単焦点のパレイドリア
「――はっ!?」
「きゃっ」
覚醒と同時、跳ねるように体を起こした。
ソファの上で、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。全身に、短時間睡眠後に特有の倦怠感が圧し掛かる。
上半身から落ちたブランケットを拾おうとして――今しがた悲鳴を上げた、テーブルを挟んで向かいに腰かける彼女と目が合う。
アメジストを思わせる瞳。それと同じ色をした腰まで伸びた髪を後ろで一つに束ねている。
色素の薄い頬に、少し赤色が混じっていた。恥ずかしさを誤魔化すように咳払いをした彼女は、次いで柔らかな笑みを作る。
「急に起き上がるからびっくりしちゃいました。ふふ、よく眠れました? よっぽどお仕事で疲れてたんですね」
さらりと髪をかき上げ耳にかける彼女の名は、ナリ・ウールヴル。
七年前の対魔女集団粛清作戦にて両親が行方不明となった過去を持つ麗人。
「すみません、ナリさん。いつの間にか寝ちゃって……」
ナリの両親の手掛かりを探すと宣言したその後、涙を流す彼女を宥めていたら、いつの間にか意識を失っていたらしい。ただでさえも昨日の昼間から休む暇もなく動き続け、激しい戦闘を続けた体が遂に限界を迎えたというわけだ。
俺はどれだけの時間眠っていたのだろうか。
開放的な窓から見える景色はすっかり日が落ち、魔力により作り出された灯りでリビングの様子が反射していた。
「いいえ、私の方こそごめんなさい……。突然あんな話をしてしまって。あの、お時間もお時間ですし、折角だからお食事していきませんか?」
彼女の言葉に、思い出したように強烈な空腹感が襲ってくる。昨日から碌に食事をしていない。
ナリの手料理だろうか。最近は味気のない保存食ばかりで、誰かの作った食事など久しく摂っていなかった。
と。
そこで不意に浮かぶ、少女の顔。
……ちょっと待て。
「や……っばい」
冷や汗が垂れる。
全身の毛穴が開き、鼓動が速くなっていく。
「アヤメさん?」
「……俺、行かないと!」
慌てて荷物を纏める。
急激に騒がしさを増したリビングで、ナリが戸惑った目を向けてくる。
やばいやばいやばい……!
『私は疲れた。先に帰って寝てるから事後処理は貴様に任せた。あ、そういえばアレが食べたい。パンケーキ。貴様が帰ってきて作ったら、起こしてくれ』
脳裏に浮かぶのは、プラチナブロンドの髪を振り乱しながら、極大の魔力を撃ち出しまくる悪魔の姿。
こ、ころされるぅううううう!!!!
「ナリさん、今日のお礼は必ず! ご両親のことも絶対に調べますから、だから今日は帰ります!」
普段から仏頂面のアルルであるが、空腹となった彼女の機嫌の悪さは尋常ではないことを俺は知っていた。
一度、それで酷い目にあったことがある。
思い出しただけでもゾッとする。
多分今、不整脈出てるもん。
マフィアとか比較にならないからね、マジで。
動揺を隠しきれないまま、ナリから買い物袋と高級卵の入った籠を受け取った。
「そう、ですか……。わかりました、玄関までお見送りします。あ、アヤメさんこれを」
ナリに呼び止められた俺の首に、ふわりとした感触。
彼女の香りが舞い、肌触りの良いマフラーが巻かれた。
「それ、お貸しします。今度、返してくださいね」
先ほどまでの涙は何処へやら。悪戯っぽく笑った彼女に見送られ、血の涙を流しながら、ちらちらと雪の降る街へと駆け出した。
***
「あ、おにいちゃんおかえり! 今日はどこにお出かけしてたの?」
現実は非情だ。急いでいるときに限って忘れ物はするし、チンピラに絡まれる。積もった雪に足を取られて転んだ挙句、タクシーだって捕まらない。
結局俺が、竹林のように北エリアに群生する寂れたアパートメントまで帰り着いたのは、ナリ邸を出発してから二時間近くが経過してからだった。
世間は真冬の季節に足を踏み入れているにも関わらず大量の汗をかいた俺を出迎えたのは、弾けるような笑顔を湛えながら、闇の中に佇むアルルであった。
「もうっ! 遅いから心配してたんだよぉ? ぷぅ~、こんな可愛い女の子を待たせる悪いおにいちゃんにはお仕置きしなきゃ」
頬を膨らませながら腕を組み、拗ねたような態度で俺の方へ歩み寄るアルル。
「あ、あの……アルル、さん?」
彼女の毒舌と暴力を知らぬ者が見れば、まさに絶世の美少女。時代が違えば、幼い彼女を娶ろうと躍起になる上流階級の変態どもの、息巻く姿が見れたことだろう。
「あれあれ~? なんだか綺麗なマフラーしてる! んん~、他の女のにおいがするよぉ?」
しかし、不気味の一言に尽きる。
少しでも彼女とともに仕事をし、共に過ごした経験のある者であれば、その笑顔の裏に張り付く狂気を否応でもなく感じ取ることになるだろう。
少なくとも、アルルと出会ってから約一年の月日を共にしてきた俺は、今まさに己の生命の危機をこれ以上ないほどに身近なものとしていた。
「……」
迫りくる小さな巨人。
俺はといば、蛇に睨まれたなんとやら。
ママ、こんなダメな息子でごめんなさい。
あなたの財布からお金を抜いたうえに、その財布を質に入れたのは俺です。
死に際の懺悔まで済ませ、襲い来る衝撃に備え強く目を瞑る。
「っ……?」
魔術が……飛んでこない?
恐る恐る目を開けてアルルの表情を盗み見ようとするがしかし、そこに彼女の姿はなかった。
「うう……」
「ヒッ!?」
足元から悪魔の呻き声が聞こえ、反射的に飛び退いた。
……金髪ロリが、倒れている。
「あ、アルル! 大丈夫か!? それは、新手の罠か!!?」
ピクリとも動かないアルルを、足の先で突く。
「お……」
「お?」
「お腹減った……」
アルルの腹から、地獄のマーチを思わせる怪音が響き渡った。
***
「おい、黄色ブドウ球菌。なんだこれは。私はパンケーキが食べたいと言っただろうが」
フォークとスプーンでテーブルを叩きながら、少女が吠える。
彼女の目の前には、肉と野菜を炒めた簡単な料理とスープが並んでいた。
「だからごめんて! 薄力粉買い忘れたんだよ!」
「貴様、半日以上も私を放っておいた挙句、甘味がないとはどういう了見だ!」
「腹減ってるんだったら、文句言わず食え!」
相も変わらず傍若無人ぶりを発揮する天才金髪美少女(笑)であるが、その姿に昨日までとは一つの変化があった。
「む? ひゃんや、ひゃにみてう」
「口の中を片付けてから喋りなさい」
左目を覆う、黒い眼帯。
さる文書――黄金の林檎をマフィアの手から取り返した俺たちは、一応、確認としてそいつへ目を通した。いや、通そうとした。
しかし、あれは呪いだろうか――とにかく文書には強い力が封じられていたようで、対策なしに閲覧すれば、強烈な精神汚染を引き起こしかねない代物であった。
幸い俺は少し強めの拒絶反応が生じた程度で済んだが、アルルはそうはいかなかった。
アルルを、アルルの魔女の力を縛る封印が一部解けてしまった。
彼女の首に巻かれたチョーカー、そして逆十字。
大司教ヘリアン・ヴァーリの構築した術式に、俺の体に流れる、魔女に対して毒となる魔力を組み合わせて作られた強固な楔。
『殺したくないんでしょ? ならば、あなたが管理しなさい。但し、万が一封印が外れて暴走した場合、解っているわよね』
それが処刑されそうになっていた、記憶を失ったアルルの命を助けるために提示された条件。
魔女の力を抑えつけた上で、教会に貢献させろ。
アルルの魔力は明らかに異常だ。
街に蔓延る他の魔女とは、文字通り次元が違う。
万全となった彼女が自分の意志で再封印に抵抗すれば――それは至難を極めるだろう。
その時は……異端審問官として、俺が始末をつけることになっている。
幸いかどうかはわからないが今現在においては、どうやら魔術を行使しようとすると左目の違和感が強くなるらしく、魔力の使用は控えているようだ。
しかし、例えば。
アルルの記憶が戻った時、彼女は人間と魔女のどちらの立場を選ぶのだろう。
俺はアルルの過去を知らない。
アルルがどのように生き、どのような人たちに囲まれてきたのかを。
でも俺は信じたい、と思っている。
「おい、サルモネラ。食後にホットミルクを淹れてくれたら、パンケーキの件はチャラにしておいてやる。いいか、砂糖たっぷりで頼むぞ」
「はいはい」
たとえアルルがどちらの世界に立つことを選んだとしても。
こいつとこうやって過ごせる時間が長く続くことを。




