第2限 学園国家・校国
大人が消えた世界……
……そしてやがて、学園は国家となる
かつて「日本」と呼ばれていた国の、一地方都市であった街・桐可市。
田舎と呼べば住民は怒り、都会かと聞かれると住民は首を傾げてしまうような、大きくなく、小さくない……そんな住みやすい街がこの桐可市であった。新開発されることによって発展した街の中心には先進的なデザインのビルが立ち並び、道を一本はずれるとおしゃれなカフェやレストランなどの背の低い建物がある。
しかし、そんな美しかったはずの街は、完全にその時を止めていた。
道路には人間の腰ほどの高さの草がアスファルトを突き破っていて、ビルの窓ガラスは割れてなくなり、ツタが屋上から垂れ、地上から這っている。石造りの建物はぼろぼろと壁に隙間を作っていて、あちこちが苔むしている。
いつからか、人間の手入れが一切されなくなっていることを如実に表している。
だが、そんな放棄された街の中で、綺麗に手入れされ、整備された建物があった。敷地の入口には、古いものが取り払われて、新しい看板が取り付けられている。そこには、「国立第一小学校」と文字が彫られている。
ひび割れた校舎の壁は補修され、這うツタもなく、ガラスもきらきらと陽光を跳ね返しており、未だにこの場所が人類の支配下にあることは明白だった。
そんな校舎の一室「4―3」と書かれたプレートのぶら下がる教室では、子供たちが社会科・歴史の授業を受けていた。
「はい。ではこの写真が誰か分かりますか?」
教壇の若い女教師は、立派な木の額縁に飾られた一枚の肖像写真を生徒たちに見えるように掲げてみせた。そこには、真っ黒な制服を着て、左腕に「生徒会」と書かれた腕章をした男子高校生が映っていた。伸びた黒い前髪と、目の下のクマが印象的だが、逆にいえばそれ以外に特徴のない青年の写真。
そして、その人物の名前を問う女教師に、子供たちが、はい! はい! と我こそはと挙手を始める。クラスの全員が手を挙げたのを教師は満足そうに見渡して、
「じゃあ佐藤くん」
と、男子生徒を一人指名した。
「はい!」
当てられて嬉しそうに笑ってから、立ち上がり、彼は少し息を吸って、大きな声で答えた。
「安芸さまですっ!」
安芸。その名に女教師はうんと大きく頷く。
「正解です! この御方は安芸さま。私たちの暮らすこの【校国】をお創りになられた……」
教師はそこで一旦言葉を止め、安芸と呼ばれた青年の写真が入った額縁を、黒板の上、スピーカーの下へ掛け直した。
「……偉大な『国父』さまです」
掛け直した肖像へ教師は少しだけ頭を下げてから、『校国の国父』へ背を向け、生徒たちの方へ向き直る。
そう、ここは、かつての日本である。
ここ、放棄されたかのように荒廃した桐可とうか市一帯には、現在、【校国】と呼ばれる新国家が建国されていた。学園組織を建国基盤にもつ特異な国家……それが【校国】である。
「先生! 『せいとかい』の『せい』の字が、昨日習った字とちがいます! どうしてですか?」
今度は女子生徒が挙手して、教師に質問を飛ばす。
それに「よく気が付きました」と口角を上げて、教師はチョークを手に取った。
「昔はこの写真のような字で、『生徒会』と書いていました。ですが、今はちがいますね」
女教師は、チョークをカツカツと音を立てて黒板へ走らせる。
「しばらくして、この『せい』の字が使われるようになります」
そして黒板の真ん中に、丁寧な筆跡で、白い字が書かれる。
「だから、今は【政徒会】。校国の統治を総括する政府組織ですね」
大きく書かれた『政徒会』の三文字。
学園組織が建国基盤である最大の証明とも言える名称である。
生徒会がその役目を「学校運営に生徒代表として携わる」というものから、「国家の指導」へと変化したものが政徒会であり、生徒会が政を担うようになったということである。
「安芸さまは、第一代・政徒会長を務め、この【校国】を国父として築き上げたのです」
教師は一歩横にずれ、今度は組織図を書き始めた。
「四年生になったみんなには、私たちの住むこの【校国】という国の形を知ってもらいます。では、教科書の五ページを開いてください」
子供たちは教師の指示に従い、ぱらぱらと教科書をめくった。
五ページの単元は、『我らが校国』である。
◆
同時刻。旧桐可市、【校国】。
桐可市は、四方を山々に囲まれ、東西南北に川が流れる自然の美溢れる街だ。そんなお椀の中のような市街を囲う山脈の一端である南側の山の中腹には、とある建物が立っている。
かつては『私立桐可学園』と呼ばれていた白塗りの校舎は、現在では『学園府』と呼ばれている。ほかのどんな建築物よりも綺麗に手入れされており、直線的で無駄のないスマートなデザインの校舎は、未だにその色を失わず、美しさを保ち、文明を湛えている。
加え、校舎にはあちこちに黒い下地に赤い桐の葉が描かれた学園旗(校国旗)が翻り、白と赤と黒だけの校舎、否、学園府はその統一感で見る者を圧倒する。
ここは、学園府。
学園組織を建国基盤に持ち、旧・生徒会、現・政徒会が指導する、学園国家【校国】の政治中枢である。ここでは【校国】の政府組織である《政徒会》の他にも、日本における省庁の役割を果たす各種委員会の本部も置かれている。
そんな学園府では、いま、重要な会議がなされていた。
【校国】の内閣にあたる《政徒会》の役員と、校内の治安維持組織《風紀委員会》や民主主義を守る《選挙管理委員会》、校国を守る軍事組織《校外委員会》、旧世界の情報を管理する《図書委員会》などの委員会のトップが会合を行う、『学園会議』と呼ばれるものである。
第一会議室と名打たれた広い会議室には、大きな円卓が置かれており、それを囲うように国のトップたちが椅子に腰かけている。彼ら彼女らは、桐可学園の制服であった黒いブレザーを少し変化させた制服を着込み、赤いネクタイを締め、また左腕には所属を表す腕章を通している。日本の国会議員に制服がある、という状況と説明できる。
東側の薄暗い部屋の中、人類文明崩壊以降の明かりの代表である蝋燭がゆらゆらと役人たちの影を作っている。
「……さて、突然だが、今日はここでゲストを紹介したい」
恰幅の良い五十代後半の男が、ぎしっと背もたれに体重を乗せながら言う。そのどこか投げやりな仕草は、とても大切なゲストを紹介する風ではない。
彼の左腕に通された腕章には、『総督』とあった。決して彼が総督という役職を背負っているという意味ではない。この腕章は、《総督委員会》に属する者を示すものである。
彼の名は、備前。
彼の《総督委員会》の仕事は、【校国】の支配下にある二つの学校の管理・運営である。
「こちら、大之谷農業高校の三河どのだ」
総督委員会の男が右の手のひらで横に座る男を役員たちに紹介した。桐可の制服ではない、灰色の学生服のような制服を着た中肉中背の男。彼の名は三河。
会議の間、一言の発言も許されず、ただただ座るばかりであった三河は、横の男の紹介に思い出したように立ち上がり、深々と頭を下げた。
「ご、ご紹介にあずかりました……。大之谷の三河と申します。この度は貴重な会議のお時間をい、いただき、まことに恐悦至極に……」
頭を下げたまま、震えながら三河はそう挨拶を始めたが……。
「前口上はいいよ。さっさと本題を話したまえ」
総督委員会委員長・備前は顔の前を飛ぶ虫を払うような仕草をして、三河の挨拶を遮った。それに三河は顔を真っ青にして「も、申し訳ありません……!」とさらに深く頭を下げる。
「……そのうち、本のように閉じることができそうだな。クク……」
「ふふ」
「くくく」
備前の嘲笑に、他の委員会の委員長たちも口元を隠して、それでも笑ったことは隠さずに三河を嘲笑った。黒い制服を着て、赤いネクタイを締め、左腕に腕章をはめる彼ら【校国】の為政者たちと、三河の間にはそんな状況を許してしまうほどの明確な立場の差があった。
その関係とは、支配者と被支配者である。
「さ、話したまえ、三河どの。この場で言いたいことがあるのだろう?」
「は、はい」
三河は会議に参加する面々の顔を観察しながら、ゆっくりと背筋を伸ばしていった。
今や人類最後の国家となった【校国】。その支配階級たる《政徒会》の役員たちと、各種委員会の委員長たちを前に、三河の緊張は最高にまで達する。
しかし、彼は緊張をぐっと唾と一緒に飲み込んだ。彼の脳裏を過るのは、愛する同胞と、家族の笑顔だ。
「わ、我々、大之谷農業高校は、現在、非常に苦しい状況にあります」
「…………ほう」
横で丸眼鏡を押し上げる備前の姿と低い声に、三河はびくっと体を跳ねさせるが、もう引き返せない、と言葉を続ける。
「我々は人類の食料の生産の拠点として、日々、全員がつらい労働をしています。しかし……」
「……しかし?」
となりで丸眼鏡を拭き始めた備前を一瞥してから、三河は前を向いた。
「しかし、大之谷はもう限界です! 税は増すばかりで、我々が生産している食料はその取り分がほとんどありません! 民は疲弊し、瘦せ細るばかりであります!」
なんだ、そういう話か、と数人の役員たちはずるずると背もたれに背を滑らせた。【校国】の衛生状態を管理する《環境委員会》や、選挙を取り扱う《選挙管理委員会》などの内政を管轄する委員長たちは「出る幕無し」と傍観に徹する構えだ。
しかし、政府組織である《政徒会》の面々や、治安秩序を守る《風紀委員会》の委員長、
他校の支配を司る《総督委員会》の委員長などは三河の話を完全に無視するわけにはいかない。
「加え、我が校に派遣されている《総督委員会》は、あまりにも横暴です。厳しすぎる取り締まりに不満を持つ者も多い。このままではいずれ……!」
「いずれ、何だ?」
備前がぴしゃりと三河の演説を遮る。半ば脅迫のような備前の言葉と態度に、三河は怯み、声が少し小さくなる。三河の意見は、《総督委員会》委員長である備前への文句である。
「いずれ……暴動になります」
「ふむ。暴動、というと、最近貴校で盛り上がっている『反校国運動』とかいうやつですかな」
「それ以上のものです。いまは我が校に派遣されている【校国】の《風紀委員会》や《総督委員会》、《校外委員会》が運動を抑えられていますが、それもいつか限界に達しますよ!」
「……三河どの」
「何ですか」
話しているうちに饒舌になり、肝が据わり始めた三河であったが、踏み潰されまいと逃げ惑う蟻の抵抗を馬鹿にするような備前に、徐々に鼓動のペースが上がっていった。
「それは、我々【校国】を脅しているのですか?」
「……なっ」
決して本意ではないことを備前に言われ、すぐさま反論しようと三河は口を開いた。
しかし、「けしからんッ‼」という野太い声が会議室に響き渡り、三河の口を無理やりに閉ざした。声の主は、三河の反対側に座る筋肉質な体つきの男。白髪交じりの髪をオールバックにまとめているが、ところどころ額に触覚のような跳ねた髪のある豪快そうな大男だ。
彼の腕には『校外』と書かれた腕章が通っている。それはこの男が、人類文明崩壊後、危険地帯となった校外世界の調査や安全圏確立を任務とした【校国】の軍事組織《校外委員会》の指導者であることを示している。
「けしからん! まったくもってけしからん!」
校外委員会委員長はその太い腕で机を叩きつけ、三河をぎょろりと睨む。もともと小心者である三河の勢いを失わせ、黙らせるには十分な迫力であった。
「何ということだ! 三河とか言ったか! 貴様! 黙って聞いて居れば! 誰が貴様ら農業高校を化け物どもから守っていると思っている⁈」
「そ、それは」
「誰が貴様らを化け物の脅威から解放した⁈ 誰が住む場所の安全を守っている⁈ 誰が貴様らに生産に集中できる環境を与えている⁈」
「お、おちつ……」
「全てッ! 全て我々【校国】と桐可学園、そして《政徒会》だ!」
校国とはすなわち桐可学園のこと。桐可学園と呼ばれていた旧世界における一学校が、この
終末の世界を生き抜く内にその姿を国家へと変化させたのである。
その校国は、傘下に農業高校と工業高校をおさめ、その能力と生産物を吸い上げることで、これまで発展してきた。言わば二つの植民地を持つ宗主国……いや、宗主校である。
「貴校は、我らが偉大なる国父様と締結した条約すらも否定する気か⁈ それは罷り成らん!」
国父。
その言葉により一層三河の顔が青くなる。
「そ、そそ、そんな、め、滅相もございません! わた、私はただ……!」
三河は慌てて訂正を入れようと円卓に手をついて前のめりになる。それは彼も国父・安芸を尊崇しているから……ではない。
【校国】にとって、初代・政徒会会長である国父というものが、どれほど偉大で崇高な存在として祀られているか、それを三河は理解しているからだ。
「ええい、黙れッ! 【校国】の庇護下にありながら、ただ文句を垂れ流すだけとは何事か!」
怒声をどんどん強めていく校外委員会委員長の男。こうなることを予想していたのか、備前は俯いたまま「くくく」と小さく笑っている。
それに気づいた三河は悔しそうに歯ぎしりをして備前を睨みつけるが、事態は一向に好転しない。
「まあまあ……そこらへんで」
口角の上がった口元を手で隠しながら、備前が反対の手のひらで場を制止する。
「ご無礼をお許しください、三河どの。彼とて、悪気があるわけではないのです」
どの口が言っているんだ……とは三河も言えず、
「い、いえ。私が、悪い、のです……」
と語気を弱めながら、椅子に座ってしまう。
「……で、結局」
椅子をぐるりと三河の方へ向け、備前は頬杖を突きながら、三河の顔をぐいと覗き込む。
「三河どのの要求は……何なのですかな?」
「……我が校の民を苦しめている……規制や、重税の……撤…………軽減、を」
「ふむふむ、分かりました。ではあとはこちらで審議した後、政徒会会長閣下の許可があれば、私の《総督委員会》で、貴校に敷く制度の改革の検討を開始いたしましょう」
結局開始するのは検討なのか……という文句はぐっと飲み込んで、三河は「ありがとうございます」と礼を言って、それからはただただ黙るだけとなった。
人類文明が崩壊したその世界には、私立高校『桐可学園』を建国の基盤に持つ新たな国家【校国】が存在していた。
その歴史は、90年前に遡る。
【次回】
時系列を遡り、「世界が終わった日」から本編が始まります。
【あとがき】
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