襲撃の跡
問屋の主人は山に慣れた馬を選んでくれたらしい。足場の悪い山道も跳ねるように越えていく様子は、馬というより山羊のようだ。そのせいで舌を噛みそうになるので、しばらく無言にならざるを得なかったが。
「遣いに出したのは誰だ?」
「東集落の若いのを。昨日の昼過ぎ、町を出ました」
「完全にすれ違いだな」
ようやく並足で歩けるところに来たところで、いいニュースは聞けない。俺の家から境界門の町まで、街道を使っても通常7時間かかる。山狩りの連中を避けて街道を離れれば、慣れたものでも優に半日はかかるだろう。街道ならともかく、日が暮れては山中は歩けない。それでも、俺が家を出てから2、3時間で到着したはずだ。なんて間の悪い。俺は歯噛みした。
ルカが訳有りなのは充分承知していた。それが1ヶ月もの間何事もなかったせいで、油断があったのは否めない。なぜ今なんだ。今更何なんだ。焦燥感だけが満ちて行く。
「そう言えばブラッドさんは、何を伝えに来てたんですか?」
「ああ、ルカが通ったルートの予測がついたんだ」
ジョゼの目がキラリと光った。
「ルカが言うには、道中で境界門が見えたらしい。境界門側から峠の東街道を行ったようだ」
「それなら行く先は谷間の町でしょうか」
「おそらく。問題はそこから街道で北の領地に向かうか、川で北境の漁師町に向かか、だな」
そうは言ったものの、俺には漁師町の方に向かっただろうという確信があった。他領とは言え国内の事ならば、中央に訴えれば捜査の手が伸びる可能性がある。一方、漁師町からなら子どもたちを容易に他国へ連れ出すことができるのだ。その方が後腐れがない。
たどり着いた家の前は、不穏な静けさに満ちていた。万が一を考えて離れた場所で馬を降りたが、こんなことならここまで馬で乗りつければ良かったと思ってしまう。前庭に1人、男がうつ伏せに倒れていた。半開きの玄関からは、誰かの足がはみ出しているのが見える。ジョゼと2人、互いの背後に目を配りつつ、抜刀したまま前庭の男に近付いて行く。
近付けば見紛いようもなく、男は死んでいる。問題は死んだ男の手に呼子が握られていたことだ。死ぬ前に呼子を吹いたか否か。考えても判る訳はないが、不安は募る。玄関の男も死んでいた。首の硬さから見て、死後3時間程だろうか。俺が町についた頃に、ちょうど襲撃があった計算になる。
家の中には誰もいなかった。幸い、死体の周囲を除けば争った形跡もない。最悪の事態を避けられて一息ついた俺に、2人の傷口を改めていたジョゼが呟いた。
「さすがビー小隊長、衰えていませんね」
「ああ。いまだに毎日のように訓練に付き合わされてるからな」
かつて領都の警護隊で辣腕をふるい、「女王蜂」と恐れられていた女房1人だったら、ならず者の4人や5人に囲まれても何の心配もいらない。逆に相手を心配するくらいの余裕はある。だが今は足手まといを2人連れているはずだ。あれは強い者にはべらぼうに強いくせに、弱い者にはめっぽう弱い。それが心配だった。
距離と経過時間が分からなくなって、ここ数日ずっと地図を描いていました…。人・馬・馬車の進む速度、移動可能時間、山道での負荷などを考慮して、巫女のいる境界門の町から猟師の家までは約20km、猟師の家から最寄りの町までは約14kmになります。計算上は。