちが帰ってくることはない。
それは教会にとっても、政府にとっても、あまり突かれたくはない部分。
しかし、その裏にまだなにか隠されていることがあるとすれば。ナリの両親の手掛かりは、きっとそこにある。
「俺とお前さんの仲だ。知ってることを教えてやるのもやぶさかじゃあない。やぶさかじゃあないが……。その前にひとつ聞きたい。そんなことを嗅ぎまわってるのは、そりゃお前の仕事か?」
鋭い眼光が俺を捉える。
叩き上げの実力派であり、大尉という階級を手にしたことで恐らく組織の暗部にも触れたであろう男。
その彼が問う。お前に知る覚悟があるのか、と。
「……どうかな」
「そうか、じゃあ残念だが――」
「――クリストフェル・ノルンは生きているが、右腕を失くしている」
立ち上がろうと尻を浮かせ――再びソファへ腰を下ろしたフレデリク。
彼が欲しがっている情報。ノルン一家は空中分解に陥ったが、肝心の頭が見つかっていない。どうやらまだ上手く逃げおおせているようだ。
「ほう?」
フレデリクの目が興味深げが細められた。
ビンゴ。行き掛けの駄賃程度に考えていたマフィアの掃討も、それなりの価値を見出せそうだ。
「真っ当な生き方をしている奴じゃない。新しい義手を欲しがるとしたら……行き先は限られる」
「斬ったのはお前か?」
「……」
「なるほど。そっちは仕事、か」
大きく息を吐きながら、しかめ面で頭を掻いている。
テーブルの上の灰皿に積もった吸殻が、まるで屍のように積み重なっていく。締め切った窓に跳ね返された煙が、天井に雲を作るかの如く立ち昇っていた。
「なぁわかるだろう。この件はお前が思っているよりも遥かに根が深い。俺だってそうだ。暗い部分には触れたこともあるが、氷山の一角にしか過ぎない。正義だのなんだのと謳っちゃいるが、どこの組織も上に行けば行くほど腐敗臭が強くなっていきやがる。いいかアヤメ、この世界はな、世間様に知られちゃ不味いことを知っている奴から消えていく」
「……ああ、解ってるよ」
「……ハァ、何がお前をそこまでさせるのかは知らないが、仕方ねぇ。ちょっと待ってろ」
重い腰を上げた部屋を出たフレデリクは、少し経ってから一冊のファイルを抱えて応接室へ戻ってきた。
「お宅の上司みたいに魔力制御の記録媒体が使えれば良かったが、ウチは未だにアナログでね。さて、俺はそろそろ仕事に戻らねばならん。そのコピーをやるから帰ってくれ。ああ、くれぐれも処分だけは確実に頼むよ」
「恩に着る」
しっしと手を払いながら俺たちの退出を促すと、彼は新たな煙草を咥える。
「アヤメ。俺にとって、お前が良き友人であることを願うよ」
帰り際、俺の背中に投げられた彼の言葉がやけに耳に残った。




