風の変化
そよ風はそんな朝陽の決意を包み込み男の胸へと運び込んだ。
男は仮面に手をかけ、初めて素顔を見せた。
気配を悟った朝陽が振り返るとそこには二十代半ば――朝陽と何ら変わりのない青年が佇み、風を浴び目を細めていた。
「互いに向き合うことで、時に本来の力よりも強大な力になる」
「何かを思う純粋な愛は儚く、美しく、それでいて価値を高めてくれる唯一無二の財産だ」
風を受けているせいだろうか。
初めて会った時よりも柔らかくなった雰囲気に朝陽は一つだけ問いかけた。
答えが返ってくるとは思っていない。
答えを求めているわけではない。
けれど自分に新しい道を作ってくれたこの青年に自分の心境を聞いてほしかった。
「妹が、過酷な任務に挑戦しようとしている」
「…異門の封印か」
「貴方は、一体」
自分達しか知らないようなことをさも当然のように答える男は朝陽の言葉を無視し、その続きを促した。
「そのためにはより洗練された力が必要だと言われた。
妹も俺みたいに天力に向き合えばいいってことなのかな、って今思ってる」
妹は俺のように属性に悩みはなさそうだけど、そう付け加えた朝陽に答えはなかった。
当然だ。
朝陽の言葉に答えを求める意思はなかったのだから。
その意を汲み取った青年もまた口を固く閉じ、ただジッと隣の『風』の術者を見つめていた。
青年は自分の体内の違和感に気が付き息を吐き出すと、優しい手つきで強く背中を押す。
「っえ!?」
前のめりになった朝陽は何とか体制を立て直し、後ろの青年を振り返った。
「時間だ」
その男の言葉と共に、正面から神々しい光を放つ門が現れ朝陽はその眩しさに目を瞑った。
「お前らの所で言う異門みたいなものだ。
ここを抜ければお前は元の世界に戻れる」
「元の世界、」
朝陽はここに来るまでの出来事を思い出し、つい体が強張る。
青年はその体を掌で叩き喝を入れた。
「怖気づくな。
お前には『風』がついている」
突風が朝陽の体を押しのけ、門の中へと吸い込まれる。
押し出された片足がその門へと一歩近づき、朝陽の心臓に負荷をかける。
「『風』はお前を信じてる。お前も『風』を認めている。
出来るに決まってんだろ」
草むらを踏み込む音が聞こえ、青年が立ち去ろうとしていることに気が付く。
手遅れにならないうちに朝陽は今の心の声を伝えた。
「ありがとう」
踏み出そうと動かした足を引き留めるように青年は声を上げ、朝陽は動きを止めた。
「最後にこれだけは言っておく。
蓮水羽花の天力を浄化させることは不可能だ。
異門の封印は成功しない。
だから、これをやる」
音を立て朝陽の足元に落ちたのは、緑色の怪しげな光を放つランプだった。
「対魔物に対して有効な代物だ。
それでも封印の儀に臨むのか、それを使うのか。
後の判断はお前に任せる」
拾い上げたランプを握り締め朝陽は門の中を見つめた。
――この判断をする前に、やらなければならないこと。
「俺らは、勝つよ」
遠ざかる足音。
自身の体が門の中に吸い込まれ、長い時間いたようなこの世界に別れを告げる。
最後に一目見ようと振り返った先。
遠ざかる背中は、それと同時に消えていった。
一瞬見えた背中の文字は何を示しているかわからなかったが、朝陽はその背中に勇気をもらった。
「あんな未来になんてさせない」
バタバタと倒れ、吸収されていく仲間の姿。
「負けねぇよ」
固く握りしめた拳。
数メートル先には暗黒の世界。
次に意識を取り戻した時、それは第二ラウンドが始まった時だろう。
朝陽は閉じていく瞼を受け入れ、強く握りしめた右手をギュッと握りしめた。
※ ※ ※ ※
「お疲れ様です」
一人の少女がある男に声をかけた。
男は来ていた黒い布を脱ぎ捨て椅子に腰を掛ける。
「どうでしたか?『風』の術者、蓮水朝陽は」
少女は小さな体で、大きな布を器用に巻き取りながら問いかけた。
「あー、まあまあ根性がある奴だったな。
この先が楽しみだ」
にんまり笑う男を見つめていた少女は「そうですか」と答え、男の正面に座る。
手にしていた布の行方は誰も知らない。
空いた手にティーポットを持ち、並々に注がれたコーヒーを差し出しながら少女は口を開いた。
「初めはいけ好かない奴だとおっしゃっていましたのに」
クスクス笑う少女を睨み付ける男は「入れすぎだろ」そうぼやき、体内に流し込む。
カップの半分にまで減ったコーヒーを見て、少女は再び注ぎ足そうとしたが男が手でそれを制止する。
「あいつは顔だけだと思ってたからな」
「確かに整ったお顔ですもんね。
この間、蓮水朝陽と同じ大学に通う女の子達が彼の話題で盛り上がっているのを見かけましたよ」
「まあその気持ちはわからなくないがな」
「すっかり蓮水朝陽を認めているんですね」
「ふざけんな」
残りのコーヒーを流し込んだ男は立ち上がり歩き出した。
「”元々”認めていたのを、”更に”認めた。それだけだ」
「ふふ、そうですか」
微笑んだ少女をバツが悪い表情で見た男は、自分より遥かに小さい少女を見下ろしながら、馬鹿にしたように言う。
「お前はさぞ暇人だろうな、楽で羨ましい」
男のその言葉に頬を膨らませた少女は彼の目の前に立ちはだかり、仁王立ちで通せんぼした。
「失礼な!!私にだってやることはあるんですからね!!」
「あーはいはい。お茶会とかな」
「もう!!今に見ていてくださいね!?」
ギャアギャア騒ぎながら歩く二人の前方から一風変わった服装の男が現れ、手を振った。
「二人とも!会議、始まるっすよ」
「大変。急ぎましょう」
「あぁ」
そんな男と同じ服を身に纏う二人はこの後行われる会議に参加すべく歩を進める。
一足先に姿を消した少女。
そしてその後に続くように姿を消した男。
その背中にはたった一文字――『風』という字が刻まれていた。
「お待ちしておりました”風神”様。
お席までご案内いたします」
※ ※ ※ ※
――音が変わった。
さっきまでの平和な音とは違う、耳を刺すような嫌な音。
体全体で感じる身の危険。
戻ってきた、戻ってきたんだ。
この世界に、この時間に。
次目を開ければ、あとは勝つか負けるか、生きるか死ぬか。
最後の戦いだ。
大丈夫、俺は負けない。
何が何でも勝ちぬいて見せる。
朝陽は固い決意を胸に、体に力を込めた。
その時再び感じた体の異変。
――そうだ、俺右腕やってたんだった。
少しばかり別の世界に行って、いつもの体で過ごしていたせいかすっかり忘れてしまっていたこの痛み。
――そっか、右腕使えないんだ。
じゃあ右からの攻撃は不可能。
男性術者は右手の甲に属性の証が刻まれる。
意識を向けることによって、自分の体の至る所から天力を放つことは可能だが、証からの放出が少しだけ威力が高い。
そのため男性は右手、女性は左手から放つことが多いのだった。
威力が高いからと言って倍以上の差があるわけではない。
左からの放出だって対魔物には有効。
問題があるとすれば咄嗟の反撃の際使い慣れた右手が出てしまうこと、そして聞き手ではない手は少しばかり動かしにくいということ。
しかし朝陽は今までの稽古中、この時の為に沢山の対策をしてきた。
初めは左手で箸を持てなかった。
正しい持ち方をしても上手に箸を開閉できず、物を掴めなかった。
けれど何度も練習しているうちに多少のぎこちなさがあったとしても使えるようになっていった。
――出来る。俺なら出来る。
『風はお前を信じてる。お前も風を認めている。
出来るに決まってんだろ』
違うよ、お兄さん。
俺も、
「『風』を信じている。
『風』属性で良かったってこの先思う日が絶対来るよ」
目を開けた朝陽に降りかかる複数の文字。
今、朝陽対リッチャーによる第二ラウンドが開幕した。




