守るもの
「お、兄ちゃん?」
予想していなかった表情に思わず体を力ませ呼びかけるが、
『羽花ちゃん』と周りがひくほどの溺愛っぷりを見せる兄に戻ることは無かった。
「なぁ」
「な、に?」
「何のために強くなろうとしてる?」
表情を変えることなく羽花から視線を逸らした朝陽は、対面する壁を見つめながら問いかけた。
「皆を守るため……だよ」
「何故強くなろうとしてる?」
「だから皆を守るために、」
「皆って誰だ?」
ピタリと動きを止めた羽花に再び視線を戻し、揺れる瞳を見つめた後俯きながら立ち上がり羽花の正面に立つ。
いつもと違うオーラを纏う兄を見上げながら騒ぎ立てる心臓を必死に抑える羽花は、緊張からか唇が微かに震えた。
「この世界に住む人々を守る使命。
これは何よりも大切で、絶対に成し遂げなければならない」
「だから、私は…!!」
「なぁ、羽花。忘れてないか?」
「何を、」
怒りを含んだ声が怒鳴ることなく淡々と言葉を紡ぐ恐怖を全身に感じ、声が震えた。
「確かに”正統後継者”は羽花しかいない。
その証を持つだけで沢山のことを求められ、他の術者より出来ることが増える」
「けどな、これだけは忘れるな。
魔物と戦えるのは正統後継者だけじゃない。
術者全員だ」
その時思わず涙が零れ、羽花は急いで袖口で拭う。
忘れ去られていた感覚を思い出した途端、リミッターが外れたようにいとも簡単に流れ出る。
朝陽はそんな羽花に驚くことなく続けた。
「術者は羽花だけじゃない。
俺や茉莉、優美や景、それに親父達や若爺もいる」
何度拭っても頬を伝う涙を隠すように顔を手で覆った羽花はそのまま俯く。
「羽花は一人じゃない。
怖い時、自信が無い時、心が折れそうな時。
どんな時だっていい、周りを頼れ。
そのために俺たちがいる、俺達のために羽花がいる。
自分以外の術者が、翔だけだと思うな。
ちゃんとーーーー俺達のことも見ろ」
真っ直ぐ自分を見つめるその目を、羽花は真っ赤に腫れ上がった目で見上げた。
その顔を見て初めて表情を緩ませた朝陽は、眉を下げ笑いながら言った。
「それとも俺らじゃ頼りないか?羽花ちゃん」
その問いに痛めるほど勢いよく首を横に振り、体全体で否定した。
「……そんなことあるわけない。
皆はずっと私の憧れで、追いつきたい存在だから」
「この証で背負うものが沢山あるのはわかってる。
けど、せめて俺達のことは信じてほしい」
「…うんっ」
「大丈夫。
俺達は守られなくても魔物と渡り合っていける。
俺らは頑張ってる後継者達を近くでずっと見てきたから、そう簡単には負けないよ」
な?、そう言って笑う朝陽は二度羽花の頭を軽く叩き部屋を出ていく。
「あ、そういえば今日の晩御飯ザンギだってよ」
蓮水家の子供達が全員好きなそのメニューに、二人は言葉を発することなくサインを送る。
両者の立てられた二本の指は形を変え、扉のしまった空間に一人残された羽花は、もうすぐ始まる責任重大の任務に向けて稽古を再開する。
バタン。
扉が閉まる振動を背中で感じ、朝陽はゆっくりと歩き出す。
蓮水家へと繋がる階段に足を踏みかけた時その声は聞こえてきた。
「泣いてる羽花に騒ぎ出さないなんて、”らしく”ないわね」
手すりに身を預け、持っていたスマホから顔を上げた茉莉は肩にかけていたカバンにそれをしまう。
「言ったべや。妹離れする、って」
来た道を振り返るように視線を向けた朝陽に茉莉は呟く。
「妹離れって必要なの?」
「なんで?」
「いや、だってさ」
「必要だろ。俺のためにも、羽花のためにも」
「けれど、さっきのはそんな感じじゃなかったわよ」
茉莉のその声に俯いた朝陽は階段を上り、すれ違いざま吐き捨てるかのように口を開いた。
「怒ってんだよ」
そのまま姿を消した朝陽を見送り、一人階段に残された茉莉溜め息をつく。
「じゃあなんでそんな顔してるのよ」
茉莉の振り向いた先には、先程朝陽が歩いてきた廊下がある。
もう一度深い溜め息をついた茉莉は、まだ大人になりきれずもがいている同い年の男が進んだ道に一歩踏み出した。
「ところで、」
突然聞こえた声に肩を跳ねあげ、声のした方を見上げるといつの間に戻ってきたのか、先程別れた朝陽が顔を覗かせていた。
「こんな時間からどこ行くの?」
スキニーパンツに大きめのニットを合わせ、フレアな裾のコートを羽織る茉莉を上から下まで眺め、不思議そうに問いかける。
「ちょっと気になることがあって、ね」
「ふーん」
「こんな時間って、まだ五時前じゃない」
腕時計をしない茉莉はスマホを取り出し時間を確認する。
画面には自分の推しの一番格好良い画像が映し出される。
その画面を満足気に閉じた茉莉は、返事のない朝陽をちらりと見上げた。
「まぁな。
茉莉ちゃん背高くてすらっとしてるから、そういうの似合うね」
さも当たり前のようにそう言い放った朝陽に思わず目を丸くした茉莉は三度目となる溜め息をつき、頭を抱えた。
「ほんっとそういうところよね」
「ん?……何が」
意味がわからない、というように聞き返す朝陽に茉莉は階段を上りながら渋々口を開く。
「朝陽のそういうところに、何人の女の子が引っかかったかわからないわ」
「はぁ?てか茉莉、あんまり遅くなるなよ」
「はいはい。じゃあ行ってくるわ」
ピンと来ない朝陽に愛想を尽かしたのか、やや強引に話を終えた茉莉は下がり落ちていた肩紐を掛け直し、玄関へと向かった。
律儀に見送りに来てくれた朝陽の視線を感じながら、モコモコとしたブーツに足を入れる。
暖かいその感覚が数分後には冷えきっていると思うとなんだか後ろ髪を引かれるが、やらねばならないことを思い出し何とか自分自身を奮い立たせる。
「じゃあ行ってきます」
「おー、気をつけてな」
引き戸に手をかけ返事を受けた時、茉莉は後ろを振り返った。
決して外出を断念した訳では無い。
けれど、無性に今すぐ伝えたくなったのだ。
「任務……行くんだってね」
「ん?……あー、封印のか?」
「良かったじゃない。念願の、羽花と二人だけの任務」
「あぁ」
どこか気まずそうな表情を見せる彼に気が付かない振りをしながら茉莉は小さく呟いた。
その声は目の前の朝陽にしか届かなかった。
むしろそれで良かった。
茉莉は他の誰ものでもない、朝陽だけに伝わるよう声を小さくしたのである。
「気をつけて」
「どうした?」
心配してくれるのはいつもの事だが、今回はどうやら様子がおかしい。
いつもと違う茉莉に疑問を抱いた朝陽は、その感情を本人にぶつけた。
その感情を受け取った茉莉もまた、笑みの見えない表情で呟く。
「何か、嫌な予感がするのよ」
そう言って今度こそ、体を突き刺す寒さの中に飛び込んだ茉莉は後ろ手で扉を閉めた。
彼女の姿が見えなくなった朝陽は、頭の中でたった今言われた言葉を復唱する。
『嫌な予感』『気をつけて』
この勘が当たっているのかは、今はまだ誰にもわからない。
それでも、
「この任務、何か起こるのか?」
彼女の言葉を聞いてから、それまで何ともなかった心がザワザワと蠢く。
自分にとって恐らく一生に一度の重大な任務。
もしもこの任務に、何か大変なことが起きるのだとしたら。
最悪な状況を予想し、朝陽は自室へと足を進めた。
茉莉が何をしに行ったのかはわからないが、彼女が何かを企んでいるのは確か。
ずっと隣にいた朝陽はそんなことを考えていた。
それぞれが単独行動を始めた今。
一体誰が、正しい道を選ぶのか。
それを知るのはまだほんの少し先のお話だった。




