甘い嘘
「その、もしよろしければ、半分こにしませんか?」
ざわざわと賑やかなマーケットの中においても、彼女の声はよく通った。
例えるならフルート。
甘く、澄んだ声が鼓膜を刺激し、脳内が痺れるような感覚に襲われる。
先ほどまでの戸惑った表情はすぐに引っ込み、少し上目遣いがちに尋ねてくる彼女はまるでアネモネの花のよう。
手入れの行き届いた薄紫色の髪は枝毛一本見当たらない。
このマーケットを利用するのは中央に住む裕福層であり、今ここに居る人々は小奇麗な格好をしている者が殆どだ。血統書付きの彼らの遺伝子は美男美女を多く輩出するため顔や体格の造形も良い。
しかし彼女は、そんな中に居ても一際光っているように感じたのは俺だけだろうか。
「あの……?」
はっと我に返る。
思わず見惚れてしまっていた。
「え、ああ。いや失礼。ええと、この卵を二人で分けようってことだよな……ですよね。勿論、あなたが良ければ」
危ない危ない。
昨今はミルハラだのなんだのとうるさいからな。
緩みかけた頬を引き締め紳士的に対応すると、卵のケースを抱え彼女と向き合う。
「本当ですか? 良かった。この卵すごく美味しいのですけど、ここでしか扱ってないし、それにこの量は、一人だとなかなか使い切れないので私も助かります」
彼女がにこりと微笑むと、その後ろに花が咲いた……ような気がした。
「ふふ、お買い物はもうお済みですか? そうであれば、行きましょう」
先導する彼女の後について会計へ向かう。
やはり、彼女の容姿は目立つらしい。すれ違う何人かの買い物客が振り返ってはその姿に見惚れていた。
「ここは私が」
「ちょ」
止める間もなく、彼女は支払いを終えてしまう。
「……いや、申し訳ないな。高価なのに」
「いいんですよ。あ、でも、その代わり私のお願い聞いてくださる?」
え?
もしかして新手の美人局ですか?
偶然を装って恩を着せて、後で怖いお兄さんがでてくる……みたいな。
思わず警戒する。
悲しいかな。その昔、北エリアで散々痛い目を見てきた俺は、親切心――特に女性から向けられるソレに対して酷く敏感になっていた。
そんな俺の様子を知ってか知らずか、彼女は人畜無害の笑顔を俺に向ける。
「わたしもほら、この通りたくさん買い物をしちゃって。卵、運ぶの手伝ってくださらない?」
***
心配は杞憂に終わった。
マーケットを出た俺たちは、四輪のキャブレター車を呼び止め乗り込んだ。暖かい店内の空気に慣れた所為で、車内の気温の低さが身に染みる。
昨夜まで着ていたコートはテオーに貸したままだし、スーツには所々穴が空いてるし、今思えば碌な格好をしていない。
「ヴァナ区までお願いします」
一方、しっかりと防寒対策をした彼女が、ドライバーへ告げた行き先は案の定、この街の中央エリアに連なる高級住宅街。
燃料の臭いとともに走り出した車から振動が伝わってくる。
エンジンの駆動とともに、少しずつ暖気が流れだした。それに少しほっとした表情を浮かべながら彼女が口を開く。
「申し遅れました。私、ナリ・ウールヴル。ナリ、とお呼びください」
「これはご丁寧に。俺はアヤメ、です。ええと、仕事帰りなもので、こんな格好で申し訳ない」
差し出された手を握り返すと、彼女――ナリは、まぁとその深い紫色の目を見開いた。
「お疲れだったでしょう? ごめんなさい、私ったら気が回らなくて……」
「いやいや、気にしないでくださいよ! そんなつもりじゃなかったんです。それに、仕事って言ったって大した物じゃないですから」
彼女の謝罪は本心。そう思わせるくらいに嫌味がない。本当に申し訳なさそうな顔をする彼女についこちらが慌ててしまう。
ナリの言葉選びや佇まいから、彼女の育ちの良さが滲み出ていた。
俺の周りにいる女性といえば、北エリアの売春窟にいる娼婦連中がまず頭に浮かぶ。開けた胸元から過剰なまでの香水の臭いに、煙草と酒を栄養とし育ったセックスワーカー。
だからこそ、こんな上品な振る舞いをする女性に慣れていない俺は、彼女にどう接するべきか戸惑ってしまう。
「アヤメさん、どんなお仕事をされているんですか?」
「ああ、えーっと、人探し……そう、人探しとか、失せ物探しとか、あとは、ペット探し……とか」
探しすぎだろ。
心の中で思わずセルフツッコミ。
異端審問官という仕事は暗いイメージが付き纏う。魔女、それに準ずる者が対象となり荒事が多くなるためだ。それに儀式だの、生贄だの、どうしてもその身にこびりついた血の臭いが拭い切れない。
治安維持に貢献している自負はあるが、クリーンなイメージで売っている教会は俺たちのような存在を大手振って表に出さない。
一般人からは忌避されるのは、致し方ない。
もう慣れている。
だからといって異端審問官という身分を明かすことが、禁じられているわけではない。時と場合によってはVIP待遇を受けることだってある。
ただなんとなく。
なんとなく、隣で微笑む彼女にはそんな一面を見せたくないと思ってしまった。
出会ったばかりで、名前も先ほど知ったばかりの彼女に対して、だ。
咄嗟に口から出た嘘ではあったが、あながち間違ったことは言っていないし良しとしようじゃないか。
少しの罪悪感とともに、彼女の顔を見る。
「……」
アネモネのように綺麗な深紫色の瞳を、キラキラと輝かせる彼女がその身を、俺の方へのり出していた。
「……もしかして、アヤメさん」
「は、はい」
「探偵さんなんですか!?」
「……はい?」
た、探偵?
人探し、失せ物探し、ペット探し――。
……あ、探偵だわこれ。
「私、すっごく憧れてたんです! ほら、『絶望の淵にある淑女に助けを求められたら、紳士たるもの、危険を顧みるべきではない」って、ホームズこそ紳士の中の紳士という感じがしませんか!?」
艶やかな髪を耳にかけながら、狭い車内でぐいと迫ってくる彼女。
ふわりと、控えめな甘い香りが漂う。
気恥ずかしさに思わず目を逸らしながら、ナリを制止する。
「な、ナリさん」
「あ……」
ナリの頬に朱が差す。
慌てたようにその佇まいを直す彼女。
「すみません……。私古典文学に興味があって、ずっとお父様の蔵書の中から見つけた探偵小説を夢中になって読んでいたんです。子供の頃からあまり体が強くなくて、ずっと本が友達だったんです。だからつい……。」
「なるほど、それでホームズを。確かに彼はいい男です。」
「そうですよね! なんといってもあの――あ、すみません! ここで降ります」
キャブレター車が停車した、その慣性に体が揺れる。
彼女が目的地へ到着したことを告げた。
***
中央エリアは教会や騎士団といった治安維持組織がその本拠地を置く以外にも、政府関係者や経営者など、ミッドガーデンにおける権力層、支配層がその顔を連ねている。
そして、その郊外の一画であるヴァナ区には、この街の支配者たちの住居や別荘が立ち並ぶ。一帯を強力な防壁魔術が覆い、二十四時間体制で騎士たちが警備のために巡回している。
豊かな自然や教育機関も充実し、ショッピングモールやブティック、ゴルフ場まで揃っている。文字通り、金持ちが金持ちのために作った、安全安心、高度な生活が保障されたエリアであった。
静かな住宅街。隣家同士の距離間も適度に保たれ、プールやテニスコートが備え付けられていることが珍しくない。ナリの自宅もその例に漏れず、敷地には手入れの行き届いた庭園が広がっている。
今は小さく雪が積もっているが、春になれば綺麗な花を咲かすだろう。
白い外壁からは魔力が循環している様が見て取れる。
触媒としても利用される鉱石を混ぜた石材は、防壁魔術との親和性が高い且つ、断熱効果も高くセレブの間で密かな人気になっているという。
「どうぞ、入ってください。あ、そこの段差に気を付けて」
両手に買い物袋と高級卵の入ったケースを抱えて、ナリの後に続き玄関ホールへ。
外観と同じく、白を基調としたインテリアが彼女の性格を表すように配置されている。所々に差し色のように絵画や花瓶が置かれ、自己主張の控え目なそれらが更なる上品さを醸し出す。
どこかの屋敷とは正反対である。
リビングルームのソファに促され、コーヒーを淹れて戻ってきたナリと一緒に卵を分け始める。 テーブルに置かれたカップから、ナッツのように芳ばしい香りが漂い鼻孔を刺激する。
「ナリさんはここに一人で? 家族とか、使用人は?」
金持ちの家といえば、使用人の一人や二人居ても可笑しくないのだが、ナリ邸は俺たち以外に話し声もなく静まり返っている。
そういえば、買い物だって彼女は自らが行っていた。
「ええ、たまにハウスメイドを雇うこともありますが、基本的には一人で暮らしています。家族はいません。実は、父も母も……行方不明で」
あ、もしかして地雷踏んだ?
「七年前の集団粛清。当時、モルガン大学院で魔女についての研究をしていた両親は、異端審問に連行されていきました。私も尋問を受けたのですが、両親の研究については何も聞かされていなかったので直ぐに開放されたんです。他にも冤罪で釈放された人もいましたが、両親は十三歳の私を残して結局帰ってきませんでした」
――対魔女集団粛清作戦。
七年前、魔女による殺人やテロ行為が急激に増え始めた。
教会は異端審問を総動員して魔女狩りを行ったが、魔女信仰者や一般人による模倣も増えたことで手に負えない状態となっていた。
そこで、政府が主体となることにより騎士団、傭兵まで動員し、魔女と魔女への関与が疑われる者たちを片っ端から捕らえるという、人海戦術による作戦が決行されることとなる。
疑わしきは罰する。魔女に関する研究者やその家族、政府官僚までもが摘発の対象となり、冤罪によって裁かれた者も多かったという。
傭兵などが混ざり、魔女に対して浅薄な者が増えたことで起きた悲劇。当然、後々の批判は多かったが、結果として多くの魔女が裁かれたのも事実である。
冤罪の被害となった者やその家族に対しては、多額の補償金が支払われることとなったが、しかし今なおその傷は癒えない。癒えるはずがない。
彼女は深みのある紫の瞳を伏せながら、淡々と作業を続けている。
「未だに現実味がないんです。帰ってこないってことは、そういうことなんだって。頭では解っているはずなのに。それでも……心のどこかでまだ信じているんです。両親はまだどこかで生きていて、いつの日か何事もなかったように帰ってくるんじゃないかって」
リビングに飾ってある写真に目が留まる。
幼い彼女と、彼女の両親。
幸せだった頃の、残滓。
「ごめんなさい。こんなこと、初対面の人にする話じゃないのに」
「ナリさん……」
「アヤメさんが探偵だって聞いて、もしかしたらって思ったんです。お父さんと、お母さんがまだ、生きているとしたら。いいえ、たとえ生きていなくたって、あの日の真実を私は知りたいって」
目の端に滲んだ涙を指で拭い、ナリは笑顔を覗かせる。
気づけば、微かに震えるその手を握っていた。
七年前の出来事は確実に彼女の心に傷をつけ、今でも歪な楔となって残っている。しかしそれでいてなお、強く生きようとする彼女を誰が見捨てて置けるというのか。
七年前。
当時まだ、異端審問官としては駆け出しだった俺も作戦には参加した。
主な役割は後方支援であり、直接魔女の処刑には関わっていなかったが――。
改めて冤罪被害者本人の話を聞いて、どうしても罪悪感が芽生えてしまうのは仕方ないのことではないだろうか。
「俺が、俺が探します。ナリさんの両親を」
「え……?」
「俺は教会や騎士団に顔が利く。だから、普通じゃ手に入りにくい情報だって集めやすい。もしかしたらナリさんの両親のことだって」
「私たち、今日お会いしたばかりなんですよ……? それなのになんで……」
そんなこと俺が知りたいくらいだ。
自分が浮き足立ってるってことも、本来は怠惰なクズ野郎ってこともよく解ってる。血と硝煙の臭いに塗れたこの手は、本当であればこのような女性に触れてはいけないということも、しっかり理解している。
それでも。
「ありがとう……ございます……っ」
涙を堪えきれない彼女の肩を抱き寄せる。
力を込めれば折れてしまいそうな体。
ふわりと漂う甘い香りに、脳が痺れたような感覚に陥り、思考が微睡んでいく。
同情、罪悪感――恋心。
彼女の弱みに付け込んでいるようで一瞬胸が痛んだが、その思考もすぐに立ち消えた。




