兄の意地-2
ーーーーやったな。
朝陽は頬を伝う汗をそのまま無視しながら、目の前の魔物を見据える。
左手に握る一本の矢。
今この状況でやろうとしているこの攻撃は無限ではない。
現在残された数は僅か四本。
そんな貴重な一本目をセットしながら朝陽は痛みを訴え徐々に感覚を遠ざける右腕に問いかけた。
ーーーー行けるか?
当然答えが返ってくるはずがない。
しかしこの右腕と行動を共にし約二十二年。
己の体の変化は、自分が一番理解している。
小さい頃、まだ自力で判断できない俺に母親が選ぶべき選択肢を与えてくれた時とは違う。
もう自分のことは自分で決められる。
だから右腕の答えは嫌でもわかる。
「…………無理だよな」
傷口に視線をやり、その痛々しさに顔を顰めた朝陽は手にしていた弓を下げた。
「もう右腕は使えないよな」
全く上がらなくなった腕に力を入れようと試みるが感覚が分からず、まるでその箇所だけが他人の物であるかのように自由が効かない。
そんな朝陽を嘲笑うかのように魔物は感情を文字に起こした。
【終わり 様 君 無 だ は】
目の前の術者の攻撃の道を立った魔物は、余裕を見せつけるかのようにのんびりと選択する。
先程のように間髪入れず攻撃をする動きはない。
己の勝利を、そして蓮水朝陽という術者の死を確信しているのだ。
何も起きずただ流れる時間が酷く長いものに感じ、朝陽は右手に視線を移す。
指先に意識を向けているはずなのにびくともしないそれに、目を細め呟く。
「確かにこれは、矢を打てないよな」
そして顔を上げた先、そこに掲げられた複数の文字。
【落ち ろ】
脳がそれを処理した時、朝陽の体は誰かに押されたように傾き、屋根の上に転がった。
斜面を転がり体に触れる面積を失った時、魔物の選んだ文字に忠実に従い、彼の体は地面に近づいていった。
【今 別れ 時 の】
ドンッ ギギギ
魔物の背後に浮かぶその文字が朝陽の姿を見送った時、地面にぶつかる激しい音が聞こえ、文字の持ち主はにやりと笑みを浮かべた。
しんと静まり返ったこの空間に満足気な顔を浮かべた魔物は、自身の力を強化してくれる重要な食糧の元に移動しようと屋根から足を離し、軽やかに着地した。
大量の血液を漏らし横たわる術者の姿。
力を吸収すべく手を伸ばしかけた魔物は、何かに気づいたように手を止め、伸ばしていた手を戻した。
そうして自身の力で大量の情報誌を宙へ放った魔物は、ゆっくりと移動しその一つ一つに目を向ける。
どれくらいの間そうしていたのだろう。
ようやくお目当てのものに辿り着いた魔物は、正面に浮く紙以外を消し、たった一枚残ったそれを手に取った。
まじまじと見つめること数分。
ようやく元いた位置に戻った魔物はもう一度朝陽に向き直り、手を挙げた。
しかしそれは、朝陽の力を吸収するためではなかった。
先程目を通した、亡くなった方への挨拶。
その言葉を目の前に横たわる術者に感謝の意を込め、送る。
【ご冥福をお祈りいたします】
静かに閉じた目、思い起こす先程までの彼の勇姿。
ゆっくりと目を開け、もう一度その姿を目に焼き付けた魔物は再びその体へと手を伸ばした。
魔物にとって初めて触れる生身の人間の体。
自分とは異なるその感触、構造に興味を持ちながら魔界で何度も話題に上がったあの言葉を掲げた。
※ ※ ※ ※
「あー、それ知ってるわ」
「すごいニュースだよな、”後継者狩り”成功したんだってよ」
「✖✖✖様がだろ?また更に強くなるのかー、もう敵無しだな」
とある日の魔界ではこの話題で持ち切りだった。
それもそのはず、魔物にとって最も力を得ることの出来る”正統後継者”の一人が同じ魔界に住む者に吸収されたというのだから、話にならない方がおかしいだろう。
いつもと代わり映えのない日常に飛び込んできたとびっきりのニュースは瞬く間に魔界中に広がり、みんなの関心を集めた。
その中に俺達もいた。
「なぁ、知ってるか?」
魔界での友人である木の精霊:レタニが唐突に問いかけてきた。
ーーーー何を?
俺達は長年行動を共にしているせいか、わざわざ文字を羅列しなくともコミュニケーションが取れるほど深い絆で結ばれていた。
「今話題の”後継者狩り”の事さ」
ーーーー強くなれるやつ?
「ああ」
俺の問いかけに力強く頷いたレタニは、ヒラヒラと優雅に周りを飛び回りながら口を開いた。
「どうやらその力を吸収するには、”ある言葉”を唱えないといけないらしい」
俺の前でピタリと止まったレタニは、左手を腰に当て、右手の人差し指を空に向かって上げながら力説した。
ーーーーある言葉?
「あー、呪文…………って言うより決まった言葉って言えばいいのかな。
例え後継者の命をもぎ取ったとしても、その言葉を知らなければ力は手に入らないらしい」
ーーーー何て言うんだ?
俺の問いかけに腕を組み、ドヤ顔を見せるレタニは口元に手を当て耳元で小さく呟いた。
「どうやらこれを知っている人は魔界の中でも少数らしいけど、君には特別に伝授しようじゃないか。
その言葉っていうのはなーーーーーー」
俺は耳元で聴こえるレタニの言葉を一言一句逃さないようしっかりと耳を澄まし、心の中に大切にしまい込んだ。
自分にこの言葉が必要になる日が来るかは分からないが、憂いあれば備えなしだろう。
ーーーーどうしてそんな大事なこと俺に教えてくれるんだ?
その答えにレタニ満面の笑みで答えた。
「だってうちら、親友だろ?」
※ ※ ※ ※
レタニ。
俺はあの時、自分には使う機会なんて一生来ないと思っていた。
けれど今、君に教えてもらったあの大切な言葉を使う時が来たようだ。
君のおかげで俺は強くなれる。ありがとう。
人間の体にそっと手を翳し、呼吸を整えその言葉を口にした
。
「憎き人間に宿る天の力。
正義となる我ら魔物に授けたまえ。
故:蓮水朝陽から新:リッチャーへ力の移譲を冀求する」
数秒後、翳した手に集まる光の粒は何かを確かめるようにうようよと宙に舞う。
その光の粒の一つを指先で触れた瞬間その光は吸い込まれ、それと同時に体が火照り、力が漲る感覚があった。
ーーーーこれが術者の力……?
たった一粒でも膨大な効果を感じたしんちゃんもといリッチャーは更なる高みを目指して残りの粒に手を伸ばす。
ーーーーこれで俺ももっと強、
ゴハァッ
その時何かを吐き出すような音が鳴った。
苦しさからか潤ませた目を吊り上げ、思った。
ーーーーふざけるな、と。
伸ばした手は光の粒子に触れることなく地面へ導かれ、宙を浮いていた魔物にとっては大切な力の源はいつの間にか存在を消していた。
その代わり、リッチャーの視線はある一点で釘付けだった。
彼の見つめるその先。
そこには着地の際完全に右手を潰し、血液を滴らせながらも逆手で弓を構える術者の姿があった。
不敵に顰められた口元には、先程手にしていた矢が咥えられており、『今すぐにでもお前を祓う』という無言の圧力が含まれていた。
一方、堂々と立ち上がった朝陽とは裏腹、その身に貫いた矢を震える手で抑えるリッチャーはその苦しさのせいで地面から身を離すことが出来なかった。




