悪意の証明
薄暗く、じめじめとした空間。下水道特有の悪臭に金属臭と腐臭が混ざり、湿気とともに体に纏わりつく。皮膚のない死体の内臓は既に腐敗を始め、筋活動を止めた括約筋から溢れた糞尿が血液とともに広がっている。それらの浸食を避けるように、死体の周りには魔法陣が敷かれていた。
「……」
夜目は効く方だ。明かりがなくともこの程度の暗所なら行動に支障はない。
だからこその疑問。
先ほど魔女と遭遇したとき、この死体は果たして死体だったのだろうか。実はまだ、息をしていて、だた気を失っていただけの可能性があったのではないだろうか。
魔女が跨っていた所為でよく見えなかった。迎撃用魔術を解除する手間があった。魔女の攻撃を躱すことでそれどころじゃなかった。
――本当に?
通信魔術を起動するくらいのは時間はあったくせに?
魔法陣を記憶する余裕はあったくせに?
空間に影が落ちる。
アルルの放った光源はその効力を維持している。それにも関わらず、周囲の闇が深まっていくような感覚。
空気は更に湿度を増し、四肢を縛る。纏わりつくそれは、姿を変えていき小さな子供の姿へ――
「よせ」
はっと我に返る。
アルルが俺の目を、下から覗き込むように立っていた。
「それ以上は考えるな。毒になる」
深い青緑の目が瞬きもせず、じっと見つめてくる。
「あれはもうただの物体だよ。アヤメ、今私たちが遂行するべきは検証と解析だ。順
番を間違えれば、また死体が増えることになるぞ」
ふんと鼻を鳴らし、死体の方へ向き直るアルル。そのまま皮膚の剥がされた、赤黒い死体に近づいていく。そこには如何なる感情も躊躇いもない。
後ろから彼女を眺め、首を横に振る。
同情がなかったといえば嘘になる。
残留思念に中てられただけ。
そうやって自分を納得させた。
***
「やはりコイツは神性を含んでいるな。しかもかなりアレンジされているらしい。術式の原型がわからないほど、流れが歪だ」
アルルは魔法陣の解析を続けている。
「やっぱりお前が言ったように、ほとんど新規の魔術に近いってことか?」
魔術を扱う者の優劣は、知識量、正確さ、速さ、条件付けなど、複数の要素が絡みあって決定される。術者は、既存の魔術の効力をいかに強く発動させるかに重点を置くことが多く、同じ魔術でも使用者によって発動方法や効力は千差万別だ。
しかし全く新たな魔術を生み出そうとする研究者肌の術者は希少である。研究・開発するための施設や費用を考えるとかなりハードルが高い。そのため、新規魔術の開発は公的機関――つまり国家の役割であると考える者が多い。
「珍妙な話だよ。一介の魔女にそこまでのバイタリティがあるかね。ただでさえ日陰住まいの厄介者であるというのに」
「俺が引っかかってるのはそこだ。どうして奴さんはわざわざオリジナルの魔術で儀式を行おうとしたんだ? 大体迎撃用魔術だっておかしな話だぜ。魔女は“魔法”を真似た魔術に対してとんでもない拒否を示すだろ」
魔法陣の解析を続けるアルルの横に並ぶ。はっきりと子供の死体の細部まで目視できる距離だ。
もう大丈夫だ。残留思念の影響は、ない。
改めて死体を観察すると、あることに気づく。
(……綺麗だな)
死体は全身の皮膚が剥がされており、一般人が目にすれば卒倒してしまうような状態だ。ただ幸いなことに魔法陣に囲われているお陰で、死肉に群がる虫は湧いていなかった。そして見た目ほど出血量が多くないことから、大きな血管は損傷していないと思われる。
筋肉や腱の輪郭がはっきりしており、なんらかの手段を用いて、綺麗に皮膚だけを取り除いたということが予想された。
先の四つの事件を思い出す。情報では、いずれも死体の損傷はかなり少なかったはず。儀式で必要な部分だけを効率よく切り取ったのか。それとも、死者に対しての一定の配慮でもしているつもりか。
「まぁ、魔女にも色んな奴がいるということだ。正体を隠しながら人に紛れて生活している魔女もいる。人間にだって、貴様のような物好きがいるんだ。不思議な話ではないだろう」
そう言いながらアルルは立ち上がり、伸びをするように体を反らす。解析が終わった合図だった。
……物好き、ね。
「へーへー。んで、なんだったのよソレ」
ファサっと、薄暗い下水道には似つかわしくないプラチナブロンドの髪が揺れる。
「超感覚の獲得、或るいは心身の覚醒」
答えるアルルは相変わらず無表情であるが、僅かながらドヤッと得意気な色が見え隠れしている気がする。
「内向的な力が働いてると言ったな。恐らく術者に超自然的な力の付与を行っている魔法陣だ。ただ、気になることがある。それだけの効果を求めるならもっと簡単な方法があったはずだ。まだ他に目的が――」
アルルの言葉は最後まで続かなかった。
表現するのであれば轟。
そんな音とともに、アルルの姿が消え去った。
風を切る、という表現は生温い。
まるで空間そのものを捻じ切るような破壊的な音が、体のすぐそばを通過した。
瞬間、アルルの華奢な体は横殴りに吹き飛ばされ、下水道の反対の壁に叩きつけられた。
衝撃からワンテンポ遅れて砂塵が舞い、彼女の姿が隠れる。
思考する余裕はなかった。
(なんっ……)
反射的に上半身を折り、重心を下げた。
一瞬前まで俺の頭があった位置に、横薙ぎの破壊音が響く。
(……じゃっ!!)
顔を上げ、暴力の主を目視する。
(そりゃああああああ!!!!)
襲い来るは踵。
差し出された首を刈り取らんと、断頭台を思わせる脚が頭上から振り下ろされる。
後ろに回避していては間に合わない。相手の懐に潜り込むように前転する。
そのままの勢いで地面を転がり、突然の襲撃者から距離をとった。
そして、対峙する。
無造作に腰まで伸びた黒髪。モスグリーンのロングコートから覗く腿は意外なほど細い。
コートの両ポケットに手を突っ込み、俺を見下ろすのは――
「……」
深紅の瞳を湛えた女。
魔女。
十代半ばだろうか。あどけなさを感じる顔立ちだが、その表情は硬質。まるで仮面をつけているかのように一切の感情を読み取ることができなかった。
見覚えのある顔。見覚えのある立ち姿。
「よう、さっきぶり。お前のお陰でこっちは朝から一文無しだ」
軽口を叩きながら即座に臨戦態勢へ。スーツの懐へ手を入れ、“柄”を掴んだ。
それを見た魔女は前のめりに重心を傾ける。
た、と地面を蹴る音。助走もなく、純粋な脚力のみで身体を射出した魔女はワンステップで俺へと肉薄した。
(はやい……が!)
その勢いのまま乱暴に繰り出された撃蹴は、懐から取り出した武装で受け止めた。
格納式ブレード。
ダマスカス鋼で作られた120cm程度の刃には俺が組み込んだ術式が刻まれており、その刀身は魔力を帯び淡く光っている。本来であれば、人の脚など簡単に切断できるだけの魔力を纏ったそれはしかし、ブーツに僅かな傷をつけるに留まった。
蹴りを防がれた魔女は即座にその勢いのまま体をロールさせ、反対の脚を放つ。
「……っ!」
所謂後ろ回し蹴りを、重心を低くすることで躱し逆袈裟に切り上げる。
斬撃と撃蹴の交差。
風を切る刃と空間を射る脚。
両者が纏う魔力が幾度となく衝突し、その度に空間が歪み衝撃波が地面を抉る。
――超感覚の獲得、或いは心身の覚醒。
魔女の女性らしい体格からは考えにくい剛力。
それを可能にしているのは、あの魔法陣が生み出した結果か。
ならば、この身体の強化こそが魔女の目的であったのか。
「お前の目的はなんだ」
「……」
踏み込む。
刀身へ、さらに魔力を供給し切断力を強化。
「――!」
纏う魔力が明らかに硬質になったことを察したか、今まで無表情を貫いていた魔女が目を見開く。
さすがに無傷ではいられないと悟ったのか、バックステップで距離をとる魔女。
お互い、少し乱れた息を整えるように深い呼吸をひとつ。
「なんでお前はここに戻ってきたんだ。儀式はもう終わったんだろ?」
俺の言葉に、魔女はピクリと眉を動かす。
「アンタ、邪魔だよ」
苛立ちを孕んだ声色。
そしてその双眸が、金色の光を宿した。
それが示すのは“魔法”の発動。
刹那。
俺と魔女の間にあった空間が消失した。
「っ!?」
咄嗟のことに防御が遅れる。
まるで初めからそこに居たかのように、クロスレンジへ踏み込んだ魔女は躊躇いなく蹴りを放つ。
不完全な形で受け止めた俺は、その衝撃を殺すことができずに吹き飛んだ。
柄を掴む手が痺れる。吹き飛んだ勢いに任せそのまま着地。しかし次の瞬間には既に、支持脚を軸としロールする魔女が眼前に迫っている。
脚力とか速さとかそういう問題ではない。
まるで空間そのものが切り取られたような現象。
なるほど、これが。
「魔法か!」
予測していた追撃。着地と同時に、魔女が現れるであろう空間に突き出したブレードが奴の脇腹を抉る。
肉が絶たれ、内臓を傷つける。戦闘を開始して、初めて魔女の鮮血が舞った。
しかしそれだけではない。魔力を纏ったこの刃で切られれば。
「!? っぅ……!!」
ブレードから放出された魔力が、魔女の体を駆け抜けた。
魔女の体が崩れ落ちる。いくら身体機能が強化されていても、その根底を支える内臓、神経系の機能不全には抗えない。
それでもなお立ち上がろうとする魔女の眼前に、切先を突きつけた。
「おっと動くなよ。って言っても上手く動かせないだろ。俺の魔力は魔女にとって有毒らしいからな。魔力中毒が起こっているはずだぜ」
「……どうやって」
歯噛みし、絞り出すような声。先ほどのまでの無表情とは打って変わって苦悶の表情を浮かべている。
「死体の断面がえらく綺麗だったからな。お前の魔法は予想ができていたよ。対象の切断、切り取りってトコだろ。まさか空間までトリミングできるとは思わなかったけどな」
恐らく最初にアルルが受けた奇襲も、魔女の操る魔法による結果だろう。前触れなく、近づいてくる気配すらも全く感じないのであれば、不意打ちの手段として申し分ない威力を発揮する。しかし。
「腐っても異端審問官なもんでね。脚力で上手く隠していたようだけど、俺相手に奇襲を仕掛けるなら、情報を出しすぎだ」
「……ハァ」
溜息をつき、四肢の力を抜く魔女。
彼女から抵抗の意志が消えたのを確認し、ブレードを降ろす。
「さて、そろそろ話してもらおうかな。できればこれ以上手荒な真似はしたくないんだけど?」
俺の目を真っすぐ見つめ返す、深紅の両眼。無表情であったそれに、今は確かな意志を感じさせる。
「アタシは――」
そして魔女が口を開く。




