10.とある少女の話①
ある日、お父さんが再婚すると言い出した。
お母さんと離婚して数年。とうとうこの日が来たんだと思った。
私は正直反対だった。両親の仲が悪くても、離婚してお母さんと疎遠になっても、お母さんと過ごした時間は忘れていない。
私にとってお母さんは一人だけで、他の人をお母さんと呼ぶのは厭わしい。
さりとて再婚は反対できない。
男手ひとつで私を養ってくれたお父さんの幸せを壊すのは、私にとっても本意ではない。恩を仇で返す趣味はない。
だから、私は関わらないことにした。
お父さんには受験のために一人にしてほしいと嘘をついた。高校二年生にもなれば、受験に向けて勉強を始めてもおかしくない頃合だ。
勘が鋭いお父さんのことだ。きっと私の嘘には気付く。
でも、優しいお父さんなら核心には触れず、受け入れてくれると思った。
その優しさのおかげでアイドル活動もお父さんには打ち明けずに済んでいる。今回も黙って聞いてくれると思っていた。
だけど、お父さんは首を横に振った。
「一人暮らしは認められない」とはっきり突き返された。
私は当然食い下がった。すると、お父さんはにこりと笑って答えた。
「新しい奥さんには連れ子が居るんだ」と。
連れ子の名前はヒロトくん。姓はヤシロと言うらしい。
私はその名前に聞き覚えがあった。同じ学校に同じ名前の人がいたからだ。
谷代紘斗くん。学校でも有名な男の子だ。
彼は中学生の頃から有名だった。
そのきっかけは、中学三年生の体育祭。過去最高に盛り上がった行事と呼ばれたその体育祭の立役者だったからだ。
チーム対抗リレーに出場した彼は、アンカーとして最下位でスタートを切った。
それなのに、気がつけば彼が一位をかっ攫い、その点数が総合順位を決める決定打となった。
チームを勝利に導いた英雄として、谷代くんは一躍有名人となった。私が彼を知ったのもその時だ。
告白された回数は数え切れない。告白に至らなくても好意を寄せている女子はたくさんいた。
運動だけじゃなくて勉強もできる。中間考査や期末試験の結果が貼り出されるうちの学校で、その順位表に彼の名前を見ないことはない。
それだけじゃなくて、顔も良かった。身長も高くてどこか大人びていた。そこらのモデルより余程顔が整っている。私が所属する会社にも谷代くんよりかっこいい人はそういない。
そんな彼が人に妬まれることがないのは、偏にその性格のおかげだ。
誰にでも平等に優しく接し、困っている人は放っておかない。彼の周囲はいつも笑顔に溢れ、妬み嫉みといった負の感情が浄化されているようにすら見えた。
だけど、私は彼が苦手だった。
彼には才能があったから。
運動の才能。勉強の才能。芸術面にまで精通していて、挙句対人コミュニケーションの才能もある。
才能が全ての世界で過ごし、才能がないまま埋もれている私にとって、彼はの存在は私を否定しているようにも見えた。
その考えが一変したのは、同じ年の文化祭の日だった。
谷代くんは友達とバンドを組んで、ステージで披露するらしいと噂を聞いた。
私は耳を塞ぎたい思いでいっぱいだった。才能に溢れた彼は、音楽の才能まであるのか、と。
文化祭を一週間後に控えた放課後、私は友人の美凪ちゃんに呼び止められた。
「ねね、谷代くんの練習見に行かない?」
突飛な提案に私は眉をひそめた。
あまり谷代くんには近付きたくない。彼を見ていると、私の今までの努力が否定されるから。
「私はいい。一人で行って来なよ」
「一人だと恥ずかしいもん。それに、美凪のこと知ってるの、くるみちゃんだけだし……。お願い! ちょっと見たら帰るから!」
あまりの必死さに私は少しうんざりしていた。
彼女は谷代くんのファンだった。付き合いたいとか独り占めしたいとか、そんな気持ちは一切なくて、ひたすらアイドルを追いかける無垢な少女のような目で彼のことを見ていた。
ファンとしてはリハや練習風景も見てみたい。数少ない私のファンもそんなことを考えるのだろうか。
「わかった、少しだけね。邪魔にならないうちに帰るから」
「うん!」
半ば強引な彼女にため息をつきながら、私は美凪の後ろをついて行った。
何でもできる谷代くんのことだ。どうせ、ギターでもベースでもそつなく演奏していることだろう。
見え透いた光景を思い浮かべて、私はもう一度ため息をついた。
しかし、空き教室を訪れた私が目にしたのは、下手なギターを必死になって弾いている谷代くんの姿だった。
痛みに顔を歪ませて、テンポも音程もズレた音色を奏でる谷代くん。
はっきり言って、その演奏は聞くに堪えない稚拙なものだった。
だけど、私はその必死な姿に心打たれていた。
「紘斗、そこ間違ってる」
ビーンと耳障りな音が響く廊下に声が聞こえてきた。
「あれ? こ、こう?」
「違うって。中指が別のとこ触ってる」
「B7って難しいね。指が攣りそう」
「初心者がやるレベルじゃないしな。本当にやるのか?」
「やるよ。一回の成功のためなら、何百回の失敗も何千時間の練習も惜しまない」
「そこまでの猶予はないけどな」
彼はとても楽しそうに笑っていた。
私は間違っていたのかもしれないと思った。
ううん、間違っていたのだと気付いた。
彼は天才じゃなかった。才能に恵まれた人間じゃなかった。
谷代紘斗くんの根底にあったのは、努力を一切怠らず、ただひたむきに目の前の難関に立ち向かう強い意志だった。
次に本番のステージで彼の演奏を聞いた時には、苦戦していたコードもしっかりと押さえ、美しくも迫力のある音で会場を魅了していた。
あれから私は少し変わった。
停滞していたアイドル活動に全力で取り組むようになっていた。
「今日はこれくらいでいいか」なんて妥協はしない。「難しいことは後回しにしよう」なんて甘えは許さない。
目の前のことに必死に向き合って、歌もダンスもたくさん練習した。
そんな私の姿を見て、私が所属するグループ『Finecy』の皆もレッスンに前向きになってくれた。
時にはぶつかることもあったけど、その分だけ絆は深まって、私たちは着実に成長していった。
翌年の冬頃からはライブの回数も増え、私たちを見に来てくれるお客さんも少しずつだけどその数を増やした。
Finecyがライブのトリを飾ったり、オリジナル楽曲を集めたミニアルバムやグッズをネット販売したり、ショッピングモールの一角でライブを行ったりと、活動の幅も広げていった。私たちの努力が実った結果だ。
谷代くんは、アイドルとしての私にとっては私たちを成長させてくれた恩人で、絢瀬くるみにとっては憧憬と恵愛の対象となっていた。
アイドル活動が波に乗り始めて、私は少しずつファンと向き合うようになっていた。
正直なところ、私は人と上手く接するのが苦手だ。アイドル活動でも学校でも、そんな自分をなんとか隠して生活している。
アイドルとしては致命的な弱点を抱える私でも「人気が出始めた今だからこそ、ファンを蔑ろにしちゃいけない」とマネージャーに言われては、苦手なことから逃げるわけにもいかない。
ライブの後のお見送りの握手。小さなサイン会。
いつの間にか『純朴の天使』なんて呼ばれていたくるみんの名に恥じないよう、私は最高の笑顔で対応した。
そんな中、私は自分が彼らに嫌悪感を抱いていることに気づいた。
中学生の私にとって、大の大人が汗ばんだ手で私の手を握るのに厭わしい感情を抱くのは、むしろ必然だと思う。
「元気をもらった」とか「君たちを見てると頑張れる」とか、本当に頑張ったのかと問いたくなる上辺だけの言葉には反吐が出た。
本当に努力する人は、谷代くんのように人に見えないところで頑張っているものだ。わざわざ「頑張る」と口にする人は信用できない。
ファンの中には私と同じくらいの男の子もいた。
他の子から『ヒロくん』『りょーくん』と呼ばれていた彼らは、中でも苦手な人たちだった。
いつ見ても変わらないボサボサの髪。いかにもオタクっぽいダサい眼鏡。ライブの後はいつも泣いていて、古参ぶって「今日のライブも良かった」なんて言ってくる。
彼らに私たちの何がわかるのか。必死に努力して、泣きたいくらいしんどい時もあって、それでも人気が出なくて辞めたいと思った回数は数え切れなくて。
それなのに彼らは私たちのことを知ったふりをしてくる。それが嫌で嫌で仕方なかった。
笑顔の裏では黒い気持ちを抱えながらも彼らだってファンなんだと言い聞かせて笑顔を作る。
今だけの我慢だ。有名になったら彼らと会うこともない。握手会やサイン会なんてちゃちなファンサービスをしなくてもいい。
そんなことを考えながら、私はアイドル活動を続けていた。
谷代紘斗くんとヒロくん。
尊敬と軽蔑という相容れない感情を抱かせる二人が同一人物だなんて、その時の私が知るはずもないまま。




