解
ドン、ゴンッ
「いっ、何!?」
鈍い音が七畳の部屋に鳴り響き、体を起こした茉莉は強打した肩を擦りながら声を荒らげた。
「いい加減起きろや」
そんな茉莉の前に聳え立つ弟の景は、あまりにも寝起きの悪い姉に相当ご立腹なようで青筋を立てながら、冷ややかな目で見下ろす。
「別に問題ないべさ、休みなんだから」
茉莉は床に再び転がり、ベッドから布団を引き摺り下ろしぬくぬくと丸まった。
その一連の動きを見ていた朝陽はポツリと声を漏らす。
「よくギャップ萌えって言うけど…激しすぎて逆に引かれるぞ?これ」
そして目撃者であるもう一人は過去にあった同じような出来事を思い出していた。
※ ※ ※ ※
”景、明日五時に起こして”
「おい、五時」
「もうっ!!うるさい!!!」
嫌な顔を見せても相手にされず折れるのは必ず俺の方で。
その度に何度も腹の中で悪態をついても数日後にはまた同じことを繰り返していた。
「おい、あ」
例え枕を投げつけられようと。
「お」
時計が飛んでこようと。
ガチャ
術式で囚われそうになろうと。
「……ふざけんなや」
朝の姉の態度に何度舌打ちしたかわからないけれど。
※ ※ ※ ※
一度だって、そんな姉を邪険に扱ったことはない。
けれど――
「うっせぇ」
景は冷ややかな目で見下ろしながら力強く足を踏み鳴らし、茉莉の顔を跨いだ。
その迫力と、驚きにより一瞬で眠気が消えた茉莉は目を見開きながら冷酷な目を見つめる。
元々愛想が良いタイプではない。
目付きも鋭く、初対面の人からは
「怖いよね。きっと人を脅したり、殴りつけたりするんだよ」
と偏見を持たれることがよくあるが、実際は他人に興味がないだけである。
目付きだって意図的に睨み付けているわけではなく、ただ単にそういう目の形なのだ。
しかし今、普段の目付きとは違うと姉である茉莉はしっかりと気が付いていた。
普段から切れ長な目は更に細められ、その目の中には”怒り”という感情が濃厚に込められていた。
「重要」
そう吐き捨て足をどけた景は、先程座っていた椅子に再び腰掛け、静かに朝陽を見つめた。
その動きを目を見開いたまま追っていた茉莉は、初めて自分に非があったことに気が付き、勢いよく立ち上がった。
「ごめん。私、何も用事がないのに睡眠妨害しに来たんだと思って、」
「妨害って」
「だって朝陽がこんな時間に来るなんて滅多にないじゃない」
呆れた笑みを浮かべていた朝陽が急に動きを止めたことに疑問を抱いた二人は、その本人を凝視する。
その視線に気づいているのかいないのか、朝陽は流れるようにスムーズに口を開いた。
「やっぱりそうだよな」
顔を見合わせ、茉莉は声をかける。
「何が?」
「いや、それがさ」
顔を上げた朝陽は、目の前の景色に目を見開いた。
心の中に宿る不安から繋ぎとめる物を求めているのか、特に意味もなく転がっていたぬいぐるみを掴んでいた手の力が抜ける。
床に引き寄せられたそれはそのまま元いた位置に戻り、そんな三人を見守っていた。
不思議そうにこちらを見つめる、幼い時から一緒にいる隣の家の同世代の二人。
二人を視界に映した途端、目の前は砂嵐のように歪み、二人の姿は認識できなくなった。
その代わり、二人のいた位置には映画のワンシーンのように映像が流れている。
左側、少し低い位置にあるスクリーン。
あれは――「景?」
高速で再生される謎の映像は、ただ視線を向けるだけではその詳細を知ることは出来なかった。
朝陽は一度目を閉じ思考をリセットしてから、その映像に集中した。
何かを持つ手、溢れる涙、引き摺られる姿――少しずつ増えていく情報で映像を組み立てること数十秒。
朝陽はその映像が示す意味に気が付き、身の毛がよだった。
黒い物体により足を嚙み千切られた景の目の前には、力なく横たわる茉莉の姿があった。
魔物に引き摺られどんどん遠ざかる姿に必死に伸ばされた同年代よりも大きく逞しい腕は彼女に届くことはなかった。
地に這いつくばる景を嘲笑うかのように振り返った魔物は、宙に茉莉を引き上げる。
逆さに吊るされた茉莉も、景と同じくらい――若しくはそれ以上に酷い怪我を負っており、その顔はもう覇気がなく、敗北を受け入れているかのようだった。
何かを叫ぶ景の固く握られた拳には、火属性を示す紋様が握られており、その拳の周りには赤黒い池が徐々に面積を広げていく。
普段あまり表情を変えない景の目からは涙がとめどなく溢れ、赤い池と混ざり合っていく。
痛く、苦しく、胸に突き刺さる嗚咽の音が止んだ時、彼女の凛とした姿はなく変化した魔物の足元には白骨が見るも無残に散らばっていた。
もう声も出ない程涙を流し続ける景は自身の体の限界、そして目の前で最後の姉弟を吸収され精神的にも限界を迎えていた。
限界を迎えた体を長時間奮い立たせ戦っていた景は目の前に広がる残酷な光景に、残っていた微かな灯さえも完全に消えてしまったのだ。
全てを諦めたように顔を伏せ、腕で覆った景の元に移動した魔物は、抵抗する気がない術者を前に吸収の儀を始めたのだった。
「な、んだこれ」
そう口では言っていても、朝陽の脳はこの映像が何かを理解していた。
――これは、あの戦いの結末だ。
この映像に出てきた魔物は、間違いなくあの日。
二月十九日。
羽花の任務中にその結界をすり抜け、俺の元にやってきたあの魔物だ。
そしてこの映像に出てきたのは両家の地下中央にある稽古場。
俺は真っ先にその場を離れ屋根の上で戦い始めたから、あの後みんながどこでどのような状況なのかは知らない。
けれど細かい物まで正確に映っていたあの光景が嘘だとはどうしても思えない。
一瞬映った壁には、俺が幼少期に翔との稽古中につけた傷が残っていた。
もしこれが現実ではなく作った妄想の世界だというならば、ここまで詳細を貫いているこの映像に拍手を送りたい。
依然続く視界の歪みに耐えながら、朝陽はゆっくりと視線を移した。
残るもう一つの映像。
「茉莉……」
何の映像が流れるのかわからず緊張していたのとは理由が違う。
映しだされる物を知っている状況で、数分前までの自分と同じような思考で見ることは出来るだろうか。
朝陽が意を決して向かい合った途端、プツンと音を立て歪んだ世界が姿を消した。
「え?」
「え?なのはこっちよ。
どうしたの、急に黙り込んで」
訝し気にこちらを見る茉莉の後ろで、静かに視線をこちらに向ける景を直視出、朝陽は茉莉を見つめる。
元々茉莉に話を持ち掛けようとしていたため、何も不思議なことではないだろうと自分に言い聞かせながらゆっくりと口を開いた。
「今から言うことは信じなくていい」
「え?」
目を丸くした茉莉に、朝陽は俯きながら微笑んだ。
「答えを欲しいわけじゃないんだ。
どうしていいかわからないから、誰かに話を聞いてもらいたいだけなんだ」
「そう?」
本当にそれでいいのかと眼差しに込めて見つめた茉莉は、何故か目を見開く朝陽に気が付き声をかけた。
「ねえ、大丈夫なの?体調悪いんじゃ」
「大丈夫だ。それで話したいことっていうのは――」
朝陽はゆっくりと目が覚めた時からの出来事、そして体験していたはずの魔物との戦いや、当時の状況を一つも漏らすことなく語り始めた。




