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今日も僕らの推しが尊い  作者: 宗真匠
2/12

2.その邂逅、突然に

「初めまして、紘斗君。私は絢瀬慎一郎(しんいちろう)。宜しくね」


 母の再婚相手はガタイが良く皺の多い男性だった。

 皺が多いとはいえ顔が悪いなんてことはない。若い頃はさぞモテたんだろうなぁと思わせるナイスミドルなおじ様で、ニコリと笑うと白い歯がキラッと光る。第一印象から温厚そうで非の打ち所がない人だった。


「初めまして。谷代紘斗です。今日はわざわざ足をお運びいただき、ありがとうございます」

「そう畏まらないでくれ。これから家族になるんだ。タメ口で気楽にね」

「そう……ですね、わかりました」

「ははは、すぐには難しいね。まあ、ゆっくり慣れてくれると嬉しいな」


 どうやら柄にもなく緊張しているらしい。

 親の再婚という、人生に一度起こるか起こらないかという出来事に困惑している自分がそこにいた。

 しかし、慎一郎さんはそんな俺にも優しく笑ってくれた。母を苦しめるような人なら喧嘩になってでも反対する覚悟だったが、杞憂に終わりそうだ。


「そうだ。娘も紹介しないとね。悠花(ゆうか)さんも会うのは初めてだったね」


 緊張で狭くなった視野の端にぴょんと動く影が見えた。

 母が言っていた連れ子か。一体どんな女の子なのだろうか──。


「こんばんは、谷代紘斗くん」


 その姿を見た瞬間、俺の体はメデューサの魔性にかかったように動かなくなった。

 胡桃色のショートヘア。猫のように大きなアーモンド型の瞳。白い歯をちらりと覗かせて笑う姿は慎一郎さんの面影がある。

 同い歳の子だとは聞いていた。だけどまさか、こんな偶然があるとは思いもしなかった。

 気まずさも高揚感もない? 嘘だ。俺の心臓は今にも胸を突き破らんと暴れ回っている。


「絢瀬さん……?」


 そこに立っていたのは、同じクラスの絢瀬くるみだった。

 いや、俺の鼓動が昂っていた理由はそこじゃない。

 美人なクラスメイトと同棲というだけならまだ良かった。それでも俺の理解を軽々と超えるシチュエーションだが、それだけならまだマシだった。


 絢瀬くるみ。彼女は俺と同じクラスメイトであり、裏ではアイドル活動を行っている。その事実を俺だけが知っている。

 とあるアイドルをずっと応援してきた俺だけが知っていた。

 この絢瀬くるみこそ、純朴の天使くるみんなのだから。



※※



「まさか、くるみと紘斗君が同じクラスだったとはね」

「ほんと、凄い偶然もあったものねぇ」


 食卓を囲んで母と慎一郎さんは楽しそうに談笑している。


「お父さんから名前を聞いて、もしかしてとは思ったんですけど……。まさか本当に紘斗くんが新しい家族だなんてビックリしました!」


 絢瀬……いやくるみん……いややっぱり絢瀬と呼ぼう。うん、そう呼ばなければ俺の心臓がもたない。

 絢瀬は何事もないように二人の会話に参加していた。学校で見せる明るく友好的な絢瀬くるみそのままだった。


 かく言う俺は、あまりの衝撃に思考が追いつかずにいた。

 連れ子の名前なんて俺は聞いていなかったし、苗字だって慎一郎さんに名乗られて初めて知った。

 ただでさえ母の再婚というイベントに緊張していたのに、絢瀬という苗字だけでくるみんを連想出来るほど俺の脳みそはお花畑じゃなかった。

 しかし、なんとそのお花畑が今、目の前にある。ここは天国か? 食卓が三途の川に見える。


「紘斗、緊張してるのかしら? くるみちゃんったら、慎一郎さんに似てすっごく可愛らしい女の子だものねぇ」

「ははは、紘斗君も悠花さんに似てとてもかっこいいじゃないか」

「もう、慎一郎さんったら」


 何やら二人で盛り上がっているが、俺はそれどころじゃない。

 あのくるみんが家にいる。俺の目の前で普通に笑っている。母が作ったご飯を一緒に食べている。お茶だ、お茶を飲んだぞ! 普通のグラスなのに両手でしっかりと持って優雅に麦茶を飲んでいるぞ!

 ああ同志よ。俺たちのくるみんが佃煮を口にしている。口元を隠して上品に笑っている。何故俺の目には録画機能が備わっていないのか甚だ疑問だ。今すぐこの光景を網膜レンズに収めてお前たちにも共有したい。この幸せは俺一人で抱えるには荷が重い。


「紘斗くん?」


 目をギンギンに見開いてくるみん……じゃなかった、絢瀬を観察していると、彼女が不思議そうに首を傾げた。

 どうやら凝視しすぎたようだ。録画出来ないならせめて脳裏に刻みつけようと躍起になりすぎたらしい。

 まずいな。キモいとか思われたら俺は死ぬしかない。くるみんに嫌われるくらいなら俺は今すぐにでも遺書を書いて太平洋に身を投げる。


「ああ、ごめん。絢瀬さんが家にいることが信じられなくて」

「そうだよね、私も信じられないよ。緊張してドキドキが止まらないもん」


 しかしここは優等生の仮面の出番だ。オタク魂を隠すのには慣れている。そうでなければ俺は学校でくるみん……じゃなくて絢瀬と顔を合わせる度に心臓が爆発していたに違いない。

 

 学校で見せる優等生な俺しか知らない絢瀬は、俺の邪心に気付くことなくくすくすと笑っている。

 それにしても可愛い。はにかむ姿。顔を赤らめる姿。どこを切り取っても最上級の可愛さだ。今すぐにでもサイリウムを振り回したい。

 隠し切れているか怪しいオタク魂を厳重にロックして俺も笑顔を返す。


「あ。でもこれからは家族になるんだから、ちゃんと名前で呼んでね?」


 上目遣いでこてんと首を倒すくるみんの最高に可愛い仕草に思わず咳き込む。吐血するかと思った。俺はここで死ぬのか? もう死んでいるのかもしれない。やはりここは天国か。


 くるみんを名前で呼ぶ。そんな禁忌を犯していいのか。同志に闇討ちされないか。太平洋に身を投げる前にコンクリ詰めにされて極寒のオホーツクの海に沈められやしないだろうか。

 暴走しかけるオタク君を優等生な俺が必死に押さえ付ける。そうだ、ちゃんとガムテープでぐるぐる巻きにして暴れないようにしておいてくれ。


「それもそうだね……くるみ」

「ふふっ。なんだか恥ずかしいね」


 お、オタク君、しっかりしろ! 気を確かに! 口元を押さえて照れる仕草が大天使級の可愛さだからとここで死ぬのは許されんぞ!

 俺の中の優等生が心停止したオタク君の心肺蘇生を開始したところで、母が小さく笑みを零した。


「初々しくていいわねぇ」

「そうだね。義理の兄妹だからといって遠慮することはない。君たちがそういう関係に発展するなら、私たちは応援するよ」

「そうねぇ。近親恋愛……禁断の恋ねぇ」


 突然繰り出されたとんでもない爆弾発言にくるみん……じゃない。さっきから間違えていたけど違うぞ、絢瀬だ。絢瀬は顔を真っ赤にしていた。


「そ、そういうのじゃないって! 悠花さんも意地悪しないでくださいっ!」


 焦ってるくるみんも可愛いなぁと半ば絢瀬呼びを諦めていた俺は「そうだよね?」と話を振られて固まった。

 同意を求められても困る。俺はくるみんと付き合えるなら大歓迎だ。毎晩自室でヘッドバンキングしながらよさこい音頭を朝まで踊り明かしますとも。

 しかし、そんなことは口が裂けても言えるはずがなく、よさこい音頭を頭の中で流しながら「そうだな」と同意するに留まった。

 俺たちが否定したせいか、母と慎一郎さんは少し残念そうだ。


「あらぁ。二人は学校ではあまり仲良くないのかしら?」

「そ、そんなことないですよ! でも、紘斗くんはかっこよくて皆から人気があるので、あまり話しかける機会がなくて……」

「そうなの? これからは独り占めよ、くるみちゃん」

「も、もうっ! 悠花さんったら」


 さっきからずっとくるみんの顔が真っ赤だ。りんごかな、りんごじゃないよ、天使だよ。

 もしかしたらくるみんが俺のことを意識しているのではと意識したせいで意識外で知識ない俳句の披露会。俺の気分は既にhigh.

 お世辞でもかっこいいと評されたことでオタク君が暴走を始めたので、お茶を飲んで落ち着かせる。頭の中をオタク魂に占拠される前に流し込んでしまおう。


「母さん、冗談は程々にね」

「紘斗はつれないわねぇ」

「母さんは悪ふざけが過ぎるからね、慣れたんだよ。くるみ、冗談だからあまり気にしないで」

「君たちがその気なら、私は君たちのお付き合いを応援するよ」


 慎一郎さん、せっかく体内に流したオタク君が食道を駆け上がって来るからやめてください。

 慎一郎さんの思いがけない後押しに内心動揺しつつくるみんに視線を送ると、彼女もまたちらちらと俺の様子を窺っていた。

 これは満更でもないのでは?と一瞬あらぬ妄想が頭をよぎったが、優等生な俺がすぐにそれを否定した。

 思春期の男女がひとつ屋根の下で暮らすという奇っ怪な現実にくるみんも困惑しているだけだろう。そうオタク君に言い聞かせる。

 この程度のことでこれまで被り続けてきた化けの皮が剥がれることはない。生唾と一緒にオタク君を飲み込んだ。


「もしもその時が来れば素直に受け取ることにします」

「ははは、そうだね。君たちはまだまだ若いんだ。たくさんの経験を積んでから決めるといい」

「そうですね、そうします」


 慎一郎さんの大人な対応に俺も社交辞令で返す。慎一郎さんと話している時が一番冷静になれる。実母より話しやすいとはこれ如何に。


 話は上手く流せたようで、食卓は再び賑やかな会話に包まれていた。

 時折絢瀬が話に加わり、俺も話を振られてはそつなく受け流す。

 絢瀬とうちの母はフィーリングが合うと言うか、なんとはなしに気が合うようで、既に違和感なく溶け込んでいる。


 新しい家族の団欒に適度な相槌を打ちながらも絢瀬が気になって仕方ない。

 今の彼女はくるみんとは似ても似つかない。外見に合致する部分はあれど、やはりクラスメイトの綾瀬くるみが真っ先に浮かぶ。

 俺がくるみん大好きドルオタ君を隠しているように、絢瀬も天真爛漫なアイドルのくるみんを表に出さないようにしているのかもしれない。


 思えば彼女の口からアイドルをやっているなんて話は聞いたことがない。そんな話をするほど学校で関わっているわけではないし、当然と言えば当然だが。

 俺は聞いたことがないにしても、学校で彼女のそういう噂すら耳にしないあたり、誰にも話していないのだと思う。それはもしかすると、実父である慎一郎さんにも該当するのかもしれない。


 くるみんが所属するアイドルグループ『Finecy(ファインシー)』は正直に言って有名なアイドルではない。

 地下アイドルに分類される彼女らは結成して五年経った今なお、小さなライブハウスでの活動を中心としていて、メディア露出やCDのメジャーデビューを始め人目に付く業績には至っていない。

 俺がくるみんのファンになったのもオタクな友人に教えてもらったことがきっかけで、そうでもなければその存在を知ることすらなかっただろう。

 歌もダンスも上手けりゃ顔も可愛いんだからもっと大々的に活動させてくれよ、と文句を垂れることもあった。

 しかし、Finecyが有名ではないからこそ俺だけがくるみんの正体を知っているという優越感もある。有名ではないからこそ、人に話せないのかもしれないけど。


「紘斗君」


 絢瀬のアイドル事情について詮索していると、慎一郎さんの落ち着いた声が耳に届いた。またしても絢瀬を凝視してしまったらしい。彼女がくるみんであることを抜きにしても可愛いんだから、健全な男児たるもの目が吸い寄せられるのも仕方ない。


「土日は部活があるのかい?」


 気持ち悪い目で見るのはやめたまえ、とか言われるかと思ったが、要らぬ心配だったらしい。


「そうですね。土曜は丸一日、日曜は午前だけです」

「そうかい。それなら日曜にしようか」


 くるみんに夢中で話を聞いていなかったせいで会話の流れについていけない。

 何の話だろうかと疑問符を浮かべていると、母が「そうね」と同意した。


「日曜日にお引っ越しするから、それまでにお荷物片付けてね」

「ああ、うん。わかった」


 そうか、引っ越しか。家族が増えるのだから、その選択肢は当然浮かぶ。

 だけど、俺はてっきりこの部屋で一緒に暮らすのだと思っていた。

 二人で暮らすには広すぎるマンションの一室は四人で住んでも窮屈になることはない。

 それに、父との思い出が詰まったこの部屋を母が手放すとは思っていなかったからだ。


 引っ越しと聞くと途端に現実が押し寄せてくる。

 絢瀬と……あのくるみんと……デュフッ。おっといけない。下心を見せるな、くるみんに嫌われるぞ。

 両親は再度二人の世界に入ってしまったため引っ越し先や詳しい段取りについては聞けず、そうこうしているうちに夕飯はお開きとなった。



 突如訪れた人生の転機。これから始まる新たな生活。

 慎一郎さんの人柄の良さも今日一日で充分に伝わった。母のことも彼になら託せると思う。

 そして、絢瀬くるみとの同居生活。

 同い歳で同じクラス。何より俺がずっと応援し続けてきたアイドル。

 可憐で華やかな女の子との生活に俺の心は昂っていた。


 帰り際、絢瀬が見せた笑顔はやはり天使そのものだった。

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