心臓
目を開けて真っ先に飛び込んできたもの。
それを脳が処理する前に、朝陽は自身の体に術式を発動させた。
【保護術】
翔が朝陽から伝授してもらったこの技。
飲み込まれていく最後、体内に残る僅かな天力を振り絞り羽花を守ったものと同じ。
しかしあの時点では翔は辛うじて使えるというレベルであった。
完全に習得したものとは格が違う。
保護術は他者だけではなく自分自身にも有効だが、その分天力の消耗が激しいため、殆どの術者は必要な時以外使用することは無い。
朝陽の周りに起こる風の渦はリッチャーの示す文字を巻き上げ、取り込んだ。
天力に包まれた文字は朝陽の目の前に現れても効力はなく、ただの紙切れとしてその場に存在していた。
――行ける!!!
朝陽は先程までと違い、重苦しい体を奮い立たせ駆け出した。
――初めて、お互いのベクトルが向き合った状態で実践するのは初めてだ。
「風属性 従二位 風流運雲散」
【風流雲散】『風』属性の術者による攻撃。
離れ離れになることを言い表すことから、この術式を発動した場合、術者が狙いを定めたものは風が流れるように去り、雲のように飛び散っていく。
これは姿形ある全ての物に有効である。
朝陽の狙いはただ一つ。
人間で言う綺麗な血液を送り出し、汚れた血液を回収する重要な存在。
今までにない光と威力で進む天力に体を吹き飛ばされた朝陽は、咄嗟に身を翻し地面に着地した。
「やっぱり、まだ体が出来上がっていないな」
洗練された天力に対応できる体が出来上がっていないことを実感した朝陽は、これからやっていかなければならないことに追加し、リッチャーに止めを刺す。
空中から引き寄せた風の矢。
その矢一つ一つが放つオーラは今までと比べ物にならない程で、術者本人にとっても脅威の存在だった。
まだ完璧に天力と向き合えていないというのにここまでの差が生まれるなんて、朝陽本人も想像していなかった。
その凄さに比例し、増大していく恐怖を感じながらもう一度宙へ飛び上がる。
自らの結界に立った朝陽の見下ろす先。
十数メートル先の地上にいるリッチャーの様子を伺いながら、その矢を背中に背負っていた弓にセットした。
先程の斬撃で吹き飛ばされ、街灯の当たらない暗闇の中に姿を消した魔物を必死に追い続ける。
――右斜め前地上から四メートル、東方へ二十五度。
見えない視界で、彼の存在を探し、更に見失わぬようにするのは至難の業だが、朝陽は自身の天力による探知ではなく、術者としてのプライドをかけその姿を追う。
天力による操作も可能だが、知らず知らずのうちに魔物による妨害を受けることも少なくない。
代々伝わる書によると、昔、天力を魔物に操作され油断しているところを襲われた術者がいるらしい。
その人の二の舞にならないためにも、朝陽は天力ばかりに頼るのではなく自分自身の感覚を研ぎ澄ませているのだった。
――決して認めていないわけでも、信じていないわけでもない。
信じているからこそだと知ってほしい。
信じているからこそ、見つけた時百二十パーセントの威力で完璧に仕留めたい。
「信じたうえでの、この作戦だ」
――この後は任せたぞ。
朝陽はようやく感じたリッチャーの存在に意識を研ぎ澄ませていた。
その動きを読み取り、先を推測する。
――弓矢の威力、そして効果を考えると正面からの攻撃がベスト。
そして狙うは、
パァンッ
暗闇を引き裂くかのように一直線に光の道筋を描きながら進んでいった矢は、ぐさりと突き刺さり地面に倒れた。
光る矢が何かを貫いていることを願いながらそっと暗闇の中を進んでいく。
決して油断してはいけない。
手応えがあったからと気を抜いていれば、生き残っていた相手に一発でやられる。
――もう絶対にあの結末にはさせない。
体を天力で強化しながら近づいた朝陽の視線の先。
そこには間違いなく矢の刺された魔物の姿があった。
しかし一瞬にして異変に気が付き、朝陽は懐から瞬時に術紙を取り出し、その体の上に投げ捨てた。
そして一気に距離を取ると、ジッと静かにその光景を見下ろす。
――おかしい。
本来術紙に触れた魔物は、青色の結界にその身が囲まれ数分もしないうちに、この世界から跡形もなく消えていく。
しかしこの魔物はいつまで経っても姿を消すことがないどころか、術紙そのものを跳ねのけているように見える。
様子を見に足を踏み込んだが、万が一の事態に備え、朝陽はその足を元に戻した。
しかしいつまで経ってもその体が消える気配はなく、リッチャーから数メートル先に佇む術者という不思議な光景が出来上がったその時。
「しんぶんし、しんぶんし、上から読んでも」
その声よりも先に、魔物の持つ特有の力の気配を感じた朝陽は寸分の狂いもなく矢を放ち命中させた。
心臓を貫かれたリッチャーは、だらりと脱力しそのまま地面に転がる。
罠かもしれない、そう疑う朝陽はその場から動くことなく、矢と共に術紙を放った。
二本目の矢が心臓に突き刺さり、それと同時に術紙に触れた体は一瞬にして結界内に閉じ込められた。
「だろうな」
何となく想像していた通りの結果になり納得したような、悔しいような。
二つの感情に揺さぶられながら朝陽は天睛班へと問いかけた。
「こちら蓮水朝陽、蓮水朝陽。
天睛班応答願います」
決して二体から意識を逸らすことない。
「天睛班、応答願います」
何度呼びかけても返答がなく渋々口を閉じる。
――まずい、術者同士での共有が出来ない。
他の術者がどこにいるのか、どんな状況なのかわからなければ作戦の立てようがない。
ある仮説には他の術者の協力が必要不可欠なのだ。
だからと言ってこの場を離れると、体が存在する二体に自由を渡すことになる。
『……ッ、……い』
聞こえてた小さな音に朝陽は慌てて答える。
「天睛班、大丈夫ですか?
聞こえていますか?」
『…………な、い』
「え、聞こえていない?」
『他…………繋が……な』
ブツブツと不自然に途切れる音に耳を傾け、必死に言葉の意味を考えた。
そして出た答え。
「おそらく魔物の影響です。
時期に僕との通信も途切れるでしょう。
自力で連絡を取ってみますので、復旧作業をお願いします」
朝陽は相手の返事を聞くことなく連絡を切った。
地面に横たわる二体の魔物に動きがないことを確認し、朝陽は深呼吸した。
「今、戦える魔物が近くにいなくて助かった」
懐から式札を取りだした朝陽は、それを地面にばら撒き天力を流す。
みるみるうちに平面から立体へと形を変えたそれは、朝陽の足元に群がり持ち主の顔を見上げた。
「しばらくの間、見張りを頼むよ」
言葉を話せない式神達の肯定の雰囲気を察し、朝陽は屋根の上へとかけ登った。
すっかり傷だらけになり、至る所が粉々になっている屋根に
「修理費間に合うのかな」
と現実味のある言葉をぼやき、隣の家との境目を見つめる。
「頼むぞ」
爆風が駆け抜け、その場の木々が激しく揺さぶられる。
衣類や髪型を乱した朝陽の後ろには、先程までいなかった巨大な龍の姿があった。
「風龍」
彼の呼びかけに勢いよく飛び出した風龍はそのまま地面へと勢いを落とすことなく向かっていった。
飲み込まれるように地面へ潜り込んだ風龍の姿を見届け、朝陽は屋根の上から降りた。
――あの映像が正しいのなら、あの二人は遅かれ早かれ稽古場に来る。
もしかしたら、既に到着しているかもしれない。
「俺達の命はお前に任せた、風龍」




