零or百
「俺、死ぬかも」
「え?何言って――」
急に咽こんだ景の口からは大量の血液が吐き出された。
何度も繰り返されるその動作に、茉莉は嫌な記憶がフラシュバックし息が乱れる。
横目でそんな姉の姿に気が付いた景が何か言おうと口を開けるも出てくるのは言葉ではなく赤黒い液体ばかりだった。
「景まで、」
「おい」
震える唇が何とか言葉を繋いだ時、吐き出される血液の間からその声は聞こえた。
「術者だろ」
その言葉は呪いのように茉莉の心を落ち着かせた。
”術者””死と隣り合わせ”という言葉は命ある限りずっと茉莉に付き纏う。
景の言葉に姿勢を正した茉莉だが何度も弱り落ちていく精神に、自分も限界が近いことに気が付いた。
だからこそ――
「百パーセントで行くわよ」
前を見据えた二人の先には、襲来してきたものと瓜二つの姿。
「火属性 従一位 気炎万丈」
【気炎万丈】『火』属性の術者による術式。
燃え上がる炎のように、他を圧倒するほどの意気込みのこと。
その強い意気込みは術となって現れ、相手の動きを拘束することが出来るものであった。
複数個同時に現れた炎は魔物の体を囲い、動きを封じる。
そのうえ魔物の手足には炎の輪が嵌められ完全に自由が聞かない体となった。
藻掻く魔物に対し、全力で天力を放ち続ける。
お互いが全力で戦うこの瞬間、戦うということは必ず勝者と敗者が決まる。
勝利に王手をかけたのは――
シュゥゥウウウウウ
炎の輪で相手の動きを封じる茉莉の方だった。
魔物が茉莉の天力に慣れ始め徐々にその力を吸収し始めていた。
首、両手足、胴の計六か所の内三か所の火が弱まり、右手と胴の輪が弾け飛ぶ。
力の限り天力を流し続ける茉莉だが、いよいよ力が尽き終わりが見え始めた時、隣の術者に視線を移した。
「……景、」
「グッ」
「頑張りなさい」
本当は休ませたい気持ちを飲み込み、立ち上がるよう指示する声に答えるよう景は必死に足に力を籠めるが、前傾姿勢を戻すことは出来なかった。
腹部を抑えるように丸まった大きな背中が、事態の重大さを証明する。
景自身早く決着をつけたい気持ちがあるらしく、戦おうと背筋を伸ばそうとする仕草を何度も見せるがそれは叶わず、荒い息が繰り返されるだけだった。
「ヒュウ、ヒュッ、ゴボッ」
何度目かわからない吐血に茉莉は一瞬気が緩んだ。
その時弾かれた三つ目の輪。
残り半分となった輪もまた、当初からの威力はなく徐々に小さな炎へと変化していった。
振り解かれるのも時間の問題だった。
茉莉の頭には複数の選択肢が掲げられた。
一、このまま景の復活を待って当初の予定通りに行くか
二、一度天力を解き、体制を整えてから再度攻めるか
三、無茶承知で私一人で戦うか
天力を流しながら最善策を探すも、どうしても適切な道は見つからない。
シュゥゥウウ
そうこうしているうちに残り二つとなった炎の輪。
徐々に減っていくその数に、心臓の音が落ち着きがないものに変わる。
集中しながら視線を向ける背後で、苦しげに喘ぐ声と吐血音が聞こえ茉莉の中での答えは決まった。
炎を止める時のように徐々に火力を下げ、手を下ろした茉莉は不敵な笑みを浮かべる魔物に顔を顰めた。
しかし完全に下がりきる前にその手を掴んだ者がいた。
三歳年下の弟でありながら、現在両家が誇る最実力者の景だった。
「やめんな」
ギリギリと力強く握りしめられる腕。
その強烈な痛みを感じながらも茉莉はじっと景を見つめた。
「情けをかけるんじゃねぇ。
最善だと思う道を突き進め」
この体のどこからこんな力が出るのかわからない程握りしめられた腕には指跡が真っ赤に残っている。
ヒリヒリと痛む腕を再び上げ、今度こそ戦いを終わらせる覚悟で力を放出した。
自由を取り戻しつつあった体を忙しなく動かすせいで、的がブレ、もう一度拘束するのは至難の業だった。
しかし茉莉はその難易度をもろともせず、一瞬で拘束した。
怒りの感情を露わにする魔物は抵抗するが、その体は炎によって支配されていた。
ゴホッ
ベチャベチャと床に液体が跳ねる音が聞こえると同時に勢いよく飛び出した。
その速さに茉莉の髪の毛は後ろに靡く。
「雷属性 従一位 電光雷轟」
【電光雷轟】『雷』属性の術者による術式。
「電光」は稲妻が走ること、「雷轟」は雷が鳴り響くことを意味しており、勢いが非常に激しいことを表している。
景が放った雷の力は、まさしくこの言葉に相応しく、ものすごい威力で相手の体を貫いた。
全身の力が抜けだらんと下がった頭や腕が、その威力の凄まじさを表していた。
いつもの景だったらなら、この場面でこの術式を使わずとも、魔の前の敵を戦闘不能に出来たはずだ。
しかし景自身自覚していた通り、万が一失敗した場合これ以上戦うことは出来なかった。
だからこそ自分が習得している最高難度の術式を、無理やり発動させ相手から勝利をもぎ取ったのである。
「やっぱり生きているわね」
戦闘不能ではあるが、命が尽きたわけではなかった。
茉莉による拘束、景によるダメージによりもう動くことはないが、普通ならば即死する攻撃威力。
それにも関わらず生き続けているのは――
「本体がまだ生きているからね」
茉莉は自身の天力を手中に溜め込み景の腹部へ当てがったが、本人はそれを拒否した。
「やめろ、無駄にするな」
「大丈夫よ、これくらい」
「お前も限界だろ」
無理矢理押し付けようとした天力の塊は、ある一定の時間が過ぎ体内へと戻っていった。
せめてもの思いで、自分に寄りかからせようと景の肩を引き寄せる。
日頃服が触れるだけでも嫌そうな顔を見せる思春期真っ只中の景だが、今回ばかりはその力に従い体重を預ける。
その珍しさから茉莉は、彼が本当に危ない状況だということを改めて実感した。
姉にはわかっていた。
今のは受け入れたわけではなく、受け入れざるを得なかったのだと。
もう抵抗する力すら彼には残っていないと。
「本当にいいのね?」
「あぁ」
この返答を聞き、この戦いの最後まで景を術者として立たせることを決めたのだった。
目の前の魔物を監視しながら、ただ時間が過ぎるのを待つこの状況は、今の二人には厳しいものだった。
静かな空間は、痛みを、苦しさを意識させてしまう。
少しでも気を紛らわせるために茉莉は小さな声で問いかけた。
「覚えてる?正統後継者が生まれた日のこと」
「どっち」
「現れた日」
景の激しい呼吸音を聞き名ながら、茉莉は思い出す。
まだ幼い、小さな弟達のことを。
「あの日家の皆は喜んでいたけれど、私と朝陽は反対だった。
一度は疎んだこの世界だけど、自分の役割に責任を持つようになってから私は、自分より小さな皆に辛い思いをさせたくなかった」
初めて打ち明ける朝陽と二人だけの秘密。
「知ってる」
ポツリと聞こえたその声に茉莉は目を見開いた。
「知って、たの?」
くぐもった声を上げ、体勢を変えた景は静かに語りだした。
「翔が吸収された時、お前らが一番辛そうだった。
親よりも、家の誰よりも。
俺にはなんでそんな顔をするのかわからなかった。
術者は死と隣り合わせ、小さい時からずっとそうだったから」
深い深呼吸の後、間を開けて再び口を開く。
「俺には人間の心がないのかもしれない、そう思った。
実際そうなんだと思う。
今誰かが死んでも、俺は”そうか”としか思えないから。
けれど、二人のあの時の顔を見てたら少しだけ感じるものがあった。
間に合わないってどれほど辛いか、って」
「ッ、」
「誰かを助けようとして、その方法がわかっているのに出来ないって辛いよな。
……優美が言ってた」
「優美?」
思いもよらぬ人物に茉莉は驚きの声を上げた。
「あいつは人をよく見ているから。
『最近のお二人、いつもと違いませんか?』って言ってた。
あの後には『やっぱり気のせいでした』とも。
だから二人から聞く前に、何かしてるってことは知ってた」
この言葉を最後に、景は口を閉じた。
受け止める体重が徐々に重みを増していく。
その重さを感じながら、茉莉はもう一度口を開いた。




