雨垂れ石を穿つ
だらりと脱力しながら手をグッパーと握ったり、開いたり。
その動作を繰り返し確信した羽花は、恐る恐る腕に力を入れ上体を起こす。
多少の痛みはあるものの先程よりも幾分マシになった体に力を入れ、隣に横たわる雪の小さな体を抱き抱えた。
「雪!!!」
冷たい体をぎゅっと包み込み、羽花は必死に名前を呼び続けた。
その時腕にはらりと何かが伝う感覚を感じふと視線を向けると、羽花と家を繋ぐブレスレットが雪の中に身を隠したところだった。
「お、ね」
微かに聞こえたその声に慌てて振り返ると柔らかく微笑む雪が羽花の頬に手を伸ばす動きに気が付き、その手を頬に当て握りしめる。
「よかっ、た。回復、した…んだね」
嬉しそうに微笑む雪を見て思わず緩む涙腺。
しかしその涙が頬を伝うことはなかった。
吐き出されることなく心に溜まり続けるその感情は、苦しく重く羽花の体を蝕み続ける。
「このリスは元々傀儡の手持ちの一つなんだ。
一切動くことのないハナちゃんはただのぬいぐるみとして扱われてきたけど、本当は違う。
きちんと自分の思考を持っている優秀な存在。
リスの習性の天敵が離れていくまで身動きしないのを、傀儡相手に使っていたらしいんだ。
傀儡は、自分の意見を押し付け個性を殺してしまう存在だから敵とみなされらしい。
元々可愛らしい見た目で人々を癒すこのリスには回復術が備わっていて、触れた者に作用って言われているんだよ」
苦しそうに息を吸いながら語る雪を羽花は何度も止めたが、それでも決して口を閉ざすことなく『ハナちゃん』と呼ばれたリスについて詳しく教えてくれた。
「ハナ、ちゃん?」
羽花の呟きに可愛らしく返事をしたリスはそのまま羽花の首筋に身を寄せた。
不思議と漲る天力が、雪の言葉の信憑性を高める。
「あ、うん。
本当は名前は無いみたいなんだけど、さっきお姉ちゃんの花びらにすごく喜んでいたから僕がつけたんだ。
お花のように誰かの癒しの存在になってもらえたらいいなって」
照れ臭そうに視線を逸らす雪はポツリと言った。
「でもそれだけじゃ駄目かな」
僕も雪の力を持っているからって理由だけでつけられたし、そう悩む彼を羽花は否定した。
「そんなことない。
その人を想い、考えた名前が駄目なわけない」
掌を差し出すと怖がることなく攀じ登るハナを持ち上げ、羽花は遠い記憶を思い出すように目を細めた。
「同じ名前。何かの縁なのかもね」
その声は雪の咳込む音によってかき消された。
「雪っ!!!」
いよいよ本当に危なくなってきたようだった。
羽花は急いで天力を放とうとするが、力の抜けた手が羽花の掌を包みその行動を阻止する。
「やめて、お姉ちゃん」
「……どうして、嫌だよ。雪には死んでほしくない、生きていてほしい」
「お願い」
「初めて出来た魔界に住むお友達なの」
「と、もだち」
「初めて……何百年もの長い間天敵と呼ばれ続け、いがみ合っていた魔界での初めてのお友達なの」
『友達』
その言葉を聞き、雪は涙を流した。
初めて出来たその存在。
周りの皆が当たり前のように作っていたその存在を、雪は何倍もの時をかけて初めて手に入れたのだった。
暗闇の中に息を潜め、ただひたすら繋いできた命で一歩踏み出し、手に入れて。
ずっと欲しかった諦めていた光。
初めての友達、そして初めて自分を信じついてきてくれた二人。
「最高の人生だった、僕」
「…雪?」
「最期に自分の価値を創れた」
「雪!!!」
羽花は一度も、雪のことを『魔物』だと言わなかった。
それが魔物を嫌う雪をどれだけ救ったか、きっと本人にはわからない。
それでも魔物の血を引く雪にとって、その存在を肯定されないことは涙を流すほど嬉しいものだった。
価値を証明し終えた体は、最期の別れの準備を進める。
まるで体内の毒素を吐き出すように流れる赤い血はその範囲を広げ続けた。
「雪、雪!!!」
意識を朦朧とさせる彼の名前を叫び続け、羽花は手にしたハナをその小さな体の上に乗せた。
「お願い、ハナ。雪を、助けて」
その悲痛の願いも虚しく、ハナは羽花の頼みを拒否するかのように小さな体の上でピタリと動きを止めた。
「ど、して。お願い、お願いだから」
もう一度やり直そうとハナを優しく抱き上げ、体に乗せようとする手を雪は掴む。
「出来ないよ、お姉ちゃん。それは対人間用。
傀儡を始め魔物を天敵だと判断しているその子の力は魔物には効かない」
「でも雪は魔物とは違うでしょ?それがハナに伝われば、」
「僕はどう足掻いても魔物なんだよ、お姉ちゃん」
この言葉を口から吐き出すのは、どれほど辛く悲しいものだろう。
羽花はその言葉を雪の口から出させてしまったことに気がつき口を閉じる。
「ハナちゃんは雪の中で見つけて、僕が保護したんだ。
その証拠に僕が触れている間、絶対に動くことはなかったよ」
「じゃあ私の力で何とか」
「お姉ちゃんにこの傷を回復させる力はまだ戻っていない」
「じゃあどうしたら…!!!」
「強くなってよ、僕のヒーロー」
「ヒーロー?」
「僕はお姉ちゃんのおかげで幸せな人生を送れた。笑顔で終われた」
「……駄目、だよ」
「ありがとう」
冷たい頬に触れ、羽花は叫ぶ。その声は痛々しく公園内に響き渡った。
「そろそろ時間だ。お姉ちゃん、僕を殺」
目を丸くし、言葉を止めた雪は自分の胸に頭を乗せ叫ぶ羽花の髪の毛を撫でこう告げた。
「僕で試して?」
「え?」
その言葉に顔を上げた羽花は、苦しそうにそれでも優しく微笑む雪の顔を見つめた。
「僕からの最期のお願い、聞いてくれる?」
「い、嫌っ」
「お願い」
「出来ない、出来ないの」
「大丈夫、お姉ちゃんなら出来るよ。
今は出来なくても、何度失敗しても、諦めず積み重ねていけば必ず花が咲く」
「私には、」
「それを」
「それを教えてくれたのはお姉ちゃんでしょ?」
羽花の左手をなぞった雪は「ね?」と目を細める。
「もう僕には時間がない。
あと数分もすれば話すことも、息をすることも、お姉ちゃんの姿を見ることも出来なくなる」
「ッ、」
「最期は憧れのヒーローを見ながら死にたいんだ」
羽花はそんな雪の笑顔から逃げた。
「どうしたって死からは逃れられない。
その時見るのは辛く悲しい顔じゃなく、明るく温かい顔を見たい。
お別れはいつだって笑顔でしたい」
その時、羽花は頬を伝う何かに気が付いた。
あの日から忘れてしまった涙の流し方、
どんなに辛く、悲しいことがあっても頑なに流れなかった涙が今決壊したダムのように音もなく流れ出る。
まるで今まで心に溜められた苦しみを放出するかのように。
ーーーーあぁ、あの時もそうだった。
『強くなれ、羽花』
三年前そう私に託し、姿を消した彼も。
最後の瞬間、優しい笑顔を見せていた。
『強くなってよ、お姉ちゃん』
現在、目の前の彼も。
いつだって私の背中を押すかのように明るい笑顔を見せて消えていく。
どんな時も振り返った時真っ先に思い出されるその表情。
最後に笑える強さ。
羽花は痛む体に力を入れ立ち上がった。
その姿を雪は嬉しそうで、眩しそうで、それでいて泣きそうな顔で見上げる。
羽花はそっと懐から一枚の紙を取り出した。
流れ出る涙を必死に堪え、勝手に出てくる嗚咽を必死に呑み込み、小さくボロボロの赤く染まった体にその紙を置いた。
瞬く間に青色に揺らめく結界に包まれた雪は一度目を閉じ息を吐き出した。
そして目を開けこちらを見つめるヒーローに満面の笑みで挨拶した。
「遊んでくれてありがとう!」
徐々に消えていくその体に涙が止まらない羽花は必死に堪えようとせわしなく顔を動かす。
雪の存在が残りわずかになり、羽花はようやく顔を上げその言葉に答えた。
「楽しかった!ありがとう!!」
その顔はまるで久しぶりに親友に会ったかのように清々しく、明るい笑顔だった。
その表情により笑みを深めた雪はそのまま濃い霧の中に飲み込まれ、この世界から完全に姿を消した。
静まり返った公園にはうっすらと積もる雪が地面に化粧を施していた。
身を沈められる程積もっていた雪が一瞬にして消え去り、地面の固さを感じながら羽花は寝転び目を閉じた。
目を覆う水滴が流れ落ちないように。
思い出が流れて行かないように。
次に目を開けた時、そこにはいつもの凛とした蓮水羽花が立っていた。
彼女は千切れたブレスレットを拾い上げ、【2:31】で止まっている時計に目を止めた。
異門の閉鎖により時刻が午前三時を過ぎていることは確かであり、交戦中の何らかの衝撃で時計の針は動きを止めたらしい。
雪の力に覆われていた傀儡の姿も消え去ったことを確認した羽花は誰にも聞こえぬ声で呟く。
「雪がいなかったら傀儡は人間界に完全に侵入してた。
雪がいなければ、今頃この平和はなかった」
持ち主の力と共に姿を消した上位魔物の存在。
この世界の平和の存続の為に力を貸してくれた、同じ世界で過ごしていた雪。
その両者に深々と頭を下げ羽花はある言葉を口にした。
新たな一歩を踏み出しての初めての任務は、悲しみと苦しみ、嬉しさと感謝。
沢山の感情が混ざり合った壮大な戦いだった。
今日の戦いで羽花は何に気が付き、何を思ったのか。
それは彼女自身しか知らない。
この先の進む道を決めた大切な一日の始まり。
「絶対に強くなる」
お知らせしていた通り、
明日10/30~11/2まで次話投稿はお休みさせて頂きます。
11/3より投稿再開しますのでよろしくお願いいたします*
2021-10-29 桜音愛花




