『正統後継者』
動かない兄の元へ今すぐにでも駆け寄りたいが、いつ相手の攻撃が視界に入り込むか分からない状況で羽花は閉じた目を開けることが出来ずにいた。
この目を開けてしまえば再び罠にまんまとかかり、最悪死に直結する。
今この場面でそれは、絶対にあってはならない事だった。
そんな時、突然感じた誰かが叩く右肩の感触。
誰か、だなんて決まっている。
あの怪我で、息しているのかも確認できない兄なはずがないのだ。
そもそも羽花の中に流れる花属性の天力がその力を察知しているーーーーこれは魔物のものである、と。
跳ね上がった肩に気がついていないのか、魔物は諦めることなく羽花を呼び続ける。
根気よく無視をしていいものなのか。
羽花はそれだけが気がかりだった。
逆上した魔物が、いつ攻撃の手を変えてくるか分からない。
激しい動悸の心臓を宥めながら考え込んでいると、ふとあることに気がついた。
ーーーーまずい。
羽花が元いた場所から宙に生成した結界へ飛び移ったのと、その場に鋭い手裏剣が横切ったのはほぼ同時だった。
僅か一瞬でも遅れていれば、間違いなく羽花の体に触れていただろう。
鋭い回転で空を切る音を発するそれの行方を確認した羽花は、様々な感情をその身体中に閉じ込めながら屋根の上に降り立った。
「あなた、変化したよね?」
その問いに、目の前の魔物は答えるつもりは無いらしくただぼんやりと同じ位置に立っているだけだった。
それでも羽花は殆どと言って良いほど確信していた。
ーーーー異門での滞在時間、およそ五十分。
私があの人の力に翻弄されている時、間違いなく変化をしていたはず。
変化中一切の攻撃が作用しないからと言って、油断した。
羽花は数時間前の己の行動を悔いる。
「相手の攻撃に時間を取られている場合じゃなかった。
早急に本体を……私は今まで任務に出ていて何を見てたんだっ!!」
固く拳を握り、食い込む爪が掌を痛めつける。
その痛みは羽花の心を締め付ける痛みのようだった。
『歴代最高術者になろうな!!』
羽花の頭の中に、あの日の彼の笑顔が浮かんできた。
いつだって少し先にいて、自信たっぷりで、躊躇うことなく進んでいく彼は、ちょくちょく振り返ってこう言うんだ。
二人の、あの日交わした約束を。
ーーーー翔と、約束したこと。
羽花は立ち上がり、深く息を吐く。
そして新しい空気を取り込むと共に、その目を開けた。
その瞬間ぐらりと揺れる視界、強く引かれる腕。
「ハナ、力を貸して」
その声に答えるように小さく鳴き、ハナは再び姿を現す。
しかし数秒後、突如姿を消したハナはそのまま一切の音を立てることなかった。
ハナが姿を消したその理由。
引かれた腕を包み込む温かい手。
昔から変わらない大きな優しさ。
羽花の手を引いたのは、朝陽だった。
「お兄ちゃん、」
羽花は生きている朝陽に安堵する。
「羽花は向こうに行け」
「どうして!!」
「いいから」
「また私だけ守られるなんて嫌なん」
「今の俺たちは五手に別れている。
優美と茉莉の援護をして欲しい」
朝陽のぱっちりとした大きな目は閉ざされ、彼の綺麗な肌は赤黒い模様が散らばっている。
そして整った顔は悲痛に顰められ、その身を襲う痛みを物語っている。
「でもお兄ちゃんはっ」
「大丈夫だよ」
「血もすごい、」
「言ったろ?
俺はどんな厳しい条件でも立ち向かっていく後継者を見てきたって。
ーーーーだから俺は、こんなとこで這い蹲る訳にはいかないんだよ」
痛みに顔を顰めながら立ち上がり、朝陽は妹の頭に手を伸ばす。
しかしその手に自身の血液が付着していることに気がつき、そっと頭を寄せた。
頭を通して伝わる兄の体温に、羽花は強ばっていた体が解放されていくのを感じる。
「だからここは俺に任せて、向こうを頼む」
「お兄、」
「言っとくけど、
『ここは俺に任せて先に逃げろ』じゃないからな」
不敵な笑みを見せる朝陽は最後に一言吐き捨て、魔物に向かい駆け出した。
その声に力強く答えた羽花は、勢いよく屋根を降り地に降り立つ。
辿ってきた結界を解除し、両家の女性術者達の元へ駆け出した。
後ろ髪を引かれることは無い。
なぜなら蓮水朝陽は、
妹が大好きだから絶対に悲しませることはしない。
『勝つぞ、羽花ちゃん』
それからつい先日久しぶりに訪れた鳳莱家に足を踏み入れた羽花。
自宅と同様に静まり返るこの空間に耳を傾けると微かに人の話声が聞こえてきた。
その声を聞き逃さないよう集中しながら辿り着いた先。
それは幾度となく喜怒哀楽の感情を得たこの稽古場だった。
深呼吸し、心臓を落ち着かせながら意を決して扉を開ける。
「雷属性 」
激しい光と音の和音はこの防音室に轟き、相手の体を貫く。
羽花の辿り着いたここにいたのは、求めていた姿ではなかったが、仲間の無事を知りホッと息をつく。
「景兄、」
その時、羽花の真横の壁から何やら奇妙な塊が現れ無意識に避けた。
羽花にとっては無意識だが、その体を覆う天力はその存在に気がついていたのである。
天力のおかげで危機を逃れた羽花は、気を引き締め直し景と向き合った。
「茉莉を頼む」
「…え?」
「動けねぇ」
その声に羽花は景の視線を辿る。
そこには彼の膝から下を覆う大量の文字が、彼の動きを封じていた。
「待って、今!!!」
「やめろ」
羽花は景の足元に向け、術式を発動させようとしたが景の声によりその手を下ろす。
「お前じゃ駄目だ」
動きを封じられても冷静で、端的な彼の言葉。
その言葉は驚いて手を止めた羽花の心を貫いた。
ーーーー私じゃ、力不足。
易々と異門を突破させ、両家の術者に及ぶ危害。
長年の任務ですら満足にこなせないと悔やむ羽花にその言葉は痛いほど染みた。
しかし今は落ち込んでいる暇はない。
痛む心臓をぎゅっと握り、己を奮い立たせ羽花は前を向く。
その力強い眼差しに気がついた景は、自由な右手で雑に髪の毛を掴み吐き捨てる。
「違ぇ」
「え?」
「別に、お前が……じゃねぇよ」
この状況で羽花は思った。
景兄と普通にコミュニケーションを取っている兄の凄さを。
いまいちピンと来ていない羽花に気が付き小さく舌打ちした景はそのまま口を開く。
徐々に放出量を上げ、雷属性の天力による光を纏いながら。
「後継者の力は危険だ」
「危険?」
「並の術者、連れてこい」
「……わかっ、た?」
元々関わりが少なかった景の言葉が完全に謎めかないうちに、羽花は次へと進むことに決めた。
来た道を戻るように扉に手をかけた羽花の背中にかけられた言葉。
「任せた」
今現在、鳳莱若匡を除く術者ーーーー若手の中で一番の実力者の鳳莱景に託された使命に奮い立たないはずがない。
二人の偉大な先輩術者から任され、羽花は力強く一歩踏み出す。
「うん!!!」
※ ※ ※ ※
「羽花ちゃんは諦めなかった」
ただ一人天力を操れず焦っていても、稽古をサボることは一度だってなかった。
ーーーー他人を思いやれるやつ。
自分の方がボロボロで傷だらけでも、道に迷っている人がいたら絶対に助けに行く。
「やり遂げる忍耐力」
自分の命を守る為の道具だとされても、それでも守り続ける優しさ。
ーーーーどんな重圧にも耐えようとする強さ。
向けられる期待の眼差しを己のみに向けられても、結局最後はその試練を受け入れ鍛錬する。
「大丈夫だよ」
ーーーーフッ
二人は自分より幼い少女の背中を思い出し、笑みを浮かべる。
「だって羽花ちゃんは」
ーーーー羽花は
”両家が誇る正統後継者だから”




